オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

わたしたちはルールの中で戦わなくてはいけない。

憤った様子だった。こちら側の状況が何も分かってないですよ、と彼は言う。

その日会った友人は子供たちを支援するボランティアをしている。ボランティアとして、子どもたちと接する際、大人が思い通りにしようとすると、見破られる。こちらがしたい支援をしようとすると逃げられる。上から常識を押し付けるようなことは駄目で、彼らの望むものを差し出さないといけない。だから、子供たちが居心地のいい場所を作って支援してあげなくてはいけないと、彼は語る。

その言葉に、そうだねと、頷いた。大人が助けたい形で手を差し伸べても子供は拒絶するだろう。ある日、女子高校生たちに、コスパいいと言われ嬉しかったと言う。コスパがいい、それは取り繕ってない子どもたちの本心から出た言葉だと、わたしも聞いていて思う。

「だから……」と彼が続けた話に、わたしはどうしてもうなずけなかった。子供食堂の主催者が逮捕されたニュースのこと。理由は未成年の飲酒と喫煙が原因だ。逮捕する側はこちらの事情を分かってないと彼は憤る。

帰ってからニュースを調べた。たぶんこのことかな、と思う記事を見つけた。

www.otv.co.jp

大人のルールを押し付ける組織に子供は馴染まない。離れていく。だからこそ、飲酒や喫煙を厳しくしかれば、離れていってしまう、子どもたちの居心地のよさを守るためにそうせざるを負えなかった。そういうことだろう。

 

◆ルールを変えないならば従うしかない

だけど、それでも、わたしは思う。やっぱり、子供たちの飲酒や喫煙を容認する組織はよくない。わたしたちは決められたルールの中で戦わなくてはいけない。

ルールが誤っている場合もある。この国では過去たくさんの間違ったルールがあった。78年前までは、国家総動員法治安維持法なんてルールがあったような国だ。ルールそれ自体に疑問を持つこと自体はあって当然だと思う。しかし、彼は未成年の飲酒や喫煙を合法にしろと言っているわけではない。心身ともに未発達で、判断力が弱く害が及びやすい未成年の飲酒や喫煙を禁ずること、それ自体に反論はしていない。ルール自体がおかしいとは言わないけれど、この場では見逃してくれよ、ということ。その主張にわたしは賛同できなかった。どんなに善良なことをしていても、ルール違反をしている人にペナルティがあるのは間違いではない。

 

ルール自体に異論はない。だが、ルール違反をしてしまう。ルール違反の誘惑も目の前にしたとき、できることは、リスクを自覚したうえでそれを行うか、しないか、どちらかしかない。問題になった施設で、飲酒や喫煙をしていた子供たちは、子供食堂で飲酒や喫煙をするリスクをどこまで分かっていたのだろうか。摘発されるかもしれない、ここがなくなるかもしれない、そこまで分かってやっていたのか。だとしたら、その程度の居場所でしかない。利用者たちに、なくなってもいいと思われている組織だった。

 

◆都合の悪いことを隠して作られた居心地のよさ

もしかしたら、利用者たちにリスクを説明していなかったのではないか。子どもたちは事実を――つまり、「みんなの居心地のために飲酒や喫煙を強く言わないけれど、もしかしたら摘発される可能性があるよ、あなたたちも警察や行政から注意をうけるよ」と説明されていたのだろうか。説明してなかったとしたら、子供たちが可哀想に見える。都合の悪いことを言わずに、隠して、ここにいてくれというのは、子供たちを思い通りに動かそうとしている気すらしている。それは、上から目線の支援とは別の形で、自分たちの望みを押し付けていることだろう。その場で子供たちに喜ばれたいがために、後に受ける不利益を伝えない。それは子供のためになってはいない。助ける側が、子供たちに受け入れられる大人という像になりたいだけではないかと、わたしは疑う。

そして、もし、飲酒喫煙より罪の重い犯罪がそこで行われたとき、監督者たちはきちんと指導ができないのではないか、とも思わせる。そうなったら、それは子どもの居場所ではなく、犯罪の温床だ。飲酒喫煙が、ゲートウェイドラックのように、もっと重い非行の入り口とならないよう、やはり取り締まって然るべきだったとわたしは思う。

未成年の飲酒や喫煙はよくあること、と言うかもしれない。でも、だとしても、それがルールであるなら、線を引かれて、ペナルティを下されるのはしかるべきだ。ルールを分かったうえで、それを破り、ペナルティが下されることに異論を述べるのは、わたしも含め、大多数の外側の人間に受け入れられない。だからこそ、こうやって問題になったのだろう。

