「今日、電車で見たんだけど」
そう言って彼女は、電車の中で大声を上げた人間の話をする。おそらく、なにか障がいを持った人だろう。笑いながら「最悪だった」と彼女は言う。私は愛想笑いをして「大変だったね」と返した。
みんな、誰か、なにかを下に見る。障がいを迷惑だと非難したり、馬鹿にしたりする文面などTwitter上には溢れている。そして、私はいつもそれを見て見ぬふりをしている。だけど、私は、現実世界で目の当たりにしたそれをどう対処していいのか分からない。愛想笑いをして「大変だったね」と返す以外の方法が分からない。
◆見下しで溢れる「K+ICO」の世界
上田岳弘「K+ICO」の世界は、見下しで溢れている。主人公のKはウーバーイーツの配達員。小さな子供はKに問う。「どうして、ウーバーイーツ配達員なんかやってるの?」。“なんか”という言葉の背景には、子供の母親の言葉がある。
「K+ICO」のもう一人の主人公ICOはTikTokの配信者。バストを揺らす配信で、視聴数を稼ぎ、広告収入で生活費と大学の学費を賄う。ICOはウーバーイーツで食べ物を頼みながら、配達員たちを下に見ている。だけど一方で、偏差値の高い大学に通う塩顔マッシュの見た目をした男に下に見られていた過去がある。塩顔マッシュの男は、さまざまな物を下に見て、ICOにその話をする。
「あのおっさんさ、轢いてもいいよな。社会になんの益もないし。むしろポイントつくんじゃね?」
ハンドルを握る彼のあまりにひどい言葉に、ICOは思わず笑ってしまった。彼が轢いてもいいかな、とさした相手は、ふらつきながら自転車に乗る高齢男性だった。ふらついているだけでなく、スピードも遅かった。そのくせ車道に大きくはみだしていて、抜くに抜けない。法律上は原則として自転車は車道を走るべしとなっているにせよ、ドライバーにとってみれば迷惑な話だった。しかしだからといって、もちろん轢いていいわけではないし、シューティングゲームじゃないのだから、轢いたところでポイントだって付かない。彼にだってそんなことはわかっている。わかった上で、一種のユーモアとして言っている。ユーモアだということはICOにも分かっている。
彼が見下すのは、ふらつきながら自転車に乗る高齢男性だけではなかった。頭皮が薄くなっている男性のことも見下していたし、見た目の麗しくない人間もまた男女問わず見下していた。自分が通うより偏差値の高い大学に浪人を経て通う人間を見下し、偏差値60以上の大学に通っておきながら一部上場企業から内定を獲得できない同級生を見下していた。ICOはいつも彼の側に立ち、彼が見下すものを共に見下した。しかしその内に、ICOは気がついてしまった。彼にとってはICOもまた見下す対象であるのだと。
ICOと共にあらゆるものを下に見ながら、同時に、ICOのことも内心は下にみている男。見下されていることにうすうす気が付きながらも、そんな男に好かれたいと願うICO。
TikTokの配信者になる前のICOは、生活の為、パパ活をして金を稼ぎ、塩顔マッシュ男からの連絡を待つ。パパ活の顧客との性行為の最中、ICOは、塩顔マッシュ男の視点で顧客を下に見る。
うっさい、エロじじい!
気持ち悪いんじゃボケ!
二度と連絡してくるんじゃねえよハゲ!
そう言って私はバッグでそのおっさんの横ツラをはたき、わき腹に蹴りをいれた。情けない格好をした、情けなく腹の出たおっさんは、ああ、と情けない声を出した。私は、さっき手渡された札束を、いるか、こんなもん、と叫びながらそのおっさんにぶつけ、最後にもう一度蹴りを入れた。
「このハゲが!」
ともう一回おっさんに言った。ノブ君の言う通りだ、薄汚いおっさんが薄汚いのはおっさんのせいで、頭がハゲなのも前世で悪いことをしたからなんだ、前世で悪いことをした人は、その罰として、ハゲたり、頭が悪く生まれついて、だからハゲとか低学歴はどれだけないがしろにしてもいいんだ、法が許せば、ベンツで轢いてしまったていいんだ。
しっかし、危ないところだった、あのハゲおやじの甘い言葉にもう少しでーー
薄汚い手で私に触れてんじゃねぇよ。
早くノブくんのところに行こう、ノブくんのところに帰ろう。
こんなところにいる私は間違っているから。
ハゲのくせに!
ハゲのくせに!
ハゲのくせに!
ICOは中年男性との性行為の最中、そんな痛快な場面を思い描いていた。映画や漫画なんかでよく見る場面だ。手籠めにされそうになった女性が土壇場で踏みとどまって反撃する。でもあんなの嘘っぱちだとICOは思う。お金なのか、流れなのか、恐怖なのかわからないけれど、何かの力におされて不本意に男を受け入れてしまった女たちの、そうであったかもしれない自分、そうありたかった自分への思いが形になってあらわれているだけだ。ICOは明確に言語ができてはいないものの、おおむねそんなことを思っていた。
パパ活後、駆け込んだ男の部屋で、ICOは他の女と共にいる彼を発見する。ICOは、それを見てやっと、彼との関係を断ち切る気持ちを持つことができた。
◆誰かを下に見て回っている
みんなみんな誰かを下に見て馬鹿にして、下に見られた誰かが別の誰かを下に見てグルグルと回っている。
そういえば、障がい者の話をした女の子は、「●●を社会人なって持つなんて」とあるブランドを持つことを馬鹿にしていた。一方で、そのブランドバッグを使っていた別の女の子は、社会人になって、親元離れないなんて、と一人暮らしをしない人を下に見ていた。障がい者の話をした女の子は、当時実家に住んでいて、お互いが、お互いを別の要素で下に見ているんだなと、何の関係もない私は思う。
私は、誰も何も下に見ない人とだけ付き合いたい。「なんて」と言わない人と付き合いたい。私もきっと、「なんて」と言われる何かしらの要素をもっているから。
「K+ICO」の作者の上田岳弘は、先入観だけでレッテルを貼る「ラベリング社会」の弊害をインタビューで語っている。
どの言葉にも、相手のことをよく知らないのに、先入観だけでレッテル貼りをしてしまう、「ラベリング社会」の弊害を感じます。
こうした風潮は、SNSの普及と表裏一体のように思えます。
デジタル化による情報量の爆発で、ものごとの内実を細かく見ている余裕がなくなった。だから、とりあえず短くキャッチーなラベルを貼りつけて、「わかった気」になっている。
しかし、その乱暴なラベリングをされた側は、深い絶望感に陥るしかありません。
誰かを、なにかを、その人自身を深く見ようとしないで、インスタントに判断する世界に、私は疲れている。●●は駄目、●●はカス、●●なんか、●●なんて、そんな言葉が溢れる。それはTwitterの中だけだと思っていたけれど、いつの間にか現実の世界まで飛び出てきている。耐えられないなと思う。だけど、その耐えられないにどう対処していいか分からないで、「なんて」と言う人と会ったらゆっくり後ずさりして、私のことを忘れてくださいと願う。「なんて」と私のことを言う前に、私への興味を失ってくれと祈る。