オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

#kutooの動き阻む女性のプライド

「#kutoo」というハッシュタグが最近話題になっているようです。ハイヒール着用を義務付ける職場のルールを変えよう、ヒールのない靴を許してもらおう、という動きです。

女優でライターの石川優実さんの呼びかけで始まった「#KuToo」運動。職場でのパンプスやハイヒールの着用義務をなくし、履く履かないを選べるようにしようというものです。

www.bengo4.com

 #kutooと一緒に化粧をするマナーもなくそうという動きもあり、化粧のルール化をなくす航空会社もあるようです。

メイクをしたくないキャビンアテンダント(CA)は、男女を問わずメイクをしなくてもいい。イギリスの航空会社ヴァージン・アトランティックが、新方針を発表した。

www.huffingtonpost.jp

 

わたしはこの動きにすごくすごく良いと思います。芸能人のような見た目の美しさが自分のセールスポイントになる人は別ですが、それ以外の、普通の会社員にまで動きにくい靴や、肌に負担をかける化粧をマナーとして強要していいものか、と思っています。汚れた服装や清潔感のない見た目は印象が良くない。だから男女とも、髪を整え、服をキレイして、仕事をするのはわかる。でも、女性だけに、過剰に見た目の良さを求めるのは嫌だなと思っていた。#kutoo賛成すごくいい。(というか、わたしはすでにヒール靴なんて履いてないけどね)

 

◆#kutooに反対する女性の声

だけど一方で、#kutooに対しての反対意見はある。そして、それは男性ばかりではなく女性から沸き起こっている。たとえば、作家の鈴木涼美さんはアベマTVの番組で#kutooに対して、以下のような意見を述べている。

「こういった運動は世界各地で起こっている。一部賛同は得られるがそれ以上の広がりがない、乗らない女性が多いことを考えると、女性がキレイでいることは社会的要請である一方、女性自身の普遍的な欲望でもある」

abematimes.com

「女性は綺麗でいる」という価値観の押しつけが男性ではなく同性から起こる。これは、この問題だけでなくて、色んな場面で起こるのかなと思います。

 

◆服装自由の会社でのメイク強要

わたしが大学をでてすぐの頃。小さい広告代理店でバイトをしていました。そこで、同僚の女の子が「化粧をしなさい」と女性の役員に注意されていました。その子は制作職として働いていました。制作職は「髪型服装自由」と募集広告には書かれています。「化粧自由」とは表記してなかったけど、取引先と接することがないから、服装もカジュアルでもいい。そんな職場でお化粧する必要あるのかなと、そばでみていて思ったんです。派手な見た目ではないけれど、不潔な服装はしていません。さらに、仕事の面ではすごく優秀。美大卒でデザインセンスがすごくいい。なんか、あら捜しをしているようだなと思った。

注意した女性役員はもともとは営業職だった人で、50歳近い年齢だと思いますが、毎日バッチリメイクをして、ハキハキと気の強そうな女の人でした。きっと女性営業として、ガツガツ働いて結果を出したんだと思います。隙のない見た目の人です。だから、だと思うんです。美大卒で、隙だらけの制作職の新人さんが目についてしまったのだろうな。役員の彼女の側に「化粧をするのは当たり前」「自分は毎日やっているのに」みたいな考えがあったように思ったんです。

 

◆化粧圧は女性からくる

わたしも普段あまり化粧をしないので、化粧しなよ、みたいな圧を感じることがあります。でも、その「化粧圧」って男の人ではなく、女の人から感じることが多いんだよな。そもそも男性は自分がしないせいか化粧の濃淡を気が付かないことが多い。

以前、女の子に「化粧しないから一緒に写真とれない」と話した時「わたしは化粧をしないで出かけたことなんて一度もない、ありえない」と言われショックをうけました。

 化粧もヒールもないほうが俄然楽でいいんですよ。それでも化粧をするのは、鈴木涼美さんの言うように、自発的な気持ちもあるとは思いますが、それよりも、他者からの評価を下げたくない、きれいに見られたい、という気持ちで気を使っているように思うんです。以前も、書きましたが、女性は他人からの承認により自信を持つ傾向がある。自分自信が綺麗でいたいよりも「綺麗に見られたい」のほうが強いんじゃないかな。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

「あか抜けない子」「ダサイ子」と思われないように顔を作る。ほんとは面倒だけど頑張る。だからね、めんどくさいことを放棄する子がずるく見えるのかなと思います。わかる。すごくわかる。わたしも頑張ったんだから、がんばってよ、と思うことある。だけど、わたしは化粧をがんばりたくはないしなあ。やっぱりね、自分が頑張りたい、めんどくさくてもやりたい、と心から思えるものに注力するのがいいんだろうな。

