オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

愚行権とセックス

ツィッターを見ていたら、テンガの広報の方のツィートを見つけました。 

 わたし、個人の意見ですが、「僕のもの」という発言は「クソ発言」というほど悪い発言ではないように感じています。「僕のもの」という言葉が、相手を傷つける言葉かといったら、傷つく人もいるけど、そうでない人もいるし、もしかしたら、嬉しい人もいると思う。人によってとらえ方の変わる発言。

もちろん、この言葉を発した背景は分からないし、パートナーの方との関係性も分からない。所有されるようなセックスは嫌い、と事前に伝えた上でこのような発言をしたなら、人の話聞いてないし、人の嫌がることをする酷いパートナーだなとも思うけど、状況を問わずこの発言自体を「クソ」といっていたなら、違う気がするな。

どんなものに性的興奮を覚えるかはその人の自由です。所有欲を満たすことで性的興奮を覚えたとしてもいい。そう言った行為や発言が個人として嫌いだというのと、そういった行為はマナー違反だというのは違う。

 

◆映画「娼年」から見える性の解放

女性やマイノリティーの人たちにとって、性の解放ってすすんでいるように思う。色んな価値観を主張する人がでてきている。

先日「娼年」という映画を観た。さまざまな性癖を持つ女性が、松坂桃李さん演じる“娼年”を通じて欲求を満たしていく話。放尿を見てもらうことで興奮する女性や、若い男性とセックスをする高齢の女性、夫の前で別の男性とセックスをする女性……さまざまなやり取りがあった。

この映画のように、女性の多様な性の好みが受け入れられるようになるのは素晴らしい。そして、それは男性に置き換えたときも受け入れられるような世界が良いように思う。たとえ、その好みが、女性に保守的な女性性を求める物であっても、それを世間が「ダメな物」というのは違う気がするな。そういった男性とセックスしたくない女性は、『そういった性癖の人もいるけど、私は、そういった人とセックスはできない』、と発信したらいいんじゃないかな。「自分は好きでない」と「よくない物」を混同してしまうのは心地が悪い。

お互いが、自分と違う好みや考えを受け入れながら、自分の好みや考えを伝えあう世の中が生きやすいな。自分と相手の好みが違ったとき、「わたしとあなたは違うけど、そういう考えの人もいるんだね」と認識すればいい。自分も相手も間違ってないよね。

 

セックスの有無にかかわず言えるとことだと思うけど、だれかと関係性を続けたいのであれば、嫌なことを、きちんと「嫌」と伝えて、お互いの嫌でない部分を探りながら、関係性をチューニングするしかないかなと思います。相手の全てを理解し同意できる関係は、恋人でも、夫婦でも、親子でも、どんな間柄でもきっと難しいから。ちょうどいい部分を探るほかないかなと思う。

 

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 以前、ブログにも書いたけど、自分の意見をきちんと伝えるということは、人間関係を築く上で必要だと思う。それが、伝えにくいことであっても、お互い意思表示し合わないと、分かり合うのは難しい。察するって難しいよ。

 

◆「ロリコンだから悪い」という押し付け

わたしは、AV女優を幼くみせる、所謂「ロリ系」と言われるAVを営業しています。だけど、決して、善悪の判別のつかない18歳未満の少女たちとのセックスを肯定はしません。児童ポルノのような形で、幼い子供たちが性的に消費されるのは、絶対悪です。なくならなければならない。しかし、幼い女の子を好きという男性が悪いわけでない。少女を傷つけることが罪であって、少女を好きなことは罪でない。性的な願望を理性でとめようとせず、人を傷つけてしまうことが罪です。

 

 

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だから、そこを混同させ、特定の好みを罪にしてしまったらとっても生きにくくなるよなと思う。人には愚かである権利「愚行権」がある、と作家の佐藤優さんの本に書かれていました。それがたとえ、他人から見て「愚か」に見えたとしても、好きなものを好きで居続ける権利がある。わたしも、愚かな部分はたくさんあるし、だから人の愚かさを許容したいな。愚かな人間として楽しく生きていきましょうよ。

 

 

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致知出版社に落ちたこと

「不採用の理由ですが、研究内容が、会社の方針と合わないからということです」。

新卒での就職活動中、就職エージェント経由で致知出版を受験したとき、アダルトビデオを卒論のテーマにしているということで不採用になりました。エージェントの担当者に、事務所の小さなブースに呼ばれて、不採用の理由を聞いたように思います。 研究内容を理由に不採用になったのは初めてでした。

わたしは大学の卒業論文のテーマをアダルトビデオのことにしていました。丁度、エロ本のライターもしていた時期だったので、興味もあったし、ほかの分野よりは知っていた。それ以上の理由は、テーマ選びにはなかった。ちょっと、この子、珍しいな、人と違うって思われたいな、ぐらいは思っていたかもしれないけど、大それた決意やイデオロギーを持って「アダルトビデオを研究しよう」なんて思ってなかった。だから、大学指定の履歴書の端っこの「大学での専攻」という、小さな欄を理由に不採用になるなんて思わなかった。 

