オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

大森靖子ちゃんが好きすぎるのでZOCのプロデュースをやめて欲しいと願ってしまう

「毎朝、6時半になるとコンポから流れ出すんですよ、爆音で、お父さんがコンポの設定あるじゃないですか、目覚ましソングの設定を気分爽快にしてて朝から飲もうって流れ出すんです。ホント気分爽快に起きれました。低血圧ぎみでしたけど。無理せずゆるっと起きれる感じが結構気に入っててて、青春時代ずっと」

「だから今日声聞いて本物だ、朝の声だって」

 

MCの森高千里さんに話す様子が、気に入られようとしているように見えた。でも、それは、今回だけでなくて、相手を喜ばそう、褒めよう、嫌われないようにしよう、そういった気遣いと下心の混じり合ったようなコミュニケーションを彼女はとる。 7月18日の「LOVE MUSIC」で、前述した森高さんとのやり取りをみた。大森靖子ちゃんの出演しているテレビ番組はこれ以外も可能な限り見るようにしている。それくらい大森靖子ちゃんが好きだ。新しい楽曲があれば聞いて、今年に入ってやっとライブにも行けた。熱狂的なファンとは言えないけれど、自分にできる範囲で、彼女の活動を応援し、楽しませてもらっている。

www.tnc.co.jp

 

わたしが大森靖子ちゃんを熱心に追いかけるきっかけは、数年前に、テレビの収録を見学した際、偶然、彼女に会ったときだった。彼女の楽曲を聞いてはいたけれど、ファンと言えるほど好きではなかった。それでも、直接目にする彼女はかわいくて、収録後に握手を求めると、笑顔で応じてくれて、一緒に写真まで取ってくれた。「今日も聞いていきました」とわたしが言うと、彼女は「うれしい」と喜んでくれた。さっきまでイヤフォンから流れていた声で、そんな風に言われたこと、急にお願いした写真にも笑顔で応じてくれたこと、全てが嬉しくてたまらなかった。彼女はわたしのアイドルになった。

初対面の人を邪険にするような事ができないのだと思う。突然の要望にも機嫌良く対処する。だからこそ、奥底にひたひたと貯まる、ストレスやしんどい思いがあるのかもしれない。そして、普段の可愛い大森靖子の裏側にあるしんどさが楽曲になる。 

 

◆出演停止を決めた荻上チキの意見

大森靖子ちゃんが炎上した。彼女がメンバー兼、プロデューサーとして活躍するアイドルグループZOCにて、他のメンバーに怒鳴りつける大森靖子ちゃんの音声が流失したのだ。この騒動が理由で、ラジオ番組「荻上チキ・Session」で放送予定だった彼女へのインタビューは放送を見送られた。

www.tbsradio.jp

 

パーソナリティを務める荻上チキさんはこの出来事に関して、8月17日の番組内でコメントしている。

 

同じメンバーだと言ってはいるけれど、年少者と年長者の関係であると同時にプロデューサーとプロデュースされる側という関係も依然としてある。つまり権威と権力の勾配がある関係ではあるので、メンバー間の見解や言い争いとは言いがたくて、パワーハラスメントにあたるという疑念がでてくるわけですね。 

 

ZOCというアイドルグループにおいては、僕は初期から活動を追いかけてはいるんですけれども、元々、男性が女性をプロデュースして、プロデュースする側とされる側が擬似的な父と娘の関係になるようなことに対して、大森靖子氏が違和感があるというような事をインタビューで答えていたんですね。それに対するひとつのアンサーとして、こういったグループをつくったんだという事も語っている。だけれども、今回の疑惑というのは、そうした活動のコンセプトの根幹にも関わる事でもあったので、こういった疑念が生じた際に、そういった説明がなされるのかということが注目がされていたわけですね。その応答の仕方によって今回放送をどうするのかと言う事も考えなくてはいけなかったわけです。 