ハヤカワ五味が炎上して収束した話

「ハヤカワ五味ちゃんが生理用品を入れる袋を断ろうってネットで言ったら、誹謗中傷を受けて、ツイッターも更新できなくなって、可哀相なんだよね」

ネット界隈の炎上話を肴にお酒を飲むことはたまにあって、その日も知り合いとハヤカワ五味ちゃんが炎上したって話をした。わたしはハヤカワ五味ちゃんのことを若い女性の起業家さんぐらいの認識しかなかったので、その炎上の件は知らなかった。一緒にお酒を飲んだ彼は可哀相だと言ったけど、彼の話を聞く限りでは、批判されそうな話だなとは思った。

◆#NoBagForMeが押しつける価値観

家に帰る途中、ハヤカワ五味ちゃんの生理用品の取り組みを調べてみた。ユニ・チャームと共同のプロジェクトで、生理用品を隠す袋を断ろうというキャンペーンらしい。ニュースサイト「ハフポスト」にこのプロジェクトの記事がでていた。

生理用品を隠すための紙袋やビニール袋はいりませんーー。その選択肢を後押しするプロジェクト「#NoBagForMe」を、生理用ナプキンなどを扱う大手メーカー、ユニ・チャームが始める。

 

プロジェクト発足の背景について、ユニ・チャームの広報担当者は「世の中には、『生理は恥ずかしいもの、隠すべきもの』という価値観がある。それを象徴することの一つが紙袋だと考えた」と説明。情報発信や新たな商品開発によって、その価値観をアップデートすることが目的という。「強制や押し付けではなく、『紙袋はいらない』という”選択肢”を後押ししたいと思います」とも強調した。

www.huffingtonpost.jp

このニュース記事を読んだだけでは、プロジェクトのすべては分からない。だけど、わたし個人の意見としては、賛成できない内容だと思った。「強制や押し付けではなく、『紙袋はいらない』という”選択肢”を後押ししたい」と書いてあるけれど、「紙袋をいらないと言おう」というテーマを掲げ、それに賛同する人を集め、紙袋をもらわない、生理をオープンにするという価値観を肯定的に話したら、価値観を押し付けられているように感じてしまうだろうな。まだ、「プロジェクトが始まります」という告知記事しかでてなかったので、詳細は分からないけど、なんとなく、抵抗感を感じる人がいるだろうことは予想できた。

わたし個人としても、生理をわざわざオープンに話したいと思わないし、誰かが生理の話をしているのを聞くのもあまり好きではない。他の人のプライベートな部分を見たくないと思う。体の悩みを相談する機関は必要だと思うけれど、公にする必要はあるのかなと思ってしまった。そんな意図はないのかもしれないけど、生理をオープンにしたくない人の意見を排除してしまっているように見えた。

 

さらに、ハヤカワ五味ちゃんは、「なんでツイッターを休んだか」とnoteに投稿する。

note.mu

ただ、あまりにも内容を無視したハヤカワ個人の人格否定的なツイートが多すぎたので、流石に「いやそれは関係ないやろ」とムカついてしまい、途中ツイート内容が偏りすぎた表現になってしまったので、その件に関してはTLの皆まさにご迷惑おかけし申し訳ないです。

まだ、批判されている最中にこれをみたので、彼女が感情的にこの状況を辛いということで、生理の話題は炎上する、生理の話題は批判されるというイメージが付くだろうな。生理がよりタブーになって彼女の考えと逆行してしまいそうだなとわたしは感じた。

 

◆「生理用品は買いにくい」を解消する

最初は、わたし個人的には「なんとなく賛同できないな」と思っていたんだけど、ハヤカワ五味ちゃんが6月14日に投稿した「私は生理用品が作れなかった。 #NoBagForMe」というnoteの記事でこのプロジェクトに関して投稿するのをみてちょっと変わった。彼女は生理用品を作ろうと思った経緯に対して、「生理用品を買いにくい」という悩みを女性が抱えていることを書いていました。

 

周りのスタッフや友人にもヒアリングしたところ「生理用品を買おうとレジに向かう途中で、通りすがりのおじさんに卑猥だと罵声を浴びせられた」といった、到底理解しがたい辛い体験をした女性もいました。

note.mu

 

ああ、なるほど、たしかに、それなら分かる。生理をオープンにしたいなんて思わないけれど、生理用品を買う恥ずかしさ、後ろめたさは理解できる。そして、それを解決するために、シンプルなデザインの従来の生理用品とは異なる生理用品をつくろうと言われれば納得できる。

