オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

偉くならないと不倫できない

たまに口説いてきた人が既婚者だったという事があるのですが、やめてほしいですよね。そこで、セックスしたら、奥さんから私が怒られるじゃないですか。なぜ好意をもった人に迷惑をかけるようなことするのでしょうかね。インフルエンザなのにセックスしようと言っているのと一緒です。こちらが迷惑を被るのですから、家で大人しく寝ていてください。

まあ、でも、もし、小野寺五典に出会ったら、こちらからチンコ触らせてくださいと頼む。小野寺五典がすきすぎる。わたしとセックスしたいなら、まずは、防衛大臣になってトマホークを撃てるようになっていただきたいですね。そんな小野寺五典が、防衛大臣ではなくなったことが悲しくて仕方ない。小野寺五典とセックスしたい。

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まあ、小野寺五典が好きだということは置いておいて、少し前に安部公房没後25周年フェアというのを書店でやっていて、そこで、「安部公房とわたし」という文庫本を買って積読になっていたのを最近読みました。これは、ノーベル賞候補にもなった作家、安部公房と不倫関係にあった女優山口果林が、安部公房と過ごした日々を書いたエッセイ。安部公房の本は好きで、高校時代、砂の女箱男も、カンガルーノートも読んだけれど、彼の人となりは知らないので買ってみたんだった。帯に若いころの山口果林さんの写真が載っているのですが、とてもきれいな人ですね。

安部公房とわたし

安部公房とわたし

 

 

 ◆安部公房山口果林の師弟関係

安部公房山口果林は、桐朋学園大学演劇科の講師と生徒として出会いました。学生時代、安部公房が学生相手に劇の演出をすることに対して著者はこう話します。

安部公房作品にやっと出演できるだけでなく、学生の中でも認められたことが誇らしく嬉しかった。

すでに著名な演出家でもあった安部公房と関わり、認められることが嬉しい。ひとりの学生であった山口さんにとって、安部公房と出会い、ともに劇を作っていくことは最初は、非現実的だったことは想像できます。そしてこうも話しています。

激しい恋愛感情の酔いは、二、三年で覚めると同期の友人から教えられていたし、まだ燃え尽きていないとしても、いずれ安部公房の情熱も覚めるのだろうと、冷静に分析する自分もいた。それまで安部公房から得られるものは、貪欲に吸収したい!自身のキャリアも高めたいというのが、当時の私の思いだった。

 

自分より実力のある人、力のある人のそばにいたい、その人のそばにいて自分を高めたい。そんな憧れにも似た感情が、不倫関係に落ちった山口さんにはあったように思います。だけど、「すごい人」「憧れの人」という感情が恋愛関係、とくに不倫関係に行くことはよくあること。ブロガーのぱぷりこさんも優等生と言われた人たちが、会社で年上の上司や先輩を頼り、不倫をすると書いています。

papuriko.hatenablog.com

 

相手への尊敬や憧れ、「こんな人と知り合えたのすごい」という感情が、恋愛感情に向かうことはある。逆にいうと、そう思われる男性でないと、既婚と言うハンデがありながら女の子を落とすのは難しい。

たとえば、独身同士の恋愛であれば、多少の打算が入ってくる。一緒に生活して上手にやっていけるだろうか、経済的に困窮してないだろうか、自分にとって都合の悪い部分はないかを確認する、そんな相手の人間性以外の部分をみて考える部分はある。だけど、不倫は、場合は打算的に考えたら、まずやらない。自分にとって、まず都合のいい相手ではない(だから、月50万あげてマンションも契約してあげるから愛人になってください、が成立するのだろうけど)。だから、その打算的な気持ちを覆すくらいの人間的な魅力、憧れや尊敬といった相手への好意が必要になる。それを成立させるには、安部公房と山口さんのような子弟であったり、ぱぷりこさんのブログのように上司と部下、先輩と後半であったり、男性に立場や人気があるほうがやりやすい。

 

◆“世間からの評価”が現代のたくましさ

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」によると、動物の雌は、「家庭第一の雄」、もしくは、「たくましい雄」を選ぶようです。本の中では、たくましい雄の基準として、生存能力の高さを表す長寿であること、食べ物を捉える能力の証となる強い筋肉、捕食者から逃げ切れるであろう長い脚など、みずからの子孫が生き延びるために有用である性質は、性的魅力となると書かれています。 

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

 

打算で選ぶのが「家庭第一の雄」であるならば、不倫を女の人たちが選ぶのが「たくましい雄」。食べ物をとる必要も、捕食者から逃げ切る必要もない人間が、「たくましさ」の基準として、自分よりも能力が高いこと、つまり、著名であることや組織や社会に評価されていること、自分の持っていないスキルをもっていることを選ぶのではないでしょうか。だって、それがあれば、資本主義で、お金がなくては生きていけない今を生きのびる可能性が高いから。

 

◆色恋に立場をなくすほどの価値はない

偉い人、すごい人になれば、既婚でもモテまくりなので、安部公房もきれいな女優を愛人にできたのでしょう。だけどそれは20年前の話で、最近は、倫理観がすごく問われている。実力があったとしても、反社会的な行動は批判される。これは不倫に限らないけれど、立場が下の人が、上の人とセックスしたとき「セクハラされました」と言われたとき、たちまち問題になる。不倫という相手へのデメリットがあるならなおさらそのリスクが高い。清廉潔白が求められる時代。関係が悪くなり相手に関係を露呈されたら、偉い人、すごい人であっても、立場が危うくなる。以前、本の感想を書いた青山和弘さんも女性関係が問題になり、出世の梯子を外されてしまった。どんなにおもしろいものを書いても色ボケおじさんのイメージで上塗りされて、チャンスを失うのはさびしいよね。

news.livedoor.com

mochi-mochi.hateblo.jp

そんなリスクを冒してまで、恋愛やセックスをする必要はあるのかという話になる。自分が必死になって積み上げてきた何かがあり、その結果、立派な立場を得たのであれば、恋愛にそれを崩すほどの価値はないでしょう。そんなもので人生を失うのは馬鹿らしい。