 

◆危ない方にいかないでと言いたかった

そして、この話を聞いたとき、わたしは、彼に、あなたは同じことをしてはいけない、と言いたかった。たとえ子供たちに受け入れるために、そうせざるを得ないと思ってしまっても、運営者が逮捕されるような組織に関わってはいけないし、法に触れることをしてはいけない。どんなに善良な活動であっても、自分が法に触れてまで行うことではない。善意を理由にルール違反するなんて、矛盾している。それは善意でなくて、自分の主義主張の押し付けだ。

だけど、わたしは、そんなことを言ったら嫌われるような気がして言えなかった。もしかしたら、子供たちに強く言えない監督者たちも一緒の気持ちだったのかもしれない。嫌われたくはない、でも相手の言動を正しいと思えない。そう思ったときどうしたらいいのだろうね。子供たちのためと言いながら、自分の身を滅ぼすようなことはしないでほしいとだけ、わたしは思っている。

女の子になりたかった

彼女を上座に座らせて、メニューを渡す。メニュー表のページを捲る彼女を眺めた。「ゆっくりで大丈夫ですよ」とわたしは彼女に言う。この子の恋人も同じ景色を見たのかなと思った。

AV女優のイベントで、マネージャーが同行しないときがある。そんなときはこうやって、その日の女の子と二人で食事を済ませる。何食べたいですか?嫌いな物あります?イベントが終わってそんな話をして店を決める。

「決まりました」。彼女は元気のいい声でそう告げて、閉じたメニューをわたしに手渡した。わたしは、店員を呼び止めて、彼女の選んだ食事と、急いで決めた自分の食事を店員に伝える。今になっても、男の子みたいな役回りを引き受けて、主役を明け渡してまう。

「ありがとうございます」。二重の大きな瞳を少し細めて彼女は笑う。わたしよりずっと可愛い。だから、きっとこの関係性は正しい。

 

「私はカクピンクやるから、カクレッドやってね」

保育園の頃、カクレンジャーごっこが流行っていた。カクレンジャーは五人いるけれど、女の子三人でカクレンジャーごっこをする。カクピンクはアサミちゃんで、もう一人の女の子、カクイエローはヒトミちゃん。わたしは余り物のレッドだった。ピンクがいいと言っても、聞いてくれないから仕方ない。いつも従った。ヒロインにはなれなくて、余り物の役割ばかり押しつけられた。イジられキャラ、バカにしていいキャラ、みんなのやりたがらない男の子のキャラ。わたしは、ずっと可愛い女の子の役割がほしかった。可愛くて、憧れられて、みんなの中心にいられる女の子をやりたかった。

 

◆男になりたかった、と話す女性哲学者 永井玲衣

最近、たまたま見た予備校のCMで、綺麗な女性を見かけた。予備校にこんな美人な先生がいるんだ。検索すると、彼女は永井玲衣さんと言って、哲学の専門家だった。永井さんの執筆した記事がいくつも出てきて、そのなかのひとつに、男になりたかったと書いている。こんなに可愛いのに、なぜ女でいるのことが嫌なのだろうか。なんで。

ohtabookstand.com

わたしはずっと男になりたかった。おじさんになりたかった。物心が付く前から、スカートを履くことが、引き裂かれるように嫌いだった。「お出かけ」の日に、ワンピースを着なければならず、朝には喉が千切れるほど部屋で泣いた。学芸会はひとりだけ男役を選んだ。女になりたくなかった。「れい」という名は、男の名前だから気に入っていた。髪はずっと短かった。

 

わたしは男になりたかった。ずっと、ずっとなりたかった。だが、本当はそうではなかった。わたしは「主体」になりたかったのだ。

 

しゅたい【主体】[名](1)性質・状態・作用などの主として、それを担うもの。特に、認識と行動の担い手として意志をもって行動し、その動作の影響を他に及ぼすもの。(2)物事を構成する際に中心となるもの。

 

明鏡国語辞典MX」より引用

 

◆飯炊き女になりたくなかった

主体が、「認識と行動の担い手として意思をもって行動するもの」を指すのであれば、わたしは主体だった。大きくなればなるほど、主体だった。

小学校の過ぎた頃、母はお小遣いの条件として、夕食後の食器を洗うように言った。パートに行く日はよく、慌てながら、洗濯物を干してと、投げ捨てるようにわたしに言って出ていった。弟は中学になっても、洗濯物を頼まれることも、食器を洗うこともない。わたしと妹、女の子だけが押し付けられる仕事だった。

