オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

「月曜のたわわ」から考えるスケベ表現の仕方

日経新聞に掲載された「月曜のたわわ」の広告に批判的な意見が集まっている。

www.jprime.jp

www.huffingtonpost.jp

 

「月曜のたわわ」という漫画は読んだことがなかったので、調べて読んでみた。

無料公開分しか見ていないけれど、胸が大きい女の子を主人公に、胸が大きくてボタンが取れる、ブレザーが閉まらないなど、胸が大きい故に起きる出来事を取り上げていく。日常系の漫画だろう。

yanmaga.jp

 

「胸が大きい事」をネタにしている故に、女性の身体を性的に見ている作品だと批判されている。

 

◆「月曜のたわわ」だからではなく、「日経新聞」だから炎上

ラブひな」や「いちご100%」などセックス描写はないけれど、女性の性を連想させる少年漫画はある。だから、なぜこの作品が批判されているの?と始めにニュースを知ったとき感じた。

恐らく作品自体よりも、「日経新聞」という一般の全国紙に広告が掲載されたという点が問題だったのだろう。これがもしピンク面もある夕刊紙だったら問題にはならなかった。「エロいものがあるかもしれない」という想定で、その新聞を買っていたなら問題はないが、「エロいものがある」という想定を一切持たずに見たら驚いてしまう。

作品自体に問題があるわけではない。そして、それを掲載する事が法令に違法しているわけではない。その作品と媒体が合っていないという事なのだろう。

 

◆媒体に合う表現なのだろうか、という視点

媒体と作品が合わないという問題は、日経新聞の広告だけに限らない。多くの媒体で、法的に違反にはならないが、媒体に合わないコンテンツという物が存在している。そして、多くの媒体では、問題になる前に「自主規制」をしている。

先日、文春オンラインに書いた記事『「女性をターゲットにしても失敗する」が定説…それでも今アダルトグッズショップに女性客が増え始めている“納得の理由”』の中で、amazonでのアダルト商品の規制について触れた。

bunshun.jp

通販ではなく店舗でアダルトグッズを購入するという事実も意外だった。実店舗に行くのは、時間も手間もかかる。女性が実店舗に向かう理由はなんだろうか……。そのひとつに大手通販サイトAmazonのアダルト商品への規制があるように筆者は考える。

 ここ数年、セクシーなパッケージはAmazonの商品紹介画面に掲載できなくなった。場合によってはURLが開けなくなることもある。基準は明確になっていないが、バストトップが露わになったイラストや、男性器を模したデザインなどは、そのまま掲載することが難しい。モザイクをかけたり、画像をトリミングしたりといった画像加工をするなど、手を尽くしたうえで各メーカーが掲載している。女性用商品でも、ディルドなどは、商品画像をそのまま掲載することは難しい。

 

amazonの場合、ページを開く前には18歳以上か否かのチェック項目がある。18歳以上を対象にしているページであっても、一般商品も扱うamazonというサイト上、男性器やバストトップは自主規制している。

(そして私も、文春オンラインという媒体に合わせ「乳首がモロ見えている絵やチンコみたいな形」を「バストトップが露わになったイラストや、男性器を模したデザイン」と言い換えている)。

法令を守るだけではなく、媒体に合わせた表現というのが求められてきている。

 

◆エロを扱うならば「普通の視点」を捨ててはいけない

一方で、エロの分野のコンテンツや制作者が、一般の、R指定のつかない分野に出ていく事もある。AV業界でいえば、文学作品を書いた紗倉まなさんや、一般の映画やドラマに出演している川上なな実さんなどだろう。彼女たちが炎上していないのは、エロを外に出さない――つまりエロ業界での当たり前を、外の世界に持ち込もうとしないからだろう。

彼女たちがAVのままの常識で、一般作の世界にでていけば批判を受ける(おそらくAV女優たちは一般のテレビ番組では出演作のタイトルすら口にだせないだろう)。

エロを一般社会に持ち込む事で反発がおきる。だから、彼女たちは一般の基準で、一般の表現をしている。エロを一般社会に出していく事はできないけれど、エロから一般に出ていく事はできる。そして、外に出ていくためには、向こうの常識を受け入れなくてはいけない。

 

◆エロは凶器にも救いにもなる

アダルトコンテンツの作り手側にいると、一般の感覚が鈍くなる。わたしたちコンテンツの作り手側は忘れてしまいがちになるが、エロは賛否が分かれるコンテンツだ。

それは、好みの問題だけでない。エロは加害性を持ち合わせている。性によって心身が傷つく事もある。コンテンツが視聴者を直接傷つける事はないと言われるかもしれないけれど、ショッキングな出来事を思い出させてしまう可能性はあるだろう。

かといって、コンテンツ自体を禁止する事にはわたしは賛成できない。性的な表現のある作品であっても、それを楽しむ人も、生きがいになる人も、生活の潤いになる人もいる。人によっては、人生が救われる事もあるだろう。エロは凶器にも救いにもなる。だからこそ、慎重に扱わなくてはいけない。

 

◆一部の嗜好品で居続ける選択肢もある

そして、私は、性を一部の人だけの楽しみにしておいていいのではないかと考えている。「オープンに性を語ろう」という人もいるけれど、それはオープンにしたい人だけがすればいいことで、他人に強要してはいけない。クローズドな空間で好みの合う人だけが集まって語り合う。性はそういった物でいいようにわたしは考えている。

今の仕事の話になるが、私は、おとこの娘向けの衣装やSMグッズなど多数派ではない性嗜好の商品を売っている。商品はより売れた方がいいのだけれど、全人類に使ってほしいと思わないし、使っている事を無理に公表してほしいとも思わない。ただ、興味を持っている人が、偏見に会う事なく、抵抗なく使えるようになってほしいとは思っている。

売り手として、「使いたいけど使えない」というハードルを飛び越えられるようにしたい。使いたい人が、使いたい物を使える世の中になってほしいと考えると、好奇の目や偏見や頭ごなしに否定する意見はすごく嫌な存在だ。

娯楽としてのエロを消滅させないために、興味のある人以外に届けないようにする方がいい場面もあるのではないか。エロが一般の世界に届く事で傷つくのは、エロを嫌いな人だけでない。そのコンテンツそのものを好きな人たちも、作品を否定される事で傷ついていしまう。好きな物を否定されるという場面をわざわざ作る必要なんてない。

 

そういえば、最近読み返したAV男優のインタビュー集「AV男優」で、AV監督バクシーシ山下さんが語っていた言葉印象に残っている。

AV男優

AV男優

Amazon

 

「世間にAVが認知され始めたんですね。でもやっぱりこれは認知されちゃダメなんです。AV男優だって持ち上げられちゃだめなんですよ」

バクシーシはそこまで言って氷の解けたアイスコーヒーをストローで啜った。

「え?」

と、意外な顔を向ける私を、微笑みながら見つめ、そして言った。

「ダメです、やっぱり僕らは指さされるような人間であり続けなきゃダメなんです。日の目を見ちゃダメなんです」

 

「日の目を見ちゃダメなんです」

バクシーシ山下さんの言葉は今の現状にも通じる言葉ではないだろうか。エロを凶器ではなく、楽しみにするためには、「制限」と、その中での「自由」がきっと必要だ。