オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

SPA!「ヤレる女子大学生」に激怒する愚かさ許さない世界

週刊SPA!の記事「ヤレる女子大学生」が女性差別ではないかと問題になっています。一人の女子大学生がインターネット上でこの記事に対する批判を行いました。

www.huffingtonpost.jp

 

女性の軽視は笑い事ではありません。こう行った発言により性犯罪に合う女性は後を絶ちません。法務総合研究所「第4回犯罪被害実態(暗数)調査」によると、日本で性暴力を訴える女性はわずか18.5%となっています。残りの81.5%は?我慢しています。性犯罪も、痴漢も、わいせつも日本の社会では「範囲内」だから。世界では、5人に1人の女性が18歳の誕生日を迎える前にレイプ、もしくは性犯罪に合います。法務省のデータによると、性犯罪で訴えられる人の10人に1人しか、罰しられません。(中略)私達、女性は男性より下ではありません。同じ人間です。男性のために存在しているわけではありません。声を上げて、日本でも女性に権利を、そして女性に対する軽視を無くしましょう。

 

www.change.org

 

 わたしは、「女性は男性より下ではありません」という意見に賛成し同意します。彼女の文章にあるように、レイプや痴漢など性犯罪がなくならないことは問題であると思いますし、被害者をなくしていかなくてはいけないと思っています。しかし、性犯罪をなくすことと、SPA!の記事をバッシングすることをは私のなかでは直結しません。

 

◆女性を性的に消費することの是非

SPA!に対する抗議文を載せた女子大生はインタビューに以下の様に応えています。

www.businessinsider.jp

 

大学生の約半数は未成年です。本来であれば社会に守られるべき存在なのに、こうして『性的に消費して当然』というメッセージがメディアを通じて発信される現状に驚き憤っています。

一方で女性誌も『どうすればモテるか』という内容ばかりで、私たち女子大学生も男性から性的に見られることに慣らされてしまっている。こんなのおかしいよね?と、今回のことをきっかけに同世代の女子に向けて問題提起を続けていきたいです

「女性を性的に消費して当然というメッセージに憤りを感じる」という箇所にわたしは賛成できませんでした。女性がレイプや痴漢などの性犯罪の被害者となることには怒りを感じます。なくさなくてはいけないことです。しかし、女性自身を攻撃するものでなければ、たとえ、それが、品性のない話題であっても許容してあげても良いようにわたしは考えています。わたしは「愚行権」という言葉が好きです。愚行権を調べると以下の様な説明が出てきます。

www.weblio.jp

たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由

 

たとえ、それが愚かに見えるものであっても、他人に迷惑をかけない範囲であれば許されてもいいようわたしは思っています。「SPA!」の記事も、わたし個人としては品の良い記事だとは思いません。くだらないなと思います。だけど、実際に、その女子大の大学生に対してレイプしたり、痴漢したりしたら、非難すべき、罰せられるべきことですが、愚かな妄想をしているだけであり、その大学の女子大生に直接的な行動を起こしてないのであれば、愚行権の範囲であるようにわたしは思っています。

 

◆大学生を性的対象とみてはいけないのか

上記インタビューの文章には「大学生の約半数は未成年です。本来であれば社会に守られるべき存在なのに」とあります。しかし、日本の児童福祉法・児童買春処罰法では、18未満の人間を児童と定義し、彼らに性的な行為をすることを禁じています。判断力のない児童に対して性的な行為をすることはたとえ、本人の合意であっても罪になります。

しかし、18歳、19歳の学生を児童福祉法・児童買春処罰法のいう「児童」の範囲ではありません。そういった人々を「未成年だから社会が守ってほしい」というのは、なんとなく腑に落ちないよう思っています。

 

◆女性も男性を消費している

たとえば、女性側であっても男性を性的に消費することはたくさんあります。女性向けのAVや、男性のアイドルなど、男性の身体を性的な目でみる娯楽は多々あります。数年前に話題になった、暇な女性大生は慶応大や東大といった有名大学の大学や卒業生とのセックスをツイッターにつづっていました。面白いな、とわたしは楽しんでいましたが、今考えれば、あの内容も男性を性的に消費し、それを表現していると言えるように思いました。

diamond.jp

 

性的な内容ではありませんが、トイアンナさんの書いた「合コン男子マップ」も似ているようにわたしは思いました。

www.onecareer.jp

 

もし、自分がここに書かれた会社に勤めており、「あの会社の人は金払いがよくはない」「あの会社の人は静かで話さない」など、自分の意図しない形で判断されていたらショックを受ける可能性もあります。だけど、おそらく大半の人は、半信半疑で疑いながら、面白がって読んでいるのでしょう。決して上品でも知的でもないけれど、面白く消費できる読み物です。