母は家事が立て込むと、ヒステリックになって、声を荒げて怒り出す。些細なことで、怒鳴るから、夕飯時前、母台所にいるときはビクビクしていた。母は一度、わたしに「飯炊き女だとおもっているでしょ」と怒鳴った。弟には頼まない家事を、わたしには頼む母をみて、方々の大人から押しつけられた飯炊き女の役割を、今度はわたしに押しつけようとしている気がしていた。ここから抜け出さないと、母のようになる。それが嫌で、大学受験をした。母は大学なんて行かなくていいと言ったけれど、それを無視して勉強した。押し付けてきた家事もやりたくないのは無視した。母はわたしを、ワガママで自分勝手だと言った。ワガママな女になるか飯炊き女になるかだったら、ワガママの方がマシだ。他人に何を言われても、自分のやりたいように生きよう、それが「主体」なら、わたしは主体だった。自分を偽って他人に合わせたら不幸になる。そんな気がしていた。

だけど、そうやって、ワガママを貫いて生きていると女の子にはなれない。女の子は明るくて、社交的で、自分からみんなに話しかける。勉強も運動も、抜群には出来ないけど、そこそこできる。そして、自分のことよりみんなを優先して、ワガママな自己主張はしない。女の子の中で、女の子の役割ーーカクピンクの役割は、劣等生で、まわりに合わせられない女の子には回ってこない。わたしはいつも、変な子だったし、浮いた子だった。空気の読めない不思議ちゃんだった。それでも、みんなの中心になる女の子になりたかった。

 

◆押し付けられた役割を拒絶できる世界に

三、四年前、必要な本を取りに実家に帰った。母が苦手だから、本を探し終えるとすぐ、駅に向かう。駅までの道を父が車で送ってくれた。そこで、従姉妹の話をした。同じ年の女の子。長く付き合っている恋人がいるけれど、相手はお母さんを亡くし男兄弟しかいない人だから、結婚しずらいんじゃないか、という趣旨のことを父はわたしに言った。「結婚したら、相手の家族の面倒を看るの全部やらないといけなくなるから」。父は車を運転しながらわたしに言う。目線はずっと続く田舎のたんぼ道の先を見ていた。「そっか」とだけわたしは言い、窓の外に視線を向けた。父のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけれど、この人が、わたしの苦しさの一端をつくっている。この人は弟のやらない家事をわたしたちだけがやっていたことをどう思っていたのだろう。聞きたかったけれど、わたしは父を困らせる気になれなくて、聞けなかった。従姉妹は去年結婚した。相手が誰かは聞かなかった。

 

主体になりたい、だけど、何もかもをわたしの意志で選択しなければならないのだろうか?と、永井さんは文章の中で続ける。

わたしはただの「客体」であることをやめたかった。全てを選択できる強い主体でもなく、何もかもが強いられる客体でもなく、他者からの呼びかけに応答しながら、自らをつくるような、わかりにくい「主体」でありたかった。かぼそくても、見えにくくても、わたしが何を欲しているのか、何にうちのめされているのか、知りたいわたしでありたかった。消えそうな灯火のような、そんな自由を見つけたかった。

主体でも客体でもない、ゆるい客体を目指したい。対話の中で主体を持っていきたいと。会話して、あなたはそうなんだ、これがしたいんだ、が分かれば、ワガママと言われながら主張しなくても、主体を持てる。押し付けられた役割が、自分にとって合うものかどうか、立ち止まって考えることができたかもしれない。

だけど、同時に思う。普段はぼっとしているのに、一度言い出したら聞かないような、不器用に主体を持つ女の子が、女の子らしくない変な子とされない世の中にもなってほしい。強い主張を持つことと、女の子であることが、両立できたらいいのに。異端な女の子が許される世の中になってほしい。わたしみたいな人が、カクレンジャーごっこでピンクになれたっていいはずなんだよ。

 

ART-SCHOOLのライブを初めて見たこと

「元々は親会社がレンタル店やっていて。知らないと思うけど……」
取引先の言った店名でまっきーを思い出した。
「その店、あそこにもありませんでした?……沿線の……」
わたしは問いに取引先の担当者は「よく知っているね、もう潰れちゃったよ」と笑った。やっぱりそうだ。まっきーのバイト先だ。
 