エージェントが私に面と向かってそれを伝えた意図はわかりません。出版社の採用担当者が、ほかの理由を言った後に、ぽっろっと言った「研究テーマが合わなそうですね」を大げさにとらえたのかもしれません。企業受けをよくして早く内定をもらうために、「アダルトビデオの研究」の記載を変えてほしかったのかもしれません。出版社の採用担当の方との直接のやり取りはなかったので、本当のところは私にもわかりません。

背景にある意図はわかりませんが、わたしは、「アダルトビデオを卒論のテーマにしている」ということで不採用になったのは初めてだったので、少しショックを受けました。だけど、どこかで、納得もしていて、「誰から見ても健全な物ではないからね」「嫌な人もいる分野だよね」、とも思ってました。

 

その後も、専攻テーマの欄に「アダルトビデオ」と書いた履歴書をもって就活を続けて、求人広告を作る広告代理店にバイトで採用されました。働くことになる会社の募集要項には、「自分の作品を持参」と書かれていました。エロ本の記事の切り抜きを持参したことを記憶しています。「エロいことを、一生懸命に話しているのがよかったよ」。面接官だった当時の上司は、後になってそんなことを言ってました。

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一方で、新卒の就活のときはAVメーカーやエロ本の出版社を受けませんでした。ソフトオンデマンドの新卒採用も、エントリーだけして、説明会には行っていません。なんとなく、漠然と、エロを仕事にしたら、引き返せないような気がした。「研究テーマが合いません」と言われ履歴書を返されたように、エロの世界に深く入ることで、ほかの色々な世界から拒否されるように思ったんです。

 

ライターの仕事を3年くらい続けたけれど、結局自分と仕事が合わず退職しました。(ライターを辞めたことを考えると、前述の出版社に受かってもあわずに退職していたようにも思います)。退職後、次の会社を探すときも、AVメーカー以外の会社も受かっていました。どっちに行こうか、少し悩みました。やっぱりそのときも、エロの世界にいったら引き返せないように思った。だけど、やっぱり、エロの仕事のほうが、楽しそうだし、わくわくもした。だから業界に入りました。もしかしたら、人から悪く言われるかもしれない、よく思われないかもしれない、でも、それでもいいかなって思いました。

この会社に入った後、仕事の話を業界外の人にすると、よく思われないこともあります。でも、この仕事はそう思う人もいるし、それをわかったうえで働かないといけないかなって思います。

 

 

◆幸せになれない覚悟

動画配信サービス、SHOWROOM社長、前田裕二さんの著書「人生の勝算」に、こんな記載があります。

僕の兄は結婚していて、子供が二人います。兄はしばしば仕事を午前中で終えて、午後の早い時間に家に帰り、子供をお風呂に入れたり、一緒にゲームや公園で遊んだりしています。なぜ兄に言及したかと言うと、前述の「価値観」と言う観点で、兄ほど軸が定まっている人は、他にあまり知らないからです。僕が彼のことを尊敬している理由は、「決めているから」です。他のどんな事柄よりも、家族に時間を使うこと、家族を大事にすることに、「決めている」。(中略)周囲にも、あれだけ幸せそうな人は本当に見たことがない、と言えるくらいに幸せな家庭を築いている兄ですが、それは、「何を大切にするか決めている」と言うことからきているような気がしてならないのです。(中略)人の心は弱く、どれだけ他人が羨むような状況にあったとしても、得てして、隣の芝生が青く見えてしまうものです。結婚して可愛い子供に囲まれていたり、休日にお出かけをしてプライベートライフを充実させていたり、はたまた仕事で大活躍していたり、SNSから幸せそうな知人の近所が日常的に目に入ります。そのときに、自分にとって大切なことを選び、決めていかないと、自分以外の他者の幸せが羨ましくて仕方なくなるかもしれません。選ぶ、という事は同時に、何かを捨てることです。何かを得ようと思ったら、他の何かを犠牲にしないといけない。人生の質を高めるのは選択と集中です。

 

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 

 自分にとって大切な物を決める。これって自分が満足した生活を送るために大切かなって思うんです。時間は有限で、できることは決まっている。何かを得ようと思ったら何かを犠牲にしないと成り立たない。満ち足りているように見える人をみると羨ましい。だけど、自分にとって1番必要な物をきめて、腹をくくって生きなければいつまでもどっちつかずのままです。