愚かな妄想は世の中に溢れている。たぶん、それは男女ともあることで、SPA!の記事だけが行っているものには思えませんでした。愚かな妄想を「バカだな」と笑って流せる社会が私はすきです。ちょっと窮屈になってしまうのは残念だな。

落合陽一のように生きることは周りの幸せを奪うこと

前に今の会社の社長とごはんにいったときの話。

わたしは、「誰かと付き合ったり、結婚したりしたら、自分の目標とつながらない人間関係に時間を割いて、その分、やりたいことに時間をさけなくなる気がするんですよね」みたいな話を社長にしたんですよね。

そうしたら、社長はそれはヤクザの考えだよと呆れて、「たくさんのものを背負うとその分重くなって歩みはおそくなる、だけど、一歩一歩は深くなる」と言ったんです。「なんで社長は結婚しなかったんですか?」とわたしが聞くと、「背負うものが多くなったら、重くなって早くは走れなくなるから」と話しました。重く深い一歩、だけど、遅くて、いろんな人に抜かされる一歩。 

以前、社長はこんな話もしてくれました。「年収1000万円を超える人は日本人全体の3%しかいない。普通のことをしていたら届かない」。家族を背負い、安定を背負い、深くて、重い足で歩き、結果的に幸せだったと多くの人が思うかもしれない。だけどそれは一方で、社会的な成功をあきらめることでもある。思い通りの人生を生きることは、普通の幸せを手放すこと。

 

◆脳がなくなることに耐えられなかった西部邁

先日、批評家の西部邁さんの死に関するドキュメンタリーをテレビで放映していました。

www6.nhk.or.jp

西部さんは去年の1月、多摩川に飛び込み、死を迎えました。身体が弱り、一人で死ぬことができなった西部さんは、知人二人に手伝ってもらいながら命を絶ちました。番組では、遺体解剖の結果、西部さんの脳に萎縮が見られたことを伝えます。そして、西部さんの息子はこんなことを話しました。

自分の脳が壊れていく、頭が壊れていく様を見るなんて、頭で生きてきた、頭だけで生きてきた父にとっては、そのことを考えると恐ろしかったんじゃないですかね

知識で生きてきた西部さんにとって、脳が弱ることは自らがなくなることと同義。しかし、残された家族にとってみたら、脳が委縮し、以前のように物を書けなくなったとしても生きていてほしい大切な家族でした。自らの幸せと、家族や周囲の幸せがイコールではない場面は多く出てくる。そのときに、自らの希望を妥協させなくてならないかもしれない。西部さんは自分の考えを妥協できなかった。その結果、西部さんのご子息は、西部さんの死を受け入れられず、前に進めずにいるように見えました。

 

◆ワークアズライフの裏側

だけど、一方で、今は「好きなことをやれ」「やりたいことをやれ」という世の中の風潮があるようにも思います。筑波大准教授の落合陽一さんは以下のように話しています。

www.news-postseven.com

ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら1日24時間、1年365日をそれに費やしたい。

 

著書の「日本再興戦略」にはこのような記述もあります。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

これからは、ワークとライフが無差別となり、すべての時間がワークかつライフとなります。「ワークアズライフ 」となるのです 。生きていることによって、価値を稼ぎ、そして価値を高める時代になるのです。そうした時代において一番重要なのは、「ストレスフルな仕事 」と「ストレスフルではない仕事」をどうバランスするかです。要するに、1日中、仕事やアクティビティを重視していても、遊びの要素を取り入れて心身のストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいいのです。(中略)実際に僕は、土日もなく、3時間睡眠くらいで働き続けていますが、ストレスはほとんどありません。自分がストレスを感じる事務作業などは、ほかのメンバーに助けてもらうことで、ストレスのある仕事を避けているからです。

 

まずは一個の専門性を掘り下げて名を上げたほうがいいのです。ニッチな分野でも構いませんので、とにかくまずは専門性を掘るべきです。せめてひとつは、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探さなくてはいけません。

 

その通りです。わたしも今の仕事が好きです。家でもAVのことを調べ、業界について書いた本を毎日のように読んでいる。好きなことを仕事にしたら、ストレスなく、やりたいことに打ち込める。そして、それを深めていくことで、できることも増える。一方で落合さんは「日本再興戦略」のなかでこうも話す。

 

しかしながら、すべてを、男女でフィフティ・フィフティにしようと思うことはフェアではありません。たとえば、日本社会では子育ては女性が中心で、男性はあまり手伝いませんが、そこは半分くらいしょうがない面もあると思います。子どもと母の身体的なつながりを考えると、子育ては母乳が出る母が主に担当したほうが、合理的な面もあるからです。母乳だけは男性が女性に代替するのは不可能です。  

 