最初にあげた 「#NoBagForMe」の紹介記事も、ハヤカワ五味ちゃんが書いた「私は生理用品が作れなかった。 #NoBagForMe」というnoteも伝えたい根本は一緒で「生理の恥ずかしさをなくそう」というテーマなのだと思う。

だけど、最初にでた「#NoBagForMe」の告知が、「生理を恥ずかしくないものと思うようにしよう」「生理用品の袋を断ろう」という「価値観の押しつけ」のように見える内容であるのに対して、14日に書いた「私は生理用品が作れなかった。 #NoBagForMe」は、生理用品を買う恥ずかしさという「不便を解消したい」という内容。相手に行動を求めるのか、自ら動くのかの違い。

同じ意見であっても、価値観を押し付けられると抵抗感がある。「それはあなたの考えでしょ」と言いたくなる。だけど、不満や不便を解決できるように動きます、と言われれば抵抗感なく受け入れられる。どう伝えるか、表現するか、それだけで、印象が変わるんだな。何を伝えるかも大切だけど、どう伝えるかはもっと大切かもしれないな。

死ぬなら一人で死んでください、と言われる自分

以前も言いましたが、人のSNSをこっそり盗み見するのが趣味です。品性のない嗜好だと思うのですが、やめられません。仲がいい人よりも、相手に対して、ちょっと違和感があるなって人をつい見ます。 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

中学校時代のクラスメイトが今更新しているツイッターを盗み見しています。彼女のmixiのプロフィールに書いてあったブログからたどりここ数年見続けている。本人とはまったく連絡をとっていないんだけど。彼女は結婚して主婦になり、旦那さんの不満をツイッターにあげ続けます。モラハラと言われるようなひどい言葉も浴びせられることもある。「いじめっ子ってわたしの周りにはいなかったけど、きっとこんな人のようなことを言うんだろうな」と投げやりな投稿をしていました。ああ、そうか、彼女は、自分の周りはすべていい人だったんだ。

わたしは中学一年生の頃、陰口を言われたり、無視をされたり、ちょっとしたいじめみたいなものをされました。暴力をうけたり、身の危険を感じるものではなかったけれど、学校に行くの嫌だな、行くのをやめようかなとは思った。教室の端で、わたしの悪口を言っている人たちの姿は、ツイッターの彼女の目には入らなかったんだろうな。自分事にならないと、視界に入らない、自分が苦しまないと、痛みは分からない。そんなものなのかもしれない。

 

 ◆死ぬなら一人で死んでくれの議論

川崎市で起きた殺傷事件の犯人に対して、あるコメンテーターが「死ぬなら一人で死んでくれ」と言い問題になっていました。

www.j-cast.com

 

悲惨な事件であること、残された人たちがとても重い不幸せを背負ってしまったこと、そんなことを考えると、言いようのない悲しい気持ちになる。だけど、死ぬなら一人で死んでくれ、と言うことに違和感があります。

わたしは、中学時代に嫌なことを言われたこともあったけど、たまたま学校に居座り続けて、悪口を言われる時期も終わって、高校に行って、大学に行って、社会人になれた。だけど、もし、どこかで、躓いてしまったら、社会にうまく溶け込めなくて、恨みをため込んでいたのかもしれない。「あの時耐えられなかったら」と思うことが、わたしの今迄の人生でいくつかある。だから、ルートから外れてしまった人に対して、批難の言葉を浴びせていいのか、もしかしたら、自分だったのかもしれないのか、と思った。

 

 ◆親の居ないいじめっこ

中学生のとき、わたしの陰口を言って、無視して、笑っていた子は何人かいたけれど、その中の一人に、施設から通っていると大人から言われていた子がいた。児童養護施設のことだと思う。彼女とは、掃除当番が一緒だった。たくさん人のいるときは、わたしを馬鹿にして笑うくせに、二人っきりになった途端に親しい人のように話す彼女が嫌いだった。手のひら返しやがってと思っていた。

二人っきりで渡り廊下を掃除しているとき、彼女のところに、ほかのクラスの子がやってきた、すごく楽しそうに話していた。話し終わって二人きりになったとき、わたしは「施設の友達?」と聞いた。彼女が一番触れられたくないだろうな、と思うことは想像できた。それでも私は、彼女が嫌いで、言わなくてはいられなかった。

