オナホ売りOLの平日

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発達障害じゃなくても生きにくい

「ライターの仕事に興味あるんだったら」と知り合いから紹介されて、渋井哲哉さんのオフ会行ってきた。

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イベント自体を知ったのが開催の2日前で、なにも分からずとりあえず、飛び込んでいったけれど、ライターさんの内情を知れる面白い会だった。前半は、渋井さんが今までライターとして過ごした20年について話して、後半は同じくライターである姫野桂さんとの対談。

姫野桂さんは、直接会ったことはなかったけど、以前いたAVメーカーが取材を受けたことがあり、それで名前だけは存じ上げていた。知ったきっかけがアダルトビデオに関する記事だったから、アダルトを取材するライターさんってイメージあったけれど、最近は、発達障害をテーマに記事を書いている。

 

◆最近よく耳にする発達障害

姫野さんの著書「私たちは生きづらさを抱えている」を後から購入し拝読した。発達障害を抱えた人に取材しつつ、姫野さん自身のご自身の抱えた障害を語る内容。姫野さん自身もLD(学習障害)であり、それゆえに生活に支障をきたしていたと語っている。

 

発達障害に関して、姫野さんの著書では以下のように説明がある。

発達障害にはASD自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動性障害)、LD(学習障害)の3種類がある。発達障害の程度はグラデーション状になっており、“ここからが発達障害”、“ここからが定型発達”という線引きがない。

ASD自閉スペクトラム症

・独特なマイルールがある

・急な予定変更が苦手

・環境の変化が苦手

・目を合わせて話せない

・言葉をそのまま受け取ってしまう

 

ADHD(注意欠陥・多動性障害)

・忘れ物が多い

・衝動的な言動が多い

・落ち着きがなく、授業中に歩き回ってしまう

ケアレスミスが多い

 

LD(学習障害

・計算ができない

・かけ算九九が覚えられない

・文章が読めない

・漢字が書けない、覚えられない

 

 ◆みんななにかしら発達障害っぽい

姫野さんの書籍に発達障害の症例を紹介していたけれど、これらの項目どれかしらには、みんな当てはまるように思う。目を合わせて話しはできるけど、急な予定変更が苦手とか、忘れ物は多いけど順番は守れるとか、多くの人がどれかしら当てはまる事項はある。コミュニケーションに関して苦手なことは、発達障害の有無にかかわらずある。その程度が高いのが発達障害なのだろう。だけど、今は、発達障害でない人、単なるコミュニケーションに癖である人にとっても、生きていくうえで嫌な思いをしたり、人間関係がうまくいかなかったりしやすい世の中なようにも感じている。

対談のなかで渋井さんが、以下のような内容のことを話していました。

工場労働者が求められる高度経済成長期には身体障害者が注目されていたように、そのとき求められている業務に適応できない人というのは世間の注目が集まる。コミュニケーションを重視する仕事が多い今だから、それが難しい発達障害に注目があるまっているのではないか。

 多かれ少なかれ、コミュニケーションの癖はあって、苦手なこともある。だけど、仕事や社会生活の多くの場面で今、コミュニケーションを求める場面が多く、その場面の種類も多様であるから、適応できない人が現れている。

 

◆WAIS-Ⅲでは発達障害でなかったけれど生きにくい

姫野さんが著書の中で受験したと話した「WAIS-Ⅲ」をわたしも受けたことがある。言語性IQと動作性IQの差が15以上あると発達障害と言われているが、私は正常な範囲だった。「臨機応変な対応が苦手」「空気が読めない」と周りから言われることが多いので受験したけれど、発達障害と認められるものではなかった。

でも、たしかに、仕事中、ケアレスミスはあるけれど、処分を受けるほどの重大なミスはない。急な予定変更は苦手だけど、仕事が滞るほどではない。わたしは営業職で、人と接することが多いため、コミュニケーションで苦手分野があることに気が付いた。しかし、たとえば、工場労働のような、上からの指示を実直にこなす業務についていたら、「臨機応変な対応が苦手」という欠点にも気が付いていなかったかもしれない。前述した渋井さんが言ったように、コミュニケーションを使う場面が増えたからこそ、気が付いた欠点だ。

 

◆「失礼な人」と言われる人が多くなったこと

最近は、「ハラスメント」という言葉をよく聞くようになった。相手が不快に思うことをいうのは避けましょう、という風潮がいまはある。これは、いいことなんだけど、一方でコミュニケーションを難しくもしている。

今迄は、似た物同士で話すことが多かった。自分と似ているから、不快なことも、ふれない方がいいこともなんとなくわかる。コミュニティ内の暗黙の共通ルールがあって、それに従っていた。だけど、自分とは違う性別、年齢、バックボーン、体格、そのほか色々な特徴をもつ人が増えた時、コミュニケーションの難易度はあがる。相手のルールが分からないから、言っていいことと、失礼にあたることの差が分からない。

わたし自身の話になるけれど、仕事としてAVを扱っているから、AV女優やセックスに関して抵抗もなく話すけれど、相手によっては不快になることもあるとも思っている。その不快だよってサインを見落としてしまうことで「空気の読めない人」「デレカシーのない人」になる。AV業界の中だけで話していればそんなことはないのだろうけど、多様な人と接する事が増えているし、それをよしとする世の中になってきている。変化の激しい時代だから、自分の居る世界とは違う価値観にふれて、インプットを増やすことも重要だと私自身も思う。だけど、そのためには、ものすごく気を遣わなくてはいけない。相手の触れてはいけない物を考えてコミュニケーションをとるのはすごく難しい。

自分とは違う属性をもった人、コミュニケーションルールの違う人と接する際に「空気が読めない」「変な人」というような発達障害の人が良く言われる中傷を受けるようにも感じている。逆に、バックボーンの違う人と接して、相手に悪気はなかったとしても、自分が傷つくこともある。

 

◆「発達障害」で蓋をさせる議論の恐怖感

もちろん、発達障害を持つ人はいる。その人たちを助ける仕組みは必要。それを「言い訳だ」「甘えだ」と言ってはよくないと思う。だけど、一方で、現在、求められているコミュニケーションの難易度が上がっているのも事実だと思う。コミュニケーションがうまくいかない原因を「彼、もしくは彼女が発達障害だから仕方ない」で片づけるのは短絡的のように思う。発達障害の有無にかかわらず人間関係は難しくなっている。

相手から批判されたとき、もしくは、相手の言葉に傷ついたとき、おおざっぱに一括りにして「発達障害」と言うのは、危険なように感じている。よく悪口で「アスペだから」と言う人がいるけれど、そういわれた人のなかで、本当にアスペルガー症候群の人はどれだけいるだろう。

個別・個別で事情がある。ある人にとっては「空気が読めない人」でも、ある人にとっては普通の人だったりもする。何で不快だったのか、不快にさせたのか、原因を探っていく、そして、障害の有無にかかわらず、自分の癖や相手の特徴を明らかにして、なぜそう思ったのか・思われたのか、考えるほかないよい。発達障害じゃなくても生きにくい世の中だ。