まっきーは、同じ大学で、やたらバンドに詳しい男の子だ。いつもディスクユニオンの袋をぶら下げて大学に来ていた。わたしがジャーナリストかアナウンサーか、パパラッチか、報道の仕事の端っこに就職できればと思ってメディアと名のつく専攻を選んだように、もっちーは音楽の何かになればと思っているようだった。
彼は、音楽CDを借りるために、レンタルビデオ店でアルバイトしていて、いつもかっこいいバンドを探していた。彼はわたしに沢山のバンドを教えてくれた。KASABIANも、THE NOVEMBERSも、syrup16gも、まっきーが教えてくれた。ART-SCHOOLをいいねと、わたしが言うと、「いつか一緒にライブ行こうね」と言った。わたしは曖昧に笑って誤魔化した。当時、わたしは彼氏もいた。まっきーと二人で、ライブに行っていいのか分からなかった。彼氏がいることは言っていたはずなのになあ。そうやって思って少し困っていた。まっきーはバイト先に好きな女の子がいた。いつもその女の子のことを話していた。好きな女の子のシフトが減ってる、彼氏と上手くいってないと相談された……その一つひとつに、それなりの答えをわたしは用意した。
 
2023年6月18日、わたしは初めてARTーSCHOOOLのライブに行った。隣には、同じ高校だった友人がいる。彼女は、今の私が会う、唯一の高校の同窓だ。もう、彼女以外に呼ばなくなった名前で私を呼ぶ。高校を出た後、彼女は、わたしとは違う学校に進学した。ARTを「懐かしいね」と笑うけれど、その懐かしいは、わたしと重なってはいない。わたしは「すごくよかったね、昔を思い出す」と彼女に言った。
どうして今まで、ARTのライブに行かなかったのだろう。好きだけど、ライブに行くほどではないと思っていたのかな。行きたいと思っていたけれど、言うほど行きたくもなかったのかもしれない。私たちは、クロエやスカーレットをよかったね、と言い合って日曜日の夜、それぞれの家に帰った。
 
まっきーの話には、続きがある。まっきーはわたしを好きになった。大学の空き教室で好きだと言われた。私は彼氏がいたし、向こうにも好きな女の子がいた。それでよかったと思っていた。その後、なんとなく、まっきーと話すことが億劫になって、会わないようになった。教えてくれた音楽からも離れた。まっきーがバカにしていたような音楽を聞いて、それが好きな人たちと一緒にいた。そうやって、ART-SCHOOLも忘れていった。
忘れていった音楽をもう一度聞こうと思ったのがどうしてなのかは思い出せない。ただ、好きだった、ライブに行きたかったバンドを、このまま行かないで、死んでいくのは違うと思った。わたしは、まっきーの教えてくれたバンドのライブをいくつか見た。syrup16もTHE NOVEMBERSKASABIANも、そして、やっと、約束したART-SCHOOLを見た。良かったよ。彼が今、どうしているか知らない。聞かなくていいと思っている。きっと会ったら、彼とのやりとりを億劫に思ってしまうだろう。もし、思わなかったとしても、再び関係を構築して、その後、出来上がった関係性がまた崩れかけて……その出来事の一切を仕方なかったと思って忘れる、そんな行為をしたくはない。
ART-SCHOOLというバンドはとてもよかった。またライブに行くかも知れない。でもきっとそれは、約束した人ではない。

アイドルを殺さないために

「わたし、絶対ずっと頑張ってくから、ぜったい生き残るから!応援しててくださいね」

前のめりにファンに語る姿にかっこいいな、と思ってしまった。横で見ているわたしまで応援したくなる。以前、あるAV女優さんのイベントで、彼女がファンに語っていた。「絶対」なんて言えなくなるような、場面だってあっただろう。辛い経験も、自信がなくなる出来事だってあっただろう。でも、その、辛さを目の前のファンの前では出さない。綺麗な部分だけを見せている。わたしはそんなふうに、憂鬱を一切見せず、虚像を演じ切る女の子が好きだ。

 

最近ハマったアニメ「推しの子」を見て、そんなことを思い出していた。

 

 

「推しの子」の中で、アイドル事務所にスカウトされたアイは、当初は断ろうとする。親に捨てられ、愛されていない自分が、ファンを愛することなんてできないと、スカウトした事務所社長に伝えると、こう返される。

「嘘でいいんだよ、むしろ客は綺麗な嘘を求めている」

その言葉に、アイはアイドルになる決断をする。

アイドルになることは、虚像になること、嘘をつくことだ。いつでも前向きで、明るくて、元気で、暗い事なんて一切言わず、仕事が楽しくて、ファンもスタッフもみんな大好き、と笑う……そんな絶対実在しない女の子を実在させる。欠点を隠し、辛いこと、嫌なことなんてないと嘘をつく女の子がアイドルだ。

 

