オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

堀江もちこ 過去のメディア掲載一覧

過去の実績がまとまっていた方が分かりやすいかと思い、メディア関連の活動をまとめておきます。

◆堀江もちこ プロフィール

アダルトビデオ、アダルトグッズの営業。広告ライター、AVメーカー広報職を経て、株式会社トータル・メディア・エージェンシーに営業職として勤務。会社員と並行して、ライターとしても活動する。

プロフィール用に撮影してもらった写真です。

 

◆著作

「オナホ売りOLの日常」という本を菅原県さんとの共著で出版しています。

◎台湾翻訳版

「オナホ売りOLの日常」は翻訳されて台湾でも販売されています。

www.books.com.tw

◆インタビュー

ウートピさんにインタビューしていただきました。著作「オナホ売りOLの日常」やアダルトグッズ営業の仕事について話しています。

wotopi.jp

 

◆執筆記事

文春オンラインさんで記事を執筆しました。アダルトグッズやショップに関する記事です。

bunshun.jp

bunshun.jp

 

元AV女優あべみかこさんにインタビューしました。

bunshun.jp

Youtube出演

作家、家田荘子さんのYouTubeに出演しました。アダルトグッズ紹介をさせていただきました。


www.youtube.com

 

 

そのほか、日刊ゲンダイさんや、サンスポさん等紙媒体にもインタビューしてもらいました。出演依頼などの問い合わせは、所属会社(株式会社トータル・メディア・エージェンシー)のお問合せページに送ってください。

セックスに乗せすぎている

飲み屋のカウンターに並び、その人は、女の子とヤれなかったと言った。
インターネット上で知り合った女の子で、セックスしたいけれどできなかった。わたしはその人が結婚していることを知っている。その人の妻が、彼が妻以外と性行為をしようとしていることを知っているかは知らない。そこまでして、なぜセックスしたいのかな、とわたしは思ったけれど、面倒で聞かなかった。

前にその人は、女の人に付きまとわれたと話していた。付きまとった人と性行為があったか、どんな関係だったか、知らないけれど、ヤッてもいいぐらいは思ってたんだろうな、とわたしは思った。
バカだなと思う。その人は頭のいい大学を出ていて、お金も稼いでいるけれど、わたしはバカだなと思う。セックスで身を滅ぼす人、私生活を壊す人は馬鹿だ。

セックスで駄目になった人を幾人も知っている。結婚生活を破綻させた人、傷つき、自暴自棄になった人、犯罪に巻き込まれた人、セックスに関わり、人生をダメにする人を幾人も見た。そのたびにわたしはバカだなと思った。セックスに、自分を滅ぼすほどの価値はないはずなのに。


◆セックスにたくさんの目的を乗せている

文春オンラインで記事を書いた。自慰行為に関するアンケート調査をまとめた記事。

bunshun.jp

 

bunshun.jp

その中で、今の20代、30代はセックスをしない人が多いこと、自慰行為をする際に使用するメディアは、実写のアダルト映像だけでなく、音声や二次元作品などもあることを知った。面白い。記事の最後、わたしはこうまとめた。

 セックスをしない人が増える今後、床オナ、脚ピンのような不適切と言われるオナニーをあえて楽しむ人がいてもいいと筆者は考えている。「ヤラハタ」とセックスをしないことに強迫観念を与えるのではなく、自分の性的快感を得る方法を、自ら柔軟に選べる時代がくるのではないだろうか。

 

記事の感想をみていると、セックスをしない20代、30代が多い事に対して、悲観的な意見がいくつかあった。だけどわたしは、無理にセックスをする必要なんてない気がしている。

そもそも人間はセックスに多くの目的を乗せすぎている。

射精したい欲求、オーガズムに達したい欲求は、人間の多くに存在している。一般的に性欲と言われる欲求がこれだろう。セックスにはまずこれが乗る。

それから相手への欲求が加わる。相手から認められたい欲求、受け入れられたい欲求、相手を思いのままにしたい欲求。それだけでなく、相手と関係を深めたい欲求。そんなコミュニケーションへの願望をセックスに乗せる。人によっては異性とセックスできた事実によって得られる自信や自尊心がセックスの目的になっていることもある。

それに加えて、セックスには、生殖の役割も乗っかる。それから、セックスには嗜好、好みのプレーも加わる。こんな行為をしたい欲求もセックスで満たそうとする。


いくつもの役割を乗せられて、セックスは不安定になる。
射精やオーガズムを優先したら、相手とのコミュニケーションが成り立たないかもしれない。生殖を目的にしたら、やりたいプレーをできないかもしれない。

