オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

わたしはSATCにはなれない

ここ最近、重い読み物ばかり読んでいてなかなかページが進まない。小林秀雄サルトルも栞が挟まったまま放置されて、ついついツイッターを開いてしまう。難しい本は駄目だーと思っていた所、スクロールしたスマホから、ジェーン・スーさんが新刊「ひとまず上出来」を出版したと流れてくる。すぐに電子書籍で購入した。スーさんは何時もタイミングがいい。1テーマが3~4ページ、ライトなエッセイ集。ツイッターに溢れる気取った投稿文のような、嫌な読後感や罪悪感はない。気負わずにサクサク読み進めながら、漠然と考えていた事をスーさんの力で言語化していく。自分の脳内にあった概念をスーさんによって言葉にしてもらう。

 

「ダメ男と女の友情の相関関係」という章は、まさにわたしが思っていた事だった。女の友情を扱う海外ドラマでは、必ずダメ男の話で女同士が盛り上がり、連帯が強まるという内容。SATC(海外ドラマ「sex and the city」)よろしく、派手で、可愛くて、楽しそうな、女たちは、恋愛だけは不安定なのが定番だ。そして、それは東京の現実に生きる女の子たちも同じだとスーさんは語る。「女友達最高!」と叫ぶ女の子たちは、男関係に問題を抱えている。

苦難に見舞われると、愛に悩む女たちは互いを励まし、時には叱咤して肩を抱き合う。なにか事件が起きるたび「もう恋愛は懲り懲り、信頼できるのは女友達だけ!」と親睦を深めていくわけです。ダメ男がいないと友情が深まらないのではないかと思うほど、映画やドラマのダメ男は女の友情に都合よく機能します。

そんな映画を何本か観ていたら、気づいてしまったのですよ。現実社会でも「女友達最高!」と叫ぶ異性愛者の我々は、男の問題を抱えがちなことに。ガーン。

もちろん、女友達は仕事や家族の悩みも癒してくれます。しかし、我々の結束がより固くなるのは、圧倒的に男問題が勃発した時

そうそう、わたしも思っていた!わたしが言いたかった事をスーさんに、先に言われたようで少し悔しいけれど納得する。女同士楽しそうにしている子たちは、男関係に問題を抱えながらも、恋愛話でもりあがる。言葉を選ばずに言うと、ダメな人ばかり好きになり、ダメな恋愛をネタに盛り上がる。

文章を読んでいると、スーさんも「女友達最高!」と叫ぶ側なのだろうな、と感じる。ただ、わたしはそっち側ではない。異性関係の問題を割と避けて通っていける。ジェーン・スーさんの文章は好きだけど、読みながら、スーさんに壁を感じたり、感情移入しきれなかったりする時があるのは、わたしが「女友達最高!」の側ではないからだろう。

恋愛感情に自分を捧げられないし、できない。打算が入る。問題がありそうな異性に恋愛感情を抱くときもあるけれど、メリット・デメリットで天秤に掛けてしまう。そして、その小賢しい打算を公にしたくないとも思う。そのせいだろうか、わたしは、SATCのような同性の友情という物に縁がない。

 

◆「女友達最高!」の弊害

以前、ブログにも書いたけれど、性的な魅力を全面に押し出し、トラブルに巻き込まれた知人がいた。彼女の言動を見ていると、疲れてしまうので距離を置いた。そんな話を、先日食事にいった際、別の友人にしたら、こんな言葉が返ってきた。

「性的魅力や恋愛感情での魅力以外で、女の子も承認を得られた方がきっといいですよね」 わたしは頷いて、コーヒーを飲んだ。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

女性が承認を満たせす際、性や恋愛での比重が大きすぎる。それは、異性からの承認だけでなく、同性同士の仲間内の「連帯」「共感」という場面でも生きている。仕事をしたり、勉強をしたり、遊びに行ったり--色んな事をしているけれど、女の子たちが共感し、連帯できる話題は「恋愛」や「性」に偏っているように感じる。

一方で、女の子たちの共通言語である「性」や「恋愛」の話題は、リスクの大きい話題でもある。たとえば、LGBTQのアウティングの問題。当事者が性的嗜好をカミングアウトした際に、その事実を許可なく第三者に伝える事は「アウティング」とされ、ルール違反の行為だ。アウティングを相手にさせないために、性や恋愛の好みを伝えたくない場合もあるだろう。そこまでいかなかったとしても、人と違う性・恋愛の好みを持った人が、それを伝え、からかわれたり、面白がられたりしたくないと考えるケースもある。「恋人がいる?」「恋人とどんな関係?」といった恋愛に関する質問は、公にしたくないプライベートな部分に踏み込んでしまう可能性がある。質問をしていいか否か、よく考えてからしなくてはいけないだろう。

「女友達最高!」という人たちに、苦手意識があるのは、「女友達」という関係性を理由に、配慮やプライバシーは無視しているように感じてしまうからだ。それは、ちょっと前のヤンキー文化にも似ているように映る。仲間同士の内側であれば、何でも許して貰える前提がある。ルール違反やハラスメントになる発言も「女友達最高!」の中なら許されてしまい、結果、グループで疲弊してしまう人がでてくる。そうやって距離を置いた友人たちが、わたしにはいる。

 

◆ハラスメントと仲間意識

そして、この仲間意識とハラスメントの問題に関しても、スーさんは同じ書籍の中で書いている。「正義と仲間は相性が悪い」というタイトルの章。

スーさんの十年来の友人に、普段はいい人だけど、お酒を飲むと失礼になるAさんという人がいる。スーさんはある日、Aさんのいるグループに、Bさんという新しい友人を連れて行く。そこでAさんはBさんに失礼な振る舞いをし、Bさんは疲弊する。Bさんは、Aさんがいるなら集まりに行きたくないとスーさんに伝える。

後日、あなたは改めて Bさんに謝罪しました。すると Bさんは言いました。「集まりは楽しいからできればまた参加したいけれど、 Aさんも来るんだよね?」

さあ、ここからが問題。あなたは Bさんになんと答える?

 

スーさんは、Aさんに昔、助けてもらった恩がある。だけど、Bさんのような立場になりコミュニティを去った過去もある。板挟みにされている様子だけが書かれ終わっている。「女友達最高!」のグループの歪みがここなのかと、わたしは思っている。

女友達だから、仲が良いから、と他では許されない事を行い、見逃される。そして、新しくコミュニティに入ったBさんのように、立場の弱い人が傷ついていく。スーさんは、このときどうしたのか、本の中では書かれていない。わたしは、スーさんが、その時どうしたのかが一番知りたかった。 現状、自分が嫌な思いをしたくないので、距離を置いている女の子たちはいる。ただ、そこの連帯感、ワクワク感が見ていて楽しそうだと思う部分もある。「女友達最高!」の中で、渡ってきたスーさんだったら、仲間意識とハラスメントの問題の突破口を提示してくれるんじゃないかと、わたしはちょっと期待している。ハラスメントの不安がなくなった先に、そっち側に入っていけたらいいなあ。SATCのような友情に憧れてはいるから。

 

 

ジェーン・スーさんのラジオの感想も以前書いていました。よかったらこちらも。

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