オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

小池百合子の再選を理解できない人たちへ

「わたしの周りに小池百合子支持者なんか一人もいないのに、当選してしまった」
ぼんやりと流していたラジオで、ある社会学者がそんなことを言っていた。
わたしは、ここ数週間で同じセリフをわたしは何度も何度も何度も聞いている。「小池百合子を支持する人なんて一人もいなかったのに」と。小池百合子の当選を不思議がる人々の多くは、東京に住んで、大学をでて、立派な仕事についている人だ。作家、ジャーナリスト、ライター、編集者、新聞記者……この仕事について、本を書く機会をもらわなかったらおそらく知り合うことはなかっただろう人たち。
彼らは口々に「なぜ小池百合子が?」という。だけど、わたしは、小池百合子の再選を不思議がる彼らの方を不思議に思う。彼らはなぜわからないのだろう。

小池百合子が当選した。そして、宇都宮健児山本太郎も当選しなかった。それは、わたしにとって、腑に落ちることだけれど、彼らにとって不思議で仕方ないことのようだ。


◆ラストベルトの労働者とシリコンバレーのIT起業家

少し前に、宇野常寛さんの「遅いインターネット」を読んだ。

遅いインターネット (NewsPicks Book)

遅いインターネット (NewsPicks Book)

 

 その中では、トランプが当選していた日の様子を以下のように描いている。

講義が終わっても帰らない学生たちは僕に尋ねた。なぜ、ヒラリーはトランプに敗れたのか、と。
僕は答えた。それはグローバリゼーションへのアレルギー反応なのだ、と。この四半世紀でアメリカとベトナムの格差は圧倒的に縮まっているが、シリコンバレーの起業家とラストベルトの自動車工の格差は逆に広がっている。だから、ラストベルトの自動車工は「壁を作れ」と反グローバリゼーションを掲げるナショナリストを、つまりトランプを支持したのだ、と。


国同士の格差、いや、国の上澄み同士の格差は狭まっている。アメリカにいても、イギリスにいても、日本にいても、ベトナムにいても、裕福な人たちの生活に格差なんてない。お金がある人たちはどこにいったって、自分たちの望む生活ができる。アメリカの政治がクソならイギリスに、シンガポールに、ベトナムに行こう。どこかできっと望む生活ができる。そうやって、望む生き方、幸福な生き方ができる。

 

一方で、それをできない人々はいる。国と国の格差、国籍や人種間の格差が狭まる一方で、同じ国、同じ肌の色の人同士での格差が広がっている。格差の下方に追いやられたラストベルトの労働者たちに支持されるのがトランプだと宇野さんは書く。

トランプを支持しない人たちは、支持者たちに教えてあげようと試みる。トランプを支持するのは愚かなことなのだと。だけど、それは意味をなさない。トランプの言っていることのデメリットをどんなに説いたとしても、それをわかったうえで、彼は彼らにとって都合のいい物語であるトランプ大統領を消費したいのだ。

 

わたしは「遅いインターネット」を読んで、これは日本でも起きている現象だろうなと思った。なぜトランプが支持されるのかを理解しない限りは、小池百合子も当選するし、自民党も与党でい続けるだろう。一部の賢い人たちがどんなに疑問を呈したとしても変わらない。

 

◆見落とされている理由なき弱者

小池百合子に次いで、次点で落選したは宇都宮健児氏だ。宇都宮氏の主張を支持する人の考えも、わたしは理解できる。宇都宮氏の公式ウェブサイトの政策のページには以下の文言が並ぶ。

utsunomiyakenji.com

 

・女性の貧困をなくし、ジェンダー平等社会を推進する。
視覚障害者の転落防止のためのホームドアの設置、障害者差別のないバリアフリーのまちづくり
ヘイトスピーチ対策の強化、朝鮮学校への補助金支給の再開、関東大震災朝鮮人犠牲者の追悼式への都知事の参加、同性カップルのパートナーシップ制度の導入など

 

 

