オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

わたしたちは過去の怨念とどうやって付き合っていったらいいのか

 安倍晋三が死んだ。わたしは安倍晋三を人間として好きだった。それは政策を支持するという意味ではなく、人間くささが見え隠れして、妙に引きつけられてしまっていた、という意味だ。政治家としての名門一課に生まれながら、東大、京大といった日本屈指の大学には入学できなかった。留学しているがネイティブの語学力が身についたわけではない。そして、これは本人の努力ではどうしようもないことだが、子供に恵まれず、昔ながらの『よい家庭』を築けなかった。そういった自分の埋められなかった部分を補うかのように、彼は政治を行っていった。外交に力を入れ、国力を高めるように謳い、そして、昔ながらの男尊女卑の家庭像に固着した。彼の政治家としての行動が、自分のコンプレックスの穴埋めのように見えて、どうしても嫌いになれなかった。言い方は悪いが、とても可愛かった。もちろん、だからといって、政治家として安倍晋三を支持する理由にはならない。政治家、安倍晋三と、一個人としての安倍晋三を切り離して、そのうえで、安倍晋三という個人が好きだった。可愛い人だと思った。

 

◆狂気の中に見えた優しさ

 だから、彼が死んだことを知り、随分落ち込んだ。会ったことのない有名人の訃報を聞いても、特に心がざわつくことなどなかった。だけど、今回ばかりは、気が付くと安倍晋三について調べているし、安倍晋三の死の瞬間の映像を何度も見て、真偽の分からないSNSの投稿をやたら熱心に追っている。わたしは安倍晋三が居なくなって悲しい。

そうやって、安倍晋三を調べていると、自ずと彼を殺した犯人の情報も入ってくる。わたしは安倍晋三を殺した犯人を、気の狂った奴だ、残酷な奴だ、と思いたかった。一方的に悪者にして責めたかった。だけど、調べれば、調べるほど、抱く感情は、わたしが安倍晋三に抱いた感情と似ていた。彼自身も、自分の中の埋まらない部分の穴埋めをなんとかして成し遂げたかったように見える。安倍晋三にとってそれは、政治だったけれど、彼にとっては怨念であり、復讐であった。

 安倍晋三を殺した犯人、山上徹也に関する記事を読んで、いたたまれなくなったエピソードがある。山上は、当初、爆弾で安倍晋三を殺そうと思っていた。しかし、それでは関係のない他の人にも危害が加わるので銃にしたと話していたという記事だった。

mainichi.jp

狂気の中の優しさ。殺人犯になるその瞬間まで、他人の命を大切にできる人が、なぜこんな、歴史に残るような罪を犯さなくてはいけなかったのだろう。そんな状況でも捨てられない自身の優しさをどうしてもっと違うところで使えなかったのか。なにを調べても、どちら側からみても、この事件のすべてが悲しくてわたしはここしばらく気持ちが塞いでいる。

 山上が、安倍晋三を殺した理由は、母親が多額の寄付をした宗教団体の関連機関の活動に安倍晋三が協力していたから、という理由だった。安倍晋三が、その機関のイベントにビデオメッセージを送ったことで殺害を計画した。雑誌、週刊文春に、山上の親族にインタビューした記事が掲載されていた。父を早くに亡くし、頼る人を失った山上の母は、宗教にのめり込み、金銭的に困窮する。その影響は幼かった山上にも及ぶ。さらに、実の兄は病により、視力を失い、のちに自死する。兄の死を、山上は酷く悲しんだと記事には載っていた。

bunshun.jp

 

この世で想像できうる不幸を一身に引き受けたような男。映画ジョーカーを見ているような、記事だった。あまりにも、壮絶で、事件を起こすのは、仕方なかったといいそうになる。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