目的を乗せすぎて、複数を遂行できない。そして、参加する側がお互いに(もしくは複数人すべてが)、目的を共有しているとも限らない。

だから、セックスには齟齬がでる。傷つき、トラブルになることもある。トラブルにならないようにしよう、それがセックスの第一事項じゃないか、とわたしは思う。そのうえで、自分と、他者の目的の達成、もしくは、妥協点を見つけるしかない。

 

◆セックスと自慰どちらも無意味ではない

わたしの書いた記事はYahoo!ニュースに転載されて、いくつものコメントが付いていた。納得できるもの、できないもの、発見になったもの、嫌になったもの、さまざまあった。その中で、ひとつ、よいな、と思ったものがあったので引用させてもらう。

セックスは相手への愛情表現。自慰は自分へのご褒美。どっちも要るんだよ!

わたしもそうだと思う。セックスが悪いとも、自慰が不要だとも思わない。どちらも適量に楽しむのであれば問題ない。ただ、セックスは相手がいる。自慰にはできない生殖やコミュニケーションができる反面、ともに行為を行う相手を傷つけるリスクもある。そして、その傷は、セックスの場面だけでなく、それ以外の生活にも波及する。セックスで人生が面倒になった人は、そこまでの影響を考えてなかったのだろう。

満たしたい欲求はセックスでなくては満たせないものなのか?無理にセックスに求めなくてもいいのではないか?コメントの人が言ったように、愛情表現のような、相手があるからできる行為であるとセックスを捉えることが、もっと自由に性を楽しめるようになる気がしている。

トランプ大統領を殺すのは熱狂的な支持者かもしれない

最近は、仕事は落ち着いて、以前よりはストレスもなくなりました。そうやって話し始めた後、わたしは、でも、続ける。昔のことを思い出して、怒りを抱いてしまうんです。それは退屈を紛らわすように、攻撃的で鋭い感情として、浮かぶ。そんな話を臨床心理士のカウンセラーにした。

攻撃の対象は幾人かいる。昔の上司、学生時代の指導者、先輩、友人。たぶん彼、彼女たちを信用していたんだと思う。信用していた人、この人の言う言葉は正しいと思っていた人、そんな人に期待外れたことを言われ、され、そうすると、それは、失望ではなく、怒りになってしまう。わたしの、あなたを正しいと思った気持ちを返してと言う気持ちになる。憎悪する。

 

◆トランプならば全て正しい

ゼロイチで考えてしまうからなんでしょうね、とカウンセラーは言った。全てが正しい人、もしくは正しくない人で考えてしまうから、自分の期待と違ったときに嫌悪感になる。この人は全て正しいと思う。たとえば、と言って、トランプ大統領と支持者のようにカウンセラーは言う。

トランプ大統領はいつでも全て正しいと支持者は思う。他国に爆弾を落としても、無茶苦茶な要求をしても、支持者にとっては正しい。トランプは全て正しい。だから、ドナルドトランプは一部の人間から非難されても大統領で居続ける。

わたしはカウンセラーと話しながら、いつかトランプ支持者も、トランプのことを憎む瞬間が来るかもしれない気がした。

 

◆熱狂的な支持者への恐怖

こんな感情を自分がもっているから、わたしは熱狂的な支持者が怖い。本を書いたとき、ありがたいことに読んでくれる人がいた。記事やブログを書くと感想を言ってくれる人もいる。嬉しい。文章を読んで、なにか思ってくれるのはとても嬉しい。だけど一方で、わたしを狂信的に好いている人がいたとしたらそれは怖い。好いてくれる瞬間はわたしのことをよいと思ってくれるのだろう。だけど、なにか、彼、彼女たちを失望されるものがあったならば、彼、彼女らはわたしに憎悪を抱くかもしれない。

だから、わたしは、文章に対しての感情ーー好き、嫌い、面白い、つまらない、共感できる、分からない、どんな感情であっても、なにか思いを抱いてくれたら嬉しいけれど、書き手のわたしに対しては、何も思わなくていい。

そもそもわたしは、読んでくれる人たちが想像するよりも、ずっとつまらない、退屈な人間であるような気がしている。自分の脳内を文章にしたいだけ。勉強と練習をしているから、たまたま読むに耐えるものが書けているだけで、魅力のある人間でも、才覚のある人間でもない。

わたし自身を好きになる必要ない。それは、わたしが一方的に信用し、憧れてしまう側の人間だから思う。その後の失望を想像できるから、そうやって思う。わたしはあなたの思うわたしじゃないかもしれない。

 