  わたしも実際の音声を聞いた。大森靖子ちゃんが、感情的に怒鳴りつける部分だけが切り取られているため、前後のやり取りは分からない。もしかしたら、相手側からも攻撃的な言葉があったのかもしれない。だけど、それだとしても、荻上さんの言うように、勾配のある関係で、立場が上の人が下の人に向ける言葉ではない。 わたし自身の話になるが、似たような場面--つまり、仕事の上の上の立場の人に感情的に怒られた事がある。もう十年近く前の話しで、今は違う職場にいるけれど、それでも、あの時恐怖を感じたことを覚えている。彼の指導の仕方・伝え方は間違っていたと思う。そして、今でも彼が嫌いだ。だから、大森靖子ちゃんの行った行為で、きっとやられた側のメンバーはずっとこの先しこりのような、嫌な感情を抱き続けるかもしれないな、とわたしは思う。

ただ、わたしはこの出来事を知って、大森靖子ちゃんがそんな酷い事をするわけない、とは思えなかった。それどころか、大森靖子ちゃんだったら、ありそうだなとも思った。彼女はこれまでも、感情を全面にだして表現してきた。プラス感情--喜びやうれしさだけでなく、怒りや憤りといった負の感情も垂れ流すように表現する。何かを殴り続けるみたいに言葉を流し続ける。それは、彼女の今まで書いてきたブログなり、ライブでの発言なりで見てきた。そしてその怒りの感情が、彼女の歌に生かされてもしていた。 彼女の抱える怒りの感情は表現することで発散し、他者に向けないでくれるだろうと信じていたが、やっぱり、そうじゃなかったんだなというのがわたしの感想だ。 

 

◆「大森靖子」だけを受け入れる世界

ミュージシャンのロマン優光さんは、大森靖子ちゃんのこの出来事に関して、連載で意見を書いている。

bucchinews.com

 

端から見ていると、彼女にとって世界は「大森靖子」であるか、そうでないかで成り立っているようにも見える。音楽も大好きなアイドルも友人もZOCのメンバーも「大森靖子」なのだろう。それを奪おうとするものに対して過敏に反応し戦おうとするし、「大森靖子」だと思っていた人がそうではなかったと感じてしまうと、過剰に攻撃的な対応をしてしまう。「大森靖子」であるため「大森靖子」を守るために彼女は常に世界と戦い続けているかのようであり、それは単に表現の場でということではなく生きること自体をそう捉えているように見える。それゆえ、彼女の世界に存在できるのは「大森靖子」であって、他者は存在できない世界なのではないかのように感じるのだ。今回の炎上の原因になった巫まろに対する怒りにしても、別に若い女の子の容姿に嫉妬したとかいうくだらない話ではなく、愛しているメンバーが「大森靖子」の思想をわかってくれていないと感じたことから起こってしまった出来事なのだと思う。

 

ロマンさんは「大森靖子」と表現している箇所は、わたしも同意できる。大森靖子ちゃん自身が、納得できる物、良いと思える物は全力で受け入れて、そう思えない物は過剰の排除する。極端にも見える行動や発信をしているときがある。 自分が納得できない物、受け入れられない物を過剰に排除するという傾向は、彼女自身が受け入れてもらえない側だったからかもしれないとわたしは思っている。排除された側だからこそ、彼女を否定する人が怖いのではないだろうか。

 

最果タヒさんとの共著「かけがえのないマグマ 大森靖子激白」には彼女が高校時代まで過ごした愛媛での出来事が書かれている。そこでは、他の女の子が理解できなかった事、女の子たちに馴染めずいた事が書かれている。

www.cinra.net

 

 

でもさ、「好きな人いる?」とかそんな話、私じゃ思いつかない。「好きな人できないといけないんだよ」なんて言われたら、私は、あ、かわいいな、って思っちゃう。同じにはどうしてもなれなくて、だから私はカバンをあさった。家でなにしてるのって聞いてみたり、トイレ覗いて、何度か先生に叱られた。夢中になったのはほとんどが、女の子。弟や近所の男の子と遊んでばかりいたから、私には女の子が自分とまったく違う生き物に見えていた。

 