好きなこと、やりたいことをやればいい、といいながらも、性別のような生まれ持ったものを根拠に、合う作業、合わない作業があると話す。なんだか、それが腑に落ちませんでした。個人に好きなことをするように伝えながらも、合理的だから育児は女性にというのはどこか矛盾があるように感じたのです。落合さんの言う、ライフアズワークの働き方は、育児や家庭の作業という「やらなくてはいけない作業」を肩代わりするだれかがいて初めて成り立つ。その「やらなくていけない作業」をする人の生きがいを、24時間365日やりたいと思える仕事を、犠牲にしたうえで成り立っているようにわたしには見えました。

 

◆家族を捨て、夢をかなえること

わたしの知り合いで、希望していた職業からの転職オファーを断った人がいました。「せっかく来た依頼なのにもったいないよ」と、言うわたしに、彼はこう答えました。「父がガンになって、今は生活できているけど、いつ悪くなるかわからないんだよね。だから、いつでも帰れる距離にいたいんだよね」。

首都圏の実家を持つ彼は、一人暮らしをしながらも、親御さんと定期的に会っているようでした。彼のお父さんのご容態は詳しくはわかりません。しかし、決して安心できる状況ではないようです。転職先は飛行機に乗らなくてはいけない地方。やりたかった仕事をやれと今の彼にいうのは、親を捨てろということ。それはとても残酷なことのように思えました。

だけど、わたしが同じ状況なら、きっとその仕事を受けと思います。一番好きなことを優先させる。それが、やりたいことをする覚悟だとわたしは思っています。だけど、そんな人間は残酷で人でなしだとも私は思います。きっと、今の世の中は、やさしい人が上に行けない世の中。だから、「やりたいことをやれ」と言う世の中はとても残酷な世の中であるように思っています。

 

AV制作者は犯罪者じゃない 

最近、AVの販売停止に関するニュースを読みました。

www.oricon.co.jp

 

「AV販売停止、8カ月で「1635本」…申請理由「出演強要」は6人、顔バレが最多」

同機構によると、約8カ月間で、3925作品(136人)の販売停止申請があり、最終判断にまで至ったのが、2770本(111人)となっている。作品によって対応が異なっており、販売停止は1635本、販売停止はしないが、女優名を削除する対応は777本、合意書で停止は46本、販売継続は167本――などとなった。(中略)申請者136人のうちわけは、女性130人、男性6人。申請理由(複数回答可)は、親・親類・友人への「顔バレ」が最も多く114人、ついで「社会からのバッシングへの不安」が81人、「婚約・結婚」が80人、「就職・転職」が57人となった。「強要・意に反した出演」をあげたのは6人だった。

 

強要・意に反した出演する人がいたことは、対策を考えなくてはいけないことです。だけど、停止を要請する人の大半がそういった理由ではなかったことは、ほっとしました。わたしが業界に入ったのは2015年です。そのせいか、「強要・意に反した出演」というニュースや記事を見聞きしても、どうしても、「私の知っているAV業界と違う」と思ってしまいます。もちろん、10年前、20年前の話はわからないし、人の話を聞く限りでは、あったのかもしれないなとも思う。だけど、「今もある」と言われると、わたしの知っている実態とかけ離れているように感じてしまう。

以前、「若草プロジェクト 設立3周年シンポジウム」を見学してきたことをブログに書きました。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

そのイベントに出たとき、こちらの団体が発行している「少女 若年女性を支援する人のためのハンドブック」という冊子を購入しました。苦しい思いをしている女の子たちの事例と同時にサポートの方法も紹介していて、誰か困っている人の話を聞いた際には、参考になる書籍です。

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そのなかの「AV相談の事例」という項目に、「ムービーがネットでストリーミングされ、妊娠したかもしれない……」という見出しで以下のような相談の事例が紹介されていました。

16歳。両親と兄と同居。いじめがあったようで、高校には今年から行ってないとのこと。街頭でスカウトされ、芸能事務所だと思って面接に行ったらその場で性的な質問ばかりされ、おかしいと思っているうちに男性に囲まれて強かんされ、動画をとられたとのことだ。その時、妊娠してしまったようで、おなかが大きくて不安だと、民間の設置した電話相談に訴えてきた。

 まず、この事例を読んで、これはAVの撮影ではないように、わたしは感じました。こういった相談があるならば、女性を強姦し、映像をとる犯罪者が存在しているのは事実としてあるのだと思います。しかし、AVの撮影風に見える性犯罪と、実際のAVの撮影を混同させているように読んでいて感じました。

この冊子には、女性を強かんしたのがどういった組織だったのかは出てきていません。もちろん、それが本当に、AVメーカーや、AVプロダクションであったならば、対策をとらなくてはいけません。しかし、わたしの知る限りでは、こういった撮影方法をしているメーカーやプロダクションは、現在、聞いたことがありません。法的に問題のある作品を販売しないよう、メーカーとしても気を付けてもいます。

