オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

ブレイキングダウンはなぜ格闘家に受け入れられないのか

「いいですね、殺気出てますね」

ボクシングジムのレッスン。ミットを打つ練習の最中、インストラクターに笑われた。

アラームが鳴り、2分間のミットインターバルが終わる。それぞれが、ミットと、グローブを下す。それを見ると、現役のプロキックボクサーとしても活動している彼はこう言った。

「試合のとき、殺気でていると強くなぐるぞって警戒されちゃうんですよね。

警戒されてないうちに殴れば向こうに効果あるんですよ」

殺気を出さず、感情を出さず、相手が消耗し、自分が消耗しない、最短ルートで勝てる攻撃をするのがボクシングのようだ。

ボクシングを習い始める前、格闘技と暴力は同義のように思っていた。やみくもに強い攻撃を当て合って、相手をボコボコにする競技だ、と。だけど、実際に習ううちにそうでもないと気が付いていった。テクニックを使い、自分がダウンせずに試合が終わるよう、慎重に、熟考して振舞う競技だった。

 

◆既存の格闘技を壊す「ブレイキングダウン」

「ブレイキングダウン出たらいいじゃないですか!」

ボクシングを習い始めたと、友達に言うと、「ブレイキングダウン」という競技の話を出した。彼は「ブレイキングダウン」の試合動画やオーディション動画が面白いと話す。

「ブレイキングダウン」をプロデュースする「レディオブック株式会社」のサイトには、以下のような文面がある。

 

「Breaking Down」は、格闘技や格闘家のありきたりなイメージを

『壊し続ける』という意味が込められています。

成り上がりを狙うアマチュア選手と

「1分1ラウンド」の超短期決戦の掛け算。

瞬き厳禁の誰も予想できない展開から、

一夜にして第2の「朝倉未来」が生まれる可能性を秘めます。

radiobook.co.jp

 

また、ブレイキングダウンの公式サイトでは以下の様に説明している。

『BreakingDown』は、ボクシング、空手、空道、柔道、日本拳法、相撲、システマなど、様々なバックボーンをもった格闘家が出場し、「1分1ラウンド」で最強を決める新しい総合格闘技エンターテインメントです。

格闘技や格闘家のありきたりなイメージを“壊し続ける”という意味をこめた『BreakingDown』の大会名のとおり、成り上がりを狙う選手が1分間という超短期決戦に全力をかけて戦う、誰も予想できない展開が魅力です。

breakingdown.jp

 

出場者の募集要項を見ると年齢、性別だけでなく、格闘技の経験すら不問で、「アマチュア選手」が出場する格闘技トーナメントと言えるのだろう。

prtimes.jp

格闘技経験のない友人すら夢中にさせる「ブレイキングダウン」だが、プロの格闘家からは批判的な意見もある。

武尊はブレイキングダウンという名前は出さなかったが、否定的なコメントをSNSで行っている。

www.sponichi.co.jp

武尊は「子供達が見る影響を考えて欲しい。 何も分からない子供達からしたらあれも格闘技だと思ってしまうし それがメディアで放送されることで正しいものだと感じる」

それに対して、格闘家の平本蓮は、ブレイキングダウンの名前をだして批判する。

このツイートを引用した平本は「6月に武尊さんと天心のあんな素晴らしい試合があったのにブレイキングダウンが格闘技として一般層が認識してしまうのは正直納得いきません」とつづり始め、「ブレイキングダウンはいつか必ず重傷者や死者が出る危険な企画だと思います。大会ではなく企画。あんな危険なただの人の喧嘩は今すぐ終わらせるべきだと思います」とブレイキングダウンを批判した。

ブレイキングダウンに限らず、世界各地で「格闘バラエティ」というジャンルが台頭している。オランダのキックボクサーのアーネスト・ホーストは、素人も出場する格闘バラエティに対して、インタビューで答えている。

「ほとんどストリートファイトですからね(笑)。条件がよければ考えるけど、私はスポーツとして認知されるキックボクシングを実践するアスリートだった。そんな自分から見ると、あれはスポーツではない。個人的には好きではないですね」

number.bunshun.jp

 

訓練を受けてないアマチュアたちを選手として受け入れ、試合をさせる。もちろん、試合までの間に訓練は積むとは思うが、それでも、アマチュアから試合を重ね、試験や試合結果によって、プロになった人たちとは訓練の量が違う。技術の未熟なアマチュアたちを格闘技という舞台に立たせ、エンターテイメントとして試合を見せることへの批判はある。

 

◆格闘技は単なる「殴り合い」なのか?

ボクシングを始める前のわたしもそうだったが、「格闘技=暴力」だと思われている。殴り合って、相手を暴力でボコボコにすると思われる。だが、これは全く違う。

ボクシングが野蛮な殴り合いではなく、自分が勝つために体系立てられた技術を学ぶ「甘美な科学」であることを、証明したのがシカゴ大学社会学者ロイック・ヴァカンの書いた「ボディ&ソウル ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー」だ。

www.shin-yo-sha.co.jp

社会学者である著者は、シカゴのスラム街の中にあるボクシングジムに通い、ボクサーとして、ボクシングの技術を学び、その中での、公になっていない、ボクサーだけのわかる「甘美な科学」と言われるボクシング独自のルールを学んでいく。