◆過剰な期待の後の憎悪

今、わたしは、また失望しそうになっている。憎悪しそうな知人がいる。その人のことは、素敵だと思っていて、憧れてもいた。考えの深い、聡明な人だと一方的に思っていた。だけど、最近、彼女がわたしの思うような人でないと思うことが増えた。

異なる立場の人に対して、バカにしているのかな、下に見ているのかな、と思うことが幾度かあった。そう思ったきっかけは、インターネット上にした投稿で、直接会った際に言われたわけでも、わたしに向けて言われたわけでもない。それでも、彼女のインターネット上のログを見て、嫌だなと思う。嫌だけど、見てしまう。

わたしは彼女を、勝手に、寛容な人、視野の広い人と思っていたけれど、違うのかもしれない。勝手に、そう、勝手に彼女をよく解釈していた。それは凄く身勝手なこと、身勝手によく思ってしまっただけなんだ。

トランプ支持者の一部はいつか、トランプを殺したいほど憎むかもしれない。だけど、殺してはいけない。あーあー、いいところもあったけど、ダメなとこも多い奴だったな、トランプってさ、と笑って、過去の自分の愚かさを自覚しないといけない。失望しそうになっている人だって、わたしが過剰によく思っていただけ。いいところばかりではないし、素晴らしいだけの人じゃない。思っていたよりも大したことないんだ。

やさしい依存、ぽこあポケモン

最近はゲームばかりやっている。
ぽこあポケモンというゲーム。

www.pocoapokemon.jp

 

 

 

 

3月上旬に購入し、4月28日時点で、135時間プレーしていた。完全に依存している。ポケモン依存だ。

そもそも依存とはなにか、厚生労働省のサイトによると以下の様にある。

特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になることです。

www.mhlw.go.jp


やめたいとは思わない。思わないが、毎日やりたい。ついゲームを手に取る。依存かもしれない……だが、やめたいと思うことはない。

そもそも、ぽこあポケモンは時間がなくなる以外のデメリットがない。依存という言葉でイメージする事象……アルコール・薬物・ギャンブルなどは、金銭を失ったり、健康を害したり、人間関係を壊したり、依存することで、何かしらの負担を強いられる。


だが、ポケモンは時間を失う以外のデメリットがない。
睡眠不足や眼精疲労により健康を害することはあるが、それ以上のデメリットがない。
お金はゲームソフト代金の8,980円以外使っていないし、ラインの返信は遅くなったが、それ以外に周囲に迷惑をかけたりもしていない。依存というには、あまりに失うものが少ない。


◆止めるタイミングを示してくれる

時間を使い睡眠不足や眼精疲労が起きると言ったが、それでも、たとえば、仕事や大切な予定をすっぽかしたり、やるべきことが出来なくなるほどののめり込みはない。そもそも、ぽこあポケモンは、止めるタイミングを示してくれる。
それを説明するためには、そもそも「ぽこあ ポケモン」とはどんなゲームかを伝えなくてはいけない。

 

「ぽこあポケモン」はプレイヤーが主人公メタモンになりきって、荒廃した街を再生していくゲームだ。メタモンはさまざまなポケモンに変身できる。草を生やすポケモン、水をかけるポケモン、地面を耕すポケモン……ゲームで出会う様々なポケモンになりきって、草を生やし、地面を耕し、花や作物を育て、他のポケモンたちと共に街を作っていく。


バトルゲームでも、RPGでもない。ただ、もくもくと街をつくる。とても地味なゲームだ。そして、街をつくる作業は待ち時間がかかる。ゲームを進めると特定のポケモンにしかできない作業がでてくる。木を切って丸太をつくる、ねんどを燃やしてレンガをつくる、鉄から鉄の棒をつくる。そんな作業はポケモンに依頼するが、すぐにはできない。「作るからちょっと待っててね」。そんな言葉と共に、数十分待たせる。

建築が得意なポケモンに頼んで、ポケモンセンターや家を建築することもできる。だが、これも時間がかかる。ゲーム画面は完成時間を表示する

「完成は明日です」
これは現実世界でわたしたちの生きている時間での明日だ。そう、明日まで待たないとゲームが進まない。このゲームでは、一日で出来ることが限られている。

「ゆめしま」という貴重なアイテムが手に入る場所がある。そこに行けるのは一日一回まで。
一日一回のみ、スタンプを押してもらえて、たまったらコインがもらえる。
日々更新されるミッションがあり、それをクリアしたらコインがもらえるが、それも一日三個のみ。