 

 ◆年齢確認は必ず行う

万が一、18歳未満の撮影を行った場合、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」に該当します。そのため、撮影前には必ず、身分証を確認し、未成年ではないか、年齢を確認しています。また、出演する女優さんには、事前にNGプレイ(アナルNGなど)の確認も行っています。

 

◆撮影はすべてフィクション

わたしの会社から発売されている作品の一部には、「作品はフィクションであること」「犯罪行為の演出があるが実際に行ったら刑法処罰対象になること」がパッケージに注意書きとして記載され、本編再生前にも同様の内容の注意書きが放映されます。レイプ物や盗撮物など犯罪をまねた演出をしている作品にはこの注意書きがあります。レイプ風、痴漢風に見える作品であってもすべてそれは演出です。

 

◆審査を通した作品が販売されている

動画配信サイト「FANZA(元DMM.R18)」や大手通販サイト「Amazon.com」などで販売されているAVは、NPO法人知的財産振興協会(略称 IPPA)などの審査団体が行う審査を通過しています。明らかに、法的に問題のある作品は審査の段階でとめられています。

IPPA | 適正AVについて

 

もちろん、ここに書いた内容はわたしの知る限りのAVメーカーの姿勢です。わたしは、すべてのAVメーカーの内情を知っているわけではないので、すべてがそうだとは言い切れません。しかし、個人的には、そんな撮影してもメリットがあるのかなとも思っています。AVメーカーやプロダクションにとっても、未成年者の出演や、本人の意思を無視した撮影など、トラブルになりかねない撮影をするメリットは少ないように感じます。

 

そして、この話を読んで、怖いなと思ったのは、女の子を事務所に連れ込んで、強かんし、撮影している組織がいることで、加えて、その人たちが何者なのかが分かっていないことのように私は思いました。「おそらくAVだろう」ということで、AVの締め付けする裏側で、この犯罪者たちが活動を続ける恐れがある。小さな事例として、ひとつひとつに対処し、女の子を苦しめるものを根気強くつぶしていかないといけないよう思いました。

ムーラン北千住店で手書きPOPを売ってきた

みんな、みんな、ひさしぶり、もちこだよ。

みんな、商品買取は利用したことあるかな?
観終わったDVDを売る人が多いんだけど、ほかにも、フィギアやトレーディングカード
珍しい物だと、使用前のオナホールとかも買い取ってくれるんですって。(ふと気になって「使用済みオナホ」で検索したら、売買している別の機関があるようですね。売りたい方はそちらで)

商品買取りは各店、力を入れているポイントですが、ムーラン北千住西口駅前店様では、なんと「手書きPOP」を買い取ってくれます!

そんな店舗ほかにみたことない!!面白そうなので、小生も手書きPOPを売りに行ってきました。売ってきたのはこのPOP

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自信作のきのこ。
一番がんばったところはこの、まつ毛。抜けたのでセロテープでとめた。

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このきのこを持って、ムーラン北千住店様のPOP買取りを利用しました。

店舗にPOPを預け、査定後連絡がきます。店長さんと、POPに詳しい店員さん2人の計3人で査定するようです。査定結果がこちら

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150円!!!
「またこのPOP査定を持ってきてもらいたいか」という項目で100円の評価をいただきました。心意気を評価してもらったようです!店長が「気持ち悪いと、可愛いの中間ですね……」と困った顔をしたのだけが気になりますが、好評価だったようでよかったです!高校時代美術5をとっただけあるな!

しかし、ここで問題が。

「じゃあ、買取りなので、身分証を見せて、個人情報を書いてください」。

この150円のために、定期的にお会いする北千住店の店長さんに、小生の写りの悪い免許証写真を見せるのは恥ずかしい。今後、どんな顔で商談すればいいか。あの写真を見せた後に……
「あ、そちらのPOP寄付しますので、すきに使ってください」
150円でいつも多忙に働く店長がコーヒーでも買ってくれたらうれしいです。免許証の写真を見せてもいい方は、ムーラン北千住店様のPOP買取り利用してください!