◆怨念によって膨らむ被害者意識

 昨今、不遇な環境に置かれた人たちが恨みを募らせ、犯罪に走る事件は起きている。古いものだと、2009年に起きた秋葉原殺傷事件。最近も、電車内で刃物を振り回したり、建物に放火したり、拡大自殺と言われる犯行がニュースでは取り上げられている。わたしは、そういったニュースを見るたびに、犯人の境遇に悲しい気持ちになりながら、だけど、だったら、自分を苦しめた人、級友なり、同僚なり、上司なり、親なり、責任の一旦のある人を叩きのめせばいい。それならば、相手にだって否があるのだからやられたって仕方ないはずだ、と思っていた。

 わたしも、彼らほどの酷い境遇には置かれてはいないが、パワハラやいじめで苦しんだことはある。新卒でライターとして入社した会社では、上司からよく叱責されていた。指示を聞き、仕事をしていたつもりでも、いつも注意され、最後には仕事ではない、わたし個人の部分やプライベートな部分にまで意見されるようになった。

「あなたは文章を書くのが好きじゃない、やる気がない」

 あるとき、当時の上司にそう言われた。終電近くまで残業し、家でもキャッチコピーを考え、反動で精神科にも通い、それでも、書く仕事にすがっていたいと思っていたわたしは、上司のその言葉にやりきれなくなり、会社を辞めた。すべての原因が彼女ではない。仕事を上手にこなせてはいなかった。だけど、彼女のその言葉が行動を決めた。書くことが嫌いなわけじゃない。だけど、上手くできない。そんなわたしを「書くことが好きじゃない」と決めつけられたことが耐えられなかった。わたしの心のうちを決めつけられたことが許せなかった。

 わたしはライターではなくなったけれど、こうやってブログで文章を書き続け、本も書いて、ネットニュースの記事なんかも書いて……なんとか「書く」という行為を、自分の生活の中に繋ぎとめている。だから、わたしは彼女への怨念に蓋をできている。ライターは辞めたけれど、書くことは辞めてない。だけどもし、こうやってブログを書くという方法をわたしが見つけることができなかったらその怨念はもっと膨大だったと思う。あいつのせいで書けなくなったと思っていたと思う。それが今、離れてみると、狭い視野での意見だというのは分かる。一方的に被害者意識を募らせていると思われるかもしれない。ライターを辞めたのは彼女だけが原因じゃない。だけど、当時の自分は、上手くやる方法が分からなかった。出口が分からないまま、怒られてばかりで、全てがどん詰まりだった。今、時間を置いても、やはり、彼女の伝え方はわたしに合った方法ではなかったと思う。

 

◆ありふれていて凡庸な大義のための死

 罪を犯すほどの大きな躓きはなかったけれど、上手くいかないしんどさの一端は想像することができる。自分の経験と照らし合わせ、考えを巡らせることはできる。どうしようもなくめちゃくちゃにしたい気持ちも想像できる。だけど、だからといって、罪のない関係のない人に刃を向けることは肯定できない。どうしようもなく人生が立ちゆかなくなったとき、自分の人生をめちゃくちゃにした奴を殺せと思っていた。何の罪のない、偶然居合わせた市井の人々に責任の一切はない。しかし、自分を苦しめた相手には、僅かであっても責任はある。そう思っていたけれど、やっぱり駄目だと今回の事件で思った。怨念で身を滅ぼしては駄目だ。それは、やられた相手が可哀想とか、そういうこともあるけど、それ以上に、幸せになる義務がわたしたちにはあるからだ。

 さきほどの山上の話に戻る。山上はあまりに壮絶な人生だったけれど、後に、なんとか仕事に付き、働くことができた。一時的ではあれど、評価もされていたようだ。だからその、低空飛行であっても、なんとか起動に乗せた人生を、わずかであれ、見えてきた平凡な幸福を、維持していかなくてはいけなかったんだと思う。最近読んだ「退屈と暇の倫理学」という本で、退屈な人生を送る人々は、大義のために死ぬ人を恐ろしくも羨ましいと思うと、書かれていた。

 