わたしの昔からの知り合いで、大手マスコミ勤務という立場を持ちながら、若い女の子のセックスフレンドをつくって楽しい生活をしているおじさんがいるけれど、彼は独身を貫きつつ、相手を選んでセックスしている。保守的な組織のなかで、独身でいるなんて変わった人と思われるだろうけど、そうしていないと、どこかで足をすくわれることを分かっているのでしょう。幸せな人はすぐに足をすくわれる世の中ですからね。 

杉田水脈でもなく、弱者至上主義でもなく

美容院にいったら、最近は雑誌ではなく、タブレットが渡されるんですね。SPA!を読んでいたら「真面目なもの読むんですね」と美容師さんに言われ、取り繕うつもりで「ぜんぜんそんなことないですよ、ナンパの方法とかですよ」って言ったらドン引きされました。困るね。

それで、美容院に行くたびに、男性週刊誌を読むんですが、最近は、小林よしのりが、SPA!でも、FLASHでも連載しているんですね。SAPIOの連載も続いていて、よしりん働きすぎじゃないか。過労死しないか心配ですよ。それで、FLASHの連載では、杉田水脈さんのLGBTは生産性がないという発言に対して、否定的な意見をのべつつも、ミッツ・マングローブさんの意見を紹介しながら、弱者至上主義になることも危うさも伝えていた。

FLASH (フラッシュ) 2018年 9/25 号 [雑誌]

FLASH (フラッシュ) 2018年 9/25 号 [雑誌]

 

ミッツ・マングローブ杉田水脈の発言について、「怒るとか傷つくとか通りこしてあきれちゃって、お粗末すぎて物が言えない」と批判する一方、「(LGBT)当事者たちもそこを常に冷静さを保ちつつ、あんまり“弱者至上主義”みたいなものに陥りすぎないようにしていなきゃいけない」と発言した。ミッツ・マングローブは「宿命」を受容する覚悟を持つ人だと感心した。

FLASH9月25日号「よしりん辻説法」

 

もちろん、杉田水脈さんの発言は差別であって、ミッツさんの言う通り、お粗末すぎる無知で、大人として言ってはいけない内容。だけど、一方で、「だから弱者はほかの人を差し置いても優遇されるべき」は違うように思う。マイノリティ本人が幸せになることは必要だけど、だからといって、他人に迷惑をかけていいわけではないし、マイノリティである自覚も必要にはなってくると思う。

 

◆マイナスイメージを受け入れるからクール

マイノリティ批判としては、最近はタトゥー批判に対する、否定的な意見もあると思う。タレントがタトゥーを入れたことに対して議論が起こっている。この前、アベマプライムを観ていたら、アメリカでは14%の人がタトゥーを入れていて、日本と比較しタトゥーを入れる人が多いとも紹介していた。海外ではメジャーであるという事実は理解できるし、わたしも周りにタトゥーを入れている人もいる。だけど、それでも、日本で入れるのではれば、タトゥーを入れる覚悟、マイノリティになる覚悟みたいな思いをなく入れるのはよくないよう思う。

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 日本で生活していくのであれば、タトゥーを入れるのであれば、マイナスイメージをもたれることもあるし、それに伴うリスクもある。それを分かったうえで、入れたいのであれば入れてもいいと思うし、そのリスクを覚悟することも含めクールでかっこいいようにわたしは思う。お洒落だから入れたい、だけど普通の人と同じように幸せにもなりたい、というのは今の日本では多くを望みすぎているよう私は思う。普通じゃない覚悟、批判をされる覚悟があるからこそ、価値がある。

 

◆他人に迷惑をかける権利はあるのだろうか

小林よしのりさんは、前述したマンガのなかで、歌手のエルトン・ジョンがドルチェ&ガッパーナの不買を訴えた発言を紹介している。これは、ドルチェ&ガッパーナのデザイナーであり創業者でもあるドメニコ・ドルチェステファノ・ガッバーナが、エルトン・ジョンを批判したことが原因だ。エルトン・ジョンが同性のパートナーとの子供を代理母に依頼し、産んでもらったことを否定する意見を発した。ドメニコ・ドルチェステファノ・ガッバーナの二人もゲイカップルであるが、エルトン・ジョンの行動を肯定することはできなかった。

これは賛否の分かれる難しい問題だと思う。タトゥーに関して、自己の意思で入れるか、入れないかを判断できる。しかし、同性愛であることを、本人たちは選ぶことはできない。だから、本人たちが幸せであるならば、自由恋愛も、場合によっては結婚も認められていいと私は思う。だけど、子供に関しては、二人の問題ではなくなる。

同性愛の親が居るということはメジャーではない。社会生活の中で差別を受ける可能性も高くなる。おそらくほかの子供よりも傷つくことも多くなるだろう。その苦労や嫌な思いがどう将来に影響するか分からない。結果的に、子供たちの才能を伸ばすことになるかもしれない。だけど、それだけど、子供が苦労するであろうカップルが子供をもうけることに批判的な意見があることも理解はできる。