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あと、ムーラン北千住店様では、タマトイズ、TMA商品も揃っているのでぜひついでに買ってね。

音楽フェス需要拡大の裏側で、なくなっていくライブハウス

渋谷にあったライブハウス乙がなくなるらしい。大学のとき、サークルの先輩がライブしていたな、と思いだした。思い出すぐらい、わたしは存在すら忘れていた。

 わたしが二十歳くらいのとき、知り合いのおじさんが「25歳を過ぎるとだんだん音楽を聞かなくなる」と、話していた。たしかにその通りで、大学を出たら、ライブハウスに行くことも、知らないバンドを探すこともしなくなった。

だから、なくなると聞いて、懐かしいなと思った。渋谷の屋根裏も、下北沢の屋根裏も、新宿のJAMも、いつの間にかなくなっていた。池袋にあったMANHOLEは浅草橋に移ったと、最近知り合いになったバンドマンの男の子が教えてくれた。90年代後半に生まれた彼は、渋谷の屋根裏を「そんなライブハウスあったらしいですね」と言った。彼は渋谷のパルコの向かいの、地下に続く階段を下りたことがないんだ。二十歳のころを思い出すわたしを置いてきぼりにして、Ellegardenのヴォーカルが組んだバンドがどれだけ素晴らしいかを彼は語り続けた。

 

◆CDが売れず増え続ける音楽フェス市場

ライブハウスがなくなったり、都心から移転したりしていく一方で、フェスの件数は増えている。ぴあ総研の調査によると、日本の4大ロック・フェスティバルと呼ばれている「FUJI ROCK FESTIVAL」、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」、「SUMMER SONIC」が軒並み盛況で、音楽フェスの市場規模が拡大されていると発表している。

corporate.pia.jp

 

映像や音楽コンテンツにお金を払う「コンテンツ経済」から、実際の体験にお金を払う「体験経済」、演者に共感し応援の意味を込めてお金を払う「共感経済」に移っていくと、以前、のSHOWROOM前田裕二社長が話していた。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

CDが売れなくなった現在、その埋め合わせをするように「体験」つまり、ライブやフェスでお金をもらうバンドも多い。今までCDで聞くしかなかったバンドを体験できるようになった。小さなライブハウスで無名のバンドを聞くために割いていたファンたちのお金が、今まで見ることのできなかった有名バンドの体験に消えていくのではないだろうか。

 

◆バンドは有名になっても経済的には困窮する

2000年代前半に、バンドを組み「RISING SUN ROCK FESTIVAL」や「SUMMER SONIC」に出演していた知り合いがいる。彼のバンド時代の年収を聞いたら、私が想像していたよりずっと低かった。そこまでいってもそうなんだ、夢も希望もないなと思った。CDが売れなくなった今、現状は、おそらくもっと稼げない。「今は仕事しながらバンドする人が多いんですよ。フジロックに出演するバンドも仕事の休みを取って出演していたりするんです」。バンド取材の多いライターさんが教えてくれた。売れてもしんどい状況があるのは、音楽業界に門外漢のわたしでも感じ取れた。

 

◆現実が露わになりゆっくり沈んでいく

どんな業界でも、力のないところから衰退していく。音楽フェスの市場規模が拡大していることから、ライブ需要、音楽需要が拡大しているように見えそうになるが、実際は、末端であるライブハウスが抱えていた客を、大きなライブイベントや有名バンドが奪っているだけなのかもしれない。

最近、バンド「クイーン」の活躍を描いた映画「ボヘミアンラプソディ」を観に行った。作中で、フレディ・マーキュリーがこんな不満を叫ぶシーンがある

曲を作って、CDを出して、ツアーをする、曲を作って、CDを出して、ツアーをする、繰り返しだ。

華やかに見える音楽業界でも、実態は、ほかの業界と変わらない。ルーチンの退屈さも、弱い組織が淘汰されるえげつなさもある。だけど、それを上手に、上手に隠し、客を取り込んできた。現実が露わになった業界は、ゆっくりと、沈んでいくのかもしれない。

ミスター慶応大ようなモテる男が、女の子を一番、苦しめているということ

先日、「若草プロジェクト 設立3周年シンポジウム」を見学してきた。

若草プロジェクト|研修・催しものについて

瀬戸内寂聴さんの秘書、瀬尾まなほさんの本で、この活動を知った。物を書く人というのは、どこか自意識がでてしまうのだけど、かざらず、自分の欠点も素直に認めている瀬尾さんの文章はとても素敵で、瀬尾さんが関わっているという理由で若草プロジェクトにも興味をもった。

今回は、「若い女の子生きにくさ」というテーマを中心に有識者が講演していた。自殺を防止する活動をする「社会的包摂サポートセンター」の担当者の方は「電話で相談してくる人は半分以上が女性だ」と、データを見せながら説明した。そして、作家の桐野夏生さんは「自己評価の低い女の子は、認められることで、悪い道にそれてしまう」と話す。

そうか、そうだよね、女の子、とくに、自信のない女の子は、だれかに認められたいって思うのかもしれないね。自殺者全体では男性の比率の方が多い、それでも、自殺相談に電話してくるのが女性ばかりなのは、「誰かに認められたい」「評価してほしい」「励ましてほしい」と思うのかもしれない。誰かの優しさに飢え、寂しさを辛く感じるのは、女性が多いのかもしれない。そして、認めてほしい欲求は彼女たちを狂わしてしまうのかもしれない。

