オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

箕輪厚介の不幸

少し前、幻冬舎の編集者、箕輪厚介さんがニュースになっていた。

bunshun.jp

 

記事によると、箕輪さんは、女性ライターAさんと交わした書籍出版の約束を反故にした。さらに彼女に対して、セクシャルハラスメントもした。

わたしにとって箕輪さんはあべみかこちゃんのYoutubeにでて、あべみかこTシャツをテレビで着るといったのに着なかった人という認識だ。わたしはYoutube公開後の二週間、箕輪氏がでるテレビ番組をすべて録画し、チェックした。だが、あべみかこTシャツを着ている様子はなかった。その後もしかしたら着ていたのかもしれないが、ツイッターSNSをチェックする限り着ていないようだ。あべみかこファンとしては裏切られた気持ちだ。

 


コンプライアンス大丈夫?NG無しノーカット対談

 

でも、それ以外の箕輪さんの言動に関してはとくに興味はない。面白いなと思った前田裕二さんの著作「人生の勝算」を、箕輪さん編集したと知って、わたしが興味をもてる本も作っているんだなと思ったぐらい。ただ、それでも、あべみかこちゃんの一件から、いい加減な部分もある人なんだろうなと、わたしは認識している。 

人生の勝算 (NewsPicks Book) (幻冬舎文庫)

人生の勝算 (NewsPicks Book) (幻冬舎文庫)

  • 作者:前田 裕二
  • 発売日: 2019/06/11
  • メディア: 文庫
 

 

 

◆箕輪厚介はセクハラと認識していたのか

上記した記事によると、箕輪さんは既婚者であるにも関わらず、仕事をふった女性ライターに対して「家に行きたい」「キスをしたい」というメッセージを送った。記事を読む限りひどいハラスメントだと思う。ただ、箕輪さんの著作を読み、箕輪さんの性格を想像する限り、箕輪さんに悪気はなかったように、わたしは感じる(もちろん悪意がないからといって罪が軽くなることはないが)

箕輪氏の「死ぬこと以外かすり傷」には、「言ってはいけないことを言ってしまえ」と題された章がある。そのなかに新入社員時代の新人研修のエピソードがある。

死ぬこと以外かすり傷

死ぬこと以外かすり傷

  • 作者:箕輪 厚介
  • 発売日: 2018/08/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

マナー研修を受けたあとには、日報を書いて会社に提出しなければならない。正直な感想こそが誠意である。僕は「マナー研修という名の茶番劇」というタイトルで、この研修会がいかにくだらないか、気が狂ったかのように全力で感想を綴った。「マナー研修というのは名ばかりのただの茶番劇だった。内容を事前に確認してから受講するか決めるべきだ。高い参加費を払い、大勢の社員を丸一日拘束することにはまったく意味がない。こんな無駄なことは来年からやめたほうがいい」

 

素直に生きる、常識を疑う、空気を読まない、そんな考えをもった人なのだろう。素直に生きていい、とわたしも思う。だけど、それをやった結果どうなるかは考えなくてはいけない。とくに、「人を傷つけてしまわないか」という視点を放棄してはいけないようにわたしは感じている。

今回も、「家に行きたい」「キスをしたい」というメッセージを送れば、好意のない相手は不快に思うだろうとか、仕事相手だから誘いを断りにくいし、困らせてしまうかもしれないとか、既婚者である自分と恋愛関係を結ぶのは、不貞行為と問われるリスクが相手にはあるとか、そういった相手の立場にたって、気持ちやリスクを考えていれば、やってはいけないことだと分かっただろう。

空気を読まなくていい。当たり前をしなくてもいい。非常識でいい。だけど、それをやった結果どうなるかは考えなくてはいけない。そして、その考えるなかに、人を傷つけてしまわないか、という視点はきっと必要になる。人にセクシャルハラスメントをして、後々まで残る傷を負わせていいなんてことはない。誰だって素直に自由に生きていいけれど、他人を傷つけない範囲でしかない。

こんな当たり前のことを箕輪さんに教えてくれる人はきっといなかったのだろう。たとえば、もし、男子大学生が同じ大学の同級生の女の子を好きになって「家に行きたい」「キスをしたい」とメッセージを送ったとする。たしかにセクシャルハラスメントにはなるけれど、「仕事をふる立場から迫られて断りにくい」とか「既婚者と関係をもって相手のパートナーから訴えられるかもしれないと不安になる」とかそういった要素はない。どちらもセクハラには変わりないけれど、プラスアルファの精神的負担はなくなる。そういった立場も責任もないうちに、「それはセクハラになるからやめなさい」と言ってくれる人がいたとしたら、こうやって有名編集者になってから問題になることはなかった。ある部分で成長しないまま、仕事や立場だけ得てしまったからこそ、問題が大きくなってしまったようにわたしは思う。

もちろん、箕輪さんに悪意がなかったからといって、Aさんに行った行為が軽くなるわけじゃない。悪いことだ。彼女の気持ちに寄り添い、謝罪し、できるだけの彼女の要望を聞き、同じことをもう一度起こさないように考えてほしいとわたしは思う。

だけど、同時に、悪いことを悪いとわからないまま年だけとってしまった男性たちを、そのままにしてしまうことも罪なように思う。自分はなにも悪いことをしていないと思っていたのに、ある日突然、たくさんの批判を浴びる。だれにも注意されず、立場だけ高くなってしまった裸の王様。

 

 

◆「もし自分ならば」と考える

少し前にソフトオンデマンドの田口さんのツイッターですごく共感できる発信があった。

 