◆容姿を重要だと思うのは本人以外のみんな

「推しの子」同様、アイドルを題材にした作品に「キャッシー」という小説がある。主人公キャッシーは不思議な力を持つ虐められっこの女の子。アイドルに憧れているキャッシーは、自身もアイドルを目指すようになる。

物語の冒頭、キャッシーを虐めているクラスの美少女たちが、キャッシーが憧れているアイドルを馬鹿にするシーンがある。それをきっかけに、キャッシーは不思議な力でいじめっ子の美少女たちを惨殺していく。キャッシーに惨殺される美少女は死の瞬間まで美しさに執着する。

 

意識を失いそうになりながらも、月子は何かをつぶやいていた。うわごとのように。

「や、やめて……お願い、お願いだから……顔は、顔だけは……やめて ーっ!」

両手で顔をおおい、じたばたと身をもがいて、必死で鳥たちの襲撃を逃れようとしている。  顔……顔さえ無事なら……大丈夫、大丈夫なんだ、あたしは……だって……だって、あたしは……きれい、きれいだ、美少女なんだ……そう、そうでしょ?  ねっ、みんな、そう思ってるでしょ?  だよね?  ……絶対にそうだ、絶対に絶対にそうなんだ!  クラスメートも、先生も、全校の男子も……みんな、そう思ってる、みんなみんな、あたしに夢中……大好きなんだ、月子のことが……そうだ、そうに決まってる、あたしは……ナンバーワン……学校で一番の……美少女!  ああ、ああ、一番きれいな顔の……女の子なんだ!!  ぴたりと口笛がやんだ。さっとカラスたちが少女の体を離れ、着地する。

なんだか、わたしは違和感があった。美少女であっても、死の間際まで自分の顔に執着するだろうか。たしかに、若い可愛い女の子にとって、それを維持することは重要だろう。でも、きっとそれは沢山の重要なポイントのひとつでしかない。女の子が満たされるためには、それだけではない何かがいる。そこまでの執着を美だけに対して、持てない。いじめられっ子だったキャッシーが結果的にアイドルになったことでも分かるように、たとえ、アイドルになるだけの容姿があったとしても満たされないことだって多くある。

 

作者の中森明夫さんはアイドルを取材するアイドルライターを長く続けてきた。たくさんのアイドルたちを近くで、でも、外側から見てきた。その人が美少女をみる視点はそうなのかもしれない。そう見えるのかもしれない。女の子はずっと、かわいくて、美しくて、その美を失いたくないと思っている。

実際、傍観する人たちの中には下品な言葉を投げかけるものもいる。劣化した、老化した、老けた。美しい容姿をなくすことが、まず悪口の対象になる。

 

「推しの子」で、アイは、妊娠、出産したことを隠し、アイドルとして活躍する。アイが通った診療所の待合室。テレビで別のアイドルの結婚と出産のニュースが流れる。テレビを観ていた若い男はそれを見ながらこう話す。

「今、死ねばワンチャンアイドルの子として生まれ変われるのでは?」

「考えがキモすぎる」

「でもさ、男と子供がいるアイドル推せなくない?」

消費する側は身勝手に、次の人生のステップを踏むアイドルを拒絶する。大人になるアイドルを認められない。アイドルが恐れているのは、容姿の美しさを失う怖さなどではない、大人になっていく自分が拒絶され、居場所がなくなる怖さだ。自分自身が売り物として機能しなくなる恐怖。かわいいに執着しているのは、アイドル自信じゃなくて、見ている側の傍観者たちだ。

 

◆アイドルで居続ける未来はない

アイドルが恐れているのは、容姿が衰えることではなくて、未来がなくなることではないだろうか。最近、ある有名アイドルユニットから、女子アナになる人が続出しているとニュースで見た。

news.mynavi.jp

アナウンサーはアイドルのセカンドキャリアのひとつになっていると記事には綴られる。セカンドキャリア……そう、アイドルはずっとアイドルではいられない。

「キャッシー」と同じ著者の作品「青い秋」は、アイドルライターである著者が、1980年代から1990年代にかけて体験した出来事をモデルに書かれたと思われる小説だ。

青い秋

青い秋

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実在の人物をモデルにしたであろう登場人物も多い。その中に、岡野友紀子という名前のアイドルが出てくる。岡野友紀子は事務所の入るビルから飛び降り自死する。きっと、岡田有希子のことだ。