この前、5時に夢中を観ていたら、マツコ・デラックスさんが、自身がここまで有名になった理由を聞かれ、こう話していました

「諦めと覚悟。全部手に入れようなんて思ってないの」

自分の本当にほしいものだけを手に入れるよう努力して、ほかはあきらめる。みんなの言う幸せと遠ざかる覚悟が必要なのかなって聞いていて思いました。この仕事は、人からよく言われないこともたくさんある。だけど、その嫌な経験を覆すぐらい楽しいこと、ワクワクすることがある。万人に好かれないことも、万人に褒められないことも、楽しい代償であるなら、受け入れようかなと今は思う。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

電話営業・訪問営業している会社はヤバい、と言っているイケダハヤトはヤバイ

ちょっとまえにブロガーのイケダハヤトさんが、電話営業・訪問営業を批判したブログを投稿しました。

www.ikedahayato.com

今の時代、効率よく引き合いを得る方法はいくらでもあるわけです。

電話とか訪問なんてのは、インターネット以前の文化なんですよ。

押し売りしないと売れないとか、その時点でいろいろ終わってますからねぇ。

実際、詐欺的な商品なんじゃないですか?

いいものであれば、無節操な営業なんてする必要ないんで。

 

いいものであれば、無節操な営業なんてする必要ない――商品の品質がよければ売れるという、意見には同意できます。ユーザーに支持される商品は売れる。しかし、多くの商品は、”良い物だからだけ”では売れない。適切な顧客へのアプローチがなければ、手に取ってもらいにくでしょう。

 

◆無作為の電話営業は効率的ではない

たしかに、見込み顧客かどうかを問わず、無作為に電話営業するのは、イケダさんのいうように非効率でしょう。「買うかもしれない顧客」に絞ったほうが良い。オナホールトイザらスに営業しても意味はない、だけど、大人のおもちゃ屋に営業するなら意味はある。だから、イケダさんの紹介していた記事のように、無作為に不動産投資の営業をするのは効率的ではないと思います。しかし、だからといっても、電話・訪問営業すべて意味がないというのは極論です。

 

news.livedoor.com

◆営業は宣伝活動でもある

単純に、具体的にほしい商品が分かっている人に物を売ることだけ考えるなら、ネット通販で十分だと私も思います。しかし、「この商品のここが不満だな」「こんな商品あったらいいな」と漠然と思っている、潜在的な需要のあるユーザーを見つけ、掘り起こすことはできません。言葉にできないニーズのある人に、こちらからアプローチして、商品を知ってもらうという「宣伝活動」も営業はかねているよう思います。

 

◆情報収集も営業の業務

私は、商品を断られたとき、必ず「買わなかった理由」を聞きます。商品や価格、もしくは販売方法、どれに不満があるのかの意見をもらえます。そこの情報は、金銭的な利益にはなりませんが、会社としては大きな利益になる。それをもとに、商品を改良できる。「今月は決算で予算がない」とか「他のメーカーの似た商品を買った」といった顧客側の理由だったとしても競合や顧客の研究になります。その意見をとれないというのは企業にとっての欠損であるように思います。

ネット通販のレビューを見れば使った人の意見は聞けます。しかし、買わなかった理由は分かりません。宣伝方法?値段?商品内容?どれに不満があって買わなかったかは、耳に入りにくい。「オタクの商品ここがよくないので買わなかったですよ」とわざわざメールしてくるほど時間のある顧客はなかなかいないでしょう。しかも、レビューというのは、褒める意見でも、批判的な意見でも、相当強い思い入れがなければ書かない。声にならないけど、ちょっと買うのを躊躇するな、という程度の欠点は会社の目には届きません。

そういえば、私がこの会社に入りたての頃、某競合他社の営業さんが、情報を仕入れられない営業は無力って、言っていました。

 

◆これからは無作為な電話営業にも勝算がある

また、さきほど、イケダさんが紹介したような無作為な営業手法は非効率だと言いましたが、それだって、まったく無駄な仕事ではない。むしろ、これからの時代には勝算があるかもしれない。

 

 イケダさんのような意見を持つビジネスマンが増えれば増えるほど、電話営業・訪問営業を頼りに購買活動をしていた人は取り残される。営業マンがこなくなるんだから。顧客がインターネットで自ら情報を見つけることができないとしたら、非効率だとしても、電話や訪問でのアプローチ手法として有効です。イケハヤさんのように、電話営業オワコンという人が増えれば増えるほど、競合他社は少なくなるので、今、古い手法の営業は生きてくる。パイは少なかったとしても競合がいないので、受注しやすくなります。

mochi-mochi.hateblo.jp

 少ないニーズであっても、確実に需要のある分野です。小さなニーズを見落とさないことがこれからは重要です。

 

◆ゴワゴワする会社であっても、無駄ではない

個人的な意見ですが、記事の中の女性が働いていた会社に不快感は覚えます。

「母子家庭だよね? お母さんが泣くよ? 続ければやりがいも出てくるんじゃないかな。会社を辞めてどうするの?」

「自分でなんとかします。海外でワーキングホリデーに興味があるんです」

「玉田さんみたいな、これといった能力も持っていない人が海外に行っても日本にいるのと変わらないよ」

 