「違うよ」と彼女は慌てた。その後、彼女はなにかあるごとに「お母さん」を話題に出した。「お母さんが夜中にラーメンを作ってくれたんだよ」。「お母さんとテレビを観たよ」。わたしは、彼女の慌てた様子が忘れられなくて、悪いことをしたなと苦しくなって、いないはずの「お母さん」の話を真に受けたふりをしていた。もう10年以上前の話。大人になればなるほど悪いことしたよなって寂しい気持ちになる。もし、彼女が私の言葉で傷ついて、その怒りが今、彼女の周りにいる人に向かったとして、なにも悪くなかったとは言い切れないかもしれない。

みんなどこかで、加害者になる可能性も、加害に加担してしまう可能性も持っている。普通の生活なんて、すごくすごく簡単に崩れてしまう。だから、だからね、道を踏み間違えた人だったとしても、勝手に死んでくれと言っていいようにはわたしは思えなかった。

 

エロい女の子になる必要はないよ。

この前、プログラマーのDaiさん(@never_be_a_pm)のツイッターに返信する形で、「覚悟なく性的な姿を公する人はあまりよく思えない」と書いたんです。なんか、この世界にいると、感覚が鈍くなるけど、そんなふうに自分をエロく見せる必要ないよなあ、と女の子に対して思うことがある。

 

  

  

◆アブノーマルが偉い、人と違うが偉いという風潮は怖い

昔、雨宮処凛さんがあるサイトで、サブカルと言われるジャンルでは、アブノーマルなセックスをすることが偉い、普通の人のしないことをするのがセンスがいいとみられると語っていました。

maga9.jp

「ああいうの観てたから、普通のセックスじゃダメだと思ってた。変態じゃないといけないと思ってた」

 ああ、わかる…と遠い目になった。別に変態にならなきゃとは思ってなかったけど、とにかく自分には価値がないと思ってた。それは当時のAVでは女優があらゆる「変態」と言われる行為に応じていて、「こんだけ可愛い子でも脱いでただセックスするだけじゃ商品価値がないんだから、お前らなんて徹底的に無価値なんだからな!」と言われている気がしたのだ。

 

  アブノーマルな方が偉い、他の人がオープンにできないことをオープンにできるのは素敵、人と違う自分はセンスがいい。今アダルトの世界にいると、そんな空気を感じる。性を公にできるのはかっこいいと言う人が多いけど、わたしはよく考えて、と言いたい。人と違うことをしちゃいけないとは言わない。それをすることで、良い面もあると思う。だけど、デメリットもちゃんと考えてね、と思うのです。

人と違うことを、自分が覚悟をもって主張をするなら素晴らしいと思う。人から批判されれもいいから、言いたい、主張したい、そんな気持ちであれば主張はしてもいいし、嫌な思いを覚悟できるのは素晴らしい。だけど、覚悟がないのに、無理に人と違うことをする必要はないと思うんだよな。自分が本心で言いたいこと、悪口言われてもいいたいこと、アピールしたいこと、それ以外は傷ついてまで表現しなくていいよ。普通に無難に生きることはなにも恥ずかしくない。AV女優の戸田真琴ちゃんも書いていたけど、特別になる必要なんかない。

note.mu

 

◆エロビデオの営業をするデメリット

わたしはエロビデオの営業をしているので、エロいこと聞かれるだろうという想定はあります。だいたいは無視するけど、相手によっては死んだ魚の目でキモいっすよって言うし、ひどい場合は警察にいくだろう(わたしのまわりのみなさんは節度のある方ばかりなので、そんなことしようとしたことはないですが)。

だけどね、そう言いたくなる気持ちも分からなくはない。人のプライベートな部分を詮索したいとか、バカにして面白がりたいという汚い気持ちはわたしもある。そんなの下品だと思うし、自分のためにならないと分かるから、やらないけど、そういった感情が人間に存在するのは分かる。人の性生活を詮索したい人は存在するだろう、そんな人にとってアダルト業界の人間はちょうどいいだろうと予想できる。相手を品性のない人だと思うけどね。

わたしは危ないよなと思うのは、エロいことを言われるというデメリットを予想せず、エロビデオの営業になってしまうことだと思う。そうなったとき、「わたしは被害者だ!!」って怒りがわいてしまう。もちろん、エロいこと詮索してくる人が一番悪い。だけどね、自分が、その予想外の嫌な思いを避け方法はなかったのか。キモいことを言われてもいい、嫌な気持ちしてもいいと覚悟した人以外は、エロビデオの営業という人のやらない仕事に就かないほうがいいんじゃないかなと思う。もっと偏見のない仕事を選んだほうが良い。

 

◆セクハラの加害者が100%悪いのか

ちょっと前にある女の子の友達が、共通の知り合いにセクハラされているって相談してきた。セクハラをしたと言われた人は何回かあったけれど、わたしは悪い人には見えなかった。だけど、人に色んな顔があるのかもしれないね。わたしは、彼女の力になりたいと思って、相談できる機関の情報とか教えてあげた。なんとかおさまったようでよかった。

