オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

2022年 読んで良かった小説

年末年始、2022年に買ってよかったものというテーマで、紹介しているブログが結構あった。わたしもやりたいと思いつつも、良かったもの●選と大々的に紹介できるものもなく。あえて言うならば、耳掃除用のオイルはよかった。

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メンソール風の清涼感で、ベタつく耳垢がすっきりします。一度オイルをつけて耳に入れた後、乾燥した綿棒でもう一度掃除するのがおすすめ。

耳垢掃除のオイルではなくて、もっとかっこいいガジェット的なグッズを紹介したいけど、これといってないので、2022年読んだ小説でお勧めを紹介します。といっても、年が明けて半月以上経っているんですが。今更ですが、紹介します。

 

太陽の季節

石原慎太郎のデビュー作「太陽の季節」を含め、五話の短編を掲載した短編集。あらすじだけを追っていくと、暴力や支配、今だったら倫理的に問題になるであろう作品が多い。しかし、ここに書かれている登場人物の感情は、偏ったフィクションではなく、ともすれば、若者が持ってしまう恐れがある感情だと私は思う。無邪気な子供の中で残忍ないじめが起きるように、理性を備えてない若者は、ときに衝動を抑えずに人を傷つける。

この小説を読んで、残忍な犯罪を描いていることに対して嫌悪感を感じ、表現として許せない人もいるだろう。そう言った意見があるのも分かるのだけど、許せないといくら言っても、暴力を振るいたい欲求、支配したい欲求を持ってしまう人間は必ずいる。そして、その大半は、世間から許されないと言われる負の感情に苦しめられる。読みながら、著者自身も攻撃的な感情の手綱を握ってきたのではないかと思った。それくらい、破滅的な人間の再現性の高かい

現実世界で暴力は絶対、許されない。だけど、許されない欲求に蓋をして、見ないふりして終わりでは、どこかで、その感情が溢れでる瞬間がくる。ここ数年、起きている拡大自殺と言われる事件も、押さえつけられた攻撃性の暴発のようにわたしは見ている。一般社会では許されない負の感情に向き合い、フィクションの中だけでも自由に解放させる、そうして、現実ではどう折り合いをつけるか、どうやって共存していくかを探ることも、小説の役割だろう。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

◆ののはな通信

夏ごろから、読んだことない作家縛りで、図書館で本を借りはじめた。三浦しをんさんも、お名前は知っていたけど、恥ずかしながら、読んだことのない作家の一人だった。野々宮茜(のの)と、牧野はな(はな)、ふたりの女性の手紙だけで綴られる小説。同じミッション系の女子校の同級生ではあるけれど、ののとはなは全く違う性格。中流家庭に生まれ、勉強ができて真面目なののと、外交官の娘でお嬢様はな。それぞれに嫉妬し、納得できない思いをかかえながらも、二人は思いを内に秘めず伝え、ときには仲違いをし、途中途絶えながらも、手紙や電子メールのやり取りを伝える。シスターフット、女の連帯なんて言葉が流行っているけれど、見習うべきは、こんな関係性なのかもしれない。分かり合えることが難しくても、それでも伝えあえる関係。そして、仲違いしても、どちらともなく歩み寄れる関係。自分の正しさを押しつけ、相手を変えることで連帯しようという人間も多いなかで、このフラットな関係性は読んでいて居心地がよかった。三浦しおんさんは、女性の内面の描写がとてもうまくて、嫌な部分--他人を詮索したり、下に見たり、そんなところも素直に描いていて、美談だけではない女の子同士の友情を伝えているのがよかった。

 

◆青木きららのちょっとした冒険

2022年「幸せそうな女が許せなかった」と供述した傷害事件があった。電車の中で刃物を振り回し、周囲の人間を傷つけた。幸せそうな女が許せないならば、東大の合格発表で感極まる女や、オリンピック出場が決まって祝福される女を許さなければいい。そうではなくて、電車にいる、なんか可愛いっぽい、幸せっぽい女を狙うのは、圧倒的な努力や力で、現実をねじ伏せてきたような適わない女ではなく、大したことなさそうに見える女だからだろう。大したことない相手が、思い通りの人生を生きているように見えるとき、反発がおきる。藤野可織さんの短編集「青木きららのちょっとした冒険」の中のひとつ「スカートデンター」では、ある日、突然、スカートに歯が生えて、チカンの手を食いちぎるようになる。やったところで、大したことないから、チカンをする。大概はばれないし、騒がれない。だけど、スカートに腕を食いちぎられるようになったとき、世間、とくにチカンをする側の人間は、反発する。スカート排除しろと怒る。大層なことになったのだから、チカンをしなければいい、という発想にはならない。

幸せな女が許せないのならば、その女の何が許せないか、考えるべきだ。綺麗なカッコするのが許せない?かわいいって言われてそうだから?幸せで羨ましいならば、「その羨ましい」を掘り下げて、自分も近いところを目指してみたらいい。小ぎれいにして羨ましいなら、自分も見た目を整えるように努力して、容姿を褒められる、チヤホヤされるように努力したらいい。おそらく「そんな無駄なことしても……」と言うだろう。「大したことないのに幸せそう」の裏側には、「そんなことしても?」と思うような細々した手間があったりする。そしてその細々した自分へのケアを楽しそうにやっていたりする。その細々した手間をやっているのが、幸せそうな女だったりするんだ。「幸せそう」の裏側には、他人から見たら面倒くさそうな手間で溢れている。

「青木きららのちょっとした冒険」の中には、「幸せな女たち」という短編もある。結婚式に刃物をもった男が表れ、新婦を殺害する事件が連続する。犯人たちは「幸せな女が許せなかった」と言う。そんな世界で、ウェディングフォトグラファーだった青木きららがはじめたサービスが「ハッピリーエバーアフター」だ。特別な日も、最悪な日も、何でもない日も、主役になれる写真を撮る。子供と川で遊んでいるところ、ビールを飲んでいるところ、なかには、家族のDVによる傷が残っている日に撮影する人もいる。そうやって、どんな日でも自分を見つめること、自分が何をしたいか、何が幸せか考えること、そういう自分へのケアが「幸せそうな女たち」はできているのだろう。「幸せそうな女」が羨ましいのであれば、まずは幸せになれるよう、自分で自分をケアしてみるのがいいように思う。

 

三作、どれもよかったので、よかったら読んでみてください。

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