 これが事実なら嫌な会社だなと思う。仕事なんて合う、合わないがあるから、職種が変わるだけで大活躍することはある。能力があるかないかは、数日一緒に仕事した人が分かるわけないよな。私自身、ライター時代は仕事つまらなかったけど、営業になってからは楽しいし、できることも増えている。だから、仕事が合わないなら、すぐ変えたほうが良いというのは同意する。記事の女性が新卒で入った会社を辞めたのは良い判断だと思う。 

 

だからといって、その仕事をしても意味がない、将来性がない、というは違うよな。ひたすら電話をかけて断られ続け、見込みの少ない顧客に営業をして受注とったという経験は、今後、活きてくる可能性もある。なにが役立つかは、予測できない。その仕事をモチベーション高くできる人はやったらいい、それが合わない人は別のところで尽力すればいい。職業に貴賤はないはずだよね。

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幸せだと思われたい欲求

大学の同級生が三度目のアカウント自殺をした。もちろん彼女自身は生きているだろう。今回、死んだのは彼女のインスタグラムのアカウントで、インスタグラムのアカウントが消えるのは初めて、アカウントが消えるのは3回目だ。

am-our.com

一回目の自殺はたしかツィッターで、親に進められるがまま入社した大企業での同期との楽しい日々を綴っていたが、1年経たずで更新は途絶えた。二回目は結婚式までの準備を綴ったブログ。ウェディングドレスを試着する幸せな姿で更新が止まった。そして、今回、今度は、ネイリストになると言い、レッスンの様子を投稿していたが、いつの間にかアカウントはなくなっていた。

本心がどうかは私には分からない。でも、彼女はひたすらキラキラした毎日を更新し続けた。そして、そのキラキラがマンネリ化し、目新しさがなくなるころ、更新は止まる。わたしはそれをみて、「幸せになりたい欲求」じゃなくて、「幸せだと思われたい欲求」みたいだな、と思った。周りから認められたい、幸せだと思われたい欲求。本当に自分が幸せかどうかなんて関係がない。

 

◆強すぎる社会的欲求

 佐藤航陽さんの著書「お金2.0」には、持続的かつ自動的に発展する経済システムは以下の5要素があると書かれています。それは「インセンティブ」「リアルタイム」「不確実性」「ヒエラルキー」「コミュニケーション」。そして、インセンティブ(報酬)は人の欲求に響く報酬でなくてはならない。本の中では、人の欲求に関して、以下のように記載しています。

インセンティブにも、人間の生物的な欲求(衣食住や子孫を残すことへの欲求)や社会的な欲求(金銭欲・承認欲・競争欲)もう満たすものがあり、複数の欲望が混ざっている場合もあります。

現代は生物的な欲望よりも社会的な欲望が目立ってきていて、中でも頭文字を取って3M(儲けたい・モテたい・認められたい)の3つが欲望としては特に強く、これらを満たすようなシステムは急速に発展しやすいのです。

 

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

 現代は社会的欲求が人を動かす。だからこそ、人間の社会的欲求を利用したサービスが発展する。他人から認められる欲求、評価される欲求が、今の私たちの行動の根幹にあります。私たちは、強い社会的欲求を持っていること、幸せに思われたい欲求をもっていることを自覚しないといけない。

 

◆よい父という虚像

 たまに会う少し年上の知り合いの男性で、すごく子煩悩で、自分の子供の話ばかりをする男性がいました。それを聞いて「良いパパですね、お子さん幸せですね」とか相槌をうっていたんですが、人づてに、少し前から家庭の事情で、お子さんと離れて暮らしていることを知りました。きっと、わたしには話したくない事情があったんだろうな。そこまで、深い仲ではないし、心配させたくなかったのかもしれない。

だけど、私に話していた「子煩悩な父親像」は虚像だったと思うと寂しくもなった。きっと、その虚像に騙され続けてあげるのがやさしさだと思う。だけど、騙され続けるのは、私が辛かった。大げさだけど、嘘をつかれた気持ちになった。

彼の話す虚像を、私が許容して騙され続けるのがやさしさだとも思います。だけど、私は、なにも知らないふりをしながら「先週の日曜日、天気よかったし、お子さんとどこかいったりしました?」と、聞いてしまう。少し困った顔で、家でゆっくりしていたかな、と、いないはずの子供と過ごした休日を彼は答える。私はそれを見て、いつまで嘘つくんだろうと、思ってしまう。

私はきっと、他人を許容できる範囲が狭い。見栄をはって嘘をついたことが分かったとき、少し裏切られた気持ちになってしまう。容易に分かってしまう嘘なんてつかないで、子供の話なんかしなければいいのに、子どもがかわいいよ、幸せだよ、なんて、深く突っ込まれたら困ることをいわなければいいのに。自分が幸せだなんて見栄はらなければいいのに。

