昔からの友人と飲みに行った。楽しかったなと思う。
大したことは話してない。彼女が年末に東北に行って雪がすごかったとか、宇都宮の巨大地下空間は昔は軍需工場だったとか、そんな話。あまりに中身がなくて、取り留めがないけれど、悪意や嫌悪の無い時間でなんだかよかった。マイナスの感情が少ない人間と話すのは心地がいい。
◆無料ホステスになる場所
最近は飲み会と距離を置いていた。なんだか気疲ればかりするな、と思っていた。
最近読んだ「あなたのことが知りたくて」という本に「無料のホステス」という話でてきた。複数人の作家のエッセイや短編小説のオムニバスで、韓国のイ・ランという作家が歌舞伎町でホステスをする友人が語った言葉を書いた文章だ。わたしは、ここに書かれていた友人の気持ちがよく分かった。
何で彼らはホステスとして働く限り嘘をつくしかないんだってことがわからないのか、友だちは理解できなかったんですって。「本物」だったら、彼らがすっている煙草の銘柄を覚えたり、つまんないジョークを笑ってほめたりするはずもないのにって。
だけど、彼らがバーに連れてきて同席している女性たちは、他の職業についているのに、自分の仕事を真似してるみたいに見えたそうです。だからって自分のようにお金をもらっているわけではないのに。その疑問は友だちが水商売をやめて社会に出てから続いたそうです。
「面白い子」として呼ばれる飲み会がある。
オナホ売っているおもしろい子、私はそこで無料ホステスの振る舞いをする。ホステスの振る舞い――つまり相手が機嫌よく過ごせる振る舞いをする。相手の言うことを面白がりながら、相手の話を広げ、相手に気持ちよく喋らせるための振る舞い。わたしも20代の頃はガールズバーで客に酒を出す商売女だったから、それ相応の振る舞いはできる。
だけど、そればかりやっていると、「喋りやすいから」「楽しいから」「面白い子だから」と取り繕った私を前程として呼ばれることが増える。たとえばそれで、取り繕わない振る舞いをするとする、そうしたら場が壊れる。結局、20代のガールズバーの女の子の振る舞いをするしかない。
◆オナホとAVの話ができる面白い女
相手の話を聞き、肯定しながら、AVやオナホールの話をして笑いをとる。なんだかそれがどうしようもなく疲れるなと、ここ数年思うようになった。どうしようもなく疲れる。
オナホールやAVのことを面白可笑しく語りながら、大して私のことを知ろうともしない相手の、不満や愚痴や自慢を聞き、興味をもったふりをして、褒め慰め酒を飲む。わたしは同じことをしてはもらえないのに。
彼、彼女たちは「オナホ売っている女の子」以上の認識を私にしていないし、私自身ではなくて、オナオールやAVの話をする女を面白がっている。これからもそのままなのだろうと、諦めに似た気持ちを抱く。相手はこの不均等な関係に気が付かない。ただ「喋りやすいおもしろい子」と解釈される。
◆面白くない女になりたい
疲れるから、人と会う場を遠ざけていた。けれど、そうではない振る舞い、無料のホステスではない酒の場は楽しいなと、なんだかこの前思った。
あのとき、友達と飲みに行ったとき、私たちは深刻な話はしていない気がする。彼女の仕事の話は聞かなかったし、私も最後に少し話しただけだった。いつもの飲み会で話すような話――人気のオナホールの話を饒舌に話したり、AV新法の影響を言葉を選びながら語ったりしなかった。わたしはオナホールを売っている女じゃないわたしで喋っていた。たぶん何も面白くない女だったと思う。
高校の文化祭が何年生のときにやったか思い出せないとか、実家帰ったら家族がコロナになって地元のホテルに初めて泊まったとか、そんなどうでもいいことばかり話した。どうでもいい、大した中身はない。だけど、強い主張もしなくていいし、誰も貶めない会話が私はしたかったんだなと気が付いた。
そんなもの無駄だって思っていたけれど、無駄な会話がしたかったんだな。
無駄な会話ばかりする場所に行きたい。
