オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

愚行権とセックス

ツィッターを見ていたら、テンガの広報の方のツィートを見つけました。 

 わたし、個人の意見ですが、「僕のもの」という発言は「クソ発言」というほど悪い発言ではないように感じています。「僕のもの」という言葉が、相手を傷つける言葉かといったら、傷つく人もいるけど、そうでない人もいるし、もしかしたら、嬉しい人もいると思う。人によってとらえ方の変わる発言。

もちろん、この言葉を発した背景は分からないし、パートナーの方との関係性も分からない。所有されるようなセックスは嫌い、と事前に伝えた上でこのような発言をしたなら、人の話聞いてないし、人の嫌がることをする酷いパートナーだなとも思うけど、状況を問わずこの発言自体を「クソ」といっていたなら、違う気がするな。

どんなものに性的興奮を覚えるかはその人の自由です。所有欲を満たすことで性的興奮を覚えたとしてもいい。そう言った行為や発言が個人として嫌いだというのと、そういった行為はマナー違反だというのは違う。

 

◆映画「娼年」から見える性の解放

女性やマイノリティーの人たちにとって、性の解放ってすすんでいるように思う。色んな価値観を主張する人がでてきている。

先日「娼年」という映画を観た。さまざまな性癖を持つ女性が、松坂桃李さん演じる“娼年”を通じて欲求を満たしていく話。放尿を見てもらうことで興奮する女性や、若い男性とセックスをする高齢の女性、夫の前で別の男性とセックスをする女性……さまざまなやり取りがあった。

この映画のように、女性の多様な性の好みが受け入れられるようになるのは素晴らしい。そして、それは男性に置き換えたときも受け入れられるような世界が良いように思う。たとえ、その好みが、女性に保守的な女性性を求める物であっても、それを世間が「ダメな物」というのは違う気がするな。そういった男性とセックスしたくない女性は、『そういった性癖の人もいるけど、私は、そういった人とセックスはできない』、と発信したらいいんじゃないかな。「自分は好きでない」と「よくない物」を混同してしまうのは心地が悪い。

お互いが、自分と違う好みや考えを受け入れながら、自分の好みや考えを伝えあう世の中が生きやすいな。自分と相手の好みが違ったとき、「わたしとあなたは違うけど、そういう考えの人もいるんだね」と認識すればいい。自分も相手も間違ってないよね。

 

セックスの有無にかかわず言えるとことだと思うけど、だれかと関係性を続けたいのであれば、嫌なことを、きちんと「嫌」と伝えて、お互いの嫌でない部分を探りながら、関係性をチューニングするしかないかなと思います。相手の全てを理解し同意できる関係は、恋人でも、夫婦でも、親子でも、どんな間柄でもきっと難しいから。ちょうどいい部分を探るほかないかなと思う。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

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 以前、ブログにも書いたけど、自分の意見をきちんと伝えるということは、人間関係を築く上で必要だと思う。それが、伝えにくいことであっても、お互い意思表示し合わないと、分かり合うのは難しい。察するって難しいよ。

 

◆「ロリコンだから悪い」という押し付け

わたしは、AV女優を幼くみせる、所謂「ロリ系」と言われるAVを営業しています。だけど、決して、善悪の判別のつかない18歳未満の少女たちとのセックスを肯定はしません。児童ポルノのような形で、幼い子供たちが性的に消費されるのは、絶対悪です。なくならなければならない。しかし、幼い女の子を好きという男性が悪いわけでない。少女を傷つけることが罪であって、少女を好きなことは罪でない。性的な願望を理性でとめようとせず、人を傷つけてしまうことが罪です。

 

 

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だから、そこを混同させ、特定の好みを罪にしてしまったらとっても生きにくくなるよなと思う。人には愚かである権利「愚行権」がある、と作家の佐藤優さんの本に書かれていました。それがたとえ、他人から見て「愚か」に見えたとしても、好きなものを好きで居続ける権利がある。わたしも、愚かな部分はたくさんあるし、だから人の愚かさを許容したいな。愚かな人間として楽しく生きていきましょうよ。

 

 

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