Twitterには殺伐とした投稿が流れていく。これは、私が日常的に俗悪な話題ばかりを見ていて、それを把握したアリゴリズムが、マッチする投稿を見つけてくるからだ。つまり、私の通俗的で下品、それだけだ。
そんな殺伐としたTwitterの中に、目をひく投稿があった。
あるマンガの画像を貼り付けた投稿。成人した娘が、高齢の母と電話しているシーン。父親の退院を報告する母に娘は「聞いてほしい」と切り出し、「昔から認めて欲しかった」「褒めて欲しかった」と言う。その言葉に母親は、激昂する。「いつまでグジグジいっているの」と叫ぶ。投稿主は、母親は正しいことしか言ってないと嘲笑する。
この投稿は幾人にも引用された。投稿主を糾弾する人、賛同する人、恵まれた環境の人に、漫画の主人公の気持ちは分からないと言う人、さまざまな意見がでる。ある投稿では、この娘の設定が47歳であることを言及し「ホラー」と冷笑していた。
元の投稿には2000以上のリツートがされ、1.5万以上のいいねがついている。2000人以上の人間に「なにか言いたい」と思わせた。娘を認められない母親とそれに苦しむ娘――それは普遍的でよくあることだ。娘を稚拙だという人、母親が無神経という人、娘寄り、母親寄りそれぞれの意見がある。「どうでもいい話」で済ませない、心に引っ掛かりを覚えてしまう話題だ。
◆悪く言っていた老母のもとに通う
母親と娘の関係は、こじれやすい。
「毒親」とハッキリ言えなかったとしても、「欠点が目につく」「イライラさせられる」という母親を持つ娘が大半だろう。多くの娘にとって、母親は理解のない人間、無神経な人間だろう。それでも、大多数の娘は母親を切り捨てることができない。
先日、わたしの父親が東京に遊びにきた。一緒に上京した弟も含くめ、食事をする。父と会うのは一年ぶりだ。近状を報告しながら、家族の話になった。母親の母、つまりわたしの祖母が、高齢で施設に入っているらしい。わたしは父の話に相槌を打ちながら、内心、やっぱりなと、思っていた。「最近はね、お母さんがばあちゃんに会いにいってるんだよ」と父はわたしに言う。
祖母は、同居する嫁、つまり母の兄の妻と折り合いがよくなかった。孫のわたしたちの前でも、祖母は嫁の悪口を言っていた。少々、神経質な人ではあったと思う。だけど、そこまで言わなくてもと思った。悪く言っていた相手に蔑ろにされて、因果応報だなと正直わたしは思った。
本当のことを言うと、わたしは母方の祖母を良い人間だと思えなかった。あの家全体をうっすら嫌いだった。別にわたし自身が何か被害を受けたわけではない。そうではないけれど、子どもの頃、母から、祖母や実家の恨みを聞いていたから、なんとなく好きになれなかった。
幼少期、祖母が畑仕事にでて、母と一緒にいてくれなかったこと。大阪万博に行きたいと母が言ったら、祖母に「大人になったら行きな」と言われたこと。母の祖父、わたしの曾祖父から頻繁に怒鳴られ、手もあげられていたこと。高校から先の学校に進学できなかったこと。そんな昔への怨念を母から聞かされていたわたしは、母の生家すべてがなんとなく嫌だった。
祖母は、施設に入った。もう世話の必要はない。なにもしなくても、家族が責任を問われることはない。死ぬまでなにもしなくていい。それなのに、母はわざわざ祖母に会いに行っている。悪く言っていた祖母に。
わたしは自分の母が、少し可哀相になった。あんなに悪く言っていたのに、母親を、自分の生家を切り離すことはできないんだな。可哀想だな。
◆生きていくために母と会わない
わたしは母親とはもう5年会ってない。父はたまに、わたしに会うために上京してきてくれる。わたしが家族に会うのはそのときだけで。母と会うと辛くなるから実家には帰っていない。
わたしが就職をすると、母は早く結婚するように、早く孫を見せるように頻繁に言うようになった。わたしはそれが疎ましかった。やめてと言っても止めないから、気にしないようになった。わたしが誰かの愚痴を言っても、わたしが我儘だからと言われた。
母親だから、わたしの辛さも分かってくれる、と思っていたけれど、望む答えは返ってこなくて、だんだんと苛立って行った。
わたしが本を書いたとき、一段落だけ母のことを書いた。母はわたしが大学に行くことを「無駄」だと言ったけれど、父は「行った方がいい」と言ってくれた。そんな昔話だ。母はその数行に激昂した。こんな風に書かれたくなかったと怒る。
この人と一緒にいると、生きていけない。このやりとりで、そう思った。わたしが書いたものに「こんな風に書いてほしくない」と意見する人間、そんな人が傍にいたら、わたしは好きなものが書けなくなる。
わたしは母の娘だから、母を喜ばせたいとも、母に褒められたいとも思う。だけどその、褒められることは、わたしのやりたいことではない。母の書いてほしいものは、わたしの書きたいものではない。母の書いてほしくないものは、わたしの書きたいものだ。
そんな状況で、母親と会ってやりとりしていても、苦しくなるだけだ。わたしはその頃を境に実家に帰らなくなった。父には正直に話した。最初は帰るよう説得していた父も最近はなにも言わなくなった。たぶん諦めたんだと思う。
◆幸せになるために、褒められたいを捨てるしかない
母に褒められたい。認められたい。そんな感情は、多くの娘が持っている感情で、それが時に呪いになる。母親を酷い人と思いながらも、切り捨てられない。
わたしの母が、悪く言っていた祖母のもとへ通うのも、まだ、「お母さんに認められたい」が残っているからなのだとわたしは思う。娘は、お母さんに認められないのが辛い。
だけど、多くの娘にとって、母親に認められる人生と、自分のやりたいことは一緒ではない。母の望む未来を選んだら後悔する。その狭間に苦しめられている娘は多いのだと思う。
「お母さんに褒められたい」という気持ちを手放さないと、わたしたちは幸せになれないのかもしれないね。
母の生家は、手塚治虫の奇子の天外家のようだった。地主だった過去を引きずって、自分たちは“きちんとした家”だと思っている。
祖母が死んだらオナホールの名前で花輪を送ってやりたい