自分が嫌な思いをしたからといって、相手が嫌がることを言っていいわけじゃない。だけど、私は、自分を大人げないなと思いながらも、相手は嫌だろうなと思いながらも、答えにくい質問を知らないふりをしていってしまう。そして、同時に、彼を少し、見下すような軽蔑するような目で見てしまう。「幸せに見られたい欲求」に振り回されているなと。

きっと、「よいパパ」になりたい彼は、今が幸せか分からないから、周りに「今、幸せだよ」と言うことで、自分の決めた道を納得させたいのかもしれない。最初に書いた彼女も、もしかしたら、幸せだと実感できる日々じゃないのかもしれない。自慢する人ほど、今の自分に自信がなかったりするんだよね。いつか、私は寛大な人間になって、そんな人も受け流せるようになりたいな。

トイアンナの離婚から見える「元●●」の限界。

あれ?トイアンナさん結婚してなかった?

彼女が婚活について書いたツィートが誰かのリツィートでタイムラインに流れた。「トイアンナ」という名前を久々に思いだし、久々に彼女のブログをみてみると、離婚しているようでした。なんとまあ。

toianna.hatenablog.com

私は2013年ごろ、トイアンナさんのブログの熱心な読者でした。私からみたトイアンナさんは、語学や、キャリアや、ジェンダーといった話題を語る賢い女性。

toianna.blog.fc2.com

 

toianna.blog.fc2.com

 

toianna.blog.fc2.com

 

toianna.blog.fc2.com

 

私からみたトイアンナさんはインテリジェンスで、賢いがゆえに、そうでない人への侮蔑が混ざっている印象があった。本人が意図しているかは分からないけれど、少しの見下しが彼女を、より特別な立場にしているように感じた。

toianna.blog.fc2.com

 

 ウェブ制作会社で、毎日言われるがままSEO対策のサイト記事ばかり量産し、ふてくされていた私は、仕事に邁進する彼女を心のどこかでゴワっと思いながらも、デスクでお昼ご飯を齧り、毎日のように彼女のブログを見ていた。外資系、英語、キャリア、バリキャリ……年収300万にやっと届く24歳のOLには無縁だけど憧れる内容。羨ましい気持ちでゴワゴワするけど、その通りだと思えた。当時の私にとってあらさがしをしながらもつい見てしまうブログだった。好きで嫌いなブロガーだった。

 

トイアンナはイタい?

今回の離婚のことに関して、こんなエントリーを見つけた。

www.book-diary.com

 

一読した感想としては、大変失礼極まりない言葉なのだが、「イタイ」の一言に尽きる。

「手を繋いで離婚届を提出しに行った」というエピソードには、思わず離婚した友達のことを思い出してしまった。今はぜんぜん元気なのだが、離婚することになったと報告してくれたときに彼女が、言った言葉は「でも仲良しなんだよ」。

ところが離婚後何年か経ち改めて本音で話してくれた離婚までのいきさつは、とてもじゃないが仲良しなどといえる内容ではなかった。なんせ「死んじゃえばいいのにって今でも思ってる」とまで告白してきたのだから。直後は傷つきたくないの一心で仲良しを繕ってみたり、自分をそう思い込ませてみたりしていたのだろう。

トイアンナさんが元旦那さんに対し、死んじゃえばいいのに、とまでは思わないにしても、手をつないで離婚届を提出しに行き、離婚後に一緒にワインを飲み、その後も仲良しだというエピソードなどを読むと、傷つきたくないがためにまだ愛があると思いたい心理や本当は離婚という現実をまだ受け入れられてないのかなという印象がある。

でも本人は元気だと語っている。ラブラブだと思っていたのに離婚を切り出され、ブログを読む限り大丈夫じゃなさそうのに大丈夫だと言っている。やっぱりイタイ人のように見える。

 

 たしかに。わたしも上記の記事に同意をした。彼女の、無理して、辛くないと繕っている感覚は、私にもわかる。そして、その無理している感覚は、彼女の「外資系」という一人称にも同様に感じてしまった。トイアンナさん自身が、自分の離婚に関して書いたブログ記事には以下の様な文章がある。

彼は言った。「次に付き合うなら、米系外資っぽい詰めをしない女がいい」と。笑っちゃうようなフィードバックだけれど、全然笑いごとじゃない。彼はきっと、わんわん泣いて「助けて」って言ってくれる女が良かったんだ。私は彼と一緒に戦える女ではあったけれど、彼をつらかったね、とひっくるめて抱擁する女ではなかった。

 

トイアンナさんは、外資系企業を退職されたと以前ブログに書いていた。

toianna.hatenablog.com

彼女は、自身を米外資系っぽいというけれど、ここ数年の彼女の書くものに外資系である部分は抜けている。

news.biglobe.ne.jp

am-our.com

www.onecareer.jp

三者の恋愛のレポートや、普遍的な就活テクニック、恋愛テクニック、“外資系OL”ならではの視点はすくない。だから、なんとなく、彼女が「外資系だから」ということに無理がでているように思う。彼女は客観的に見て、外資系OLには見えなくなってしまった。

