オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

女の子になりたかった

彼女を上座に座らせて、メニューを渡す。メニュー表のページを捲る彼女を眺めた。「ゆっくりで大丈夫ですよ」とわたしは彼女に言う。この子の恋人も同じ景色を見たのかなと思った。

AV女優のイベントで、マネージャーが同行しないときがある。そんなときはこうやって、その日の女の子と二人で食事を済ませる。何食べたいですか?嫌いな物あります?イベントが終わってそんな話をして店を決める。

「決まりました」。彼女は元気のいい声でそう告げて、閉じたメニューをわたしに手渡した。わたしは、店員を呼び止めて、彼女の選んだ食事と、急いで決めた自分の食事を店員に伝える。今になっても、男の子みたいな役回りを引き受けて、主役を明け渡してまう。

「ありがとうございます」。二重の大きな瞳を少し細めて彼女は笑う。わたしよりずっと可愛い。だから、きっとこの関係性は正しい。

 

「私はカクピンクやるから、カクレッドやってね」

保育園の頃、カクレンジャーごっこが流行っていた。カクレンジャーは五人いるけれど、女の子三人でカクレンジャーごっこをする。カクピンクはアサミちゃんで、もう一人の女の子、カクイエローはヒトミちゃん。わたしは余り物のレッドだった。ピンクがいいと言っても、聞いてくれないから仕方ない。いつも従った。ヒロインにはなれなくて、余り物の役割ばかり押しつけられた。イジられキャラ、バカにしていいキャラ、みんなのやりたがらない男の子のキャラ。わたしは、ずっと可愛い女の子の役割がほしかった。可愛くて、憧れられて、みんなの中心にいられる女の子をやりたかった。

 

◆男になりたかった、と話す女性哲学者 永井玲衣

最近、たまたま見た予備校のCMで、綺麗な女性を見かけた。予備校にこんな美人な先生がいるんだ。検索すると、彼女は永井玲衣さんと言って、哲学の専門家だった。永井さんの執筆した記事がいくつも出てきて、そのなかのひとつに、男になりたかったと書いている。こんなに可愛いのに、なぜ女でいるのことが嫌なのだろうか。なんで。

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わたしはずっと男になりたかった。おじさんになりたかった。物心が付く前から、スカートを履くことが、引き裂かれるように嫌いだった。「お出かけ」の日に、ワンピースを着なければならず、朝には喉が千切れるほど部屋で泣いた。学芸会はひとりだけ男役を選んだ。女になりたくなかった。「れい」という名は、男の名前だから気に入っていた。髪はずっと短かった。

 

わたしは男になりたかった。ずっと、ずっとなりたかった。だが、本当はそうではなかった。わたしは「主体」になりたかったのだ。

 

しゅたい【主体】[名](1)性質・状態・作用などの主として、それを担うもの。特に、認識と行動の担い手として意志をもって行動し、その動作の影響を他に及ぼすもの。(2)物事を構成する際に中心となるもの。

 

明鏡国語辞典MX」より引用

 

◆飯炊き女になりたくなかった

主体が、「認識と行動の担い手として意思をもって行動するもの」を指すのであれば、わたしは主体だった。大きくなればなるほど、主体だった。

小学校の過ぎた頃、母はお小遣いの条件として、夕食後の食器を洗うように言った。パートに行く日はよく、慌てながら、洗濯物を干してと、投げ捨てるようにわたしに言って出ていった。弟は中学になっても、洗濯物を頼まれることも、食器を洗うこともない。わたしと妹、女の子だけが押し付けられる仕事だった。

母は家事が立て込むと、ヒステリックになって、声を荒げて怒り出す。些細なことで、怒鳴るから、夕飯時前、母台所にいるときはビクビクしていた。母は一度、わたしに「飯炊き女だとおもっているでしょ」と怒鳴った。弟には頼まない家事を、わたしには頼む母をみて、方々の大人から押しつけられた飯炊き女の役割を、今度はわたしに押しつけようとしている気がしていた。ここから抜け出さないと、母のようになる。それが嫌で、大学受験をした。母は大学なんて行かなくていいと言ったけれど、それを無視して勉強した。押し付けてきた家事もやりたくないのは無視した。母はわたしを、ワガママで自分勝手だと言った。ワガママな女になるか飯炊き女になるかだったら、ワガママの方がマシだ。他人に何を言われても、自分のやりたいように生きよう、それが「主体」なら、わたしは主体だった。自分を偽って他人に合わせたら不幸になる。そんな気がしていた。

だけど、そうやって、ワガママを貫いて生きていると女の子にはなれない。女の子は明るくて、社交的で、自分からみんなに話しかける。勉強も運動も、抜群には出来ないけど、そこそこできる。そして、自分のことよりみんなを優先して、ワガママな自己主張はしない。女の子の中で、女の子の役割ーーカクピンクの役割は、劣等生で、まわりに合わせられない女の子には回ってこない。わたしはいつも、変な子だったし、浮いた子だった。空気の読めない不思議ちゃんだった。それでも、みんなの中心になる女の子になりたかった。

 

◆押し付けられた役割を拒絶できる世界に

三、四年前、必要な本を取りに実家に帰った。母が苦手だから、本を探し終えるとすぐ、駅に向かう。駅までの道を父が車で送ってくれた。そこで、従姉妹の話をした。同じ年の女の子。長く付き合っている恋人がいるけれど、相手はお母さんを亡くし男兄弟しかいない人だから、結婚しずらいんじゃないか、という趣旨のことを父はわたしに言った。「結婚したら、相手の家族の面倒を看るの全部やらないといけなくなるから」。父は車を運転しながらわたしに言う。目線はずっと続く田舎のたんぼ道の先を見ていた。「そっか」とだけわたしは言い、窓の外に視線を向けた。父のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけれど、この人が、わたしの苦しさの一端をつくっている。この人は弟のやらない家事をわたしたちだけがやっていたことをどう思っていたのだろう。聞きたかったけれど、わたしは父を困らせる気になれなくて、聞けなかった。従姉妹は去年結婚した。相手が誰かは聞かなかった。

 

主体になりたい、だけど、何もかもをわたしの意志で選択しなければならないのだろうか?と、永井さんは文章の中で続ける。

わたしはただの「客体」であることをやめたかった。全てを選択できる強い主体でもなく、何もかもが強いられる客体でもなく、他者からの呼びかけに応答しながら、自らをつくるような、わかりにくい「主体」でありたかった。かぼそくても、見えにくくても、わたしが何を欲しているのか、何にうちのめされているのか、知りたいわたしでありたかった。消えそうな灯火のような、そんな自由を見つけたかった。

主体でも客体でもない、ゆるい客体を目指したい。対話の中で主体を持っていきたいと。会話して、あなたはそうなんだ、これがしたいんだ、が分かれば、ワガママと言われながら主張しなくても、主体を持てる。押し付けられた役割が、自分にとって合うものかどうか、立ち止まって考えることができたかもしれない。

だけど、同時に思う。普段はぼっとしているのに、一度言い出したら聞かないような、不器用に主体を持つ女の子が、女の子らしくない変な子とされない世の中にもなってほしい。強い主張を持つことと、女の子であることが、両立できたらいいのに。異端な女の子が許される世の中になってほしい。わたしみたいな人が、カクレンジャーごっこでピンクになれたっていいはずなんだよ。