ボクシングには、ボクシングをする人間だけが分かるルールが多数ある。たとえば、スパーリング。スパーリングとは、選手同士が実際に殴り合う、実戦形式の練習のことを言う。試合形式だが、全力で挑んではいけない。ときには、相手に合わせて力を弱めることを求められる。

 

スパーリング・セッションにおいては、暴力のレベルは挑戦と応答の弁証法にしたがってあがったり下がったり変動する。(中略)

リングのなかの暴力レベルを暗黙のうちに統制する互換性の原則は、強いボクサーが自分の優越性を利用してはならないと規定するのみならず、弱い方のボクサーがパートナーの意思による自己抑制を不当に利用してはならないと規定してもいる。それは、私がアシャンテとの激しいスパーリング・セッションの終わりに発見したことだ。一九八九年六月二九日、私は、アシャンテがディーディー(ボクシングトレーナー)に私が強く打ちすぎるために彼が顔面に強い打撃を打ち返して応えるほかないと文句を言ったことを知って呆然とする。

「アシャンテのやつは俺に、お前が強く打ちすぎるから、お前と楽しんでスパーリングできないと言った。お前はもう十分に進歩したんだから、やつはお前のパンチがあたらないように注意しなきゃならねえ。さもなきゃ、お前はあいつにケガをさせちまう。クリーンヒットを当てりゃ、ノックダウンできるだろう。やつは文句を言っていたさ、お前が後ろに下がらないし、パンチを打ち続けるし、やつがロープに追いつめられているときも強いパンチを打ち続けるってな。お前はやつを右で釘付けにしただろう、もうひとつパンチでフォローアップしてたら、やつをマットに沈めただろうよ。あのな、お前が練習を始めた頃は、やつはなんの心配もなくお前と遊ぶことができたけど、今じゃお前が強くなったから、やつは注意しなけりゃならねえんだ」。私はとても驚き、アシャンテが実際に私について言ったことを確かめるために、彼に言ったことをもう一度繰り返させた。

「そうだ、俺はやつに、お前にパンチを抑えるように言ってくれって頼まれた……お前はどうやってパンチを打つか、今じゃよく知っている。だから、やつは時々きついのでお前を痛めつけなけりゃならねえんだ。やつはお前にケガをさせたいわけじゃじゃねえ、ただ、お前にパンチを抑えてもらいてえってことを本気で言おうとしているだけなんだ。お前がもうちょっと自分をコントロールできるようにするために、こっちだってお返しをしなけりゃならねえってことをな」

ボクシングという殴り合いを、できる限り安全に、極力ケガや傷を少なく、終わらせるための、公になっていないルールだ。ボクシングは人間同士が殴り合う競技だ。だから、ボクサーの多くは試合で、相手をボコボコにしたい、殴り殺したいと思っているだろうか? 全く違う。著者が、仲間のボクサーに、対戦相手がノックアウトしたときの気分を問うと、以下のような答えが返ってくる。

 

■「対戦相手がノックアウトするのを見るのはどんな気分ですか?」

スミシ― やったぞって感じだね。ああ、相手をノックダウンさせるとね。成し遂げたって感覚で――でも、もちろん[彼の陽気な声が暗くなる]誰かをノックアウトするのが良い気分だとは言えないさ。だけど、対戦相手を倒すのはいい気分だよ、わかるかい? 一人の男をぶっ倒すことで良かったって感じるのは、ただ自分が倒されたのが自分じゃなかったってことさ。自分から入ったリングの上で風を切り抜けたってことさ。

 

トニー 相手がダウンしていくのを見て俺が感じることは、心の中で「相手がダウンしている」って考えながらダウンするのを見てるってことさ。俺はやつが大丈夫なことを願うさ。それでボクサーを離れさせ、相手が起き上がることをね。俺は言うんだ、[ほっとしたように息をして]「ヘイ、このボクサーは大丈夫だぜ、俺は彼に怪我させてない」ってね。そうすると俺はほっと自分が楽になるんだ、相手を実際にダメージをあたえてまでして成し遂げたんだって感じなくていいからね。

 

カーティス 自分自身に言い聞かせることは、この男は大丈夫かってことさ、俺の言っていることがわかるか? 誰も怪我させたくねえんだよ、だけど試合には勝ちたいだろ、できるだけ相手を傷つけないやり方でね。判定で決められるのは嫌だろ、だってジャッジたちは選手への好き嫌いを入れちまうからな、俺の言っていることがわかるか?

ボクシングという競技で、怪我が皆無ということはあり得ない。皆無にはならないが、お互いできるだけ、怪我なく、力を出し切れるのが最善だというのが、選手の共通認識だ。

 

◆「ブレイキングダウン」が嫌悪を向け合う暴力の受け皿になってはいけない

格闘技は野蛮な殴り合いではなく、ルール化され厳粛に統制された暴力だ。統制するために、プレイヤーには厳しい訓練が必要だ。「ボディ&ソウル ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー」の著者はそれを「宗教のようだ」とも呼んでいる。教祖をあがめ経典を守るように、練習に挑み、食事や性交など私生活のルールを決めて、節制した生活を行う。

一方で、「ブレイキングダウン」では、試合前のオーディション最中ですらケガ人がでているという。

toyokeizai.net

技術、テクニックを見せるためのエンターテイメントではなく、相手への嫌悪をあてつける格闘技をエンターテイメントにしてしまう心配は「甘美な科学」を学んだ多くの者が感じることなのだろう。大きな怪我や事故が起きないこと、格闘技が嫌悪の受け皿にならないことを願う。