子供は親を選べない。だから、子供に対して「あなたは可哀相だね」というのはぜったいによくないと思うと以前ブログで書いた。 

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 けれど、選ぶことができる立場である両親が、子供を持たない選択をしたほうがいいという意見は理解できる。難しい問題だし、ドメニコ・ドルチェステファノ・ガッバーナの意見に賛成も反対もできないけど、理解できる。自分たちの問題であれば好きにしたらいいけど、他人を不幸にさせる可能性があるのであれば、考えた方がいいようにも思ってしまう。

 

◆普通でない生き方をする覚悟

リクルートの創業者の江副浩正は、家庭を顧みず働いたゆえに、妻に離婚され、家族に関係を断たれ、趣味のスキーの帰りに東京駅で一人倒れ最期を迎えた。リクルートという巨大な怪物企業を作った成り上がり経営者だったけれど、すべてを仕事に費やしたぶん、普通の人が手に入れる家族のあたたかさや幸せは手に入らなかった。人と違うことをするというのは、人のできない成功体験もできるかもしれない。でも一方で、ふつうの幸せや、ふつうの人間関係を得られないこともある。たぶんね、マイノリティで居続けるためにはその覚悟が求められるように思う。

発達障害じゃなくても生きにくい

「ライターの仕事に興味あるんだったら」と知り合いから紹介されて、渋井哲也さんのオフ会行ってきた。

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イベント自体を知ったのが開催の2日前で、なにも分からずとりあえず、飛び込んでいったけれど、ライターさんの内情を知れる面白い会だった。前半は、渋井さんが今までライターとして過ごした20年について話して、後半は同じくライターである姫野桂さんとの対談。

姫野桂さんは、直接会ったことはなかったけど、以前いたAVメーカーが取材を受けたことがあり、それで名前だけは存じ上げていた。知ったきっかけがアダルトビデオに関する記事だったから、アダルトを取材するライターさんってイメージあったけれど、最近は、発達障害をテーマに記事を書いている。

 

◆最近よく耳にする発達障害

姫野さんの著書「私たちは生きづらさを抱えている」を後から購入し拝読した。発達障害を抱えた人に取材しつつ、姫野さん自身のご自身の抱えた障害を語る内容。姫野さん自身もLD(学習障害)であり、それゆえに生活に支障をきたしていたと語っている。

 

発達障害に関して、姫野さんの著書では以下のように説明がある。

発達障害にはASD自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動性障害)、LD(学習障害)の3種類がある。発達障害の程度はグラデーション状になっており、“ここからが発達障害”、“ここからが定型発達”という線引きがない。

ASD自閉スペクトラム症

・独特なマイルールがある

・急な予定変更が苦手

・環境の変化が苦手

・目を合わせて話せない

・言葉をそのまま受け取ってしまう

 

ADHD(注意欠陥・多動性障害)

・忘れ物が多い

・衝動的な言動が多い

・落ち着きがなく、授業中に歩き回ってしまう

ケアレスミスが多い

 

LD(学習障害

・計算ができない

・かけ算九九が覚えられない

・文章が読めない

・漢字が書けない、覚えられない

 

 ◆みんななにかしら発達障害っぽい

姫野さんの書籍に発達障害の症例を紹介していたけれど、これらの項目どれかしらには、みんな当てはまるように思う。目を合わせて話しはできるけど、急な予定変更が苦手とか、忘れ物は多いけど順番は守れるとか、多くの人がどれかしら当てはまる事項はある。コミュニケーションに関して苦手なことは、発達障害の有無にかかわらずある。その程度が高いのが発達障害なのだろう。だけど、今は、発達障害でない人、単なるコミュニケーションに癖である人にとっても、生きていくうえで嫌な思いをしたり、人間関係がうまくいかなかったりしやすい世の中なようにも感じている。

対談のなかで渋井さんが、以下のような内容のことを話していました。

工場労働者が求められる高度経済成長期には身体障害者が注目されていたように、そのとき求められている業務に適応できない人というのは世間の注目が集まる。コミュニケーションを重視する仕事が多い今だから、それが難しい発達障害に注目があるまっているのではないか。

 多かれ少なかれ、コミュニケーションの癖はあって、苦手なこともある。だけど、仕事や社会生活の多くの場面で今、コミュニケーションを求める場面が多く、その場面の種類も多様であるから、適応できない人が現れている。

 

◆WAIS-Ⅲでは発達障害でなかったけれど生きにくい

姫野さんが著書の中で受験したと話した「WAIS-Ⅲ」をわたしも受けたことがある。言語性IQと動作性IQの差が15以上あると発達障害と言われているが、私は正常な範囲だった。「臨機応変な対応が苦手」「空気が読めない」と周りから言われることが多いので受験したけれど、発達障害と認められるものではなかった。

でも、たしかに、仕事中、ケアレスミスはあるけれど、処分を受けるほどの重大なミスはない。急な予定変更は苦手だけど、仕事が滞るほどではない。わたしは営業職で、人と接することが多いため、コミュニケーションで苦手分野があることに気が付いた。しかし、たとえば、工場労働のような、上からの指示を実直にこなす業務についていたら、「臨機応変な対応が苦手」という欠点にも気が付いていなかったかもしれない。前述した渋井さんが言ったように、コミュニケーションを使う場面が増えたからこそ、気が付いた欠点だ。

 

◆「失礼な人」と言われる人が多くなったこと

最近は、「ハラスメント」という言葉をよく聞くようになった。相手が不快に思うことをいうのは避けましょう、という風潮がいまはある。これは、いいことなんだけど、一方でコミュニケーションを難しくもしている。