悪いのは性欲に操られた男性ではない、被害を受ける女性でももちろんない、そのまま放置している私たち全員です。

 

そうなんだよな。でも被害者の立場にたつとそう言い切りにくいと思うこともある。怒りや悲しみを被害者は抱いている。だけど、一方で、ハラスメントをした個人を断罪して、問題の根本が解決できるようには、わたしは思えない。「そういうことは言わないほうがいいですよ」と言いたいけれど、怒りを持たずに伝えることができない。距離を置いて終わってしまうことばかりだ。(だからこそ、怒らずに諭すことのできる田口さんのような人が貴重だとも思う)

そして、セクハラの基準も人によって違う。ある人にいいことがある人には悪いことになる。それはすごく難しいと思う。これはわたしの考えだけど、セクハラを言わないようにするためには、まず、「自分が性的関係を持ちたくない人に言われて嫌じゃないか」という視点が必要なのかなと思う。

どんな人にも性的関係を持ちたくない相手はいると思う。同性愛者ならば異性、異性愛者ならば同性がそうだろう。年齢18歳から90歳までどんな人とでもセックスできるだろうか。体系も、BWI18.5未満のやせ形の人、40以上の肥満の人、どんな人とでもできるのか。自分と肌の色が違う人とでもセックスできるだろうか。老若男女、全人類とセックスしたい、だれでもいいからやりたい、という人は、おそらくすごく少ない。性別、年齢、体系、性格、人種、すべての項目において性的対象にならない、性的関係をもちたいと思わない人、それが、相手にとっての自分だと考えて、話してみると失敗しにくいかもしれないな、と思う。

わたしもつい、性的なことを聞きそうになるけれど、逆の立場にたって、自分が聞かれたらと思うと、不快な思いを避けやすいかなとは思う。もちろん、自分はよくても相手はダメな場合はあるし、万全じゃないけれど。

そして、言いにくいけれど、自分が言われる立場に立ったら、「あなたが恋愛対象じゃない人に言われらた嫌じゃないですか?」と聞いてあげるのが、やさしさなのかもしれない。「それセクハラですよ」って怒るんじゃなくてね、「どう思う?」って聞いてあげるのが、理想だなとわたしは思うけれど、すごくめんどくさいよなあ。近しい人にはできるだけ言えるようにがんばろう……

 

◆殺して忘れることで第二、第三の広河隆一が生まれていく

箕浦さんの件もそうだけど、ハラスメントをした人に怒り断罪して、彼、彼女が表にでないようして……そうやって社会的に誰かを殺して忘れるというサイクルを繰り返すことを、わたしはいいとは思えない。再び同じ問題が起きないように是正していくことが必要だ。そして、わたしが一番怖いなと思うのは、裏表の使い分けがうまい人だけが残っていってしまうことだと思う。

東大生集団わいせつ事件をモデルした小説「彼女は頭がわるいから」の中で主人公の東大生は、無名な女子大の大学生に横柄な態度をとる一方で、祖母に紹介された有名女子大に通う歯科医師の娘には優しい好青年として接した。

彼女は頭が悪いから (文春e-book)

彼女は頭が悪いから (文春e-book)

 

 

ある場所では、気を配る優しい人ようにふるまいながら、ある場所ではひどい扱いをする。そういった本音と、建前を使い分ける、ずる賢い男性だけが残っていってしまうのではないか。常に女性にたいして、ハラスメントまがいな発言をしている人は目立つし叩かれやすい、一方で限られた個人だけにしているハラスメントは明るみにでにくくなる。普段紳士的ならばなおさらだ。

少し前にカメラマンの広河隆一さんが女性に性暴力をふるったことがニュースになった。

bunshun.jp

 

広河さんは人権を無視したような発信する人ではなかった。リンクの記事には、「パレスチナチェルノブイリの子どもたちの救援活動を展開し、3・11以降は福島の子どもたちの保養事業に力を入れ、彼に感謝する声も多い」とある。さらに、『人権』や『知る権利』を守り、援助を必要としている人々へつながる情報等を提供する目的の団体も立ち上げていた。

news.nifty.com

 

人のために動く人、弱い立場や、不幸な境遇に寄り添う人、人権に配慮した人、という見られ方をしていながら、一方で、2004年から2017年まで13年もの間、明るみにでることなくひどい性的暴行を働いていた。

「セクハラをしたら即退場」という風潮が強まれば、強まるほど、下に、下に、もぐり、こういった使い分けができる人――見えないところで、性暴力のような残忍なことを行う人が増えていくのではないかと感じている。悪い事だとわかりながらバレないように行う人だけが残っていく。

セクシャルハラスメントはよくない、そして、被害者の痛みは絶対忘れてはいけない。その罪は償わなくてはいけない。だけど、加害者に怒りをぶつけていいのは被害者だけだとわたしは思っている。ひどいことをされて許せない気持ちは本人にしか分からない。それを感情的に言うことを、第三者咎めることはできない。被害を受けた当事者にしか分からない痛みがきっとある。その辛さ、惨さは本人にしかわからない。当事者以外の人たちが「大げさだ」なんていうことはできない。

しかし、被害者以外の人が強く怒ることを、わたしはあまりよいとは思えない。大多数の第三者が怒り、数の力によって加害者に私刑を下すことで、人々の本心が変わらないままに、「あれをやったら怒られる」という認識だけが伝わる。空気を読み、使い分けだけがうまくなる。悪い事が下にもぐってしまわないように、めんどくさかったとしても誠実に真摯に「違うよ」と言わないといけない。

 

殺して忘れる社会---ゼロ年代「高度情報化」のジレンマ