自分はいてもいなくてもいいものとしか思えない。何かに打ち込みたい。自分の命を賭けてまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい。なのに、そんな使命はどこにも見あたらない。だから、大義のためなら、命を捧げることすら惜しまない者たちがうらやましい。

 だれもそのことを認めはしない。しかし心の底でそのような気持ちに気づいている。

 筆者の知る限りでは、この衝撃的な指摘をまともに受け止めた論者はいない。ジュパンチッチの本は二〇〇〇年に出ている。出版が一年遅れていたら、このままの記述では出版が許されなかったかもしれない。そう、二〇〇一年には例の「テロ事件」があったからだ。

 ジュパンチッチは鋭い。だが、私たちは〈暇と退屈の倫理学〉の観点から、もう一つの要素をここに付け加えることができるだろう。大義のために死ぬのをうらやましいと思えるのは、暇と退屈に悩まされている人間だということである。

 

大義のための死、そんなものを目指すのは、よくあることで、ありふれたことで、恐ろしく凡庸だ。そんな凡庸なキチガイになってしまっては駄目だ。わたしたちは平凡であっても幸せに生きる義務がある。殺したい奴、復讐したい奴、自分の中の怨念に食い尽くされそうになっても難しいけれど耐えよう。大義のための死という、凡庸で、ありふれていて、手垢のついたような、実につまらない、キチガイになってはいけない。非凡に穏やかで幸せな人間になろう。

 

◆自分の中の怨念にどう対処していくのか

 そこで問題になるのが、自分の中の怨念とどう付き合うかということなのだと思う。疑問を投げながらも、わたしは明確な答えがまだでてない。ただ、これは名言ができないが、わたしがブログを書くように、何か表現すること、創作することが、怨念の解消になるのではないかと、最近思っている。先月になくなったコラムニストの小田嶋隆さんがコラムの描き方について綴った「コラム道」にこんな一説がある。

その昔、とてもおもしろい文章を書いていた書き手が、ある時期を境に、すっかり凡庸な物書きに変じてしまうというケースは、実は、けっして珍しくない。それどころか、トリフィックな書き手のエキセントリックな文章が、一〇年以上そのクォリティーを維持することのほうがむしろレアケースだったりする。また、デビューから三作目ぐらいまで、スリリングな傑作を書き続けていた作家が、あるとき失敗作をものして以来、一〇年ぐらい低迷してしまうといった展開も、これまたよくある話だ。  こういう場合、読書界の人々は「才能が枯渇した」という言い方をすることが多い。  でも、本当のところ、枯渇しているのは、「才能」ではない。「技巧」が錆びたのでもない。「アイディア」が尽きたのでもない。  問題は、書き手が「モチベーション」を喪失したというそこのところにある。  書くことに慣れた書き手は、ある時期から、修業時代のような真剣さで原稿用紙に向かうことができなくなる。なんとなれば、はじめて自分の原稿が活字になったときに感じた天にも昇るような嬉しさは、二回目からは徐々に減っていくものだからだ。  ある時期に執筆のエンジンになっていた「自分を認めない世間への怨念」も、時の経過とともに摩滅していく。

 

 

 「自分を認めない世間への怨念」のはけ口、それは小田嶋さんにとっては、コラムであり、わたしにとってはこうやってブログを書くことだ。それは人によって違うだろう。絵を描くことかもしれないし、音楽を奏でることかもしれない。そういった怨念のはけ口としての表現を見つけて欲しい。そうやって、だまし、だまし人生を維持しながら、最期には、怨念を出し切って、小田嶋さんのいうように、表現がつまらなくなったなんて言われて、描きたいことがないなーとモチベーションが続かず表現をやめたっていい。そうやって、非凡な平凡を続けて欲しい。

 わたしは今さらながらに思っている、安倍晋三にも、山上徹也にも、つまらない最期を迎えて欲しかった、と。年老いた後に床の中で静かに寿命を迎えるような、酷く退屈な最期を迎えてほしかった。わたしも、あなたも、つまらない幸せを迎えられるよう生きていかなくてはいけない。