岡野友紀子の死後、主人公の中野はアイドルライター仲間の佐渡さんと、その死について語り合う。

「アイドルだから……じゃないかな」

 佐渡さんが顔を上げて、ぽつりと言う。

「アイドルだから……そう、アイドルだから、死んだんじゃないかな」 

えっ、何を言ってるか、わからない。

「孤独なんだよ、アイドルって。トップアイドルは、そう、頂点をきわめたアイドルはさ。夢は叶った、もう、これ以上、上へは行けない。あとは落っこちるだけだ。落っこちないように、落っこちないように、ただ、ひたすらがんばるしかない。まだ十代の若さなのにさ……それって……それって、きついよな」

目を伏せて、首を振った。

てっぺんに行って、あとは落ちるだけ、その恐怖と戦わなくてはいけない。歌を歌う、芝居もする……でも一番の売り物は、芸ではなく自分自身。だからこそ、次が分からない、てっぺんに行って、その後が分からなくなる。売り物としての自分自身が機能しなくなる。身勝手に消費する側は言う。可愛くなきゃダメ、若くなきゃダメ、子供が居ちゃダメ、結婚しちゃダメ……時を止めなくてはアイドルで居続けられない。

記事にあった女の子たちのように、女子アナになれる人はいいだろう、そうやって、他の道を見つけられる人はいい。でも、それが分からない、見つからないアイドルに待ち受けているのは、落ちるだけという意識。「青い秋」の中、アイドルライターの佐渡さんはこう続ける。

「めちゃめちゃ負荷がかかるんだよ、アイドルって。トップアイドルってさ。真面目な娘ほど、傷つくよ。グサグサやられるよ。ユッコみたいにさ。けど……けど、負荷をかけてんのって、彼女を傷つけてるのって……いったい、誰よ?」 

佐渡さんは、こちらを見た。

「俺たちじゃないか」 

はっとする。

「なあ、俺たちがアイドルを求めるから、負荷をかけてる。年端もいかない女の子を、めちゃめちゃ傷つけてる。なっ、そうじゃないか……そうだろ、中野くん」 

胸を突かれた。

「……俺たちが、ユッコを殺したんだ」 

俺たちが殺した……そうかもしれない。傍観者が身勝手な理想を押し付ける。それがいずれ、アイドルを殺す。

 

◆アイドルを殺さないためにできること

わたしたち、応援する側に何ができるだろうか。ここまで書いても分からない。わたしは、それでも、虚像を作り「ずっと頑張るから!」と言う笑顔の彼女を好きになってしまう。そして、AV女優という虚像を支える側として、応援しているファンには虚像を見せ続けてくれと願ってしまう。

だけど、わたしたちは、それが虚像であるという意識を持たなくてはいけない。過度に期待してはいけない。そして、仮に、彼女たちが、社会の期待する彼女たちでなくなってとしても、夢を見させてくれてありがとう、と思うしかない。劣化したとか、ダメになったとか、そんな言葉を投げてしまってはいけない気がする。「推しの子」でアイは、妊娠出産をしった過激なファンに殺されてしまう。そして、岡田有希子は飛び降り自殺をした。

わたしたちの虚像を求める願望が、アイドルを殺す。だから、わたしは、虚像を虚像だと認識しなくてはいけない。限られた範囲での幻。彼女たちにはアイドルではない、本名の生活がある。わたしたちはアイドルを殺してはいけない。

無視されないナンパ術

 

 

コロナ禍が収まってきたせいか、ナンパされることが増えてきました。

ナンパされる側はどう思うでしょうか……可愛いからナンパされた?嬉しい?全然違う。迷惑極まりなくて、滅んで欲しい。邪魔だし、断ると「ブス」だの「バカ」だの、暴言吐かれたりする。ブスだと思うなら声かけるなよ、うんこ。

 

まず前提として、ナンパの行為は、軽犯罪法違反や迷惑防止条例違反になる場合もあります。東京都の場合、迷惑防止条例の五条の2「つきまとい行為等の禁止」にナンパ行為が該当する場合があります。むやみに声をかけて、付きまとう行為は犯罪です。

ナンパされる側が、ナンパする側をどう見ているかというと犯罪者予備軍です。断ったら、暴言吐かれるし、面倒だな、消えてほしい、以上です。招かざる客として、ナンパ野郎なんです。

ナンパは犯罪者一歩手前だし、やめてほしいんですけど、可愛い女の子に声をかけて仲良くなりたい、ともすれば、スケベなことをしたい、そんなことを思う人は減らないと思うので、せめてマシなナンパをしてほしいと、ナンパされる側が、これなら無視しないかもしれないなーと思う、ナンパ術をお伝えします。

※あくまで私の主観の意見です。すべての人に無視されない確約はできません。無視される、警察に通報される等、実施者が意図しないことがあっても責任は負いかねます。自己責任で実施してください。

