オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

自分にとっての青春が相手にとっての青春にならないこと

SODの田口桃子さんのコラムが好き。単純に「そうそう、分かる、分かる」という共感だけではなくて、「そんなこと思っていなかった」という発見もあり面白い。

当たり前だけど、田口さんは私の体験しないことを体験して、わたしの考えていないことを考えている。わたしと正反対の立場になっていることもある。

先日アップされたコラムでは、田口さんの昔の同僚たちの話が書かれたいた。今はSODを辞めて、違う仕事をしている彼・彼女たち。わたしは5回も転職していて、どちらかというと「辞めていく側」だったので、田口さんと真逆の立場だ。

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コラムの中で、後輩だったSさんという女性について書かれている。Sさんの立場は私と似ている。

わたしはSとは同じ部署だった時期があり、思い入れのある後輩だったので、もう一度出社してほしかったが、Sはそのまま退職した。

 

同じ部署だった頃、細かい注意や厳しい指導をしてしまったという自覚はあるが、それらは愛情の裏返しだったつもりだった。

でも彼女にとっては、私のような存在はただの負担だったのだろう。いや、負担というよりもただのウザイ人でしかなかったかもしれない。

辞めてから上司づてに「田口さんには会いたくない」と言っていると聞いた。

 

◆Sさんの立場であったわたし

田口さんがSさんに「会いたくない」と言われたように、わたしにも「会いたくない」という元同僚や元上司がいる。正確には「会いたくない」ではなくて、もっとドロドロした感情――わたしをこんなに苦しめたんだから、不幸になってほしい、ぐらい思っている。

もし可能であるならば、会って、相手の現状の愚痴でも聞かせてほしい。表面上「可哀想ですね」「大変ですね」と言いつつ、内心、彼らの不幸を喜んでいたい。逆恨みにも近い感情を抱いている。

昔の同僚たちに広告ライターとしてのキャリアを潰された、と今のわたしは思っている。この感情は、客観的に見たら、一方的な思い込みに見えるだろう。ライターを続けられなかったのは、自分自身の能力不足や仕事に対しての熱意の不足が一番の原因だ。

しかし、外的な要因が皆無だったわけではない。「あんなこと言われなかったら、心が折れなくて済んだのに」と思うような言葉をいくつも受けた。「あなたは書くことが好きじゃない」という昔の上司の言葉は今になっても呪いのように私の中に残っている。「才能がないからライターを辞めたほうがいい」という言葉も残っている。ほかにもたくさん、書ききれないぐらい、呪いの言葉がある。

相手はそこまで重い気持ちで言っていないと思う。努力しない後輩に苛立っただけかもしれない。だけど、彼らの言った言葉は、何年も経過した今も、じわじわとわたしを苦しめる。わたしは、何かを書く度に、書く作業が好きではないような気がするし、自分に才能がないような気がする。常に劣等感を抱いている。物を書く作業を続ける限り、この呪いを解くことができないような気もする。

 

◆誰かにとっての苦痛が誰かにとっての青春

田口さんと、わたしの昔の上司や同僚は別人だ。Sさんと私も別だ。「会いたくない」としか言わなかったSさんは、私のような歪な感情は抱いていないのだろう。ただ、田口さんのコラムを読んで、昔の同僚や上司の立場で、ものが見えたような気がした。田口さんはSさんのエピソードの後、こう書いている。

 

彼女にも自分と同じ青春を体験してほしかったという気持ちもあった。

 

ある人にとっては「苦痛」であった体験が、それを無事に通り過ぎた人にとっては、「青春の時間」になる。しんどい仕事を乗り越えた達成感は確かにある。今はそれを理解できる。それを青春と呼ぶ気持ちもわかる。

ただ、わたしがその達成感を味わったのは、今の、営業の仕事に就いてからだ。今の仕事をするまでは、分からなかった。辛い仕事は辛いだけで終わりだったし、だから、苦痛なんか味わいたくなった。

ライター時代にしんどさを乗り越えた体験をしていたら、きっと人生が違っていたのかもしれない。わたしには、乗り越えることができなかったけれど。

わたしにはなかった「青春」が彼らにはあって、わたしにも体験してほしかったのだろう。きっと、その気持ちに悪意はない。彼らにとって、善意であり、わたしのためであり、正しいことだった。でも、彼らに悪意がないからこそ、それが手加減のない刃になって、私を苦しめていたのも事実だ。わたしは彼らの善意が辛かった。

 

◆後悔してくれていることが救いになる

辛辣に感じた昔の同僚や上司の言葉、それらに悪意はなかったかもしれない。だけど、悪意がないと分かっても、やっぱり私は、彼らが許せない。そして、思い出しては辛くなっている。コラムの最後、田口さんはこう綴っている。

あの頃感じた矛盾も不条理も、青春などではなかった。本当は、向き合わなければいけない目の前の現実だった。

昔の同僚や上司たちがそう思ってくれたらうれしいと私は思う。

矛盾や不条理はある。それは仕方ないかもしれない。だけど、一緒に向き合ってほしかったし、同じ方向を向いて戦いたかった。田口さんのような気持ちを抱いてほしい……抱いていてくれているだろうと、思い込んで生きていくしか、わたしが楽になる方法はないのかもしれないね。