オナホ売りOLの平日

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奇子と家父長制

これがあの人の世界だったのだろう。手塚治虫奇子」を読み、私の母の生きにくさを想像した。

奇子」はGHQのスパイだった天外仁朗とその家族である東北の大地主天外家の物語だ。主人公奇子は天外家の家長、天外作右衛門が長男の嫁に産ませた子供で、ある理由から20年以上、家の蔵の中に幽閉されている。

 

 

母の実家も戦前は大地主だったらしい。らしい。私が生まれるより何十年前の話だから、伝承でしかしらない。ただ、奇子の中の世界……傲慢で横柄な家長と、それに従うしかない他の家族の姿は、私が聞いていた世界と同じだった。こんな世界にいたなんて可哀想に。可哀想だけど、彼女の中で、没落した大地主だったという要素が拠り所、自分を肯定する核になっているようにも、私には映っていた。

私の父の実家は大地主でもなんでもない。父方の祖父は働きに出ていたし、会社員の家だったのだと思う。父の兄は、高校を出ていない。中学を出て働きにでている。伯父の生まれた1950年代の高校進学率は6割で、中学しかでない人間は、少数派ではあるが、今よりは珍しくはなかった。それでも、母は伯父の学歴を理由に結婚を反対されたことを話していた。その語り口は、“きちんとした家”であるが故に反対されたと言っているように、私には映った。

母自身は高校から先の進学を行かせてもらえなかったと自ら言う。私は伯父がなぜ中学しかでていないか知らない。自らの希望なのか、仕方ない理由があったのか知らないし、聞いてない。だけど、希望する教育をさせない家のさもしさを脇に置いて、学歴を理由に批判する母の生家と、それを少し得意げに、自分は“きちんとした家”をでた特別な人間であるかのうように話す母が嫌だった。

 

◆家に対する嫌悪感と自惚れ

大地主という家を一方で、嫌悪しながらも、だから自分は特別だと思いたい自尊心のようなものを、母と母の生家から感じていた。母の口から聞いた、母の祖父、つまり私の曽祖父の話は奇子の天外作右衛門はよく似ている。気に入らないことがあると、だれかれ構わず怒り、常に自分が正しいと思い、威張り散らす。奇子を読んで、私の家の話はありふれたことなのかもしれないと思い、少し安心した後、天外仁朗が「この家は狂っている」と言っていたことを思い出し不安になりもした。狂った家は田舎にたまにあるもので、そこにいる人たちは自分たちを特別だとは思っても、狂っているなどとは思わない。

奇子が生まれる天外家には、奇子以外に3人の女性がいる。一人が天外作右衛門の妻天外ゐば、そして長男の嫁すえ、娘志子の三人だ。ゐばやすえは作右衛門に抗えない大人しい性格だが、志子は明るく、ハキハキとしていて、自らの意思がある。だが、志子は共産主義の政治活動に参加したことを理由に勘当され、家をでて東京で暮らす。この家の女は、家長である作右衛門に従うか、出ていくか、二択しかない。そして従うことを選んだ女はどんな不合理な要求でも受け入れなくてはいけない。すえが奇子を産み、それをゐばが受け入れたように。その不都合を受け入れる代償として得るものが、名家であるという自惚れなのではないか。

 

◆憎みながらも家父長制を再生産する

出ていくか、従うか。家父長制の家の中で、女にできることは二択しかないのか。中にいながら抗うことはできなかったのか。三男の伺朗は姉の志子に「奇子を見殺しにしたんだ」と言う。見えないところに行き無視をするか、見えていながら無視をするか、その二択しか女にはないのか。私は抗うすべだってあったんじゃないかと思う。母に以前、嫌だって言えばよかったのにと言ったら、「そんな時代じゃなかった」と言っていた。当時はそんなことできなかった、と。だけど、時代だとか、そんなものは関係ないと私は思っている。

私の父方の祖父母はよく口喧嘩をしていた。当時小学生だった私もたまに見ていて、母は私に、夫婦であんなことをするなんて驚いたと、言っていた。その驚いたに、肯定的な意味あいはないように私は聞こえた。たしかに子供の前でしない方がいいことかもしれないけれど、家父長に逆らえず、黙って従うよりは、夫に文句を言える女の方がずっといいと私は思っている。父方の祖母は大正生まれで、今はもうとっくに死んでいる。それでも、従う以外を選べていた。家父長制に抗うために必要なのは時代が進むことなどではない。ゐばやすえは今でもあり得る存在だ。

奇子の終盤、天外家で唯一生き残ったゐばは、言う。

「おたがい年をとって時代がかわりのしたなす……いまの若いもんはわしらとちがうのうそれでええのかもしれんのす 天外の家は……わたしさえたっしゃなら潰しはしねだ」

憎んでいた家、自分を従わせてきた家、それでも、潰しはしねと言う。それは、あれだけ悪く言いながらも、生家を切り離せない私の母の姿だった。