今迄は、似た物同士で話すことが多かった。自分と似ているから、不快なことも、ふれない方がいいこともなんとなくわかる。コミュニティ内の暗黙の共通ルールがあって、それに従っていた。だけど、自分とは違う性別、年齢、バックボーン、体格、そのほか色々な特徴をもつ人が増えた時、コミュニケーションの難易度はあがる。相手のルールが分からないから、言っていいことと、失礼にあたることの差が分からない。

わたし自身の話になるけれど、仕事としてAVを扱っているから、AV女優やセックスに関して抵抗もなく話すけれど、相手によっては不快になることもあるとも思っている。その不快だよってサインを見落としてしまうことで「空気の読めない人」「デレカシーのない人」になる。AV業界の中だけで話していればそんなことはないのだろうけど、多様な人と接する事が増えているし、それをよしとする世の中になってきている。変化の激しい時代だから、自分の居る世界とは違う価値観にふれて、インプットを増やすことも重要だと私自身も思う。だけど、そのためには、ものすごく気を遣わなくてはいけない。相手の触れてはいけない物を考えてコミュニケーションをとるのはすごく難しい。

自分とは違う属性をもった人、コミュニケーションルールの違う人と接する際に「空気が読めない」「変な人」というような発達障害の人が良く言われる中傷を受けるようにも感じている。逆に、バックボーンの違う人と接して、相手に悪気はなかったとしても、自分が傷つくこともある。

 

◆「発達障害」で蓋をさせる議論の恐怖感

もちろん、発達障害を持つ人はいる。その人たちを助ける仕組みは必要。それを「言い訳だ」「甘えだ」と言ってはよくないと思う。だけど、一方で、現在、求められているコミュニケーションの難易度が上がっているのも事実だと思う。コミュニケーションがうまくいかない原因を「彼、もしくは彼女が発達障害だから仕方ない」で片づけるのは短絡的のように思う。発達障害の有無にかかわらず人間関係は難しくなっている。

相手から批判されたとき、もしくは、相手の言葉に傷ついたとき、おおざっぱに一括りにして「発達障害」と言うのは、危険なように感じている。よく悪口で「アスペだから」と言う人がいるけれど、そういわれた人のなかで、本当にアスペルガー症候群の人はどれだけいるだろう。

個別・個別で事情がある。ある人にとっては「空気が読めない人」でも、ある人にとっては普通の人だったりもする。何で不快だったのか、不快にさせたのか、原因を探っていく、そして、障害の有無にかかわらず、自分の癖や相手の特徴を明らかにして、なぜそう思ったのか・思われたのか、考えるほかないよい。発達障害じゃなくても生きにくい世の中だ。

AV監督山本わかめが消えていった理由

「すごく共感した」と、失恋直後の男友達が少し悲しそうに紹介してくれた映画が500日サマーだった。クリスマスを一緒にすごし、セックスまでしたのに、付き合えなかった。

「なんかさ、元彼の元にもどったみたいなんだよ」。

「そうか、そうか、でも、そんな奴きっと腹黒い女だよ、保険で元彼をつなぎなら、セックスしていたんだよ」

そのときのわたしたちの会話を再現したようなシーンは映画のなかにもあった。モテない主人公トムは、同じくモテなそうな友達やマセた妹に、ときに感情的に、ときには自分に言い聞かせるように、大好きな女の子、サマーの相談をする。気まぐれなサマーに焦るトムはこんなことも口にする。

「明日の君の心が変わらないっていう確信がほしい」

(500)日のサマー (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
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特別だと思わせながら、特別にさせない、そんなの女の子の常套手段だと思うけど、同性の私だって期待しては、期待がはずれがっかりする。そんなことたくさんあった。素敵だなと思っていた女の子と仲良くなったと思ったら「●●ちゃんの親友はだれ?わたしは■■だよ」とわたしの知らない同級生の名前を彼女は言った。「親友だよね」と私に言った16歳のときのクラスメイトとは、夕方、何時間も彼女の話を聞いたけれど、ある時期、何度誘っても断られるようになった。友達ってくくりだって理解できない。だけど、すてきな女の子って、特別になりたいとも思う。恋愛感情があるならだったら余計だとも思う。

 

◆AVに見える女性に対するルサンチマン

AV監督の多くは、この「女の子って分からない」というルサンチマンを肥大化させて、映像化させている。いその・えいたろうがAV監督たちに取材した書籍「AV監督」によると多くのAV監督の童貞卒業は遅いという。そして、遅いだけでなく、やっと関係をもてた女の人であっても、関係がスムーズに行っていないことが多い。「AV監督」では、カンパニー松尾がAV女優、林由美香に恋愛感情を抱きながらもうまくいかなかった過去をインタビュアーであるいそのに話す。そして、こうも続ける。

AV監督 (幻冬舎アウトロー文庫)

AV監督 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

 

オレは個人的には簡単に人格をさらけ出すとか、無防備に人を好きになったり、セックスしてもいいわよ、と言うのは受け付けないんです。むしろ、俺を好まない、そっぽを向く女に非常に興味がわくわけです、どうすればこっちへ向けさせられるか、逆にやる気が出るんです。林はまったくオレに興味を示さない。それがいいな、とおもったんですけど。まぁいろいろあって結局ふられたんです。

 うまくいかない、手に入らないからこそ、気になってしまう、そちらに向かってしまう。500日サマーのトムも、もしすぐにサマーの彼女になれていたら、こんなに心を振り回されることはなかったかもしれない。相手のことが分からない、思い通りにいかない、だからこそ、気になり、引き込まれる。AV作品は、理解できない女の子に、気持ちいいことや、痛いことや、恥ずかしいことや、色々な刺激を与えて、本質な、感情的な姿を観ようとする。分からないから本質を暴きたい。だけど、サマーがフワフワと本音を隠したように、それはとっても難しいことのように思う。

