オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

ミスター慶応大ようなモテる男が、女の子を一番、苦しめているということ

先日、「若草プロジェクト 設立3周年シンポジウム」を見学してきた。

若草プロジェクト|研修・催しものについて

瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんの本で、この活動を知った。物を書く人というのは、どこか自意識がでてしまうのだけど、かざらず、自分の欠点も素直に認めている瀬尾さんの文章はとても素敵で、瀬尾さんが関わっているという理由で若草プロジェクトにも興味をもった。

今回は、「若い女の子生きにくさ」というテーマを中心に有識者が講演していた。自殺を防止する活動をする「社会的包摂サポートセンター」の担当者の方は「電話で相談してくる人は半分以上が女性だ」と、データを見せながら説明した。そして、作家の桐野夏生さんは「自己評価の低い女の子は、認められることで、悪い道にそれてしまう」と話す。

そうか、そうだよね、女の子、とくに、自信のない女の子は、だれかに認められたいって思うのかもしれないね。自殺者全体では男性の比率の方が多い、それでも、自殺相談に電話してくるのが女性ばかりなのは、「誰かに認められたい」「評価してほしい」「励ましてほしい」と思うのかもしれない。誰かの優しさに飢え、寂しさを辛く感じるのは、女性が多いのかもしれない。そして、認めてほしい欲求は彼女たちを狂わしてしまうのかもしれない。

このシンポジウムでは、座間9遺体事件に関しても触れている。「死にたい」と呟きながらも、誰かに生きていいと認めてほしかった、もしかしたら、それが被害者の本心のようにも思った。

 

◆女の子を思い通りにする人たち

最近、AV女優さんで、ホストクラブの従業員にたくさんお金をだしたことをネット上に告白した人がいた。わたしは彼女の個人的な話は聞いていない。だけど、わたしは一緒に仕事をして、彼女が一生懸命お客さんを大切にする姿を見ていた、仕事熱心で、とてもいい子だと思った。綺麗で、可愛くて好きな女の子だった。だから、彼女が苦しそうにしているのがとてもつらかった。なんで、こんなにいい子を苦しめてしまうんだろう。

そのAV女優さんと付き合いがあった人がどんな人か分からない。だけど、女の子の心を上手につかんで、苦しいけど、抜け出せない、そんな状態にさせる男の人はいる。そういう男の人って一番、怖いように思う。

だけど、一方で、女の子の心をつかみ思い通りにさせる男の人は、女性の権利を守ろうとする人からは、あまり批判されない。シンポジウムでは、AKB48のようなアイドルブームが若い女の子を性的な目でみるきかっけになったと話していた。わたしはこれには賛同できなくて、女性的なものをアピールすること、それ自体は悪くはないと思っている。18歳未満の女の子に悪戯をしたり、成人していたとしても女性の意思を無視して性的な行為に及んだりしてはいけない。だけど、女性性をアピールしていたとしても、それ自体には罪はないと私は思っている。

それよりも、座間の事件の犯人のように、女の子の心をつかんで、思い通りにしていく人、一見、女の子に好かれるモテる人が一番怖いんだよなと思っている。女の子に好かれる見た目で、女の子が喜ぶことを言って、女の子に好かれる、そんな人が、実は悪意をもっていたという事態が一番怖いように思う。自分の犯罪行為をしたい欲求を隠しながら、女の子に近づき、向こうにも好かれ、そして、警戒心がなくなった頃に手のひらを返し、卑劣なことをする。そんな人が一番怖い。

 

◆「自分が嫌われるはずない」という傲慢さ

先日、慶応大学の学生が女性を暴行したというニュースが流れた。

www.sankei.com

 

彼は、大学のミスターコンテストに入賞するほどの丹精な容姿で、帰国子女で家もお金持ち、きっと女の子に好かれてきたんだと思う。だけど一方で、女性に乱暴をしたいという欲求も持っていて、それを実行した。

普通に考えたら、道であった人をレイプして、暴行してはいけないと思う。思うけれど、彼が実際にそれをしてしまったのは、「自分なら許される」という気持ちがあったように思う。女の子に近づく方法、好かれる方法をすべて知っていたから、「自分が女の子に嫌われるはずない」そんな傲慢さがあったよう思う。そして、これは憶測だけれども、今まで、卑劣な行為をしても罪をとがめない女の子がいたようにも思う。彼自身が、自分の異性としての魅力や立場で、女の子をうまく取り込んでしまっていたのではないか。

この事件を聞き、東大生強制わいせつ事件や、それをモデルにした小説「彼女は頭が悪いから」のようだなと思った。自分だったら許されるはずだという傲慢さがそこにあったように、わたしは見えた。

 

◆言葉の本当の意味を考える

女性性を強調した物や、それを好む男性は目につきやすい。キズナアイの騒動のように、女性の権利を訴える人々が、それを女性蔑視だと批判することもある。だけど、それよりもっと女性を苦しめているものはないだろうか。 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

これはわたしの個人的な意見だけど、「フェミニスト」「女性の味方」と自ら主張する男性は、異性として少し警戒する。「女性の味方だよ」「女性のことを大切にする」という言葉を額面通り受け取れば、恋人にする際にとても都合のいい人のように見える。だから、もしかして、女の子を取り込むための道具として、その言葉を使ってはいないか疑いをもってしまうこともある。対外的な意思表示と女性の好みは異なっていないか。

柚木麻子さんが「首都圏連続不審死事件」モデルに書いた小説「BUTTER」を先日、読んだ。殺人事件を取材する週刊誌記者の主人公は、犯人の女と面会を続け、ついには妹や母親に取材することとなる。洗練された父だと犯人は話していたが、母親からみた父は違っていた。

「私はもともと、家にいることがあっていないのよ。この街には何もなさすぎて飽きていたの。カルチャーセンターで働き始めてからは、講師仲間もできて、やっと息を吹き替えした。仕事帰りにテニスやバレー何かを楽しんだわ。こう見えて昔はスポーツ少女でね。でも、夫はいい顔しなかったわ。あの人、進んでいるふりをしていたけど、実のところ、新潟生まれのおぼっちゃんで、妻には家にいて欲しいタイプだったのよ、女性観がすごく保守的だった。あの世代の左翼の男によくいるタイプよ」

「あ、離婚して離れて暮らしていた私の父も、そのタイプでした。わかるなぁ。学生運動で知り合った、当時としては進歩的な夫婦のはず、だったんですけど」

 

これはフィクションであるけれど、その片鱗は今の社会にもあるように思う。革新的な男性であっても異性の好みが保守的であることは多くある。女性の権利をと叫ぶ男性のとなりには、綺麗な女性がいたりする。だからこそ、その人の言う言葉の本当の部分を確かめてから、判断しないといけないなとも思う。

 

◆「自分だったかもしれない」と話す瀬尾まなほ

前述のシンポジウムのはじめ、瀬尾まなほさんがこんなことを話していた。

「もしかしたら、その女の子たちって私だったかもしれない、わたしの妹だったかもしれない。女の子たちが悪いって決めつけがちだけど、人は環境によって変わる。わたしもその環境にいたらそうなるかもしれない」

そうだよな。もしかしたら自分だったかもしれない。そしてこれからも、そんな卑劣な被害に自分があうかもしれない。上手に、上手に、女の子を主通りにしようとする人はいるのだから。女の子たちを、分断をさせないためには、自分事にすることが大切だよな。わたしがどこまでできるか分からないけれど、なにかできたらいいな。