「アシスタントの女子、これ配って」
大学をでてすぐに就職した職場で、当時の上司が言った。これというのは、誰かの買ってきたお土産だった気がする。男子も女子もいる制作アシスタントで、わざわざ女子と言ったことが残っていた。
評判の悪い上司ではなかった。年はわたしよりも10歳ほど上で、チームの人からは話しやすいと思われているようだった。だけど、わたしは、彼がよい上司として振舞ってくれたことよりも、たまに言っていた「女子」と言う単語が記憶に残っている。
当時の雇用形態はアルバイトだった。正社員になりたいと面談で言ったとき、上司は言った。
「結婚しないで、仕事に生きるって言うのなら、なくはないかもしれないけど」
どうして結婚しないことと、仕事に生きることがイコールなのだろう。問いたいけれど、23歳のわたしは問えなかった。
最近、昔勤めていたその会社のサイトを見たら、上司が役員になっていた。サイトの中のコメントで、彼は「社会を笑顔にする」と語っている。彼の言う『社会』の中に「女子」と言われお土産を配るように言われた私は含まれていたのだろうか。
◆期待通りの女の子しかいないAVの世界
男の人は女に期待しすぎている。
女は、面倒な雑用を嫌がらずこなしてくれる。結婚したら、仕事をセーブして家のこともしてくれる。優先順位一位は夫や恋人が頼んだこと、望むこと。わたしより10歳しか違わない人ですらそう思っている。
女であっても、面倒なことをしたくないし、自分が納得できるだけ仕事をしたい、家のことはめんどくさい。そんなこと、性別関係ないはずなのに、男の人は「女子」は違うと勝手に思う。
わたしの今いるAVの世界は、男の人が期待している「女子」で溢れる。
顔は整っていて、クビレはきれいで、おっぱいは大きい。身体だけじゃない。AVの世界の女子は、AVのテーマ通りの女の子でいてくれる。メスガキと書かれていれば、メスガキだし、イチャラブと書かれていれば、相手の男性が大好きだし、近所のお姉さんなら、大人として優しくしてくれる。どんな行為も理想通りにやってくれる。男の人の期待通りの女の子。
たまに「AVの悪影響」が語られる。AVに影響されて、相手の嫌がる性行為をする。コンドームをしない行為はよくない。性器を荒く触るのもよくない。そんな手垢のついたような表現は、多分男性でも聞いたことあるだろう。AVを真に受けて、好きな相手にそんなことをする人は、今となっては少ないのではないか。
それより、わたしは、AVの描く理想の女の子像に影響されるな、と言いたい。AVの中の女の子は、視聴者をガッカリさせない。おじさん嫌いと言っても、メスガキたちはセックスさせてくれるし、やさしいお姉さんだと思ったら、最期までやさしく筆卸ししてくれる。男の人の理想の人間性を持っている。
きっとAVの中の女の子は、「女子の誰か、このお土産配って」と言われたら、自ら率先して笑顔で配ってくれる。「家庭に入るなら仕事をセーブする」という価値観もすんなり受け入れて、団地妻になる。「それはいやなのでやりません」という態度を彼女たちはとることができない。
それがAVの悪影響なのではないかと、わたしは思う。いや、AVだけでなく、男性に向け「理想の女」を表現したあらゆるフィクション作品の悪影響だ。
AVに限らず、男性向け作品は一部の女性から嫌悪される。その嫌悪感は、理想の女性を善いとする世界観への嫌悪からくるのではないかと私は思う。
その世界をフィクションとして消費するなら問題ない。楽しんでくれていい。だけど、その価値観は、たまに飛び出て、わたしたちの世界にも表れている。そして、私たちはそれに苦しめられる。だから許せなくなってしまう。
◆AV女優と同じウェディングドレス
AV女優がイベントで着たウェディングドレスを着たくない。そうSNSで発信した人が炎上している。職業差別だと言う人、自分でその職業を選択したのだから差別ではなく区別だという人、たくさんの意見が飛び交っていた。
その人が自分で選んだ選択であるならば、差別してもいいというのは不寛容であると、わたしは思う。思うけれど、それに対する的確な反論が見つけられない。
自らの意思で日本に来た外国人ならば差別されてもいいのか。
自らの意思で大学に行かないと決めた人なら差別してもいいのか。
自らの意思で都会に出てきた人ならば差別してもいいのか。
『自らの意思』とつければたくさんの人を差別できる。きっとわたしも被差別の対象だ。
『自らの意思』といっても、その意思に至るまでに、自分の意思ではどうしようもない出来事や環境があった。その過程を無視して、『自らの意思』とひとくくりにしてしまうことは不寛容な気がする。けれど、そんな弱弱しい反論意見は、「AV女優は差別してもいい」と言う人には届かないだろう。
そして、わたしは、不寛容で、怒りが沸く、この「AV女優は差別してもいい」という意見を少しだけ理解できる気がしている。
『AV女優なら』という言葉は、『AV業界の人なら』に容易に広がる。おそらくないだろうが、もしわたしがウェディングドレスを着て、それをドレスメーカーが公表したら、同様に炎上するだろう。『AV女優なら』にわたしだって含まれる可能性がある。それでも、「AV女優は差別してもいい」と言う人の気持ちを想像できる。
「AV女優は差別してもいい」と言いたく気持ちが起こるのは、AVが男の理想を描いているからではないだろうか。女の都合を無視して、女の意思を無視して、女の気持ちをないものとして成り立つフィクションだから。
もし、見る側がAV作品内の女性の振る舞いを恋愛対象に求めてきたら嫌だ。AVというメディアを嫌悪する気持ちが沸く。そこから、男性の理想像を演じるAV女優という職業を嫌悪する。そんな発想を想像できる。
もちろん、AVはフィクションだ。現実とは違う。だけど、フィクションの作った理想の女性像を、男性に求められる場面にわたしたちは遭遇してきた。だから、その「フィクションだから」を心から信用できてない。そんなところから、一部の女性のAV嫌悪につながっているような気がしている。
◆AV女優とAVを嫌う女の子共通項
だけど、AVの演者であるAV女優たちも、女であることには変わりない。
演技として理想を演じているけれど、腹の底では、「女だから」という期待を気持ち悪く思っている人もいる。わたしはそこの部分を、「AV女優は差別してもいい」と言う人に分かってもらいたい。AV内の演技は彼女たちの本心ではない。
だったら、そんな、男の理想像を演じるAV女優の仕事など辞めればいいと言うかもしれない。だけど、他のたくさんの理由、男の理想像を演じる以外の素晴らしい面がAVの仕事にはあって、AVに関わる仕事を多くの女性は続けている。AVの素晴らしさが何かは一人ひとり違うだろうけれど、この「女だから」に違和感をもってないわけではないよと、批判する人に届いてくれたら嬉しい。
AV女優を嫌悪する女性と、AV女優を仕事にする女性が、どこかで共通項を見つけ、分かり合えたらいいのに。