オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

アンラッキーだったね

面白くて仕方なかった。嫌いだった昔の上司の書いたブログ記事がネットで炎上している。ドキドキするような、胸が高まる気持ちになった後、そうやって興奮している自分に嫌悪感を抱いた。嫌いな人への悪口に感情が高ぶる。あれは何なんだろう。いつも冷静になった後思う。

彼女と一緒に働いたとき、わたしはまだ大学を出たばかりだった。なりたかったライターの仕事につけて、意欲は高かったが、客観的に見たら空回りしていたと思う。入社半年後に、わたしをどうするかを話し合う会議が私以外の部署のメンバーで開かれた。チームメンバーが誰もいなくなったフロアの中、事情を知らない別部署の人が「あれ?堀江さん以外みんないないの?」とわたしに聞いた。答えるべき言葉が見つからず「そうみたいです」と笑った。その会議を主催したのが、炎上した彼女だった。彼女の行動、言葉の中には納得できることもあった。でも、もう少し相手の立場に立って考えてくれればいいのに、と思うこともあった。今の言葉を使って言えば、ハラスメントだったのではないかと、思うこともあった。

 

◆心無い行動を「仕方ない」と耐えられてしまう人間

炎上した記事は何度も読んだ。端的に言うと、恋人のことを書いた内容だ。恋人と関係に悩み、その後、関係を改善していった様子を書く。その恋人の振る舞いが「モラハラ」ではないかと、炎上していた。丁寧に言葉を選び書いていた。ストレスなく読める、整えられた文体だとわたしは思う。だからこそ、恋人が行った行為に対しての、書き手の客観性のなさが浮き上がっていた。なんでこんな酷い行為を受け入れるの? ネット上で炎上させた彼女を知らない他人同様に、わたしは思う。こんな男クソだ、ムリ。

ムリだと思った後で、気が付いた。この人は、この行為に対して耐えられないと思わない人なんだ。この行為をひとまず一旦は受け入れてしまう。ハラスメントを受け入れてしまう人だったんだ。だから、わたしにも、心ないなと思う行為をして、それを受け入れるものだと思っていた。彼女の基準で見たら、やられる側が「仕方ない」と思うことだったのだろう。

 

◆「続きと始まり」の「アンラッキーだったね」

わたしは彼女と働いた日々を思い返して、怒りを抱き、でもわたしも悪かったかもしれないとも思い、悩み続けている。だけど、わたしが追い詰められたのは、彼女の側の事情だった。わたしが酷いと思うこと、それはしてはいけないと思うことを、酷いと思わない人だった。ただそれだけだ。アンラッキーだったね、という小説の中の台詞を思い出す。それは柴崎友香の「続きと始まり」の中に出てくる。

 

 

「好きなことと、向いていることと、やりたいことと、それぞれ違いますよね」

「せやね。一致していたらラッキーやけど、たいていはそんなこともないから、どこらへんをとるかやね」

「ラッキー」

河田さんの言葉を、優子は繰り返した。そして、東京での職場の風景を思い浮かべた。

「そうか。ラッキーじゃなかったいうだけなんや」

「石原さんが?」

「そうですね。なんかアンラッキー、ぐらいの言葉が日本であったらいいですね。不幸とか不運とかやともうちょっと悲しい感じするじゃないですか?」

阪神淡路大震災東日本大震災、コロナ禍を経て、社会や時勢、家族の事情で思ってない方向にゆっくりと流れてゆく人々を描く。はっきりとした不幸はない。物語に登場する石原優子は自分に言って聞かせる。

 

「恵まれている」と、自分の今の生活について思う。恵まれている。家もあるし、夫も子供もいるし、仕事もあるし……。

 

恵まれている。優子の頭のなかにまたその言葉が浮かぶ。恵まれている。それが誰の声なのか、優子にはわからない。

 

運転しながら歌っていると、隣に並んだ軽トラの男性に馬鹿にされる。コロナになった際、当たり前のように優子が仕事を休むものと夫は思っている。東日本大震災の後、好きだったデザインの仕事を辞め、実家のある関西に戻った。無数のアンラッキーの結果が優子の生活だ。それでも、恵まれている?

 

◆「アンラッキー」という言葉を借りた気軽な自己責任論の放棄

自己責任論がどんどん強くなっている。自分の行動の結果が今の人生だ、と言われる。わたしがライターを辞めたことも、わたし自身が悪いような気がしていた。だけど、大半の人は、自分の意思とは関係のない事柄によって、ゆっくり、行きたくない方向に行ってしまう。自分の関与できない「アンラッキー」がなければ、違っていたかもしれない。

無理に今が恵まれていると思う必要も、悪かったことは自分のせいと思う必要もなくて、あのときは「アンラッキーだったよね」を軽く、適当に素直に受け入れればいい。そうすれば、楽な気持ちになれるような気がした。アンラッキーだったね、過去から自由になるために、そんな軽い言葉を利用すればいい。