 「女の子ってわからないな」というのは、作中のトムや、私の男友達や、カンパニー松尾さんだけでなく、多く男性によくあることだから、共感を受ける。だけど、この「女の子って分からないから惹きつけられる」は異性だから、分からないんじゃないと思う。女の子って、とくに魅力的な女の子って分からないものなんだろう。

AVの仕事をして、AV女優である魅力的な女の子とたくさん接するようになった。彼女たちの多くは男性にとって理想的な女の子として現れる。だけど、彼女たちの本音とか、本質とか、分かってないのに、自分のことを好きになってくれるような、特別になれるよう感覚をもってしまうことがある。わたしは、仕事だから、商売だから素敵に見えるんだと思って接するけれど、たぶんそうでないときに、この彼女たちに会っていたら、とても魅力的に思うだろう。

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 昔、ブログでも書いたけど、すてきなAV女優が虚像だとわかっても好きになってしまうよね。

 

◆男性に対するルサンチマンは価値にならない

だけど、この、「相手をわかってないくせに特別になりたい」と思うことは、男女逆転にしては成り立たないように思う。AVで女性にやっているようなこと、痛いことや恥ずかしいことや色々な刺激を与えて、本質を観ようとすることを、男女逆転して行ったのが女流AV監督の山本わかめさんだと思う。だけど、彼女のAVは成功しなかった。

男をいたぶる女というAVをみたい人は一定程度いるだろう。だけどそれは、自分の行為によって人が傷つくときに、女の子はどうなるか。普段は可愛く優しい女の子に犯罪者のような本質があるのだとしたら、それが観たい。女の子が狂気を帯びていくところが観たいだと思う。

つかめないフワフワした面がある男の人は多くない。そして、男の人が普段と違う状況になる場面を観たい人は男女ともにいない。予想通りの状況にしかならないんだろう。山本わかめ監督がいつのまにか、この世界から消えて行ってしまった理由は、彼女の作るAVが、女性に与えていた刺激を男性に与えたAVが、男女をひっくり返して男を暴こうとしたAVが、ユーザーに受け入れなかったからだと思う。男の人に暴くほどの分からなさはなかったのかもしれない。AVを観たい人は、女の子の変わっていく姿がみたいんだ。分からなかった女の子を、少しでも分かりたい。

 

◆美人だからそれだけで魅力的ではない

魅力的な女の子の要素は「可愛い」とか「美人」とか見た目の要素だけではないような気がしている。13歳のとき、16歳のとき、わたしが距離を感じた彼女たちも、決して美人じゃない。美人じゃないけれど、周りにいる子も、好きなものも、いつもコロコロ色んな姿に変わっていて、つかめない子だった。だけど、なんか、彼女のまわりには人がいた。彼女がどんな人か分からなかった。

安陪公房の小説「赤い繭」にすごく好きな一節がある。自分の家を探す主人公が、見知らぬ女性の家を自分の家ではないかと尋ねる場面。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

  • 作者:安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/05/20
  • メディア: 文庫
 

 

 

運よく半開きの窓からのぞいた親切そうな女の笑顔。希望の風が心臓の近くに吹き込み、それでおれの心臓は平たくひろがり旗になってひるがえる。おれも笑って紳士のように会釈した。

「ちょっとうかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」

女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」

 おれは説明しようとして、はたと行き詰まる。なんと説明すべきかわからなくなる。おれが誰であるのか、そんなことはこの際問題ではないのだということを、彼女にどうやって納得させたらいいだろう?おれは少しやけ気味になって、

「ともかく、こちらが私の家でないとお考えなら、それを証明していただきたいのです。」

「まあ…..。」と女の顔がおびえる。それがおれの癪にさわる。

「証拠がないなら、私の家だと考えてもいいわけですね。」

「でも、ここは私の家ですわ。」

「それがなんだっていうんです?あなたの家だからって、私に家でないとはかぎらない。そうでしょう。」

 返事の代わりに、女の顔が壁に変わって、窓をふさいだ。ああ、これが女の笑顔というやつの正体である。誰かのものであるということが、おれのものではない理由だという、訳の分からぬ論理を正体づけるのが、いつものこの変貌である。

さっきまで笑顔だった女が、バタンと扉をしめる。一瞬の変貌。一瞬前とは違う彼女がいる。でも、そんなの納得できないよね。納得できないから気になるよね。そんな、分からない女の子になれないから、「そんな奴、きっと腹黒いよ」というしかないな、わたしは。

 

光文社から「オナホ売りOLの日常」というタイトルの本を出版しました。アダルトグッズ、AVの営業として、普段の仕事について書いています。よかったらこちらも読んでください。

オナホ売りOLの日常

オナホ売りOLの日常

  • 作者:堀江 もちこ,菅原 県
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

AV女優、のちにある女性差別

安田理央さんの「AV女優、のち」を読みました。元AV女優たちにインタビューした書籍。AV女優のインタビュー集は他にもたくさんあるけれど、取材対象者が活躍した当時の業界背景を解説しつつ進むので、その時代の業界全体を見ているような印象。みひろさんの章に書いてあった、10年前のセルとレンタルの違いは、営業をする際に雑談でも使える知識でした。

AV女優、のち (角川新書)

AV女優、のち (角川新書)

 

 