私がめっちゃくちゃ好きになった女の子はユリリンっていうあだ名。道重さゆみちゃんみたいにかわいい顔で、「お父さんにムカついたから玄関の木彫りの熊投げてきた」とか言う(中略)当然、昼休みは一緒にお弁当食べてたし、これからもずっとずっと一緒に食べたかったし、ずっとずっとずーーーっと友達でいようね!ってかんじだったけど、ユリリン熊投げるぐらいだし、まあ自己中で、気性荒くて気分屋で、外見がいい子だったのもあって他の子も「ユリリン!」って声かけるし、ギスギスするようになってカップルの修羅場みたいな喧嘩を何度もした。そのうちお昼も一緒に食べなくなったし、ああじゃあ私はトイレでいいや、とにかくユリリンが違う人と食べているところも見たくないしもうトイレで、いいやっていう気分になった。

 

他の女の子が告げ口みたいに、「大森とは仲良くするな」って転校生に言っている。金髪だし、ボコボコだし、絶対援交してるし、みたいなかんじで一気に誤解がすり込まれていく。

学生時代に、集団に上手く馴染めなかった--これは大森靖子ちゃんの表現にも生きていて、だからこそ、弱い人、生きづらい人の気持ちがくみ取れるのだと思う。しかし、ZOC活動は、その経験が悪いように生かされているようにわたしからは見えてしまう。学生時代、集団に馴染めなかったという負の経験を、アイドルグループを作り、尚且つ、自分もその中の一員になる事で、自分が中心でいられる理想の女の子集団を作ろうとしているように見えてしまう。意図していないのかもしれないけれど、「大森靖子」ではない物を拒絶しながらグループを運営しようとする彼女は、以前、彼女を拒絶した周囲と同じ方法で、彼女の理想を作り上げる方に向かってしまっている。排除された側だった彼女が、繰り返してしまっている事実が悲しい。 

「かけがえのないマグマ 大森靖子激白」では、高校生だった大森靖子ちゃんが、銀杏BOYSのボーカル峯田和伸さんとメールのやり取りをしたエピソードがある。峯田さんが、ライブ中に発した自身のメールアドレス宛てに、大森靖子ちゃんがメールを送る。毎日、日課のようにメール送り続け、あるとき峯田さんから返事がくる。

「僕は今青森でライブが終わってメガ君とりんごジュースを飲んでいるところです。そのままでいてね。」

そのままでいてね。それは峯田さんだけでなくて、大森靖子ちゃんのファンの多くが思っている事なのではないだろうか。過剰に溢れる感情と、感情をろ過してできる彼女の音楽。彼女は過剰で、コンプレックスだらけで、女の子なのに、女の子の事が分からず、馴染めず、世界に溶け込む事ができなかった。そこで、溢れた感情が音楽になった。そんな表現できるのは大森靖子しかいない。峯田さんではなくても、そのままでいてほしいと願う。

 

大森靖子ちゃんがそのままでいるために

ひとりのファンとしてわたしが大森靖子ちゃんに希望するのは、ZOCのプロデュースをやめて欲しいということだ。溢れかえる感情を出して叩き付けて歌詞を書き歌う行為と、プロデュ-サーとして、グループを俯瞰してみながら、メンバー達が活躍できる場と方向性をつくっていく行為は、あまりにかけ離れている。歌を作る方法と同じやり方で、グループを運営していったら、他のメンバーの個性や気持ちを殺してしまう。 

プロデュースとは制作、産出などを意味する。だけど、プロデュースする側が、自分の理想を叶えるだけの場を生産する行動に、他者が付いて行けるだろうか。同じような諍いがまた起こってしまうような気がわたしはしている。

かといって、大森靖子ちゃんが変わって、溢れる大森靖子個人の感情をZOCのプロデュースの際には押さえ、メンバー一人ひとりの気持ちを考慮して、うまく立ち回って、一人ひとりの個性をみながら、良いグループしてしまうというのは……ZOCにとっては素晴らしい事だけど、大森靖子ちゃんらしくないような気がわたしはしている。できたら、わたしは大森靖子ちゃんに、そのままでいてほしいんだ。