オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

「アダルト業界を盛り上げたい」と言う人たちへ

「アダルト業界を盛り上げましょう」と言う人たちがいる。

でも、大半の営業先はそんなことは言わない。よく行くアダルトショップの担当者は、「こんなキャンペーンしましょう」、「こんなイベントをしましょう」と言う。売れるための施策を話してくれる。

この「AV業界を盛り上げましょう」と言う人は、売るための施作を提案しない。彼らは日常的にアダルトショップの店頭に立っている人以外で、そもそも取引先ですらないことも多い。「利益じゃなくて」「ほかにないものを」、そんな言葉を使って、話してくる。「盛り上げる」「話題になる」「目立つ」と言いながら、営業活動とは離れた所のアイディアを話す。

 

「宇宙で使えるオナホを作りましょう」

「あなたがプロデュースして、全面に写真も使って女性向けのアダルトグッズを開発しましょう」

「話題性になる企画しましょう」

 

的外れだと思ったとしても一旦聞く。もしかしたら、それは私の主観かもしれないから。でも、彼らに抱いた私の印象が変わることはない。「宇宙で使うオナホを作りたい」と言った人に、書面で企画を出すよう求めたら、その後音信がなくなった。「話題になります」と前のめりにいった人に利益はどのくらいを見込んでいますか?と尋ねたら、「利益とかじゃなくて」と苛立って答える。グッズをプロデュースするように言った人は、競合になるであろうアダルトグッズをプロデュースする女性インフルエンサーの名前すら知らなかった。

「アダルト業界を盛り上げましょう」と言う人の大半は、苦労しないで話題になりたい、と思っているように見える。良い言い方をすれば「とりあえずやってみよう」の精神で動いている。一見、行動力があって、いいように思えるけれど、エロという極めて個人的な分野で、身軽であることはリスクになる。性に関する言動は、慎重でなくてはいけない。

昨今AVの分野では、元AV女優たちによる作品の販売停止依頼が相次いでいる。そのときは問題ないと思いAVに出た元AV女優が、生活の変化に伴い、出演を後悔し、AVの販売停止を申請している。よく考えたら、AVに出ない方がよかった。そう思う人が幾人もいるのだ。性の判断は身軽であってはいけない。熟考し、考え、後悔しないと思える答えをださなくてはいけない。今、身軽ではない性が、求められる。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

◆インティマシー・コーディネーターが提示する性への熟考

性について熟考してから行動することが求められている。そんな風に思うきっかけのひとつが、映像作品の分野で登場したインティマシー・コーディネーターという職業を知ったことがある。映像作品で性的なシーンを撮影する際、制作側と役者の間に入り、撮影の調整をする職業だ。インティマシー・コーディネーターのひとり西山ももこの書いた「インティマシー・コーディネーター-正義の味方じゃないけれど」にはこの職業の様子が書かれている。

 

たとえば、裸になるにしても「体の前面を見せるのはNGだけど、背中ならOK」と言う場合があります。そうした「可能な代案」を伝えると、何ができるのかが監督にも分かるので、「だったらこうしよう」となることも多いのです

 

事前に撮影内容を理解し、了承しても、撮影当日、「やっぱり嫌だ」と役者さんの気持ちが変わることもあります。嫌なことは嫌なのだから、そこは尊重すべきだと思っています。嫌なことをやるように説得するのが私の役目と言うわけではないのです。

 

「性」という人間の感情に密接に関わるものだからこそ、繊細に、細かく、時間をかけて、コミュニケーションをとって撮影していく。この本の中にはフランス映画「アデル、ブルーは熱い色」の中で性交シーンをめぐって、監督からの過剰な要求があり、主演女優二人がこの監督と仕事をしたくないと、発言したことも紹介していた。性に関わる業務は心理的な負担、負荷が大きい。だから、慎重に取り扱い、本人の感情を最優先させなくてはいけない。「本当は嫌だった」と言わないために、「とりあえずやってみよう」と行うことのデメリットも考えるのが、性の仕事には必要だ。

 

◆三上悠亜コラボによって見えてきた溝

少し前、元AV女優の三上悠亜が帽子メーカーとコラボしたことが問題になった。

toyokeizai.net

 

未成年も利用するアパレルメーカーとコラボすることで、元AV女優である彼女に子どもが憧れてしまうことを懸念する意見もあった。私は、批判を過剰な意見だと思う一方、分からなくはないと思ってしまった。テレビを見ていたら、このニュースに関して、あるコメンテーターが、批判される背景にはAV側がリスクを説明しないこともあると話していた。

メディアに出て華やかに活動するAV女優や制作の人間は、AVの素晴らしいを語る。だけどその背景にはリスクがある。将来、後悔する可能性もある。それを語らず華やかさのみを見せるから、反発が起こるのではないか。

数年前に、AV業界の関係者がSNSで、AVに数本出た程度で周りにバレることはない、と発信していた。私はその発言に怒りを抱いた。AVに出ること、カメラの前で裸を晒すことを軽く捉えている。たった一本の出演作が、家族や友人に知られる可能性もある。なんて無責任な発言だと思いながら、反論して、トラブルになることが面倒で、関わらなかった。

だけど、そんな、AV出演を軽くとらえるような、間違った認識によって、AVに関わりない人たち、AVをよく思わない人たちの、AV女優への嫌悪感は強くなる。AVを作る側、愛する側と、嫌悪する側の分断は深まる。

私は「アダルト業界を盛り上げたい」と言う人にこそ、AVに出るリスク、性を取り扱うリスクを考えて欲しい。その手段として、紹介した「インティマシー・コーディネーター-正義の味方じゃないけれど」を読んで欲しい。だけど、きっと、読まないだろうな、とも思っている。

「インティマシー・コーディネーター」の著者西山ももこはジェンダーを扱うメディア側に見てもらいたいと、映画『であること』を制作した。メディア側のジェンダーに関する認識の甘さをなんとかできないか、メディア関係者の間のステレオタイプな見方を相対化したい、という思いから制作に取り組んだ。しかし、映画が公開したさいに劇場に足を運んだのは元々、ジェンダーに関する問題意識を持っていた人ばかりだった。

 

劇場に足を運んでくださった方々の中で目立ったのは、もともと何かしらの問題意識を持っている方でした。学生など若い人たちが強い関心を向けてくれたのも嬉しいことでした。

反面、「本当に伝えたい人にはなかなか届かない」という歯がゆさを痛感させたれもしました。この点は、本も似ていると思っています。なんらかの問題を取り上げている本について「この本を読んでみたらいいのに」と思う人こそ、読んでくれなかったります。本を率先して読む人は、もともとなんらかの危機感や問題意識を抱えていたり、世の中の何かを変えたいと思っていたり、知識を得たいと思っていたりするのです。

逆に言えば、その本や映画の存在が当たり前のように浸透し、「みんな読んでいる。みんな観ている。自分もこれは知っていないとまずい」と誰もが感じるくらいにまでならない限り、本当にそれを知ってほしい人たちには伝わらないのだと思います。

 

本当に届いて考えて欲しい人が、性のリスクを考えるようになったとき、AV業界が変化し、本当の意味で、盛り上がるのだろう。私はそう思うけれど、そんな日はこない気もしている。きっと彼らは、都合の悪い意見を見ようとはしてくれない。