少しずつしか進められない。RPGゲームを徹夜で進めてクリアするようなことは出来ない。「明日完成です」の文字を見て、セーブして辞めることができる。睡眠不足にはなるけれど、10時間以上ぶっ続けでやったりはしない。一日で出来ることは限られているから、毎日毎日、飽きもせずにプレーしている。「やることやったし、やめるかー」ができるゲームだ。


◆こころが満たされる

テレビゲームのなかには、暴力的な描写があったり、射幸心を煽ったりする内容のものもあるだろう。ぽこあポケモンには一切ない。前述した通り、もくもくと街をつくる地味なゲームだ。バトルもないし、危機もない。ドキドキすることもないし、ワクワクして興奮するドーパミン的な楽しさはない。

興奮や刹那的な楽しさはないが、コツコツ作っていった街が完成し、荒廃した土地が綺麗な街並みになったときの達成感はある。日々の積み重ねが実を結ぶ達成感は他のゲームにはない。

ポケモンたちと交流する楽しさもある。ポケモンにはそれぞれに住処があって、それぞれの住み心地がある。ポケモンに話しかけて、住み心地を尋ねると、要望を伝えてくれる。それを叶えると、喜び、感謝を伝えてくれる。これが嬉しい。だれかの望みをかなえ、感謝されるという人間の根源的な欲求をポケモンたちは満たしてくれる。
普段、日常生活で人から感謝されることはどのぐらいあるだろうか? 大人になれば、そんな機会は少なくなる。なにかしたとしても「あたりまえ」で済まされてしまう。その「あたりまえ」を「あたりまえ」で済ませず喜びを伝えてくれるのがポケモンだ。辛い日々で満たされない感情を満たしてくれる。


やさしくされたい、認められたい、ほめられたい。そんな感情は人間であれば、当たり前に持っている。だが、それを満たされる機会は残念ながら少ない。労働では、金銭の授受が「ありがとう」の代わりになる。家族の間では、当たり前の行為になってしまう。

そうやって、満たされない気持ちを抱えた人が、自分の気持ちを満たす、もしくは満たされない現実をごまかすものとして、依存があるのかもしれない。ぽこあポケモンはあまりに簡単に、満たされる。達成感と感謝される嬉しさがある。みんなぽこあポケモンやろう。

ポケモンと一緒に写真も撮れる

 

AV男優感溢れるポケモンもいるよ



 

『もし』を考えない身軽さ

変なおっさんが家に来てケンカばっかり

www.dailyshincho.jp

 

変なおっさんはわたしと同じ年だった。わたしが同じ立場だったらどうだろう。好きな恋人がいて、相手が過去結婚していたことは知っていた。会う瞬間は恋人同士で、戯れあい、笑い合う。だけど、ある日、恋人と結婚するために、恋人の子供に会い「変なおっさん」と言われる。ショックだろうな。大人なんだから、三十すぎてるんだから、世間の意見は分かる。でも感情として、ショックだと思う。

女が男から言われて一番嬉しい言葉は女房になってくれだと、昔、白石一文が書いた本で見かけた。逆に男が女から言われて一番嬉しいのは、いざとなったら食わせてあげるだとも書いてあった。

男女関係において決定的な殺し文句が男女それぞれに一つずつある。

 男のそれは当然ながら、

「俺の女房になってくれ」

で、この一句に気持ちを揺らさない女性は一人もいないだろう。

 だが、女性の側からの殺し文句は意外に知られていない。というよりも、そんな一句が本当にあるのかと首を傾げる女性が多いに違いない。  

 当の肝腎の一句は以下の通り。

「あなたが駄目になったら、そのときは一生私が食べさせてあげるから」

 この言葉を説得力を持って口にできる女性は必ず結婚できると私は断言する。

結婚に対して、多くの人が持つ感覚はそうなのだろう。相手を食わせる、の言い換えとしての結婚。だからこそ、相手の生活に責任など持つ気のない、食わせる気もないダメな人間が、気持ちを引き留めるためだけに、結婚しようと言い、それに騙される哀れな話が成り立つ。お互いの生活に多少なりとも責任を持つ感覚があり、大概は、一対一の関係で成り立つ。
ステップファミリーの難しさは、そこなのだろう。一対一ではなく、一対二、もしくは三、四……一の側が支え切れるか、不均等な約束と思ってしまわないか。


◆ステップファミリーはなぜバッシングされるのか?

