オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

「売る」と「作る」が分かれていく時代

「売れすぎて、困るなんて嬉しい悲鳴じゃないですか」と相手は笑った。

法人営業の商談中、すいません、とわたしは平謝りをする。そんなやり取りをしたあと、「これからはコンテンツを作るじゃなくて、何かに乗っていく方がいいのかもしれませんね」と取引先の担当者は言う。確かに、そんな見方もできるかもしれない。気が付かなかった。

「売れすぎて困る」、なんて言い方が正しいのかわからないけれど、前評判以上に売れ、商品が足りなくなるということが去年から時折、起きる。最近もそんなことがあって、商品が足りなくなり、方々に調整の連絡をしていた。売れていると言っても、出す商品、出す商品、すべて全て売れるなんてことはない。波がある。爆発的に売れるものと、売れないもの、その差は大きい。二極化ともいうのだろうか。そして、その波が大きくなるのが、先ほど、商談相手の言った”何かに乗っていく方”だ。

こういった波は、ここ一年、違う商品で、何度か来ていた。それは、たしかに、自分たちがゼロから作ったものではなく”何かに乗っていく”商品が多かった。Vチューバーであったり、インフルエンサーであったり、異なる分野で知名度のある人物やキャラクター、商材の名前を使って商品を販売する。そんな、乗っかる商品は確かに当たりが多い。

 

◆制作者の手を離れおきた鬼滅の刃ブーム

この傾向は私たちの会社や、アダルト業界だけに限らない。

たとえば、少年漫画「鬼滅の刃」もそうだろう。アニメが放送されたのは、2019年の春先から秋まで。すでに放送の終わった作品であったが、新型肺炎による自粛期間に、ネットフリックスなどの動画サイトでアニメを見る人が増え、2020年春ごろからブームが広がったと言われている。さらにこれに、企業とのタイアップなども加わりブームが加速していった。

xtrend.nikkei.com

 

www.businessinsider.jp

 

「コロナで巣ごもりが始まり、そのタイミングで、Amazonプライム、ネットフリックスなどで見られるようになったアニメ鬼滅の刃を、皆が家で見始めました。『これめっちゃおもろいやん!』となったのが春先。その影響もあってか、その頃は漫画が売れていました」

 

「春先の話題を受けて、メーカーが慌ててタイアップグッズを開発し始めた。春ごろはまだ鬼滅グッズを見なかったでしょう? そして企画して、グッズが(本格的に)表に出てきたのが(ローソンタイアップ商品が出た)6月頃から。その後夏から秋にかけて急増した。そしてこの映画のタイミングでした」

 

 

連載していた出版社や放映していた放送局とは離れたところで、コンテンツが広まり、加速していった。コンテンツが制作者の手を離れ、広がっていった例だろう。

作り手ではない企業が加わることで、より元のコンテンツも売れていく。コンテンツ制作者は、コンテンツ使用料だけでなく、宣伝効果というメリットも期待できる。(弊社でコラボアダルトグッズを作ったから作品も売れるというのはおこがましいですが……)。

 

◆表現したい欲求と商品としての価値とのジレンマ

「売れるが正義じゃないと思うんです」

別の会社の、若いAV制作の人がそう言っていた。今から数年前。飲み会か何か業界の色んな人が集まるとき。勝気な印象の人だった。

話を聞きながらわたしは思わずムッとしてしまった。AVを売っている人間に、それ言うのか。倫理的に問題がないかという一定の基準は必要だが、そこをクリアした以上、商品のゴールは売れることだ、とわたしは考えている。売れなかったけれど、いい商品だよね、とは言いたくない。

店舗は商品が売れ、利益を出すために、商品を置いている。でも、別にそれは、金を稼ぐことしか考えてないとかではなく、店を維持するためには、金を稼がないといけないからだ。私たちは「絶対に売れます、あなたの店を続けられるように置いてください」と商品を勧めている。そういった仕事をしているので、制作側の人に「売れるが正義じゃない」といわれるのは嫌だなと思った。

自分の考えやイメージを伝えたいという欲求が作り手側にあることは想像できる。だから、作り手が腹の底で「売れるが正義じゃない」と思ってしまうこともあるのかもしれない。売れなかったとしても、自分の表現をしたいのかもしれない。でも、それを口にだして、売り側に言わないでいてほしい。

私たちは、作り手の作ったものが、売れる商品だと信じて店にすすめている。売れないだろうと思いながら、商品を置いてくれというのは店舗に対して不誠実だ。もちろん、予想が外れ、結果的に売れないことは多々ある。それでも売る瞬間は売れると信用して営業をしている。モヤモヤしたものを抱えながら、わたしはこの人と同じ会社じゃなくてよかったと思った。

 

◆労働力として売れなくなる時代

ただ、最近「売れるが正義」が、どんどん崩れていくかもしないと感じている。売れるが正義じゃない世界になる。正確には、結果的に売れればいいと、なる。

コンテンツがよければ売れるわけでなくなっていく。誰の目に触れるか。どういった売り方をするか。時世やその時代のライフスタイルに合うか。……商品自体、コンテンツ自体以外の要素が重視される。商品自体と関係のない不確実な要素が売れ行きを左右する。それは何が当たるか、より予想できなくなることだ。

同時に、大がかりに仕掛けるコンテンツの終焉でもあるように思う。マーケティングをして、予想をたてて、売れる道を立てて、ゼロから100のコンテンツを作る限界。企画から広告、販売、そしてヒットをすべて計画を立ててやる大がかりなプロジェクトの限界。そして、AVもそうだが、組織に所属して、売り物となるコンテンツを作るクリエイターの限界みたいなものもあるような気がした。社外も含めて売れそうなコンテンツを、一定の使用料を払い、部分的に使用させてもらう。そして、それがコンテンツ自体の宣伝を兼ねる。コンテンツを作る専門業と、当たりそうなコンテンツで商売をする専門業が分かれても問題ない。

当たるなら、他社の制作物でもいい、となる。流動性が高く、コンテンツは展開される範囲が広くなるだろう。逆をいうと、映像や文章やコンテンツそれ自体を積極的に展開してくれる人、売ってくれる人は内部にはいなくてもよくなる。売れるなら、社外の制作物でもいい。売れないコンテンツを無理に売る人はいなくなる。

何が当たるかわからないのであれば、クリエイターを長期的に専属的に働いてもらう必要は少なくなる。だからきっとクリエイティブな人たちは不安定な立場の人が多くなるだろう。雇われて、物を作れる人は、きっと少なくなる。

売れるが正義じゃない、その代わり、自分自身の労力すら買ってもらえない可能性がでてくる。「売れるが正義じゃない」といったあの若い作り手は、それでも何かを撮るだろうか。今、その人がAV制作を続けていると話は聞かない。今でもカメラを回しているのだろうか。