オナホ売りOLの平日

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頂き女子りりちゃんPERFECT DAYSを知ってほしい

君たちはどう生きるか」「ゴジラ-1.0」がアカデミー賞を受賞したニュースが話題になった。二作品のダブル受賞は大々的に報じられ、わたしもツイッターのタイムラインで知った。トリプル受賞ならずという言葉も目に入った。今年のアカデミー賞にはもう一つ、日本映画がノミネートされていた。役所広司主演のPERFECT DAYS。

www.perfectdays-movie.jp

 

PERFECT DAYSはトイレ掃除員として働く主人公が、日常生きる様子を映し出す映画だ。同僚が突然退職したり、しばらく会ってない姪っ子が突然訪れたり、小さな、さざ波のような事柄はあるが、すぐに元に戻り、日常を送る。大きな事件は起きない。2024年1月23日の日経新聞のコラム春秋では、この作品を取り上げ「内面の生活さえ豊かならば人は幸福でいられる」と綴っている。このコラムに限らず、貧しいながらも、豊かに生きることに希望を見いだしたという感想を抱く人は多い。

www.nikkei.com

 

一方で、この映画は、批判的な意見もある。作家の平野啓一郎さんは、ツイッターで、この映画に対して否定的な意見を述べている。

貧しくても幸せに生きようという押しつけ、プロパガンダになってしまうという批判もある。貧しい生活から抜け出す手立てを示すのではなく、それを美化して、そのままの我慢を強いるように見えるのであろう。たしかに批判は理解できる。だが、わたしはこの映画はある種の人にとって救いになるし、この映画でなければ示せない生きる糧になる思考があるように感じている。

 

◆貧しい生活しか作れなかった生い立ち

PERFECT DAYSが救いのように感じたのは、弟を思い出したからだ。わたしには弟がいる。素直な良い奴だ。高校を出て、地元の工場に就職し、10年近く経つ。辞めずに仕事を続けている。だけど、彼はわたしより年収も学歴も低い。それに家の事は全く出来ない。わたしや妹には、皿洗いや洗濯物干しをさせた母は、同じことを弟にはさせなかった。今も実家に住んで、家事は全て母がやっている。母は「いつかお嫁さんもらって一緒に住んだら」と将来の希望を言っていたけれど、無理だろうなとわたしは思っている。人間性がいくらよくても、分かりやすい価値に乏しくて、こんな母親がいたら、無理だろうな。わたしは弟に罪悪感を抱く。わたしばかり抜け出してごめん、と。弟は母の言う通りに生きてきた。母は、大学に言っても無駄だと言ったし、一カ所に長く勤務するのがいいと言った。弟はその通りに生きている。そして母は弟を「素直でいい」と言い、わたしを「我儘」だと言う。わたしは母に付き合うのは耐えられなくて、しばらく実家に帰っていない。弟に、面倒な親を押しつけてごめんと思うけれど、自分で考えて来なかったのが悪いんだよ、苦労をしなかったから、楽をしてきたからだよ、とも思う。罪悪感と、蔑みを同時に抱えている。

 

◆PERFECT DAYSの幸せがまだ残っている救い

PERFECT DAYSを見て、弟にまだ幸せになる道が残っていると思えた。派手な成功はなく、人生の大きな動きもない。それでも、変わらない日々を過ごしながら、生活の中で豊かさを見つけ、幸せになる可能性が人生に残っている。それでは、兄弟に罪悪感とそれを打ち消すための蔑みを抱えたわたしへの慰みになった。この映画を批判する人が言うように、豊かになれなかったことを仕方ない、と思っているわけではない。真面目に生きている人が、経済的に貧しく、家族も作れない現状を肯定はしない。国が、社会が、行政が、悪くないわけではない。だけど、すでに大人になって、中年が目の前に迫った人たちに、抜本的な解決方法を与えることは不可能だ。幼少期の養育環境からゆっくり決まってしまった道を変えることはできない。だから、現状の中でのマシな生活を提案してくれたPERFECT DAYSが唯一の解毒剤のように思えた。

 

◆若さという売り物を失うりりちゃん

今更、弟が気になってしまったのは、いただき女子りりちゃんの事件があったこともある。独身の中年男性に恋愛感情を持たせ、大金を貢がせた20代の女の事件だ。これは見て、わたしは、将来弟が、こんな風に悪い人間の被害に逢う心配をした。素直な彼はすぐに騙されるだろう。だから、年老いた後、一人静かに喜びを提示してくれた映画に安心できた。こんな奴に騙されないでね、他にも幸せになる方法があるよ、と言える気がした。被害者が、弟の将来に思え、りりちゃんのニュースは追いかけていた。あるネットニュースには彼女の家族のことが書かれていた。りりちゃんと家族との関係は良好とは言えない。りりちゃんは父親からは常に暴力を振るわれていた。父の暴力から救ってくれなかった母親、それでも、りりちゃんは大切に思い、母には自分しかいないと言い続ける。

www.news-postseven.com

 

女性記者が、面会時に差し入れをした際、リリちゃんは「こんな風に物をもらってすいません」と申し訳なさそうにした。男性に何千万も貢がせて、どうしてそんなことを言うのかと、記者が尋ねると、「女の人には何もしてあげられない」とりりちゃんは答える。中年男性には、売り物としての自身の若さ、美しさを提供できる。でも女性記者にそれは価値にならない。その記事を読んで、わたしは、りりちゃんを哀れに思えた。りりちゃんにとって、自分の価値は若さ、美しさ、性的魅力、そういった異性としての価値以外になかったのではないか。この女の子は、恋愛対象であること、性的対象であること以外に価値を見出せないで生きてきた。先日の裁判で下された求刑は懲役13年。求刑通りに判決が下れば、刑期を終えるとき、彼女は38歳だ。若さという商品価値がなくなる。りりちゃんの言葉を借りれば、何もすることができなくなる。それでも、生活は続くし、生きなくてはいけない。だから、わたしは、りりちゃんにPERFECT DAYSの世界を知って欲しい。経済的に豊かになれなくても、幸福になる手立てを知って欲しい。判決は4月22日に決まる。りりちゃんが少しでも幸せに向かう結果になれば、とわたしは思ってしまっている。