嫌な事件があって、ステップファミリー、とくにシングルマザーとの結婚へのバッシングをよく目にする。嫌だなと思う、ステップファミリーでうまくいっている人はいる。上手くいかない一部を持ち出して極論だと思う。
思うけれど、なんとなくバッシングしたい気持ちを持ってしまうのは、どうしてだろう。好きで生んだんだから、という自己責任論?自分は慎重に人生を歩んでいるのにという気持ち?なぜだろう。


わたしと同じ年の『変なおっさん』は、わたしと同じ時間を生きている間に結婚して、子供を持って、離婚して、再婚して、再婚相手の子供を殺した。何度も結婚できる、子供も持てる、人生の節目へのハードルが低い。人生の展開が早いなと思う。

プライベートの新しい出来事がポンポン起きて、人間関係が目まぐるしく変わる人はたまにいる。恋愛や結婚にハードルがない。腰が重くない。わたしは人生の展開が早い人が羨ましい。わたしも含め、多くの人が臆病で、新しい環境に飛び込めない、もし失敗したら、と思う。

新しい環境であっても就職や進学をすることに迷いはない。仕事をしなければ、経済的に生きていけないからするしかない。そして就職するために勉強を頑張るしかない。だけど、恋愛や結婚は、しなくても生きていける。学生時代は、恋愛に対して、そんなものするなとも言われた。恋愛は余計なものとされてきた。

余計なものとされてきた恋愛をして、結婚して、家族を抱えられる。結婚という重い約束を選択する。無駄なものと思い込まされてきたものを、わざわざ何度も取りに行けるところが羨ましい。
離婚経験のないわたしが、離婚経験者に抱くイメージは、身軽さだ。気軽に人生を捉えられる身軽さがあり、身軽さゆえに好きなように生きているように見える。その身軽さが羨ましい。


◆展開の早い人生を送る人たち

わたしはシングルファザーと恋愛をしたことはない。
だから想像してみる。もしも恋人の子どもが懐いてくれたら、一緒に遊んでくれたら嬉しいかもしれない。だけど、もし、「変なババア」と言って、恋人の周りの人間にわたしの悪口言っていたら、耐えられないな……耐えられない。わたしはシングルファザーと仮に出会っても、その『もし』を考えて、恋愛よりももっと前の段階で足踏みしてしまう。
身軽で、展開の早い人間はそんなことがない。『もし』で悩まない。だからきっと、シングルファザー、マザーの心を救いもしたし、ステップファミリーとしてたのしい家庭も築けた。臆病な人間ならば、その人間の内面を見る前に恋愛対象ではないとして除いてしまう人間とも向き合える。『もし』を考えないのは、長所でもある。だけど、『もし』を考えないから、重さを増していく不均等な約束に耐えられなくなってしまうこともある。

臆病で、『もし』ばかりを考えている私たちが、うまくいかなかった人たちと、うまくいった人たちとすべてをひとくくりにして『ステップファミリーは悪』と言ってしまっていいのだろうか。
『もし』を考えず展開の早い人生を歩む人を、『自己責任』と糾弾してしまうのは、わたしたち自身をより臆病で、身軽ではない存在にさせてしまわないか。『もし』を考えないで行動するのは、軽率で、恥ずかしい行為、やってはいけない悪と、決めつけられた社会では、わたしたちは何もできなくなってしまう。


子供を殺すのはよくない。絶対悪だ。
だけど、その起きてしまった『もし』ゆえに、起きてない状況まで非難する人たちに辟易としている。

あの子は育ちが悪いから

朝、NHKのドラマを見ていた。

主人公は没落した士族の娘。父が死に、家を支えるために18歳年上の男の元へ嫁に行く。夫になるのは、足軽出身で、運送業で成り上がった男。祝言のシーン、男の前に並べられた膳が映る。それは食べ終わった後の鯛の姿焼きで、白い身が骨の上にバラバラに散らばり、綺麗とは言えない食べ方だった。その後、ドラマは主人公の結婚生活に映る。夫は、無口で、ぶっきらぼう。教育を受けてないようで、文字は読むことはできない。夜になると酒に溺れ、暴れ、悪態をつく。士族の娘だからってバカにしてんだろ。夫は叫ぶように主人公に言った。

見ていて、嫌な気持ちになった。暴言や暴力的なシーンがあったからだけじゃない。育ちと暴力が結びついたような気がして嫌になった。それは、私が潜在的にもっている偏見だ。昔、養護施設から通っている同級生にいじめられた話をブログに書いた。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

私は彼女と二人きりになったとき、わざと施設の話を聞いた。中学生の頃、わたしは、覆りはしない彼女の育ちを、やり返すための材料にしようとしていた。あのこは施設の子だから意地悪する。そうやって、憤りを納め、なんとかやり過ごそうとしていた。あの子は育ちが悪いから。そうやって、自分が我慢する材料にしていた。

 