このシンポジウムでは、座間9遺体事件に関しても触れている。「死にたい」と呟きながらも、誰かに生きていいと認めてほしかった、もしかしたら、それが被害者の本心のようにも思った。

 

◆女の子を思い通りにする人たち

最近、AV女優さんで、ホストクラブの従業員にたくさんお金をだしたことをネット上に告白した人がいた。わたしは彼女の個人的な話は聞いていない。だけど、わたしは一緒に仕事をして、彼女が一生懸命お客さんを大切にする姿を見ていた、仕事熱心で、とてもいい子だと思った。綺麗で、可愛くて好きな女の子だった。だから、彼女が苦しそうにしているのがとてもつらかった。なんで、こんなにいい子を苦しめてしまうんだろう。

そのAV女優さんと付き合いがあった人がどんな人か分からない。だけど、女の子の心を上手につかんで、苦しいけど、抜け出せない、そんな状態にさせる男の人はいる。そういう男の人って一番、怖いように思う。

だけど、一方で、女の子の心をつかみ思い通りにさせる男の人は、女性の権利を守ろうとする人からは、あまり批判されない。シンポジウムでは、AKB48のようなアイドルブームが若い女の子を性的な目でみるきかっけになったと話していた。わたしはこれには賛同できなくて、女性的なものをアピールすること、それ自体は悪くはないと思っている。18歳未満の女の子に悪戯をしたり、成人していたとしても女性の意思を無視して性的な行為に及んだりしてはいけない。だけど、女性性をアピールしていたとしても、それ自体には罪はないと私は思っている。

それよりも、座間の事件の犯人のように、女の子の心をつかんで、思い通りにしていく人、一見、女の子に好かれるモテる人が一番怖いんだよなと思っている。女の子に好かれる見た目で、女の子が喜ぶことを言って、女の子に好かれる、そんな人が、実は悪意をもっていたという事態が一番怖いように思う。自分の犯罪行為をしたい欲求を隠しながら、女の子に近づき、向こうにも好かれ、そして、警戒心がなくなった頃に手のひらを返し、卑劣なことをする。そんな人が一番怖い。

 

◆「自分が嫌われるはずない」という傲慢さ

先日、慶応大学の学生が女性を暴行したというニュースが流れた。

www.sankei.com

 

彼は、大学のミスターコンテストに入賞するほどの丹精な容姿で、帰国子女で家もお金持ち、きっと女の子に好かれてきたんだと思う。だけど一方で、女性に乱暴をしたいという欲求も持っていて、それを実行した。

普通に考えたら、道であった人をレイプして、暴行してはいけないと思う。思うけれど、彼が実際にそれをしてしまったのは、「自分なら許される」という気持ちがあったように思う。女の子に近づく方法、好かれる方法をすべて知っていたから、「自分が女の子に嫌われるはずない」そんな傲慢さがあったよう思う。そして、これは憶測だけれども、今まで、卑劣な行為をしても罪をとがめない女の子がいたようにも思う。彼自身が、自分の異性としての魅力や立場で、女の子をうまく取り込んでしまっていたのではないか。

この事件を聞き、東大生強制わいせつ事件や、それをモデルにした小説「彼女は頭が悪いから」のようだなと思った。自分だったら許されるはずだという傲慢さがそこにあったように、わたしは見えた。

 

◆言葉の本当の意味を考える

女性性を強調した物や、それを好む男性は目につきやすい。キズナアイの騒動のように、女性の権利を訴える人々が、それを女性蔑視だと批判することもある。だけど、それよりもっと女性を苦しめているものはないだろうか。 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

これはわたしの個人的な意見だけど、「フェミニスト」「女性の味方」と自ら主張する男性は、異性として少し警戒する。「女性の味方だよ」「女性のことを大切にする」という言葉を額面通り受け取れば、恋人にする際にとても都合のいい人のように見える。だから、もしかして、女の子を取り込むための道具として、その言葉を使ってはいないか疑いをもってしまうこともある。対外的な意思表示と女性の好みは異なっていないか。

柚木麻子さんが「首都圏連続不審死事件」モデルに書いた小説「BUTTER」を先日、読んだ。殺人事件を取材する週刊誌記者の主人公は、犯人の女と面会を続け、ついには妹や母親に取材することとなる。洗練された父だと犯人は話していたが、母親からみた父は違っていた。

