オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

あなたは桃太郎じゃないし、鬼なんかいない。

とても嫌な事件のニュースを見てしまった。

mainichi.jp

 

www.47news.jp

 

岐阜県で、大学生たちがホームレスの男性を殺したニュースだった。わたしは、記事を読むだけでも嫌な気持ちになった。

路上生活者が襲われる事件は、たまに起こっていて、そのたびに嫌だなと思っている。大学一年生のとき、受講していた社会学の授業で、ホームレスの襲撃事件をとりあげたことがあった。ちょうど、同じような大学生がホームレスを襲う事件が起こったときだった。講義を担当した講師によると、なぜ罪に問われるのか分からない加害者もいるという。「社会悪である浮浪者を成敗したんだ、世直しだ」と、まるで、鬼退治する桃太郎にでもなったように話す。昔ながらの童話を例に挙げて講師は説明してくれた。

だけど、成敗したのは鬼じゃなくて、人間だ。感情もある血の通った人を殺して、なにが成敗だ。それはただの暴力で殺人だ。調べてみると、ホームレス襲撃事件では、自分たちが社会悪を退治したかのような供述をする人はいるようだ。

www1.odn.ne.jp

 

ちなみに、路上生活者で、障害や病気を抱える人は三割に上る。健康な人よりも不利な状況で路上生活に追い込まれていく。本人の努力不足だということはできるけれど、わたしは単純に本人だけの問題で納めてしまっていけないようにも思っている。

yomidr.yomiuri.co.jp

 

 

◆遠くの子供はかわいそうで、近くのおじさんは汚い

わたしの大学には短期留学をする人なんかもいて、海外の恵まれない子供に向けたボランティア活動をしたり、海外の貧困について勉強をしたりする人もいた。わたしは、お金もないし、そこまでの行動力もないので、ボランティアどころか、21歳までパスポートすらもっていなかった。

海外の貧しい人たちに手を差し伸べるといっている同級生たちが、一方で、繁華街で寝ているホームレスに怪訝な顔をすることがあった。同じ困っている人であっても、外国の子供たちには優しくできるけれど、東京で座り込むおじさんには優しくできない。わたしはそれを差別のように感じてしまった。同じように生活が立ち行かなくなっているのに、どうして、相手によって手を差し伸べるかどうかを分けるのだろう。自分のそばで苦しんでいる人だけを助けられないのはどうしてなのだろう。

 

◆救いの選別が許せなかった

わたしがホームレスの炊き出しを手伝ったのは、そういったものへの反発心だったのだと思う。自分の救いたいものだけ、助けて、自分の醜いと思うものは排除する。救いの選別。外国ばかり見ている同級生が、助けるものを選別しているように見えて、嫌悪感をもった。もっと身近に、わたしが生活しているすぐそばで、苦しい思いをしている人はいる。救いたい人、かわいそうと思える人だけ救うのは自分勝手だ。

わたしは、そういった同級生への反発で、路上生活者の炊き出しに参加した。そういった理由で誰かを救おうとしたわたしは、自分勝手なのかもしれない。わたしはどこかで、汚いとか、ダメな人だとか、思われる彼らが、そうとは限らない、偏見が正しいばかりじゃないと、思いたかった。だから、それを自分で確かめるために、ホームレスの人たちの近くに行った。それはそれで、海外に行く彼、彼女たちとは別のベクトルで利己的だったと思う。

 

◆外側から見た像が正しいわけじゃない

ホームレスにおにぎりを何度か配って、偏見は正しいわけではないことが分かった。お風呂入れず体臭のある人や、汚れた衣類を身に着けた人もいた。だけど、彼らが暴れたり、暴力を振るったり、誰かに危害を加えるようなことはしなかった。自分の話しばかりしてしまう人はいたけれど、そこは相手を不快にさせようとしているのではないことも分かった。コミュニケーションがうまくないとか、人との関係づくりがうまくないとか、そういったことはあったかもしれないけれど、誰かを傷つけたり、いやな思いをさせたりするような人はいなかった。少なくとも「世直しだ」などといい、人に襲い掛かるような、そこまで他人の気持ちを推し量れないような人はいなかった。

たぶん、アダルトの世界にいるのも、このときの経験があるように思う。この世界も、外側から見たら偏見がある。少なくとも、わたしはこの業界に入る前は、怖い世界ではないか、とか、違法な方法で金を稼いでいるではないか、とか思っていた。だけど、永沢光雄さんの書籍「AV女優」に書かれていたそれは、わたしのイメージとは違う。大学時代にエロ本ライターをしていたときに出会った人たちも、わたしの抱えた先入観とは遠く、地味に、真摯に日々を生きていた。もしかしたら外側の見方と内側とが、違うんじゃないかと気になっていたりした。

そんな好奇心で人生を決めてしまうのも安易かと思うけれど、世の中から悪く言われているものたちが、本当に悪いとは限らないかもしれない、それを確かめたくてエロ業界に入ったところはある。20代の女性だったわたしが、4年働き続けるくらいには、問題のない会社だった。すくなくとも、大学生のころ、思っていたイメージとは全然違った。

アダルト業界に入る前、わたしは業界ではない企業で会社員として働いていたけれど、そのときの会社と遜色ない生活だった。毎日決まった時間に出社して、資料をつくったり、営業をしたりして、定時かそれよりちょっと遅い時間に退社して、月々の給料をもらう。

 

◆強い言葉で語られる正義が正しいのか

強い言葉や強い気持ちをもったとき、一歩、下がって考えたいとわたしは思う。世の中で悪いイメージを持たれているものが、本当に悪いとは限らない。一方で、対外的にあたかも正しさを語っているかのように見える人が、自分の嫉妬心や野心や虚栄心やいびつな気持ちを満たすために、正しく見えることを言っていることだってある。

誰が言うかが大切だし、影響力のある人の意見に、影響されてしまいそうになる。だけど、すこし待ってほしい。なにかを「悪い」と思う気持ちが、本当に自分の頭で考え至った結論なのか。偏見ではないのか、本当にそれが悪いものである理由はあるのか。少し立ち止まって考えてほしい。物理的にでも、精神的にでも、なにかや、誰かを攻撃する前、相手を傷つける前に、考えてほしい。「世直し」と思ったことが、他人を追い詰める暴力になっていないか。誰かを傷つける目的の正義ならば、そんな正義ふるってはいけない。あなたは桃太郎じゃないし、鬼なんかいないのだから。