◆自分から見える母の嫌な部分

私は普通な側で、私の普通から逸脱した人はおかしな人。そうやって思ってしまうときがある。普段、差別はいけない、共存しないといけない。寛容でありたい、と思っている。そうやって思う傍らで、誰かに苛立ったとき、納得できないことをされたとき、言われたとき、自分と異なる部分を取り出して、あんな人だから、と納得させるときがある。

その部分は、私が嫌いな母と似ていた。母は、自分の常識から逸脱する人を嘲笑する。近所にシングルマザーの女の子がいた。彼女の母親が派手な服を着ていたのを見て、母親なのにいい年してあんなかっこしてね、と言って嫌な顔をして笑っていた。親戚の女の子の結婚式に、その兄弟が来なかったときには、兄弟なのに可笑しいよね、と嘲笑していた。母の常識から逸脱すると笑われてバカにされる。そうやって大人まで生きてきたわたしは、わたしに染みついた常識と違う人に、酷いことをされたとき、言われたとき、あの人は可笑しいよね、とバカにして、笑って、納得しようとする。その仕草は、派手なシングルマザーや兄弟の来ない結婚式を笑う母のようで嫌になってくる。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

◆差別して納得して怒りを収める

嘲笑は、余裕がないときに出てくる。いじめられたとき、嫌なことを言われたとき、されたとき、そんなときにでてくる。あの場所の出身だから、親がああいう人だから、生まれた家庭がああだから、あんな仕事しているから、学歴がああだから……それだから、あんなことするんだろうな可哀想。何か嫌なことをされたとき、自分の考えるその人の普通じゃない部分を持ち出す。あんなバックグラウンドがあるから、嫌なこと言うんだ、と思い、対等に接するのはバカバカしいと思い込ませようとする。納得させる。

違う人も受け入れよう、寛容になろうと、思っている。思っているけれど、違う人に、嫌なことをされたとき、わたしは、その違いを持ち出してしまう。悪いのは、その行為であり、その発言であり、その人個人なのに……あの人は育ちが悪いからと、示すドラマのプロットのように、その属性とその嫌な部分を結びつけてしまう。

 

◆自分に染み付いた嫌な部分

私は、私に染みついた、この差別的な感情をどうしたらいいのだろう、と思っている。差別はいけないと言った口で、差別をしている。そして、いじめっ子に施設の話をしたときのように、無知をふりをして、酷いことを言いたいと思う瞬間が今でもある。反論できない方法で、やり返してやりたいと思ってしまう。せめて本人に悟られないようにしたいのに、傷つけたい欲求が、差別はいけないという倫理を上まわる。やさしい人になりたい。

 

ゾスの世界

ゾス???

言葉の意味が分からなかった。

テレビを見ながら考える。ゾスって何?

 

最近見た、お笑い芸人ロングコートダディの万引きのコントみたいだった。コントの中では、スリルが欲しくて万引きした主婦と、スリルの意味が分からない店長が出てくる。

「スリル……とはどう書くんですか?漢字は?」

「スリルとは、あなたにとっての神様みたいなものですか?」

「この商品がスリルなんですか?」

店長役は要領を得ない質問を繰り返す。テレビを見ながら混乱する自分は、コントの中の店長に自分みたいだ。

ファッションゾス?ゾスに染まりきれてない?ゾスは概念?でも?画面の中で、ゾスゾス言い合っている。ゾスってなに??理解できない。これは薬物や新興宗教の被害者の話ではなく、企業のドキュメンタリーなのに。

 

ザ・ノンフィクションの「今どきじゃない会社で夢みる僕と私の新入社員物語」を観た。

www.fujitv.co.jp

テレビの中の企業は、挨拶が『ゾス』だ。お疲れ様です、おはようございます、はい分かりました、全て『ゾス』で通じている。

それだけじゃない。ゾスを概念のように語る。退職した社員にインタビューすると「ファッションゾスだった」「ゾスに染まりきれなかった」と語る。え、なに?コント?ドキュメンタリーと銘打ったコント?だけど、ノンフィクション――事実だ。「ゾス」の会社は、存在するし、『ゾス』の挨拶もみんな言い合っている。

 

◆異様に見える『ゾス』の世界

『ゾス』の会社は元気がいい。

朝礼では叫び、テレアポではハイテンション、飲み会では歌い、踊る。

「ありがとうございます!!!!社長!!石原さとみが来ると思って楽しみにしていてください」

トップ営業マンの女性は、元気よく電話口で話していた。テンション高い……正直、友達がこんな感じだったらウザいな。だけど、わたしは、この風景に既視感があった。わたしが大学をでて最初に入った求人広告の代理店そっくりだ。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

 