「私はもともと、家にいることがあっていないのよ。この街には何もなさすぎて飽きていたの。カルチャーセンターで働き始めてからは、講師仲間もできて、やっと息を吹き替えした。仕事帰りにテニスやバレー何かを楽しんだわ。こう見えて昔はスポーツ少女でね。でも、夫はいい顔しなかったわ。あの人、進んでいるふりをしていたけど、実のところ、新潟生まれのおぼっちゃんで、妻には家にいて欲しいタイプだったのよ、女性観がすごく保守的だった。あの世代の左翼の男によくいるタイプよ」

「あ、離婚して離れて暮らしていた私の父も、そのタイプでした。わかるなぁ。学生運動で知り合った、当時としては進歩的な夫婦のはず、だったんですけど」

 

これはフィクションであるけれど、その片鱗は今の社会にもあるように思う。革新的な男性であっても異性の好みが保守的であることは多くある。女性の権利をと叫ぶ男性のとなりには、綺麗な女性がいたりする。だからこそ、その人の言う言葉の本当の部分を確かめてから、判断しないといけないなとも思う。

 

◆「自分だったかもしれない」と話す瀬尾まなほ

前述のシンポジウムのはじめ、瀬尾まなほさんがこんなことを話していた。

「もしかしたら、その女の子たちって私だったかもしれない、わたしの妹だったかもしれない。女の子たちが悪いって決めつけがちだけど、人は環境によって変わる。わたしもその環境にいたらそうなるかもしれない」

そうだよな。もしかしたら自分だったかもしれない。そしてこれからも、そんな卑劣な被害に自分があうかもしれない。上手に、上手に、女の子を主通りにしようとする人はいるのだから。女の子たちを、分断をさせないためには、自分事にすることが大切だよな。わたしがどこまでできるか分からないけれど、なにかできたらいいな。

仙谷由人さんが亡くなってsengoku38を思い出す

仙谷由人さんが死んだ。

www.sankei.com

仙谷由人さんで思い出すのは、中国漁船衝突事件の瞬間を流出されたYoutubeの動画。sengoku38というアカウント名。当時海上保安官だった男が流出させた映像はメディアに取り上げられた。当時、わたしは大学生で、ジャーナリストになりたくて、就職予備校に通っていた。元新聞記者の講師が時事問題を解説してくれる。そこで、先生の娘が名探偵コナンが好きだという話になった。

「娘はね、マンガの推理も簡単に説いてしまうんだけどね、このsengoku38、3と8をかけ算すると24になるでしょ」

センゴクニシ。リベラルと言われた民主党政権。日本の海を守る覚悟で働いていた保安官が、領土を攻める諸外国に強気にでられない政権を歯がゆい気持ちで思っていたことは予想ができる。仙谷に死。本当の意味は今も分かっていないけれど先生の予想が当たったとするならば、アカウントの示した事柄は8年たった今起きてしまった。

調べてみたら、中国漁船衝突事件の映像が投稿されたのは2010年の11月。「震災前か」と、とっさに思ってしまった。民主党政権のイメージは大震災によってすべて上書きされている。普天間移設を声高に叫んだ鳩山由紀夫も、大臣になった福島みずほも、sengoku38もすべて薄まって、震災と原発で上書きされた。民主党政権は、震災の印象ばかりが残っているけれど、震災があった翌年に政権は自民党に移っている。リベラルな政党手放した大衆が反原発を声だかに叫んでいたのは少しおかしいなと、今になってみると思ってしまう。

 

◆反原発を訴える難しい本ばかり読む女の子

ちょうど、自民党に政権がうつったころ、反原発デモに参加している女の子がいた。彼女は大学には行ってない。専門学校を卒業したあとそのまま働いていた。インターネット上に難しい本の引用をたくさん投稿していた。意味ありげで意味のない引用文のあと、関係のない彼女の日常が続く。将来の子供に胸を張りたいと言ってデモに参加する彼女をわたしは少し距離を置いてみていた。

わたしは周囲の人がよく言わない物に興味を持つことが多い。学生時代は、ホールレスの炊き出しを手伝って、アルバイトではエロ本のAVの紹介分を書いた。多数派の人々は、顔をしかめるもの、悪くいうもの、そんなものが気になってしかたなかった。理由も言わず悪く言うのはなぜなのか、批判して終わりにしてしまっていいのか、臭い物に蓋をして終わりでいいのか。そんなことをずっと思っていたし、今でも思っている。当時は上手に言語化できなかったけど、反原発も、原発が悪いからなくせ、原発はすべての悪の元凶だ、で議論終わりにしていいのか、と思っていた。

 

原発に感謝していると話す福島出身の村西とおる

震災のずっとあと今から2年前くらいの話。テレビで、AV監督の村西とおるさんが、原発の話をしていた。2016年11月9日の東京MXのバラ色ダンディで以下のように語っている。

