飲み屋のカウンターに並び、その人は、女の子とヤれなかったと言った。
インターネット上で知り合った女の子で、セックスしたいけれどできなかった。わたしはその人が結婚していることを知っている。その人の妻が、彼が妻以外と性行為をしようとしていることを知っているかは知らない。そこまでして、なぜセックスしたいのかな、とわたしは思ったけれど、面倒で聞かなかった。
前にその人は、女の人に付きまとわれたと話していた。付きまとった人と性行為があったか、どんな関係だったか、知らないけれど、ヤッてもいいぐらいは思ってたんだろうな、とわたしは思った。
バカだなと思う。その人は頭のいい大学を出ていて、お金も稼いでいるけれど、わたしはバカだなと思う。セックスで身を滅ぼす人、私生活を壊す人は馬鹿だ。
セックスで駄目になった人を幾人も知っている。結婚生活を破綻させた人、傷つき、自暴自棄になった人、犯罪に巻き込まれた人、セックスに関わり、人生をダメにする人を幾人も見た。そのたびにわたしはバカだなと思った。セックスに、自分を滅ぼすほどの価値はないはずなのに。
◆セックスにたくさんの目的を乗せている
文春オンラインで記事を書いた。自慰行為に関するアンケート調査をまとめた記事。
その中で、今の20代、30代はセックスをしない人が多いこと、自慰行為をする際に使用するメディアは、実写のアダルト映像だけでなく、音声や二次元作品などもあることを知った。面白い。記事の最後、わたしはこうまとめた。
セックスをしない人が増える今後、床オナ、脚ピンのような不適切と言われるオナニーをあえて楽しむ人がいてもいいと筆者は考えている。「ヤラハタ」とセックスをしないことに強迫観念を与えるのではなく、自分の性的快感を得る方法を、自ら柔軟に選べる時代がくるのではないだろうか。
記事の感想をみていると、セックスをしない20代、30代が多い事に対して、悲観的な意見がいくつかあった。だけどわたしは、無理にセックスをする必要なんてない気がしている。
そもそも人間はセックスに多くの目的を乗せすぎている。
射精したい欲求、オーガズムに達したい欲求は、人間の多くに存在している。一般的に性欲と言われる欲求がこれだろう。セックスにはまずこれが乗る。
それから相手への欲求が加わる。相手から認められたい欲求、受け入れられたい欲求、相手を思いのままにしたい欲求。それだけでなく、相手と関係を深めたい欲求。そんなコミュニケーションへの願望をセックスに乗せる。人によっては異性とセックスできた事実によって得られる自信や自尊心がセックスの目的になっていることもある。
それに加えて、セックスには、生殖の役割も乗っかる。それから、セックスには嗜好、好みのプレーも加わる。こんな行為をしたい欲求もセックスで満たそうとする。
いくつもの役割を乗せられて、セックスは不安定になる。
射精やオーガズムを優先したら、相手とのコミュニケーションが成り立たないかもしれない。生殖を目的にしたら、やりたいプレーをできないかもしれない。
目的を乗せすぎて、複数を遂行できない。そして、参加する側がお互いに(もしくは複数人すべてが)、目的を共有しているとも限らない。
だから、セックスには齟齬がでる。傷つき、トラブルになることもある。トラブルにならないようにしよう、それがセックスの第一事項じゃないか、とわたしは思う。そのうえで、自分と、他者の目的の達成、もしくは、妥協点を見つけるしかない。
◆セックスと自慰どちらも無意味ではない
わたしの書いた記事はYahoo!ニュースに転載されて、いくつものコメントが付いていた。納得できるもの、できないもの、発見になったもの、嫌になったもの、さまざまあった。その中で、ひとつ、よいな、と思ったものがあったので引用させてもらう。
セックスは相手への愛情表現。自慰は自分へのご褒美。どっちも要るんだよ!
わたしもそうだと思う。セックスが悪いとも、自慰が不要だとも思わない。どちらも適量に楽しむのであれば問題ない。ただ、セックスは相手がいる。自慰にはできない生殖やコミュニケーションができる反面、ともに行為を行う相手を傷つけるリスクもある。そして、その傷は、セックスの場面だけでなく、それ以外の生活にも波及する。セックスで人生が面倒になった人は、そこまでの影響を考えてなかったのだろう。
満たしたい欲求はセックスでなくては満たせないものなのか?無理にセックスに求めなくてもいいのではないか?コメントの人が言ったように、愛情表現のような、相手があるからできる行為であるとセックスを捉えることが、もっと自由に性を楽しめるようになる気がしている。