書籍では、彼女たちの現在の状況についても触れています。そのなかで、わたしが気になったのは、元AV女優となって暮らす彼女たちが、女性からの偏見に苦しんでいること。

AV女優と言う仕事に対してネガティブな視線を感じるのは、むしろ同性である女性からだと言う。

「特に現役でAVをやってきたときに感じましたね。女性の友達がとにかくできにくいんですよ。女性からの方が嫌悪感を持たれていた気がします。わたしは、年上の方とお話しするのが好きだったんですけど、年齢が上の方ほど貞操観念に対して厳しいことが多いじゃないですか。同世代だと、『まぁ、それもなんかいいんじゃない』って済むところが、そうはいかないだから余計にそう感じたのかもしれません」

*1

 

 

初対面の人にAV女優であることを言うと、あからさまに見下されることも少なくなかった。

「特に女性の方に多かったですね。そうすると『私もなんで私のこと知らない人にそんなこと言われなきゃいけないの?あんたなんか絶対AV女優はできないよ』って思ってましたけど(笑)。でも、そういう偏見や差別があったからこそ、『ようし、みてろよ!』みたいな気持ちで頑張れたと言うのもありましたけどね」*2

 同性である女性から特に冷たい視線を浴びる。でも、これはわたしにとっても意外ではなくて、わたし自身もなんとなく気が付いていたことです。わたしも初対面で仕事の話をして、嫌悪感を表す人は男性より女性が多いように感じています。

これは、女性が男性にとって性的な対象になりえるからのように思います。社会学者、上野千鶴子さんの著書には、男性は女性にたいして「母性」と「娼婦性」を求めるとある。性的対象としての役割と、家族・パートナーとしての役割、どちらも女性には求められる。しかし、家族ではなく、「娼婦」でありたいと思う女性は少数です。多くの女性は、「わたしは娼婦ではない」と思いたい。自分も「娼婦」になりえる恐怖があるからこそ、「娼婦性」に対して批判的にみる。これは現代だけではなく、たとえば、第二次世界大戦下で、看護師として従軍した女性は、同じように従軍していた慰安婦の女性が看護することを嫌っていました。上野千鶴子さんの著書「ナショナリズムジェンダー」には以下のようにあります。

 

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

 

 

 

従軍看護婦」が「性的二重基準(母性と娼婦性の分離)」のもとで「従軍慰安婦」とカテゴリー上、厳密に区別される必要があった。「従軍看護婦」がその「職場」で多くのセクシャル・ハラスメントにさらされたであろう可能性を樋口恵子は指摘しているが、「看護婦」のカテゴリー上の聖性が、現場におけるセクハラ問題にさえを阻んできたといえよう。そしてそのことは「慰安婦」差別の裏返しにあたる。事実、戦場では「慰安婦」が看護要員として駆り出されたが、従軍看護婦の側から「醜業婦に看護をさせるな」と言う非難の声があがったと言う。

 

「一緒にしてほしくない」という看護師側の思いがあるように、わたしは思います「わたしは、娼婦ではない」と、線引きしたい。それと同じことが「元AV女優」にも向けられる。だけどわたしは、そもそも、男性が「母性」と「娼婦性」を人間である女性に求めることに違和感を覚えています。好みとして、「母性」や「娼婦性」を好きな男性がいてもいいと思う。だけど、それに、答えるかどうかを選ぶのは女性自身です。

前述した上野千鶴子さんの書籍のなかでは、大戦下、娼婦内でも、本土出身、琉球出身、朝鮮出身といったように出身地で差別の構造があったと書かれています。被差別者のなかで差別が起こっていた。差別される人たちの中で、差別が起きる。

自分の生活の世話をする「母性」か、性の世話をする「娼婦性」か、という二択を女性に求めるのは、わたしは対等な目線には思えません。男性が求める像は、ともにお金を稼ぎ、ともに家のことをして、ともに生活を共にするパートナーではない。彼女自身の能力や人間性は求めない。そこに少し女性を下に見るように思ってしまいました。そこが、娼婦性を差別する母性に繋がるようにも思いました。差別される側の中での差別。どちらも男性都合の理想像を押し付けられる側。

だけど、わたしは男性という外部の好みに合わせて、女性自身が自分の立場を決めなくてもいいと思っています。男性の求める「母性」や「娼婦性」など無視したっていいはず。そんなことをいう男性を価値のない物と思い無視することが、きっと、女性が生きやすくなるきっかけなんだとも思う。女性に受け入れられないのであれば、男性も生身の女性に「母性」や「娼婦性」という自分の理想の虚像を求めるようやめ、女性に受け入れられる男性自身に近づくようになっていくように予想しています。

 だけど、一方で、以前、ブログでも書いたけれど、女の子は自信がないから、認められたいから、誰かの求める虚像になりたくなるのも理解できるんだけどね。自分の立場を守るために、誰かの立場を批判するのは悲しいよね。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

*1:愛奏(元・薫桜子)に関する記載

*2:麻美ゆまに関する記載

AV女優DVD発売イベントは1日20以上!

イベントきてくれ。9月1日、優梨まいなちゃんの秋葉原イベント来てくれ。

www.av-event.jp

 

 わたしは箱推しの方が好きです。わたしのこと好きな人より、TMAが好きな人が好きです。あと女優さんのことを好きな人が好きです。だから、きてくれ、イベント、きてくれ。イベント来てほしい。ほんと来てほしい。ほんと……

mochi-mochi.hateblo.jp

 わたしの全皆様への切羽詰まった要求は置いておいて、イベント業務に関して勉強中な部分も多いので、研究しようかなって、他のメーカーや女優さんの動向を調べてみました。参考にしたのはイベルトです。