 

◆丁寧な言葉で話そう

ナンパは営業に近いと思うのですよ。相手に自分の求める行動をしてもらうために説得する。営業なら物を買ってもらうこと。ナンパなら、連絡先を聞くのか、飲みにいくのか、ホテルに行くのか、自分のしてほしいことをしてもらう。ナンパする側は説得する側、お願いする側です。その前提をもってください。

わたしはいつも思う。ナンパする奴はなぜいつもあんな馴れ馴れしいんだ、偉そうなんだ、と。タメ口で話しかけてくる。語尾に「です」「ます」をつけてる人もいるけど軽薄。その喋り方、目上の人にする?みたいな口調。営業マンが、初めての営業先でタメ口「これ買ってよ」っていうのは論外ですよね。同じことをナンパ野郎はやっています。ナンパしている側の方が下なのだから、丁寧な対応をしてください。

 

◆相手をほめよう

一人で飲んでいたら「寂しそうですね?」と知らない男に声かけられたことがあるのですが、「寂しそう」と言われて嬉しい人いるんですかね。相手をイジって距離を縮めるという方法もあるとは思いますが、それは仲良くなってからのことで、まったくの初対面の相手にそんなことされたら不愉快です。

相手が何を言われたら嬉しいかを考えて振舞ってください。安易ですけど、容姿をほめる、あとは、持っているものをみて褒める、もしくはそれを自分も好きだという。本を読んでいる人に、なに読んでいるか聞く、とか。相手に興味を持ってほめるという行為をしてみてください。敏腕営業マンのごとく、相手に好かれる振舞いを心がけてください。

 

◆提案をしよう

飲み屋で別のテーブルにいるなら、「ちょっと隣いいですか?」とか、街中なら、「よかったら飲みませんか?」とか、相手になにをしてほしいか、ゴールを提案してください。相手にこれをしませんか?と聞いてください。

飲み屋で何も言わず、ナンパのついでにぬるっと隣に居座ってくる奴に殺意を持ちます。せめて「隣いいですか?」と聞けよ。嫌だって言われるかもしれないけれど、聞かないで勝手に居座られるのは本当に迷惑で、そこからヤレる可能性はゼロです。ナンパ野郎側も、100%可能性のない相手に時間つかっても無駄じゃないですか?

そして「イエス」を言わせやすい提案は、相手がメリットを感じることだと思うんですよね。一番、分かりやすいのは、「奢ります」だと思います。タダなら一杯飲んでもいいか、と思うかもしれない。そのほか、美味しい店があるとか、そんなのでもいいかもしれないです。とりあえず、ゴールと相手へのメリットを提示してください。


◆断られたらしつこくしない

無視したり、断ったりしてもずっと話しかけてきたり、ともすれば暴言を言ったりするのは迷惑です。断られたらさっさと引きましょう。

大前提として、ナンパは犯罪一歩手前、ナンパする人は犯罪者予備軍です。しつこくして、警察を呼ばれたら犯罪者ですし、そういったしつこくめんどくさい経験を経て、ナンパする人=クソという公のイメージがより強固になります。ナンパするなら、執着せず紳士的にを心がけてください。

 


一人で飲んでいるときは一人で飲みたいし、一人で歩いているときは大概目的があるし、ナンパされたい人はいないとわたしは思っています。

それでも、ナンパする側が、女の子と仲良くなりたい、あわよくばスケベなことをしたいと思うのであれば、せめて不愉快さを極力減らしたナンパしてください。
紳士的なナンパ野郎になれることを願っています。

ガールズバーのガールズに復帰します

どうももちこです。
ガールズバーviviに復帰します。5月19日(金曜)です。

時間は未定ですが、たぶん19時ぐらい?からだと思います。

2019年10月以来、3年ぶり2度目の出勤です。

 

前回は出版イベントでしたが、今回は別に何もないです、すまんこ。
普通にガールズの一部として接客します。Twitterやブログでみなさんとやり取りはあったけれど、直接会ってのコミュニケーションはなかったので、とりたいなって思い、お願いしました。

普段、AVのイベントで会っている人もいるけど、ちゃんと話すことはあんまりないから、なんか色々お喋りできればと思います。本を書いてから、記事書いたり、ブログ書いたり、YouTubeでたり、色々してきたので、そのあたりの感想とか聞かせてもらったら嬉しいです。

girlsbar-vivi.jp

viviの基本の料金システムは以下です

飲み放題 60分 ¥4,000 ※¥4,400 tax in(女性半額)
自動延長 30分 ¥2,000 ※¥2,200 tax in(女性半額)