 わたしは、いわき市のあの地区の出身なんですよ。あれができた50数年前は、あの地区はとっても貧しい地区。わたしの地区なんですけどね。

わたしの同級生のお父さんなんかはね、みんな出稼ぎにいくわけ、東京に。それで、工事現場で死んだりするわけ。迎えに行くお金がないわけ、それで、骨で送ってもらうわけだ。それでもって、私の友達がね、うちの最後のおやじの体を見たかった、骨でかえってきちゃった、と号泣したことあるんです。

そういうように、あの阿武隈山地だから、土地もはっきりいって痩せている。海のほうは三陸と違っていい魚もとれないわけ。だから、東京に出稼ぎにいくしかないんです。その50数年前に原発ができたわけ。みんな喜んだ。出稼ぎに行かなくて済んだから。

今日50年後こうなったからって、あのへんの地区の人たちは、福島原発とか、東京電力に対する恨み辛みって、そんなにないですよ。感謝の気も、わたしもそうだけど、とても感謝の気持ち、原発に対する。自分たちの生活とか、家族離散とか防いでくれたんです、原発が。これで私たちは豊かになったって思いがあるから。

だから、今日においても東京電力の人たちはとっても一生けん命、親身になってあの地区でやってくれてますよ。そういう側面もぜひ室井さん(この日出演していた室井佑月さん)なんかにもご理解いただいて、決して、メディア騒ぐほど恩知らずでもないですし、原発この野郎じゃないんですよ。

 

村西さんは、「昔からあの辺に住んでいる人たちは原発東京電力に感謝しているんですよ」と言った。産業のない貧しい地域で暮らすため、出稼ぎにでて、ときには命すら落とす。悲しい過去を背負っているから、街に原発ができ、仕事ができ、みんな喜んだ。これで、家族そろって生活できる。

ああ、そうだよな。原発反対の陰ではお父さんの仕事がなくなって、お金がなくなって、学校にいけなくなる子供たちがいるかもしれないんだよな。原発があることで維持される世界。いつか壊れるかもしれない世界。だけど、じゃあ、ほかにふるさとで暮らす方法があるのか。田舎に仕事なんかない。そんなの、お金をかせぐだけの技術を習得しなかった人たちが悪いでしょ、と自己責任を地元の人に押しつけて苦しめて終わりでいいのだろうか。代替案のない状況で、いつか壊れるかもしれない幸せをむさぼること、それが一番マシな方法なんじゃないか、とわたしは思った。

過激なことを言う人、自分が正しいと思ったものを押しつけようとする人は一瞬立ち止まってほしい。過激な意見の後ろ側に、苦しむ人はいないだろうか。

福島のような事故はなくさなくてはいけない。家をなくし悲しい思いをする人を生み出さないでほしい。だけど、それは、今すぐ原発とめろという極論ではない。最善を考えていこうよ。こんな莫大な被害を被った国だ。そこで、たくさんの事象をみていたじゃないか。「こうしたら防げた」って後悔もきっとたくさんある。それを生かして、こんな事故が起こらない原発を目指したっていい。原発に変わる大きな発電所が作れて、同じくらいたくさんの人が雇えるならそれでもいい。できるだけ、不幸になる人が少なくなる方法を考えようよ。怒りではなく優しさで。

 

sengoku38がきてもなにも変わらない

原発デモに参加した彼女は数回だけ参加してデモ活動をやめてしまった。そもそも今は原発デモなど国会前で行われてない。今でも福島の作業は終わっていないのに。大衆はすぐに飽きてしまうんだ。

知的、賢い、人と違うと見られたい。自分のコンプレックスを埋めるために、過激な主張をアクセサリーのように身につける。誰かが傷つくことなど想像はしていないのだろう。原発デモに参加した彼女は、本の文面をいくつも投稿した。「自分には知性がある」「人と違うと認めてくれ」とアピールするかのように。過剰なアピールは自分が軽く見られているという自覚の裏返しだとわたしは思っている。だけど、想像力の欠如は、難しい言葉を並べても埋まらない。わたしは彼女のいまを詳しくは知らない。自分のなにかを埋めるために、誰かのささやかな生活を侮蔑し踏み殺していないことを願う。

sengoku38の動画から8年がたった。センゴクニシがきても、なにも変わらない。領土問題も原発普天間移設もなにも変わらない。変わらないものに怒りをぶつけエネルギーをそそいで、ぜんぶ無駄なことだった。極端な主張は、たとえそれが通ったとしても、世の中は改善されない。保守の主張も、リベラルの主張も怒りが原動力であるならば誰も幸せにできない。怒りはなにも解決できないんだ。みんなで一番マシな方法を考えようよ。

 
mochi-mochi.hateblo.jp

 

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人から見られる自分と、人から見られたい自分の間でもがきながら生きる人はたくさんいる。今までもブログでも書いてきました。よかったらみてね。