わたしの昔いた会社の営業たちは、テレビの中の営業たちのように、ハイテンションでテレアポをする。「お世話になっています!!!」という声がフロア内から幾つも響く。近くで聞いていたら、耳が痛くなるような声量だ。

営業マンたちは常にテンションが高く電話をして、アポイントのためにフロアを飛び出していく。元気がいい、と言えば、聞こえがいいけれど、暑苦しいとか、うるさいとか、そんな形容もできる人たちだった。そして、成績のいい営業マンほど、テンションが高かった。

わたしのいた会社では『ゾス』とは言ってなかったけれど、この雰囲気が『ゾス』だと言われたら納得できる。テンション高く、暑苦しい営業マンたちのいる雰囲気。馴れ馴れしくて、うるさくて、ウザいけれど、元気がいい雰囲気。それが『ゾス』ということか?そして、その雰囲気『ゾス』を合言葉のように、挨拶にも使っている……のか? なんとなく『ゾス』を理解した気がする。そして、彼らのようなビジネスマンと接していて、気持ちがいい、元気になれるという経営者たちもいるだろうことも想像できる。

 

◆傍で見ていた『ゾス』の世界

わたしは『ゾス』の雰囲気の会社に馴染めなかった。今でも苦手だ。番組を観ながら、昔を思い出し嫌な気分になった。

テレビの中の会社は、ハイテンションで、勢いのあり、社員同士の距離が近い。一方で、成績が振るわない社員には厳しい。番組の中でも、ノルマ達成できない社員が他の社員の前で糾弾されるシーンがあった。ノルマを達成することが正義で、それができないと高圧的に糾弾される。

それはわたしの昔いた会社でも同じだった。受注件数はホワイトボードに張り出され、達成率を朝礼で発表する。出来ない社員は恥をかき、上司からは糾弾されることもある。

わたしは制作職だったので、営業ノルマはない。それでも、『ゾス』の文化に対して、いい印象は持てなかった。営業社員がノルマに追われ、糾弾されている姿を横目で見ながら、「怖い」と思っていた。わたし自身も広告の制作数というノルマに追われ、精神的に追い詰められていった。

 

◆『ゾス』が活きる場所

だけど、その『ゾス』な雰囲気にいた経験が活きたことがある。それは営業職に就いてからだ。著作にも書いたが、元々営業志望ではなかった。

 

営業職の同僚が退職し、成り行きで営業になった。

自分に適正があるとは思えなかったが、それでも10年も営業を続けられたのは、見本としてのあの会社の『ゾス』な人たちがいたからだと思う。

わたしの考える営業マンのイメージが、元気よく、テンション高く、若々しいという像だった。わたしは、営業の最中に、昔見た『ゾス』の人たちを演じていた。

至らない部分も多い営業だったと思う。細かなミスはいくつもした。それでも、営業先で嫌な思いをすることは少なかった。大半はよい思い出で、営業先の人にはよくしてもらったことばかりだ。成り行きで営業になったわたしだったけれど、明るく、元気のいい営業を演じきったから、10年も営業で楽しくやりきることができた気がしている。

エロビデオの営業は特定の販売店を巡るルート営業だ。飛び込み営業は少ないし、第一印象の良さだけで判断されるわけでもない。それでも、元気がいい、勢いがあるは、長所になる。その見本として『ゾス』の営業マンたちがいたのは、わたしにとっては助けになった。

 

◆今に最適化した『ゾス』はないのか?

役立つ部分もあったけれど、わたしは、昔いたあの会社に戻りたくはない。在籍中は、精神的に追い詰められていて、退職した直後は、恨んでもいた。社員同士の距離が近く、テンションが高く、一方で、結果がすべてで、成績の振るわない人は糾弾する。そんな文化は間違っているし、危険だとも思う。わたしのように追い詰められる人もいるだろう。なかには、退職後に逆恨みする人もいるかもしれない。

わたしはあの番組を観て思ったのは『ゾス』をブラッシュアップした方がいい気がした。たしかに、元気よく、テンションあげて、何十件もテレアポする、その営業手法が結果がでやすい。だけど、それを出来ない人、やっても結果が出ない人をフォローする仕組みも必要なのではないか。ただただ糾弾し、ついていけない奴は辞めろと言う。そんな風に、振り落とされた人たちの人生を踏みにじってもいいとは思えない。

元気がよく、夢中になり、転んだ人にも手を差し伸べる組織だったなら、わたしも嫌いにならないですんだのかもしれない。ゾスの文化がブラッシュアップされた企業はこれからどこかで出てこないのか。

 