ブロガーの三沢文也さんも、トイアンナさんの取り扱うテーマが昔と変わったという内容でブログを書いていて、やっぱりそう思うのは私だけじゃないんだねって思った。

tm2501.com

  

◆「元●●」という肩書の限界

それと似たことを、元AV女優でライターの鈴木涼美さんでも思った。彼女の書いた「AV女優の社会学」はとても興味深い内容だった。AV女優をしてきた彼女でなくてはかけない内容を記載している。修士論文として書いたためか、AV女優という当事者でありながら、客観的な視点で書かれていて参考になる。だけど、彼女の元AV女優の部分は擦り減っていく。

「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか

「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか

 

 

最近はどんなものを書いているか調べたら、さまざまな立場の女性に取材した内容をレポートしていた。

gendai.ismedia.jp

 

gendai.ismedia.jp

 

もちろん、これもとても面白いのだけど、元AV女優、元日経新聞鈴木涼美さんだから書けた物かどうかは分からない。文章書くスキル、取材するスキルは必要だけど、同様の文章は、取材対象さえ見つかれば、経験を積んだライターや記者であれば別の人でも書くことができるように思えた。

トイアンナさんも第三者の恋愛事情を取材し記事を書いていた。自分のなかに書くものがなくなったとき、他の人から情報をもらってレポートするのは、手段のひとつかもしれない。だけど、そうなると、その書き手が書く理由がなくなる。書き手自身が当事者でないのであれば、ほかの人で代替ができてしまう。もちろん、そこで、元●●の視点を入れられればいいけれど……。

元●●という肩書をつかれば、その立場になった人でなれば得られない知識や経験をもとに発信することができる。他の人では書けないオリジナルの情報。だけど、●●の部分を辞めた時点で、その業界の新たな情報は入ってこない。自分の書けることは業界の現状ではなく、過去の話でしかなくなる。しかも、それですら、書けば書くほど擦り減っていく。新しい情報は入ってこないのだから、元●●として書けるものは目減りする。

 

◆「外資系だから」を言い訳にしたいプライド

トイアンナさんが「外資系っぽいから離婚した」と書くのをみていると、大学の同級生を思い出した。彼女はショートカットで、運動好きで、自分のことをサバサバしている、女らしくないと言った。女の子っぽいものは興味ない、だから彼氏もできないと。

彼女と街中をあるっているとき、数人の男の子に声をかけられた。ナンパされた。面白そうで、私は立ち止まって、話を聞いた。気がついたときには、彼女はずんずん進んでいって、あとで、他の人に話して「軽いよね、男好きだよね」と悪口を言っているのが聞こえた。興味があるなら一緒にきけばいいのに。待たせて迷惑をかけたことを、自己中心的だと悪く言われるならわかるけど、軽いと言われるのは納得いかなかった。軽いことで彼女に迷惑はかけてないじゃない。

だけど、あとから思うと、女の子っぽくしたくないからしないんじゃなくて、女の子を乗りこなせないから、自分を「男の子みたいな人」にしていたのかなって思った。女性らしい女性を別物として切り離せなかった彼女が、唯一納得できる欠点が男の子みたいだったように思う。トイアンナさんの「外資系」という記号が、昔の同級生の「男の子っぽい」みたいだな、とおもったの。自分で受け入れられる自分の欠点を言い訳にしたい。

これはあくまで私の推測だけど、論理的で、弁がたつ以外の離婚の原因もあったのではないかなと思うんです。でも、そこを指摘すると、彼女のプライドを傷つけることになる。だから、彼女も納得している彼女の欠点を理由に旦那さんは離婚した。そうすればお互い平和に納得する。みんな自分の見てほしい姿で他人から見られたいんだよね。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

セクハラ問題で#MeTooが軽くなる

財務省事務次官のセクハラすごい問題になってますね。

www.huffingtonpost.jp

事務次官の発言は、品がないなとも思うし、くだらないなとも思うけど、東京大学まで出た優秀な官僚を辞めさせるほどの問題なのかなと思うし、こんな話題も毎日、毎日、テレビで流す必要あるのかなと疑問に思う。

おっぱい揉んでいい?って言われたら、「そういうこと言うなら、言ったこと全部録音して報道しますよ?」といえばよかったのに。記者という立場があるとはいえ、仕事であっても、嫌なものは嫌と言えばいい、それでも止めなかったときに、伝えた通り、こういった形で週刊誌に載せるなら分かるけど、相手になにも言わずに、いきなり報道に載せるところに、少し残酷だなと思った。

 

◆セクハラとレイプは違う

今、#MeTooが流行っているけど、「女性が嫌と言えなかったことで起きた問題」と「女性の意思を無視されて性的な被害にあう問題」が同じ案件として扱うのはよくないように私は思う。

