オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

殺人ピエロを英雄にしないために

ジョーカーは悲しい映画だった。アメリカのコミック作品「バッドマン」の悪役ジョーカーが、なぜジョーカーになったのか過去を描く映画。アメコミの派生作品にも関わらず、「子供は観ないように」と警告される映画。そして、多くの人が観るようにすすめる映画。アメコミは詳しくないのだけど、前評判を聞き観にいきたくなった。

 

◆映画「ジョーカー」に描かれた悲しい怒り

後にジョーカーとなるのは、アーサーというコメディアンを目指しながら道化師として働く青年。突発的に笑いが止まらなくなる精神病を患い、人付き合いは決してうまくない。笑うポイントが人とずれていたり、不良少年をあしらえずリンチされたりしている。「どんくさい」「空気が読めない」と今の日本にいたら言われそうだ、と私は思った。

アーサーが生きているのは、財政が破綻し、荒廃した都市。ストライキによってゴミの収集はとまり、予算を使うサービスの多くがカットされている。不満や不平がたまる灰色の街で、それでも夢を持つ青年がアーサーだった。

ある日、アーサーは、同僚から押し付けられるように小銃をもらう。小児病棟で、ピエロとして子供たちと歌い踊る慰安中、その小銃を落としたことによって、アーサーは道化の職を失う。失意の中、地下鉄に乗ったアーサー。彼に数人のスーツ姿の酔っ払いが絡む。もみあいになった拍子、酔っ払いたちを小銃で殺してしまう。

自身の性格、人間性、人間関係、才能、環境、体質、タイミング、すべてが悪い方に重なり、アーサーは人を殺してしまう。そこまでだったら、不幸な男の話なのかもしれない。しかし、さらなる、偶然がおきる。アーサーの殺した男たちは大企業に勤める金持ちなサラリーマンだった。そこから、ピエロ姿で人を殺したアーサーは、既得権力と戦った英雄となる。逼迫した生活に不満のたまる人々はデモを行う。プラカードに「俺たちはピエロだ!」「金持ちを殺せ!」と書いて。

悲しい話だった。「金持ちの富を分配してくれ」「貧しい人にも救いの手を」。その主張はなにも間違っていない。多くの人が賛同するだろう。だけど、その主張が行き過ぎすことで、殺人ピエロが正義のヒーローになってしまう。どんな主張であっても、そこに極論や強い言葉や暴力が加わると、恐怖を引き起こす力になる。アーサーの生きる世界を描いたフィクションなのに、話が進むにつれて、今、日常に広がる世界を映しているノンフィクションのように、わたしは見えてきた。

 

大田昌秀の話した戦争体験

話しは変わるが、少し前にジャーナリスト堀潤さんの個展に行ってきた。

 

 「分断ヲ手当スルト云フ事」というタイトルの展示会。堀さんが各地で撮影してきた写真や映像が展示されている。そのなかのひとつに、元沖縄県知事大田昌秀さんへ堀さんがインタビューした映像があった。大田さんは、自身も少年兵として沖縄戦を経験した。たくさんのクラスメイトが亡くなったこと、自身も半そで半ズボンのまま、手りゅう弾をもたされ戦地に向かったこと。それはとても悲惨で悲しい話だった。戦争をしてはいけない。当たり前の主張だけど、体験した大田さんの話があることで、体験していないわたしたちの世代も深く納得することができる。そこにはきっと、大田さんの「悲しかった」「苦しかった」という感情が伝えるうえで必要となる。

だけど、その後、普天間基地移設問題の話に関しては、わたしは違和感が残った。大田さんが「辺野古基地は軍事を増強するんですよ」「日本の思いやり予算が使われているんですよ」と、怒りの感情を出しながら政策を話す姿が、ジョーカーのデモと重なった。怒りの感情と主張が合わさることで、恐怖や押しつけを感じてしまう。

 

◆異なる意見を持つ人同士の分かり合うために

たとえば、元沖縄知事の立場として、「米軍基地のために沖縄の予算がこれだけ使われ、沖縄県の財政を圧迫し市民が困窮している」というようなデメリットを説明してもらえたら、わたしは大田さんの主張に対して納得できたように思う。だけど、大田さんのインタビューは感情だけが前面にでていて、ファクト(事実)が少なく、米軍基地があるデメリットが分かりにくいようにわたしは感じてしまった。

なんとなく、シコリが残ったような気持ちで館内を見ていたら、沖縄の基地の写真を展示していた。その中で、市民に一般公開されたオスプレーの中で、笑顔で過ごす少女たちの写真があった。この女の子を案内した基地の職員もいただろう、楽しいやりとりもあったのかもしれない。彼女の笑顔を見ながら、ほっとした優しい気持ちになった。基地があるメリットと、デメリットを比べて、デメリットのほうが上回り、アメリカの兵士たちに出て行ってくれ、ということがあるかもしれない。そういうことがあったとしても、出ていく人たちと、わたしたちが分断されてしまってはいけないように、私は思っている。

理想論かもしれない。理想論かもしれないけれど、異なる考えをもったとしても、分断をしないように最善を尽くすようにしないといけない。それが、きっと殺人ピエロを英雄にしないために必要なこと。