オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

八村塁にも普通の親にもなれなかった

スポーツに疎い。
野球のルールを知らない。サッカーのルールも怪しい。先日はラグビーワールドカップ初戦だと知らず調布に行こうとしたら、満員電車に巻き込まれひどい目にあった。世間のスポーツ熱と無縁のところにいるので、八村塁という名前もつい一か月前まで知らなかった。
 
たまたまテレビをつけたら彼のドキュメンタリーを放送していた。日本人初のNBAドラフト1巡目選手という期待とプレッシャーを背負いながらもワシントンのチームで活躍するエース選手。「へえ、すごいねえ」なんて思いながら流し観ていた。
番組の中盤、八村選手の生い立ちを紹介する。ベナン人の父と日本人の母との間に生まれた八村選手は、富山県の田舎の街で生まれ、地元の公立中学に進学する。学校の部活に入らず、浮いた存在だった彼を、半ば強引にバスケットボール部に入れたのが当時の顧問の教師だった。八村選手がどこの部活も入ってないと聞き、それじゃあダメだと彼を強く勧誘した。もしこの教師がいなかったら、田舎町で打ち込めるものを見つけないまま、ハーフの子として浮いた存在で育ったかもしれない。普通になれなかった少年をバスケットボールに縛り付けたこの教師が、八村塁の人生を上向かせた。普通に収まることができない人たちが特別になるきっかけは、ほんの小さなタイミングなのかもしれない。
 
 

◆日本人初NBA選手になりたかった被告人

丁度同じ日に、違うドキュメンタリーを見ていた。
親からの虐待によって亡くなった船戸結愛ちゃんの父親、船戸雄大を取り上げたドキュメンタリー番組だった。番組の中、船戸雄大の学生時代の卒業文集を紹介していた。
「日本人初NBA選手になりたい」
当時の同級生は、船戸雄大を「バスケットボールがすごくうまい、先生よりもうまい、プロにもなれると思った」とインタビューに答えていた。なにか少しのきっかけが違っていたら、船戸雄大は、八村塁のように、今もバスケットボールを追いかけていたかもしれない。
 

◆華やかな生き方と穏やかな生活をいったりきたり

バスケットボールの選手になれなかった船戸雄大は、地元北海道を出て、東京の大学に進学し、大手企業に順調に就職する。大きな企業で、安定した仕事。そして、同期にも信頼され頼られる。番組では、周囲の仲間から頼られる船戸雄大の人物像を紹介する。
しかし、雄大は安定した仕事を手放す。
「ありきたりな人生を嫌ったのか雄大は移動を希望し、地元に戻ると意外な仕事に手を染めます」。番組ではこんなナレーションがつけられていた。地元北海道に移り住んだ雄大は、最初こそ、会社員としての仕事を続けていたが、後に退職し、キャバクラのボーイとして働きだす。当時の友人は「華やかな仕事がしたい」と雄大が語っていたと話していた。「アンダーグラウンドな人たちに憧れていたというのはあったかもしれない」。大学の同級生は当時の彼についてそんな風に語っていた。
その後、キャバクラの人出が足りないという知人の相談を受け、縁もゆかりもない香川に移り、そこで、後の妻となる船戸優里と出会う。「華やかな仕事」を求め夜の世界をさまよう生活、そんな雄大の生き方は優里との出会いで終わる。優里と結婚した雄大は夜の世界を去り、香川の企業に就職し会社員として働き出す。
香川でのサラリーマン時代の上司は、雄大が熱心に仕事をしていたと語る。家族を支える立派な父親、そんなものを彼が目指していたように見えた。しかし、思ったような理想の家族を作ることはできなかった。思い通りにならない結愛ちゃんにいらだち手をあげるようになった。
 

◆理想の女の子像の押しつけ

裁判の最中、理想の子どもはどんなものか聞かれた雄大はこう答える。
「明るくて、友だちが多くて、女の子ならかわいい子です」
裁判で、雄大は、結愛ちゃんを公園に連れて行った際の話をする。一人でシーソーに乗る結愛ちゃんを見て、この子は二人でシーソーに乗る方法を知らないんだ、シーソーの乗り方を教えてくれる親も友達もいなかったのだと悲しい気持ちになったと語っていた。寂しく可哀相な女の子を変えたい、理想の子どもに変えたい、そんな一方的な思いがあったのかもしれない。別に、友だちがいない子だっていいはずなのに。まわりから祝福され、素敵だねと言われるような理想の家庭像の押しつけ、それが行き過ぎて、この事件に繋がった。
 

◆普通にも特別にもなれない人たち

普通に収まりたい願望と、華やかで特別な人への憧れ。そんな願望をいったりきたりしながらも、どちらにもなれなかったのが船戸雄大だった。特別で人と違って華やかな人、もしくは安定し、誰からも悪く言われないまっとうな人、どちらかに収まろうとして収まらなかった人生。
普通にも、特別にもなれない人は生きにくい。八村塁のようになにか突き抜けた人は、普通でない部分があっても許される。だけど、そうでない人。才能もなく、かといってほかの人ができるようなことも出来ない人は、つまはじきにされているように感じる。普通でも特別でもない人が生きられるようになったらきっといいのに。