住所は以下です。

〒160-0021
東京都新宿区歌舞伎町2-38-2
第二メトロビル2F

 

歌舞伎町のど真ん中の店ですけど、明朗会計なお店なので、イチゲンさんもどしどし来てください。ガールズバーですけど、女の子のお客さんもOKです。どうぞどうぞお気軽に女性もいらしてください。

 

ゆるゆるとお喋りできたら嬉しいです。

もちこvivi復帰を祝ってください。

セックストイをフェムテックにしてしまっていいのだろうか

全国紙の新聞に、女性向けセックストイの一面広告が載ったと話題になった。同業者として素晴らしいと思う一方で、これが正しかったのだろうかと、思ってしまった。

 

昨今フェムテックという分野が盛んなっている。フェムテック分野の展示会「Femtech Tokyo」のサイトには以下のようにある。

www.femtech-week.jp

女性のライフステージにおける「生理・月経」「妊活・妊よう性」「妊娠期・産後」「プレ更年期・更年期」などの様々な課題を解決できる製品やサービスをFemtech と呼び、2025年までに5兆円規模の市場になると言われています。

 

女性向けセックストイも「フェムテック」のジャンルにくくられることがある。全国紙にもフェムテック商品のひとつとして掲載されたのだろう。だが、セックストイを、生理用品や更年期関連の商品と同列の「女性ならでは悩み」を解決する商品にしてしまっていいのかと、わたしは少し疑問に持っている。

生理用品は生活必需品だ。生理は、ある年代の女性ほぼすべてに、定期的に訪れる体調変化で、避けることができない。強制的に来る。だから、それに対処する商品は、なくてはならない、歯ブラシやトイレットペーパーやシャンプーと同じような物だ。

だけど、セックストイはそうではない。極論、なくてもいいものだ。なくてもいいけれど、あったらより楽しくなる人もいるし、幸せになる人もいる。いってみれば嗜好品だ。漫画やゲームやアニメなどと同じ趣味のものだ。だけど、「フェムテック」の分野においては、「趣味のもの」と「必需品」を同列に扱う。

 

女性向けセックストイが全国紙に広告掲載されたが、わたしが知る限り、男性向けセックストイの広告が、掲載されたことはない。セックス関連商品は賛否の別れるものであり、かつ、子供など一部の人たちの目にふれないように扱う商品だと思われている。それは、適切な対応だとわたしは考えている。

男性用セックストイは公にはしにくい。だけど、なぜ女性用ならばいいのだろうか。わたしの想像だが「女性ならでは商品」「フェムテック商品」というくくりでくくられ、生理用品と同じ認識をされているのではないだろうか。生理用品は全年齢対象の広告をだせる、だから、同じように女性ならではの商品として広告掲載した。

 

だけど、すべての女性が避けられない生理の問題と、趣味の商品であるセックストイを同列に扱ってしまうことで、本当にいいのだろうかと悩む。

わたしの立場を考えると喜ばしいことなのだろう。わたしの働いている会社はアダルトグッズを扱っていて、吸引ローターなど女性用のアダルトグッズも販売している。商品がメジャーになって、もっと売れますよ、と言われたらそれはすごく魅力的なのだけど、自分の倫理観として、それをしてしまっていいのかと、葛藤する。
売れてほしいけど、生理用品と同じくくりにしてしまうのはよくないのではないかと、
女性として考える。それは生理の問題の重要度を下げることにはなってしまわないか。


残念ながら、生理用品を生活必需品だと思わない人もいる。一部の男性からは生理用品を「嫌らしいもの」と捉える認識があるらしい。災害の避難所で生理用品を「不謹慎」と言う男性がいたという記事もある。

www.j-cast.com

 

生理を「嫌らしい」「不謹慎」と感じる認識はおかしい。世の中の、その認識を是正してほしい。一方で、生理用品とセックストイを一緒のくくりにしてしまうのは、その是正を後退されはしないか、と自問している。

SNSをたどっていると、生理用品が必需品ならば、オナホールも必需品だと主張する男性もいるらしいと分かる。娯楽品であるセックストイと、必需品の生理用品とでは重要度が違う。オナホはなくても死なないが、生理用品はなくては生きていけない。それは、女性向けのセックストイでも一緒だ。なくても生きていける。だから、なおの事、女性向けセックストイを生理用品と同じ「フェムテック分野」にしてしまうことへの罪悪感や疑問みたいなものがずっとある。だけど、それは自分の扱う商品の可能性を縮めることにもなる。
解決できない葛藤を抱えながら、わたしは働いていくしかないか。