端に追いやられた人、マイノリティーである人、弱い立場の人たちを救いたい。そんな思いをわたしは読み取った。

だけど、宇都宮氏はひとつの弱者を見落としている。正社員、日本国籍、男性、だけど、安い賃金――手取り20万円に満たないような給料で生活している人たち。
そういった弱者に見えない弱者、理由なき弱者を見落としているのだ。おそらくそれは、アメリカではラストベルトの自動車工がそれにあたるのだろう。日本だと、サービス業の従事者、工場や建築現場で肉体労働をする働く人々……安いながらも、定期的な収入はあり、かろうじて生活は安定はしている、そんなギリギリで生活を維持できている人たち。彼らに対しての支援は見えてこない。
彼らは分かりやすい弱い点はない。性別、国籍、障害の有無、そんな分かりやすい弱いポイントはない。だけど、貧しい。そんな人たちはどうしたらいいのだろうか。

宇都宮健児氏たちは、弱者に弱者であるポイントを求める。「女性だから」「外国籍だから」「障害があるから」だから端に追いやられる、だから助けないといけない。では、理由なき弱者は放っておいていいのだろうか。

 

◆映画「グリーンブック」の天才黒人ピアニストと貧しい白人男性

天才的な黒人音楽家ドクター・シャーリーと、その運転手として働く白人男性トニー・リップの物語、映画「グリーンブック」には、トニーが、恵まれてないのは自分のほうだとドクター・シャーリーに怒りをぶつけるシーンがある。

gaga.ne.jp


映画の中で、ドクター・シャーリーは、黒人でありながら、高い教育を受け、音楽や語学を学び、成功する。一方、貧しい家に生まれたはトニーは手紙すら満足に書くことができない。
一見すると、黒人であるドクター・シャーリーのほうが弱い立場の人に見える。だけど、白人であり、強者に見えるトニーであっても、「貧しい家に生まれた」という点において、ドクター・シャーリーよりも弱者なのだ。この視点は日本にもあって、教育を受ける機会に恵まれた女性や外国籍の人よりも、その機会がなかった日本人男性のほうが弱い立場になる場面はある。

 

◆不勉強は本人だけの問題なのか

「勉強をしなかったのは本人が悪い、努力不足だ」と言い切ることもできる。
だけど、わたしは「努力不足」と言い切ることが、トランプ大統領を生み、小池都知事を生んだように思う。

わたしの個人的な話になるが、わたしは地方の街で高校しかでてない両親のもとに生まれた。高校時代、わたしの母は「大学はお金がかかるから行かないていい」と言った。
母のそれに悪気がないのは分かる。もしかしたら、同じように言われてきたのかもしれないとも思う。大学に行かないのが当たり前の社会だったから、そこにわざわざ行くメリットが分からなかった、と今になれば思う。

わたしは、母の反対を押し切って大学に進学した。だけど、それができない人もいる。わたしの知っているそういう人たちは、親のいうことを聞くいい子たちだった。「お金がかかるから」と、家庭を気遣い進学をあきらめた人たちだった。親の言う通り、学ばなかった人たちを、不真面目で怠惰な人と言っていいのだろうか。そして聞き分けのいい、優しい人たちが貧しくなってしまうことが正解なのだろうか。そんな現状をわたしは不公平だと思うけれど、それを切り捨ててしまうのが正しいのか。


勉強はしてこなかったけれど、周りの気持ちを考え、真面目に日常を生きる人。そんな人たちが貧しくなっているのが今の日本だ。貧しさの再生産、無教育の再生産、そんなものを断ち切るには大きな力がいる。それを断ち切るのが政治があってほしい。そして、もっと欲を言うと、そのままでいたい人はそのままでいさせてくれる世の中であってもほしい。ラストベルトの自動車工のままでいたい人は、そのままで豊かに生きられる世の中であってほしい。


「弱い人たちのために」と訴える人たちは、弱者に見えない弱者を無視してしまっている。きっと、この問題に目を向けない限り、世の中が変わることなんてできないだろう。