オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

AV女優が子供をもってはいけないのか

Twitterを眺めていたら、元AV女優かさいあみさんのツイートが目に入った。

 

 

かさいさんはお子さんがいることを公表している。大半のファンは快く受け入れているけれど、一部批判的な人もいる。コメントの主もそうだったのだろう(だとしても言い方が攻撃だけど)。

AV女優に限らず、特殊な仕事や立場の人が子供を持つことに対して、批判的な意見はある。例えば、少し前に、タレントのりゅうちぇるさんも、親としてふさわしくないと批判が相次いだ。SNS上で彼が子供の世話をしていないように見えること(見えるだけで実際にしていないか分からない)なども理由だが、それだけでなく、性的マイノリティーである人物が子供持つことへの批判もある。特異な親がいることで子供が苦労する可能性があるという意見だ。


◆子供を持つことを禁ずることはできるのか

AV女優にしろ、性的マイノリティーにしろ、特異な親がいることで子供が苦労する可能性があるか、と問われれば、あるだろう。可能性はある。そして、防ぐ手段もある。子どもを持たない選択をすればいい。

けれど、子供を持たない選択肢を選ぶ義務や責務があるかと問われたら、そこまでの責任はない。それに、本人の内面的な問題を理由に、子供を持つことを禁ずるのは、人間性を逸脱した意見だと、わたしは思う。一部の障害を持つ人を、強制的に堕胎させてきた優生保護法ようではないか。

そもそも特異な環境に生まれた子供たちを苦しめるのは、親ではなく、その周り人間の、偏見に満ちた眼差しだ。「子どもが可哀想」「子どものことを考えろ」とヤジを飛ばす周りの人間が一番、子供の気持ちを無視して、攻撃していることを、理解してほしい。子どものためというならば、できることはひとつ、明確な児童虐待があったとき、もしくは本人が、助けてと言うとき、以外は黙ってみていることだ。

www.mhlw.go.jp

 

萩原朔太郎の娘は不幸だったのか

詩人萩原朔太郎の娘、萩原葉子の生涯を書かれた本を最近読んだ。

 

萩原朔太郎は、裕福な医者の家庭に生まれながら、学校も卒業できず、酒を飲んで、詩を書いて生活していた。朔太郎のもとに生まれた葉子は堕落した父のせいで大変苦労した。母は出ていき、葉子自身は父方の祖母に育てられるが、息子を捨てた女の子どもである葉子は祖母に疎まれる。今でいうネグレクトに近い環境で育ちながらも、葉子は父と同じ文学の道を目指し、父朔太郎について書き続ける。身内の恥をさらすと親族から詰られながらも文学を続けた。葉子が書くことができたのは、父への愛憎がまじった感情があったからだ。

酷な幼少期を過ごして可哀想だったと、なにも知らない私たちが、哀れみで言い切ることはできる。だけど、本当に本人にとって可哀想だったか、選びたくない人生だったかどうか、分からない。


作中、葉子が詩人室生犀星から受け取った手紙が紹介される。

「文学というものは書かない前はうじむしで、書けば蝶々(ちょうちょう)になる」

他人から見れば悲惨なうじむしのような生活だったが、後に筆をとり、自ら蝶々のように飛び立った。その人生が、幸福か、不幸か、それは他人わたしたちが決められることではない。

 

AV女優の子供だって、性的マイノリティーの子供だってそうではないか。決められるのは、蝶になって飛び立ったときの、彼、彼女自身だけだ。この父、この母がいることが可哀想だと、他者が決めつけること自体が、その親のするどの行為よりも、もっとも残忍な行為だと、理解してほしい。「可哀想」と言う前に、自分が惨いことをしている自覚をもってほしい。惨いこと、人間のすることでないようなことをしているのは、他でもない自分自身なのだと。