トップページ | セクシーアイドル・AV女優のイベント情報サイト「イベルト」

 5月1ヶ月間にイベルトに掲載された情報をまとめてみました。まずはメーカーごとにまとめたデータ。

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各メーカーがどの日にイベントをしているかの表です。数字の観方ですが、上の数字は日付です。左は各メーカー名。同じ女優さんで、同じ場所で2店舗は1、大阪と東京みたいに離れた場所で別の女優さんのイベントを行う場合は2や3となっています。プロダクション主催のオフ会など、メーカー以外が主催した物は除外しています。

基本的にDVD販売店舗で行うイベントですが、SODの立ち飲み屋さんのみ例外です。月10回以上イベントをしているのは、プレステージ、S1、SOD、ムーディーズマキシング。販売タイトルも多く、店舗でも棚数が多いメーカーがイベント件数も多い傾向がありますが、マキシングさんが、14回っていうのはちょっと以外でした。

月5回以上、つまり平均週1回以上のペースでイベントをしているメーカーが13メーカーもあるのも驚きです。そして、土日になると、20以上のイベントが行われているのも恐ろしい事実です。競合多すぎではないでしょうか。

 

あとは、女優さんの情報も載せましょう。メーカーと一緒で、上の数字は日付です。左の数字は人数数えるために振っただけなので、とくに意味はありません。 

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数えてみたら5月イベントをした女優さんは190人もいるんですよね。女優さんのデータはイベルトに掲載されている限りで、オフ会等メーカー主催以外のイベントも載せています。

イベントを1番多く行っていたのは蓮実クレアちゃんですが、これは、ゴールデンウィークにディズニーランドに行くオフ会を沢山やっていたからです。

店舗のイベントを多く行っているのは、波多野結衣ちゃん、霧島さくらちゃん、小倉由菜ちゃんなど専属やイベント集客のある企画女優さんが中心。多いと言っても、3~4回、日本各地の色んな場所で行っていました。特定の女優さんが複数回イベントしているよりは、多くの女優さんがやっているため、店舗イベントは多くなっているようですね。

さっきも言いましたが、土日のイベント数って全国で20以上になるんですよね。秋葉原だけでも、わたしの知る限り9店舗くらいありますよね。イベントしている店舗。激戦区。激戦区を勝ち抜くために、今まで来たことない人に来てほしい。9月1日、イベント童貞の方、来てくれたらうれしいです。おねがいします。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

キモくなれないおじさんに未来はない

日経新聞を読んでいたらこんなニュースを見つけました。 

www.nikkei.com

経済産業省は大都市で働く大企業の中堅社員を念頭に、地方の中小企業への転職を後押しする取り組みを始める。地方の大学で研究員として学び直しをしつつ、地元企業と関係を持ちながら相性が合えば転職できるようにする。

 

信州大学みずほ情報総研などと組み、10人程度の客員研究員を募集する予定だと記事では紹介していました。地方を活性化するための取り組みのひとつに見えますが、大企業の中堅社員に限定しているところが少し特長的なところかなと思いました。大企業という安定した場所にいる中年に環境の変化や新しい学びを与えようとする風潮があるのかもしれない。若者に学びとかではないのですよね。

 

◆大企業かベンチャー企業

ニュースサイト「Newspicks」の最高コンテンツ責任者、佐々木紀彦さんは大企業に勤めるビジネスマンと新興企業に勤めるビジネスマンをアメリカの東海岸・西海岸に例えて話しています。

「渋谷はホリエモンが好きで、丸の内は新浪剛史が好き」NewsPicks編集長・佐々木紀彦が語った。2016年メディアはバイカルチャーになるべきだ | みんなのスタンバイ

 

千代田区あたりが境目じゃないかなと思っていまして、西海岸は渋谷や六本木といった、IT・スタートアップが強いエリアです。一方の東海岸は、丸の内や霞が関エスタブリッシュメントな人たちがいるエリアです。この2つの文化が予想以上に違っているのを、東海岸のメッカみたいな東洋経済からに西海岸へ移ってきて痛感しました。

 

「2つの文化がどんなふうに違うのか、典型例を挙げてみましょう。」

東海岸

新浪剛史が好き

・仕事着はスーツ

・大企業で出世に関心がある

・PCはWindows

西海岸

ホリエモンが好き

・仕事着はTシャツ

・起業に関心がある

・PCはMac

「東京が西海岸と東海岸で分断している限り、日本のビジネス界は面白くならないなと強く感じるわけです。私たちはいま西に強くて東に弱いんですが、東に進出することによって二者間のバイカルチャーになっていく。特にフォワードといいますか、各エリアで攻めている人たちをどんどん繋げていきたいと思っています。」

 

「攻めの人たちを繋げることで、それぞれのイノベーションが東にも西にも還流して大きくなる。そういった触媒になることが、NewsPicksのメディアとしての役割なんじゃないかと思っています。そういう意味でも、来年NewsPicksでは東海岸の方にも読んでいただけるようなコンテンツを増やしていきますし、マーケティング戦略においても東海岸の方々にどうリーチできるかを注力していきたいです。」

 

佐々木さんが「東海岸の方にも読んでいただけるようなコンテンツを増やしていきます」と言っている点でも分かるように、NewsPicksは西海岸の人中心に読まれているメディアです。東海岸の人にも、イノベーションを起こしたいという意図が私は読み取れます。

 

NewsPicksが解決できるのか

だけど、わたしは現状ままで、NewsPicksがイノベーションを起こすことができるかは疑問があります。わたしの主観ですが、NewsPicksは「保守的な価値観」を卑下しているように見えるときがある。でも、特定の人や価値観を悪く言い、メディアが変化を押し付けることが、世の中を変えられるようには思えない。

以前、実業家のはやかわ五味さんが、NewsPicksに校正チェックなく、自身のインタビューを掲載されたと話したことが話題になりました。

togetter.com

 

