オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

わたしたちはルールの中で戦わなくてはいけない。

憤った様子だった。こちら側の状況が何も分かってないですよ、と彼は言う。

その日会った友人は子供たちを支援するボランティアをしている。ボランティアとして、子どもたちと接する際、大人が思い通りにしようとすると、見破られる。こちらがしたい支援をしようとすると逃げられる。上から常識を押し付けるようなことは駄目で、彼らの望むものを差し出さないといけない。だから、子供たちが居心地のいい場所を作って支援してあげなくてはいけないと、彼は語る。

その言葉に、そうだねと、頷いた。大人が助けたい形で手を差し伸べても子供は拒絶するだろう。ある日、女子高校生たちに、コスパいいと言われ嬉しかったと言う。コスパがいい、それは取り繕ってない子どもたちの本心から出た言葉だと、わたしも聞いていて思う。

「だから……」と彼が続けた話に、わたしはどうしてもうなずけなかった。子供食堂の主催者が逮捕されたニュースのこと。理由は未成年の飲酒と喫煙が原因だ。逮捕する側はこちらの事情を分かってないと彼は憤る。

帰ってからニュースを調べた。たぶんこのことかな、と思う記事を見つけた。

www.otv.co.jp

大人のルールを押し付ける組織に子供は馴染まない。離れていく。だからこそ、飲酒や喫煙を厳しくしかれば、離れていってしまう、子どもたちの居心地のよさを守るためにそうせざるを負えなかった。そういうことだろう。

 

◆ルールを変えないならば従うしかない

だけど、それでも、わたしは思う。やっぱり、子供たちの飲酒や喫煙を容認する組織はよくない。わたしたちは決められたルールの中で戦わなくてはいけない。

ルールが誤っている場合もある。この国では過去たくさんの間違ったルールがあった。78年前までは、国家総動員法治安維持法なんてルールがあったような国だ。ルールそれ自体に疑問を持つこと自体はあって当然だと思う。しかし、彼は未成年の飲酒や喫煙を合法にしろと言っているわけではない。心身ともに未発達で、判断力が弱く害が及びやすい未成年の飲酒や喫煙を禁ずること、それ自体に反論はしていない。ルール自体がおかしいとは言わないけれど、この場では見逃してくれよ、ということ。その主張にわたしは賛同できなかった。どんなに善良なことをしていても、ルール違反をしている人にペナルティがあるのは間違いではない。

 

ルール自体に異論はない。だが、ルール違反をしてしまう。ルール違反の誘惑も目の前にしたとき、できることは、リスクを自覚したうえでそれを行うか、しないか、どちらかしかない。問題になった施設で、飲酒や喫煙をしていた子供たちは、子供食堂で飲酒や喫煙をするリスクをどこまで分かっていたのだろうか。摘発されるかもしれない、ここがなくなるかもしれない、そこまで分かってやっていたのか。だとしたら、その程度の居場所でしかない。利用者たちに、なくなってもいいと思われている組織だった。

 

◆都合の悪いことを隠して作られた居心地のよさ

もしかしたら、利用者たちにリスクを説明していなかったのではないか。子どもたちは事実を――つまり、「みんなの居心地のために飲酒や喫煙を強く言わないけれど、もしかしたら摘発される可能性があるよ、あなたたちも警察や行政から注意をうけるよ」と説明されていたのだろうか。説明してなかったとしたら、子供たちが可哀想に見える。都合の悪いことを言わずに、隠して、ここにいてくれというのは、子供たちを思い通りに動かそうとしている気すらしている。それは、上から目線の支援とは別の形で、自分たちの望みを押し付けていることだろう。その場で子供たちに喜ばれたいがために、後に受ける不利益を伝えない。それは子供のためになってはいない。助ける側が、子供たちに受け入れられる大人という像になりたいだけではないかと、わたしは疑う。

そして、もし、飲酒喫煙より罪の重い犯罪がそこで行われたとき、監督者たちはきちんと指導ができないのではないか、とも思わせる。そうなったら、それは子どもの居場所ではなく、犯罪の温床だ。飲酒喫煙が、ゲートウェイドラックのように、もっと重い非行の入り口とならないよう、やはり取り締まって然るべきだったとわたしは思う。

未成年の飲酒や喫煙はよくあること、と言うかもしれない。でも、だとしても、それがルールであるなら、線を引かれて、ペナルティを下されるのはしかるべきだ。ルールを分かったうえで、それを破り、ペナルティが下されることに異論を述べるのは、わたしも含め、大多数の外側の人間に受け入れられない。だからこそ、こうやって問題になったのだろう。

 

◆危ない方にいかないでと言いたかった

そして、この話を聞いたとき、わたしは、彼に、あなたは同じことをしてはいけない、と言いたかった。たとえ子供たちに受け入れるために、そうせざるを得ないと思ってしまっても、運営者が逮捕されるような組織に関わってはいけないし、法に触れることをしてはいけない。どんなに善良な活動であっても、自分が法に触れてまで行うことではない。善意を理由にルール違反するなんて、矛盾している。それは善意でなくて、自分の主義主張の押し付けだ。

だけど、わたしは、そんなことを言ったら嫌われるような気がして言えなかった。もしかしたら、子供たちに強く言えない監督者たちも一緒の気持ちだったのかもしれない。嫌われたくはない、でも相手の言動を正しいと思えない。そう思ったときどうしたらいいのだろうね。子供たちのためと言いながら、自分の身を滅ぼすようなことはしないでほしいとだけ、わたしは思っている。