オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

北海道の出張にいきたいという話。

北海道のアダルトショップに電話営業する。一回の電話は10分とかそんなもんだけど、毎月、毎月、話していると、飛行機でしか行けないくらい離れた場所なのに、親しい人のように思う。電話で話す担当者は、一度もあったことがない。声しか聴いたことがないのに、すごく近しい人のように感じる。

電話で営業している店舗のひとつに、釧路のお店があります。お店の場所を地図で調べた。駅前から少し離れた場所。ちょっと引いた場所を見ると、近くに大学があった。ああ、ここにあるんだ。そういえば、この大学を受けるように言われたんだった。もし、なにかが、違っていたら、18歳のわたしがいたような気がする。少し不思議な気持ちになった。

 

わたしの通っていた高校は田舎の県立高校で、偏差値は半分より少し上くらいだった。進学校とは言えないけど、半分以上の人が大学に進学した。2年か3年に1回、早稲田大学や慶応大学に合格する人がいて、わたしのひとつ上の人が東工大に合格した時は、校舎に「東京工業大学合格」と大きく書かれたのぼりがつるされた。「この学校から東工大に入るのは珍しいことなんですよ」と言っているようだなと思った。飛びぬけて勉強ができる人も、勉強がまったくできない人もいなかった。そのくらいの学校。

わたしの父も、母も、高校しか出ていない。それでも、わたしは上の学校にいきたかった。田舎の学校になじめなくて、周りの人に馬鹿にされながら、内心、周りを馬鹿にしていた。周りの人を、頭が悪いと思いたかった。大学に行って、賢くなりたい、この人たちと違う生活をしたい。ここから抜け出すために、勉強するしかない気がしていた。昼休みを図書館で過ごし、体育の時間は体育館の隅で単語帳をめくる。文化祭は志望校のオープンキャンパスを理由に行かなかった。

 

高校三年生のとき、英語の順位が学年で3番目になった。東京の私立大学を目指していたから、国語と英語と日本史しか勉強してなかったけど、それでも、釧路にある公立大学はA判定だった。進学校になりきれない公立高校。国公立大学の合格人数を増やしたかったのだと思う。先生たちに、釧路の公立大学を受けるようしきりに言われた。わたしが勉強したいことも、東京の大学にいきたいことも知ってるくせに、何を言ってんだろう。「先生がお金を全部だすなら受けてあげてもいいですよ」。投げ捨てるように言ったら、相手は何も言わなくなった。17歳のわたしはずっと生意気で、世の中を馬鹿にしていた。

それでも、押し付けられるように渡された釧路の大学のパンフレットを受験前パラパラ見ていた。こんなふうなのもいいかなと、少しだけ思った。東京で忙しくしたいと思ったけど、人の多くない地方の都市でゆっくり過ごすのもいいかなって思った。だけど、やっぱり、わたしは釧路にはいかなかった。学校も受験料を出してくれなかった。

 

もし、釧路のあの学校に行っていたらなとか。大学でできた彼氏と「エロい店があるんだよ」と笑いながら、今の電話している営業先に行っていたかもな。大学の中で、何人かの人と付き合って、その中の最後の人と結婚して、東京に住むことなんてなかったかもな。そんなことを、電話を切った後、少し思ったりする。

きっと、どこにいっても、辛いことも、腑に落ちないことも、たのしいことも、嬉しいことも同じくらいあって、選ばなかった未来の自分を想像するのは変わらないかもしれないけどね。つまり、暖かくなったら、北海道にいきたいという話です。営業先の店舗さん、お願いします。