オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

無敵の弱者にならないように

AV業界関係の方で、違法ダウンロードでAVを視聴する人を批判する人は多い。違法サイトでAVを見る人に対して、SNSで感情的な言葉を書きこんでいるのを見かける。批判したい気持ちは分かる。でも、わたしは、その書き込みに耐えきれなくて、ミュートすることがある。その人が悪いわけでない、会って話せばいい人だったりする。だけど、その人の意見に賛同できたとしても、強い言葉は見ていて、気持ちが滅入ってしまう。 SNSの発信に激しい言葉を使う人は、そっとミュートしてしまう。

違法ダウンロードに対して、感情的に批判したくなる気持ちもわかる。無料でAVを観られると、AVが売れなくなる。AVを作る私たちの給料がなくなる。メーカーも人間を雇えなくなり、AVの制作本数も減る、AV女優さんも仕事がなくなる。わかる、わかる、すごくわかる。

だけど、たまに、そこまでキツイ言葉で非難しなくてもいいのになあという投稿を見かける。違法ダウン―ドは悪いことだけど、そこまで激しく言わないといけないのかなあ。昔、会社の営業が違法ダウンロードを批判することで、自分たちが思考停止してないかというツイートをしていた。

 

  

わたしも割とそう思っていて、私たち自身に顧みることはないのか、自分事として考えることも必要なんじゃないかなと思う。AVが売れないという、問題に関しても、違法ダウンロードを感情的に批判する以外にも解決策があるんじゃないか。

今年の7月、わたしのいるTMAでは、バーチャルYouTuberとコラボしたアダルトDVDを発売したのだけど、それが他のタイトルよりは比較的売り上げがよかった。そして、イベントには、普段AV女優さんのイベントに来ないという人も来てくれた。バーチャルYouTuber経由でTMAを知ってくれたようだ。

また、今年10月にわたしは本を書いた。普段の仕事のことをまとめたエッセイ集。普通の書店にも私の著作は並んだ。わたしの書いた本に関して、普段アダルトグッズやAVを買わない人からも感想をもらうことがあった。エロ産業にふれたことのない女性から「真面目に仕事しているんですね」と意見をもらったのは嬉しかった。

少しずつでも間口を広げていくことが大切じゃないかと今は考えている。客層を広げ、知ってもらうこと。それが生き残る道じゃないかな。バーチャルYouTuberのAVも、わたしの書いた本も、爆発的な売り上げアップにはつながっていない。それらひとつひとつは、大きな起爆剤にはならない。小さな効果だけど、それを繰り返していくことで、光が見えてくると思い動いています。

 

◆抱っこひもを外した人が考えていたこと

AVの違法ダウンロードの話に限らず、今は、感情的な批判をよく目にする。悪いことをした人は批判していいというレッテルが貼られるようだ。だけど、わたしは次の被害がでないためにはどうするか、考えることが解決につながるように思っている。

先日、ラジオを聞いていたら、分断と対話をテーマにジャーナリストの堀潤さんとミュージシャンのグローバーさんが対談をしていた。12月12日、j-wave「JAM THE WORLD」での放送。

グローバーさんは、だっこひもで赤ちゃんを抱えた女性にたいして、何者かが背中のバックルをはずした事件をもとに、分断が進んでいると話した。その話題に対して堀さんはご自身が参加している「わたしをことばにする研究所」のディスカッションのなかで、だっこひもをはずした事件を取り上げたと言い、こう続けた。

「さきほど(話した)、だっこひもをうしろからぱちんとやった人物も登場人物としてでてきたけれど、放っておくと被害者の方への寄り添いの気持ちって、放っておいてもたくさんでてくるんですけど、加害側の心の内側にみるのっていうのは、結構鍛錬が必要だったりするのかなと。でも加害側の心の内側に目をむけないと、物事はなかなか解決しないんじゃないかなと思うんですよ。でも加害側の心の内側に寄り添おうとするとその行為自体が批判の対象になったりとかもするんですけど。それは被害者のケアをするのは当たり前。一方で加害側はいったいなにが背景なのかっていうのは、勇気をもってわたしたちは検証しますっていうのを言い続けないといけないんだと思うんですよね。じゃないとそこに処方箋が出せないから。だからいじめの問題に関してもそうだし、こういう事件に関してもそうだし、まったく立場が異なる、想像だにしてなかった相手へのアプローチっていうのをどのようにして身につけていくのかということをひとつの僕自身のなかではテーマにしているんですよ。だから、否定したり、相手を頭ごなしにイメージで決めつけないとか、そういうところがひょっとしたら必要なんじゃないかなと」

 

悪いことをした人に対してはいくらでも感情的に批判ができる。「あいつは悪いんだ」と感情をぶつけても許される。ひとつ悪を犯すことで、その人が標的になってしまう。だけど、わたしはそれがいいとは思えない。どうしてそうなったのか顧みる、考えること、次の被害を出さないように思考することが必要ではないか。弱い立場の人が強い立場の人を批判することは今、社会的に受け入れられやすい。強い立場、加害の立場になら、なにを言ってもいいという空気感を感じている。弱い立場の人は、どこまでも言葉を並べても責められない。無敵の弱者になることができる。

 

◆世の中を変えようとした伊藤詩織

先日、テレビ記者からのレイプ被害を訴えていた伊藤詩織さんが民事訴訟で勝訴したニュースをみた。わたしはそれを見てよかったなと思ったし、元気づけられた。

伊藤さんの素敵だと思うところは、自身の被害だけでなく、同じような性犯罪の被害者に取材をして、レイプ自体の罪の重さを自分の訴えたことだ。自分が傷ついた経験から、世の中を変えよう、自分のような被害者をださないようにしようと動いた。

彼女を支持する人には色々な人がいる。加害者を責めるだけの人もいるけれど、そうではなくて、彼女と同じように、性犯罪をなくそうと冷静に訴える人もいる。そういった思慮深い味方をつけ、世論を動かすことができたのは、彼女自身が痛みに耐えながら、世の中を変えようと行動したからだとわたしは思う。自分の見識を生かして世の中を変えようとした姿に勇気をもらった。

どこかに、この状況を打破する道はないか、考え、動き、新しいなにかをするしかないのだと、今回の裁判をみて思った。無敵の弱者に勝算はない。もがいた結果、伊藤詩織さんの裁判のように大きな世論が変わることもある。わたし自身も、状況を打破するためには動がなくてはいけないし、もがかなくてはいけない。