たとえば、伊藤詩織さんのように、自分の意思と関係なく、お酒や薬で意識をなくされて性的に被害に合う場合と、「やめてくれないと、次の手段にでます」と言えず、加害者側がセクハラしている意識はなく、被害にあう場合では違うように思う。

嫌なら嫌といえばいいし、それで、自分に対して不利なことをしてきたら、そのとき、記者として報じればいい。経産省担当の記者だったのなら、取材担当者と記者として関係性を築くように、分かりあうように努力して、それでもダメだったときに報じたらいいのにな。もちろん、この記者の方が、それまでなにをしてきたか私は当事者でないから分からない。それでも、盗聴され、報道された側面だけ見たら、私は事務次官側が可哀相だなと思う。

mochi-mochi.hateblo.jp

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◆しゃべりたいスイッチを押すのが記者の仕事

これは、わたしの過度な要求かもしれないけれど、記者だったのであれば、彼の“しゃべりたいスイッチ”を押してあげたらよかったのになと思う。聞き役に徹するようにして、自分の話をせずに、すきなだけ話させてあげたらいいのに。うまく聞き役に回れば、自分の性的な話なんかしなくなって、会話はできる。

私が好きなライターで永沢光雄さんという方がいます。AV女優というAV女優へインタビュー集の巻末、民俗学者大月隆寛さんから永沢さんへのインタビューがあります。そこで、永沢さんは、こんな風に話しています。

ずっとこの仕事やってて、ほんとにみんなどの子もしゃべりたいことを持ってんだな、と思いますよ。みんな忙しい中ちょっと時間とってもらって、その喋りたいボタンをポッと押すのが僕の仕事なんですよね。で、いざ押してしまうと、あとはもうやることない。

じゃあ、何してるかっていうと、相手の表情見てるのね。あいづちうってる。うん、うん、って。それで相手の話をフォローするのね。はあー、とか感心して、あと、ここだな、と思うところで目を見てあげるのね。後でテープ起こししながら、ああ、俺ってほんとにあいづちはうまいなあ、と

AV女優 (文春文庫)

AV女優 (文春文庫)

 

 

90年代、クリスタル映像の看板女優だった黒木香。彼女は、突然失踪するのですが、失踪から数年後にある女性ライターからのインタビューを受けています。踏み込んだインタビューでしたが、記事が発表された後、黒木香は、泊まっていた宿の窓から飛び降り、重傷を負う。この記事に関して、永沢さんはこう話している。

あれ読んで、なんか、いじめ以外の何ものでもないなあ、なんでこの状態の彼女にこれだけしゃべらせなきゃいけないのかな、なんで女の人ってやさしくないんだろ、って思った。

三時間でも四時間でもお話ししたんだから、その人がこれから元気になるようなものを書かなきゃしょうがないだろう、と。とにかくあそこまでしゃべっちゃう人なんだから、そういう状態なんだから、こっち側で書いちゃっいけないところを考えて守ってあげないといけないのに。あれを書いた人と会ったことはないけど、きっと話を聞きながら頭の片隅で、『あ、これもらいッ』とか点滅してそうだなぁ、なんかそんな感じがした

物書きは、人殺しにもなる仕事です。それは比喩でもなんでもなく、実際にインタビューしたことがきっかけで、取材対象を追い込んでしまうかもしれない。いじめ以外の何ものでもないことをしてしまうかもしれない。だから、取材対象へのやさしさが必要だと思うんです。

新潮の記事を私も読みましたが、この福田さんという方は奥さんと二人暮らしで、犬の散歩が日課。お子さんはいないようです。両親がいて、夫が働き、子供がいる、そんなふつうの昭和の家庭を、東大卒の国家公務員という立場で選ばなかったのは、事情があるように邪推してしまいます。もしかしたら、彼の普通でないその部分に話したいスイッチがあったのではないか。「奥さんとはご無沙汰なんですか?」と笑って聞いてあげたらどうなったんでしょうね。

5年後、エロビデオ屋はなくなるかもしれない

この前、社外のAV監督さんと飲みいってきたんですよね。「AV売れないですね、このままじゃなくなりますよね」と話すと、彼は「エロはなくなんないでしょ」と話す。

「いやいや、セル店(ビデオ販売店舗)潰れてますよ」

「そうだね、5年以内に三分の一くらいになるんじゃないかな」

「DVD売れなかったら、業界なくなりますよ」

「配信でお金をもらえばいいよ」

「配信って言ってもDVD盤の売り上げをカバーできるほど売れます?」

「1本で大ヒットを考えている?大きな需要をねらわないで、細切れにして、安く売っていけばいい」

彼はちょっと変わった方法で女の子のパンツが見られるパンチラ動画を撮影していました。絡み、所謂、セックスはない動画です。しかし、配信サイトのみで販売し、利益はでていると言います。セックスシーンがなく裸にもならいので、出演モデルのギャラは安い、尺も短いので、編集の手間もかからない、DVD盤にしないので流通コストや盤にするコストもかからない。買う人は少ないけれど、そもそも原価が安いので利益にはなるようです。需要が少なかったとしても、原価が安く、少額でも利益になる商品をたくさんだしていけば商売としては成り立っていける。

