オナホ売りOLの平日

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AV女優、のちにある女性差別

安田理央さんの「AV女優、のち」を読みました。元AV女優たちにインタビューした書籍。AV女優のインタビュー集は他にもたくさんあるけれど、取材対象者が活躍した当時の業界背景を解説しつつ進むので、その時代の業界全体を見ているような印象。みひろさんの章に書いてあった、10年前のセルとレンタルの違いは、営業をする際に雑談でも使える知識でした。

AV女優、のち (角川新書)

AV女優、のち (角川新書)

 

 

書籍では、彼女たちの現在の状況についても触れています。そのなかで、わたしが気になったのは、元AV女優となって暮らす彼女たちが、女性からの偏見に苦しんでいること。

AV女優と言う仕事に対してネガティブな視線を感じるのは、むしろ同性である女性からだと言う。

「特に現役でAVをやってきたときに感じましたね。女性の友達がとにかくできにくいんですよ。女性からの方が嫌悪感を持たれていた気がします。わたしは、年上の方とお話しするのが好きだったんですけど、年齢が上の方ほど貞操観念に対して厳しいことが多いじゃないですか。同世代だと、『まぁ、それもなんかいいんじゃない』って済むところが、そうはいかないだから余計にそう感じたのかもしれません」

*1

 

 

初対面の人にAV女優であることを言うと、あからさまに見下されることも少なくなかった。

「特に女性の方に多かったですね。そうすると『私もなんで私のこと知らない人にそんなこと言われなきゃいけないの?あんたなんか絶対AV女優はできないよ』って思ってましたけど(笑)。でも、そういう偏見や差別があったからこそ、『ようし、みてろよ!』みたいな気持ちで頑張れたと言うのもありましたけどね」*2

 同性である女性から特に冷たい視線を浴びる。でも、これはわたしにとっても意外ではなくて、わたし自身もなんとなく気が付いていたことです。わたしも初対面で仕事の話をして、嫌悪感を表す人は男性より女性が多いように感じています。

これは、女性が男性にとって性的な対象になりえるからのように思います。社会学者、上野千鶴子さんの著書には、男性は女性にたいして「母性」と「娼婦性」を求めるとある。性的対象としての役割と、家族・パートナーとしての役割、どちらも女性には求められる。しかし、家族ではなく、「娼婦」でありたいと思う女性は少数です。多くの女性は、「わたしは娼婦ではない」と思いたい。自分も「娼婦」になりえる恐怖があるからこそ、「娼婦性」に対して批判的にみる。これは現代だけではなく、たとえば、第二次世界大戦下で、看護師として従軍した女性は、同じように従軍していた慰安婦の女性が看護することを嫌っていました。上野千鶴子さんの著書「ナショナリズムジェンダー」には以下のようにあります。

 

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

 

 

 

従軍看護婦」が「性的二重基準(母性と娼婦性の分離)」のもとで「従軍慰安婦」とカテゴリー上、厳密に区別される必要があった。「従軍看護婦」がその「職場」で多くのセクシャル・ハラスメントにさらされたであろう可能性を樋口恵子は指摘しているが、「看護婦」のカテゴリー上の聖性が、現場におけるセクハラ問題にさえを阻んできたといえよう。そしてそのことは「慰安婦」差別の裏返しにあたる。事実、戦場では「慰安婦」が看護要員として駆り出されたが、従軍看護婦の側から「醜業婦に看護をさせるな」と言う非難の声があがったと言う。

 

「一緒にしてほしくない」という看護師側の思いがあるように、わたしは思います「わたしは、娼婦ではない」と、線引きしたい。それと同じことが「元AV女優」にも向けられる。だけどわたしは、そもそも、男性が「母性」と「娼婦性」を人間である女性に求めることに違和感を覚えています。好みとして、「母性」や「娼婦性」を好きな男性がいてもいいと思う。だけど、それに、答えるかどうかを選ぶのは女性自身です。

前述した上野千鶴子さんの書籍のなかでは、大戦下、娼婦内でも、本土出身、琉球出身、朝鮮出身といったように出身地で差別の構造があったと書かれています。被差別者のなかで差別が起こっていた。差別される人たちの中で、差別が起きる。

自分の生活の世話をする「母性」か、性の世話をする「娼婦性」か、という二択を女性に求めるのは、わたしは対等な目線には思えません。男性が求める像は、ともにお金を稼ぎ、ともに家のことをして、ともに生活を共にするパートナーではない。彼女自身の能力や人間性は求めない。そこに少し女性を下に見るように思ってしまいました。そこが、娼婦性を差別する母性に繋がるようにも思いました。差別される側の中での差別。どちらも男性都合の理想像を押し付けられる側。

だけど、わたしは男性という外部の好みに合わせて、女性自身が自分の立場を決めなくてもいいと思っています。男性の求める「母性」や「娼婦性」など無視したっていいはず。そんなことをいう男性を価値のない物と思い無視することが、きっと、女性が生きやすくなるきっかけなんだとも思う。女性に受け入れられないのであれば、男性も生身の女性に「母性」や「娼婦性」という自分の理想の虚像を求めるようやめ、女性に受け入れられる男性自身に近づくようになっていくように予想しています。

 だけど、一方で、以前、ブログでも書いたけれど、女の子は自信がないから、認められたいから、誰かの求める虚像になりたくなるのも理解できるんだけどね。自分の立場を守るために、誰かの立場を批判するのは悲しいよね。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

*1:愛奏(元・薫桜子)に関する記載

*2:麻美ゆまに関する記載