女性の言う『ケア』とは好かれる振る舞いではなく、 嫌われない振る舞いをすることではないか

久しぶり、という文字が見えた。トーク画面を開かないまま削除した。

相手からは、未読スルー、つまり、ブロックされたと認識される。それでもいい。もうメッセージを送らないでほしい。

彼とは、飲み会で知り合った。その場では話が合い、何度か食事に行った。気になる点はいくつかあった。最初の食事の際に、呼び捨てにされたこと、こちらは敬語なのに、向こうはフランクに話すこと、性産業に従事する女性に対して、下に見ているように感じたこと、自分の周囲にいる女性への悪態、決定打はないが、いくつも積み重なっていく。

食事の誘いに対して、スケジュールが分かったら、こちらから連絡すると返した。一週間ほどたって、彼からメッセージが来た時、わたしは仕事中だった。忙しい合間に見た画面に見えた、久しぶり、という言葉に苛立ちを思い出した。

こうやって距離をとる男性は、彼だけではない。幾人かいる。馴れ馴れしい、距離が近い、人を見下す、もしくは、わたしを下に見る。そんな要素にいくつも触れて嫌になってしまう。

最近、ツイッターで見つけた「男性のケア」という話で、服部恵典さんがこんなツイートをしていた。

 


失敗した相手の肩をパンと叩き「ざまあねえな」と笑う。それが相手へのケア――気遣いになるのか。わたしが失敗したとき、されたらどうか。ちょっとイラっとすると思う。

そもそもケアとはなんだろう。オンライン辞書「Weblio 辞書」には以下の様にある。

気にかかること、心配、気がかり、不安、心配事、心配の種、気にかけること、(細心の)注意、配慮、気配り

ejje.weblio.jp

日本語では「気にかけること、(細心の)注意、配慮、気配り」という意図で使われることが多いだろうか。恋愛や友人関係において、男性に、距離が近い、馴れ馴れしいと思うことは多い。この馴れ馴れしさが「気にかけること、(細心の)注意、配慮、気配り」の意図であるのだろう。


◆馴れ馴れしさが気遣い

男性に対して、距離が近い、馴れ馴れしいな、失礼だな、と思うことがある。だけどそれは、仕事の場面ではあまりなくて、プライベートで会った際だ。最近聞いた大久保佳代子さんのポッドキャストでも、付き合い始めで、彼氏が距離が近いという悩み相談を聞いた。

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クリエイティブなはぬーんがしたい! - 大久保佳代子とらぶぶらLOVE - Apple Podcast

 

男性が慣れ慣れしいゆえに、不快になるときは、私的な場面が多い。仕事上の知り合いであっても、飲み会や、食事、雑談など、業務以外の場面だ。業務の場で、馴れ馴れしさを感じることはあまりない。仕事の場、ビジネルライクの付き合いでは、男性も、女性的なケアをできているのではないか。

例えば、会社内で尊敬している目上の人がトラブルを抱えたとき、肩パンしてざまあねえな、は言わないだろう。「大丈夫ですか?」「なにか手伝えますか?」など心配しつつ自分が役立てるか聞くだろう。

だが、ビジネスの場であっても、目下の人に対しては、距離の近さが気配りになる。後輩が失敗したときに、肩パンして気にするなよ、と笑うのは、気配りだ。だが、これは、目上の人にやったら失礼になる。

多くの女性がプライベートで求めているのは、目上の人に対する関係性なのだと思う。
実際、女性同士の関係では、男性が目下にする関係の構築はあまり行わない。

学生時代の部活などスポーツの場でミスを「ドンマイ」と言うのは、男性的なケアに似ているだろうか。それでもやっぱり「ざまあねえな」と笑ったりはしない。馬鹿にされたように感じるリスクがあるからだ。嫌われない、不快に思われない、相手を傷つけない対応、それが女性同士の関係構築だ。距離を保ちながら、相手を慮ってあげることが女性同士のケアなのではないだろうか。


◆気遣いが、迷惑になる瞬間

ここまで書いたが、わたしは女性同士のケアがあまり上手ではない。学生時代は、空気が読めないと言われ避けられたこともあった。不快にさせないコミュニケーションがうまいとは言えない。だから、その難しさは分かる。

難しいけれど、女性とトラブルなく、過ごすためには女性的なケアを対女性にたいして行っていった方が無難だ。仲良くなりたい、だから距離を縮める、は正しく見えるが、常に正しいわけではない。
距離が近くなると、嫌われるリスクも高まる。「嫌われないように」だけを気を付けながら、近づくほかないのかもしれない。相手の気持ちを無視した自分なりの『気遣い』は迷惑になりうる。