オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

ずっとやりたかったことを、やったら孤独

飲みに行く誘いを断った。別にその人が嫌いなわけじゃない。悪い人ではないと思う。ただ、その人のために、使う3、4時間の時間と、5000円から10000万円の間くらいのお金と、二日酔いにならない翌日の朝が惜しかった。嫌いなわけじゃない。いい人だと思う。だけど、断りを入れる。そんなことがある。

 

◆「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を読んだ

飲みに行く回数が減ったきっかけは、色々あるけれど、一番は「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を読み返したことだ。

 

十年近く前に一読はして「へー、こんな考えもあるんだね」と思い読み捨てていたものを、コロナ禍のタイミングで読み返した。人と集まることもできず、時間も余っていたタイミングだったので、本に書かれていたことを忠実に実践した。

本書の目的は、実験と観察からなる単純な科学的アプローチによって、創造的に生きる方法を明らかにすることにあり、その方法を定義したり、説明したりすることにはない。

 

「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」は、創造性を発揮するために筆者が行っている12週間のワークの内容を本にしたものである。1週間分のプログラムごとに章を立てて、それぞれに決められたプログラムがある。雑誌のスクラップで絵を作る、活字を読まないで1週間過ごす、子供のころ好きだったお菓子を買うなど、普段の生活では無駄とされそうな、プログラムを実践する。

加えて、モーニングページとアーティストデートというプログラムを全てに通じて実践する。モーニングページは、朝、ノートを開いて、心に浮かんだ言葉を書く作業だ。「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」の中では3ページと言っているけれど、私は時間を区切ってその時間内に思いつく言葉を書き連ねている。

アーティストデートは、本のタイトル、ずっとやりたかったことをやるプログラム。自分のやりたいことを週一回、二時間、自由に一人で行う。映画を観るでも、本を読むでも、スポーツをするでも何でも良い。やりたかったことを一人で行う、それだけ。それを毎週行う。

 

◆アーティストデートで広がった世界

12週のワークは今までやったことのない時間の使い方ができてよかった。特にアーティストデートを12週連続でやることで、今までやらなかったことをできた。ピアノの無料体験に行ったり、格闘技を観戦したり、見世物小屋に行ってみたり、ソロサウナに行ったり、気になる美術展に行ったり……ちょっと面白そうだなと思いつつも、今までならやらずに終わってしまいそうなことをやるようにした。

面白いと思った物はすぐアーティストデートにする。そうしないと、週1回のノルマがこなせない。後ろ向きな理由で行動的になったのだけど、この少しでも興味をもったものをやるというのは、わたしにとっては凄くよかった。楽しいことが増えた。

それまで、時間やお金の使い方は、仕事に繋がるとか、人間関係が広がるとかの打算――自分に役に立つか、将来のプラスになるか、といった打算が入っていたのだけど、アーティストデートにはそれがない。自分が興味あるか否かだけを頼りに、時間とお金を使う機会はとてもよかった。

今は毎週のアーティストデートはしていない。それでも、興味を持ったイベントや活動は行くようにしている。アーティストデートがきっかけで、始めたピアノは今も続けている。自分が楽しめることを見つけられて、良いきっかけになる本だった。

 

◆アーティストデートの弊害

しかし、この本にも欠点がある。こうやって自分が楽しいことを見つけ、それに打ち込めるようになる反面、孤独になる。前述した打算があれば、人間関係を維持しやすかった。それを重視しなくなると、孤独になる。「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」には、創造性の邪魔をする人とは距離を置きましょう、と書かれている。非難ばかりする人や相手の都合を無視する人など“クレイジーメーカー”とは関係を絶ちましょう、と。

この本は、創造的な活動をプラスになる人間と関係は推奨している。完全な孤独を求めているわけではない。すべての人間を自分の“やりたかったこと”の役に立つか否かで見て、取捨選別させるだけだ。

だけど、創造的な活動には役立たないけれど、適度な話し相手にはなる人もいる。この本を読んだのがコロナ禍だったこともあり、人間関係はゆっくりと狭くなっていった。孤独になっていった。

 

◆楽しいことが多すぎて比較してしまう

アーティストデートを行なうことによって、楽しめる事は増えた。一方で、人と会い喋る楽しさの比較対象ができてしまった。それまでは飲みに行って誰かと喋るのが楽しかった。それ以外の大きな趣味というのもなく、仕事が今よりも忙しかったこともあり、仕事と、友人との付き合い、それにともなって発生する外出ぐらいにしか時間を使っていなかった。一人でなにかをすることも、本を読むとか、映画を見るとか、家で音楽を聴くとか、よく行く飲み屋に行くとかそのぐらいだった。

だけど今は、一人で楽しく過ごせることがいくらもある。ボクシングジムに行くのも楽しいし、行きたかった展示に行くのもいい、ライブも楽しいし、ピアノも弾くのも楽しい。図書館で自由に本を探すのもいい。読んだ本の感想をノートにまとめるのもいい。楽しいことはいくらでもある。なので、誰かと会うとき比較してしまう。この6000円があればライブに一回行ける。この3、4時間があればピアノの練習をいくらもできるし、行きたかった展示にも行ける。中国語の勉強もできる。二日酔いのない翌日を迎えられればボクシングジムで練習もできる。たくさんの、その他の楽しいこと、やりたいことと、比較して、この人と過ごす楽しい時間は、それ以上だろうかと考えてしまう。良くないと思う。違った尺度で今も打算が生じてしまっている。

 

◆好きな事と社交の両立

孤独は避けたい。かといって、昔のように、興味ある事柄、楽しそうと思える事柄を通り過ぎる毎日を過ごしたいわけではない。孤独が紛れつつ、自分も楽しいことはないのだろうか、と思っている。

ライブに人を誘ったり、麻雀を企画したり、ボクシングジムで仲のいい人を作ったり、誰かとできると楽しいことを探してはいる。わたしも含めて、みんなで緩く楽しめたらいい。だけど、楽しいことの共通項がある人はそれほど多くない。共通項のない人とはどうしたらいいか。わたしは答えを出せずにいる。

強い刺激がなかったとしても、たとえば、よく行く飲み屋のように、なんとなく時間の空いたときに行って、何人かで集まって、だらだらと中身のない話をして、おのおの自分の都合で帰りたいタイミングで帰る、みたいな飲み会があればいいのだけれど、そんなものはなかなかない。時間や場所やお互いの都合を考えないといけない。だから、この抱えた孤独を紛らわすことと、自分の楽しさをどう折り合いをつけるか悩んでいる。