◆「ほぼ日」と同じ商法

先日読んだ「AIvs.教科書の読めない子どもたち」に似ていることがかいてあったなって思ったんですよ。最後の章「そしてAI世界恐慌がやってくる」ではAIが広まった未来の世界を予想しています。AIに多くの仕事が奪われていくなかで一筋の希望があるとして、以下の文章を続けます。

 

私が今、一番可能性を感じているのは、80年代に一生を風靡したコピーライターである糸井重里さんが実践している「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」と言う「商い」の在り方です。「ほぼ日」は日々大勢が閲覧するウェブサイトであるにもかかわらず、広告で稼いでいるわけではありません。「ほぼ日手帳」という手帳の他、手仕事で作った洋服やセーター、本などを販売しています。

興味深いことに、売られている多くの商品、特に衣料品には「在庫なし」の商品が散見されます。つまり、すぐに売り切れてしまうくらい少量しか生産しない、あるいは生産できないため、需要がいつも供給を上回っているのです。そして、類似品がありません。

「セーターなんて他にいくらでも安いのがあるじゃないか」とおっしゃるかもしれません。でも、違うのです。「ほぼ日」の商品にはすべてストーリーがあります。魅力的な作り手の人柄、なぜその商品が「そこに在るのか」、そのストーリーに消費者は魅かれているのです。

「ほぼ日」でセーターやブラウス、「穴かがり」ストーリー付きの商品として販売しておられる方々は、好きなモノづくりをして、大金は稼いでいないとしても、楽しく、人間らしく、誇りを持って生活できているはずです。そこにあるのは、経済学者たちが常に論じている、競争が行き着いた先の理想的な自由経済ではありません。需要が供給を微妙に上回っていて、同じものが他に存在しないために、ある種の「独占」が起こっている新しい時代のマーケットの姿です。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 爆発的なヒットにはならないけど、需要を供給が微妙に上回る。そこをねらって少額のお金を稼いでいく。そういえば、弊社でも他のメーカーの作った作品をかわりに流通販売することがあります。自社で作った作品よりもぜんぜん売れないのに、販売を続ける理由が不思議だったのですが、すでに撮った素材をまとめているので原価が安いんですよね。コストがかからないから、少ない本数しか売れなくても利益になっているんです。今後は需要と制作コストの見合うラインが求められてくるんだろうな。

◆売る物ではなく売り方を変える

あと、もうひとつ思ったのは、売る方法を変えるというのも手かなって。コピーライターの川上 徹也さんの書いた「売れないものを売る方法? そんなものがほんとにあるなら教えてください!」には、同じ商品でも売る方法を変えて、売り上げを伸ばした商品を紹介しています。

 たとえば、ある畳店は、深夜に畳の張り替えサービスを開始することでディナー営業する飲食店から、閉店後に施工する受注を獲得しました。今では全世界に展開されている衣料品店、ユニクロは、最初に店舗を出した際は朝6時から営業し、通学前の学生に立ち寄ってもらったと言います。

前述のパンチラ動画は、DVDの盤面で販売はしていません。さらに、時間も数十分と短い。そのかわり、幅広い動画サイトにだしているといいます。AVは盤にして売る物、長尺がいいという従来の売り方を捨てることで成功につながっている。同じ商品であっても、売り方を変えるだけでも、新しい道は見えてくる。

 お話した監督さんに限らず、各メーカーの制作は配信に力をいれつつあります。なかでもVR動画はその傾向が強いように思います。店舗でVR動画を売る方法が限られているというのも理由でしょうが、盤面を作って流通するコストを削減しているのかもしれません。

◆あと5年で業界は大きく変わる

「業界全体、売れなくて厳しい、厳しいって言うけど、稼いでいる人は稼いでいるんだよね」。前述した監督さんはこう言っていました。AVの売り上げが下がる今だけど、今の時代にあった売り方って何かしらあって、そのやり方を見つけた人は残っていけるのかな。

これからの数年で業界は大きく変わる。彼のいうように実店舗は減るだろうなと、営業している私自身も感じています。実際、担当店舗で閉店した店舗もある。長くAVの営業をしているので、店舗の担当者さんにたくさん仕事を教えてもらいましたし、上司よりお世話になった方もいます。みんなすごく良い人で、良い店だと思います。だから、店舗が少なくなるすごく悲しい。悲しいけれど、違う売り方を考えていかないといけない時期かもしれない。いいもの作っていれば、売れる時代じゃないんだよね。