「おじさん目線いらないとは一言もいってない」とはやかわさんはTwitterで話していました。既存の価値観を“おじさん”とし、悪く言う意図があるように見えました。

わたしの主観ですが、既存の価値観を見下しているように見える記事が、ほかにも紹介されている。以下はNewsPicks編集部が書いたものではないですが、NewsPicksで配信されていたニュースです。

newspicks.com

 

News Picksなどでいかにも切れ者ふうに、時にやや地に足がついていないようなコメントをしているのが意識高い系だとすると、ヤフコメで大暴れする親父、ヤフコメおじさんは意識低い系の代表だ。意識高い系も痛いが、意識低い系も問題だ。

 

結論から言うと「メディアリテラシーを身に着けよう」「具体的に考え、表現することにこだわろう」「人生を充実させよう」この3つに尽きる。要するに普段の生活習慣がモノを言う。

 メディアリテラシーについてだが、特にYahoo!ニュースに載った記事の配信元がどこなのか、誰が書いたのかを確認しよう。関連する他の記事と読み比べるとより良いだろう。

 ヤフコメおじさんの残念なことは、ひたすら感情論で書き散らかすことだ。ヤフコメ欄での賛同を狙うために、ウケをねらった表現はうまいのだが。

  

コラムの内容は、引用元をしらべて、よく考えて、ネット上のコメントを書きましょうという、同意できる意見なのですが、「意識低い系おじさん」「ヤフコメおじさん」という書き方に私は違和感を覚えた。ラべリングして悪者を作っているように見えました。

この記事では、「News Picksなどでいかにも切れ者ふうに、時にやや地に足がついていないようなコメントをしているのが意識高い系」と話しているけど、このコラムの言葉借りるなら、「意識低い系おじさん」を馬鹿にする「意識高い系おじさん」ように見えます。どちらにもわたしは共感できなかった。

 

◆見習うべきはホリエモンの「キモさ」

前述で、西海岸の人の特色として、「ホリエモンが好き」と上がっていました。堀江さんは既存概念を無視し、自由で、好きなことをやっているように映りますが、わたしは堀江貴文さんの一番の魅力は「オタクであること」だと思っています。堀江さんの著書『すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書)』でなにかに没頭することの重要性を話しています。

 

自分で行き先を決め、アクセルを踏む生き方のためには、「学び」が不可欠だ。僕がこう言ったら、意外に思われるだろうか。学校を不要だと言い切り、学校教育のあり方を否定し続けている人間が突然何を言うのか、と驚かれるかもしれない。ただし、はじめに一つ確認しておきたいことがある。「学び」という言葉の定義についてである。僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。

脇目もふらずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。だから、没頭する対象は数学や英語、料理だろうと、ダンスだろうと何でもあり得る。すなわち、その人が心から没頭できていれば、対象は何であれ、僕はそれを「学び」ととらえる。「学び」と聞いたとき、多くの人は、いわゆる「お勉強」を想像するだろう。それはつまり、学校教育に準じたものということでもある。たとえば、数学や物理といったおなじみの科目や、散々暗記させられた公式、年号の数々。映像として浮かぶのは、教卓や黒板、教科書、ノートなど、「お勉強」に必要な小道具たちだ。こうした「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。

 

先日、NewsPicks で配信された記事で、SHOW ROOM社長の前田さんは堀江さんのなにかに没頭する姿勢を評価しています(とても面白い記事でした)。

newspicks.com

たとえば、堀江さん。彼が和牛やロケットについてひとたび熱くしゃべりはじめたら、もう止まりません。こちらが羽交締めにして止めても、彼の口は止まらないでしょう(笑)。ひとつのことにそれだけの熱量を注ぎ込める人が、多くの人の共感を集め、お金も集める時代になる。

 

ブロガーの三沢文也さんは本気でビジネスをしたい女性に対して、まわりの男性に恋愛対象として見られず同僚として接してもらうために、専門分野にストイックに取り組み「キモくなろう」と語っている。

tm2501.com

 

 最近、千葉雅也さんという若手の哲学者が「勉強の哲学」という本を出した。その千葉さんが自身のツイートで紹介するほどよくできた要約をなんと僕の友人がつぶやいている。

  

「勉強の哲学」自分なりに要約すると、

・勉強するとキモオタ的になるが、これは言葉のアップデートに不可欠

・その上でキモさを削るには喋りがキモくなる原因を知る必要がある

・「別の」勉強を続けることで「ある」キモさは軽減される

って感じなので、どう考えてもオタクが読むべき。

 

これはお仕事をしててもそう。仕事に対してストイックになればなるほど、女らしさとは程遠い図太くて、ブスで、論理的になる。

 

そういうキモさは、女性としての金融商品的な価値とは対極にあるかもしれないけど…対極だからこそ、「プロの女」であることを求めて近寄ってくる人は激減するでしょう。

それでも「プロの女」として扱ってくれるなら、その人はむしろ論理的で、図太くてストイックな女性が好みということになるが…その場合は「誰でもいい」ってわけではないと思うから、良しとしてもいいと思うけどね…。

 

たぶん、これはおじさんにも当てはまっていて、下心ではなく、純粋に敬意をもって接してもらうためには、好きな物を見つけてキモくなるのがよいよなと思う。

逆にキモくいられる環境であるならば、あとはなんでもいい。背広を着る服装指定があっても、出社時間が決まっていても、ヤフコメにキモい事書いていても、おじさん目線でもなんでもいい。キモくなにを極められればあとはなんでもいい。自分の好きなものを見つけて夢中にキモくなれるおじさんは素敵です。なにかにキモくなれないおじさんに未来はない。