些末な事に腹を立ててしまう。不寛容だと自分でも思うが、失礼な扱いを受けたくない、軽く扱われたくない、といった感情が自分の中にある。
最近、ボクシングジムでミット打ちをしたとき、初対面の女性から「キック弱くなってるよ」と笑われた。真剣にやっているのになぜ笑うのか。それに私は敬語なのにどうしてタメ語なのか。ムッとしつつも言い返すことも、なぜそんなことを言うとか問うこともできない。わたしはなめられたんだろうな、と思う。
最近シロクマさんのブログに、なめる・なめられる記事が載っていた。なめられる――つまり軽く扱われないために、男性の場合は筋肉をつけ、がっちりとした身体になり、はっきりした声で話す。知識や服装に加えて、フィジカルな要素が必要だ。一方で、女性の場合は分からないとシロクマさんは語る。
ボクシングジムには抜群にフィジカルが強い女性もいる。
ジムの端っこで、ひとりストレッチをしている女の子がいた。褐色の肌はもしかしたら、海外にルーツがあるのかもしれない。黙って一人身体を伸ばす。
私はその日、彼女とミット打ちを組んだ。あまり見ない顔だし、親しく誰かと話している様子もない。もしかしたら、新しく入った人かもしれないなと思いながら、彼女のキックを受けるためにミットを持つ。
動いたと思った足は、同時に衝撃になった。早い。バコンとミットが揺れる。入ったばかりなのかなと思った彼女から繰り出されたのは勢いのあるキックだ。ミットがズレたら大怪我だ。握る手に汗が染み込む。少々の恐怖を感じながら、無言で真剣に衝撃を受けた。聞けば彼女は、ムエタイ経験のある人だった。褐色の肌から白い歯を見せて笑う。大人しい印象からは想像できない強烈なパンチやキックを受けるのは楽しかった。
女の人の強さは腕力ではない。「キック弱くなってるよ」と笑った女性は、ムエタイ経験者の彼女よりもキックやパンチが強いわけではない。それでも、ジム内で親しく話す人も複数いて、中心的な存在になっているようだった。
女の人のなめられないための要素――つまり女の強さは「喋れること」なのだと思う。いつでもどこでも喋れること。とくに、「喋りにくい場面で喋れること」が舐められないための強さだ。
◆女性は喋らないとストレスになる
米メリーランド大学の研究結果によると、女性が1日に発す単語の数は、男性の3倍と言われている。さらに性は1日に6000語以下しか話せないと、脳がストレスを感じやすくなる。
女性にとって、話すことは生きることと直結している。女性にとって話せないことはストレスの原因、死活問題だ。喋れることのできる女性は、ストレスを感じることなく、快適に生きていくことができる。人間が社会の中で生きていくうえでの強さは、シロクマさんの言ったように、知識の量やフィジカルの強さもあるだろうが、女性にとってはその要素のひとつに、喋ることができる、という要素が加わる。
かといって、いつでもどこでも喋れる状況があるとは限らない。喋りにくい状況というのがある。そのときにも話せる人、どんなときでも話ができる人は女として強い。
◆親しくない人とでも喋れること
喋りにくい状況――たとえば、親しくない人と喋るときだ。身元の分からない人、どんな人か分からない人に話しかけるのは、勇気がいる。そこを飛び越えて距離を縮められる女は強い。学生時代のクラスを見ても、自分からクラスメイトに話しかけ、距離を縮められる人は中心人物になっていた。
学生時代、クラスのイジメっこは、大概、誰とでも喋れる人だった。「あの子、むかつくよね」と、どんな子にも喋りかけることができる。イジメっこがいじめをできるのは、イジメを受ける人以外との距離が近いからだ。それぞれの人間に受け入れられているから、イジメという行為をグループ内で行うことができる。親しくない人とも喋り距離を縮められる女は強いし、なめられない。
◆相手に意見できること
喋りにくい状況、もうひとつは相手に意見するときだ。綿矢りさの『パッキパキ北京』にこんな描写がある。
ある日もメッセージを送って楽しんでたら、突然浩宇から電話がかかってきて、出ると声の主は浩宇ではなく、晓蕾だった。激昂した様子の、晓蕾が電話越しに中国語で怒鳴ってくる。何を言ってるのか分からないけど、多分浩宇とのメッセージのやり取りがバレて罵られてるのが伝わってくる。
晓蕾はただのガリ勉だと思ってたけど、これほどの剣幕で怒鳴れるとは見直した、きっとクラブの待機ルームで時々起こるホステス同士のケンカでも勝てるタイプの女だ。
中国に移住した主人公は現地の大学生カップルと友達付き合いするようになる。面白半分で、彼氏の浩宇に恋愛感情があるかのようにアプローチしていたら、彼女の晓蕾にバレて激高されるシーンだ。元キャバ嬢の主人公は、晓蕾に感心する。怒るべきときに怒れる女は強い、なめられない。
「キック弱くなってるよ」と笑われたとき、私は反論できなかった。それ以前も、ムッとした場面で何も言わなかったり、笑って済ませたりしてきた。反論する、言い返す、問いかける。何かしらの反応ができる女、言いたいことをちゃんと言える女は強い。
◆言いにくいことを言えること
喋りにくい状況――もうひとつは「思っていても言いにくいこと」を最初に言う時だ。悪口を言う女の人の周りには、意外に人がいたりする。あれは、言語化できなかったぼんやりした不満を言ってくれるからなのだと思う。思っているけれど、言えない不満を共有できる、それを最初に意見発起してくれる人は、需要がある。そうだよね、そうだよね、と言い合いたいから周りに人が集まる。女の社会でも強い。
ただ、私は人の悪口を言う人は、いずれ私の悪口も言うのだろうと思って警戒して距離を置く。近くに行って、個人的なことを言えば、それが悪口になるのだろうという想定をしてしまう。人によってはそのリスクよりも、喋れるメリットが上回り、悪口を言う付き合いをしているのだと思う。人がよってくるからこそ、女の社会で強い側に回れる。
ここまで書いて分かったが、私は女として弱い。なめられる側だ。親しくない人と親しくなる術はないし、嫌なことがあっても笑って済ませてしまう。嫌だなと思う人もいるけれど、それを言ったことが本人に伝わって、反感を持たれたら面倒だなと思い、黙ってしまう。弱い。弱い。せめて、嫌なことを言われたとき笑ってすませないようにしたい。強くなりたいがために、フィジカルを鍛えたのに、筋肉痛だけが強くなって、ヘラヘラはいつまで経っても治らない。鍛えて強くできる腕力で勝敗がつく世界の方が、もしかしたら幸せなのかもしれない。