その女の子は、セクシーな自分の写真をSNSにあげて、自分のセックスのこともあけすけに話す。ボディタッチも多い。トラブルになった知り合いにも、自分のセックスや性の好みも話していて、そばで見ていて大丈夫かなって思った。セックスしたい人以外にそんな話をしたら勘違いされてしまうかもしれな、と思いながらもお節介だと思って黙っていた。

最近ね、その女の子の話を、別の男性経由で聞いた。「あの子エロいんだよ」って言われていた。わたしは、そのあと、エロい話ばかりしてはよくないと思うよって言ったんだけど、上手く伝えられなかったようで、いまいちピンときていないようだった。きっと、また嫌な思いをしてしまうんじゃないかなと心配している。

もちろん、加害者が悪い。相手の嫌がることをしたらよくない。でも、勘違いさせないように距離を保ってあげる、近すぎるなと思ったら距離をとる。これも思いやりなんじゃないかなって感じたの。人間だれでも相手に好かれたいと思うし、異性に好かれる方法として、エッチな女の子と思われるのは有効だとも思う。セックスできそうな女の子にはみんな優しい。だけど、そんな安易な好意を得るために、相手を悪い人にしてしまっていいのか、少し考えてしまう。

 

オナホールを使わないオナホ営業

「商品使ったことあります?」

営業先の担当者さんが、これはセクハラとかじゃないですからね、と前置きをしてわたしに話した。「この仕事していて言っていいかわからないですけど、アダルトグッズ使ったことないんですよね。それなのに、自分が売っていていいのかなって疑問に思うんですよ。カタログに載っている情報しか伝えられなくていいのかなって」。

商品のことを勉強していれば、申し訳なく思わなくて大丈夫ですよ。そんなふうに言った。だけど、仕事としてセックスに関わる人に対して「プライベートでも性的なことをしろ」って圧はあるような気がするなって思った。

この業界に勤める人と話していたとき「この業界にいるなら、商品使わないとだめだよね」と言っていた。その人は仕事に一生懸命だし、わたしにも親切に接してくれる素敵な方だと思う。だけど、その言葉には肯定できなかった。自分で使わない人が業界にいたっていい。性の多様性を謳っているメーカーや販売店が、自分の嗜好を無視して商品を使えというのは矛盾しているきがした。使いたくないなら使わなくていい自由があるはず。

 

◆女性用生理用品を作ったパッドマン

ちょっと前にパッドマンというインド映画を観た。女性用生理用品を作った実在の男性をモデルにした話。主人公は妻が月経の際に汚い布を使う姿をみて、安くて清潔な生理用品を作ることを決意する。主人公は生理用品を使う女性の意見や、大学教授の専門知識を集め、自身が使わないにも関わらず生理用品を安く作る仕組みを作る。

この映画のような話はどんな業界だってありえるんじゃなか。月経のこない人が生理用品を売ったっていいように、自分で使わない商品を仕事として売るのは不自然じゃない。罪悪感を持つ必要だってない。別にアダルトグッズを使うことが、アダルトグッズを売る人の必須条件じゃない。

jisin.jp

自分で使って意見を上げるというのも、無駄ではないと思います。でも、それは、たくさんの意見のうちのひとつということを忘れてはいけないように私は思います。メーカーや店舗、売る側の目的はたくさんの人に商品を買ってもらうこと。多数派の意見が大切。だから、売れ筋のデータや市場の同行、数字や多数派の意見をチェックしないといけない。それプラスアルファとして、自分でも使って意見を言う、ということだと思うんです。

最初に話した店舗の方は「カタログのデータしか」と言っていたけれど、セールスをする人は、客観的なデータを伝えることが一番だとわたしは思う。アダルトグッズは人それぞれ、感じ方も違うので、自分の感性がすべての人に当てはまるとは限らない。「自分はこれ使って気持ち良かったです」という理由で商品を勧めるのはミスマッチが起こるかもしれない。「あなた個人の意見じゃん」と言われるかもしれない。だけど、「こんな機能がついていますよ」「この作りがほかと違いますよ」と客観的な利点を説明されれば、買った後に「思ったのと違う」ミスマッチするのが少ないよう思うんです。商品を理解すること、それがやらなくてはいけない仕事だと思う。

 

◆有名レビュアーとメーカーの相違

ただ、アダルトグッズを使い意見を発信することが、売れ筋を左右しないかというとそうでもなくて、アダルトグッズに詳しい方が、レビューをして、それが売り上げにつながるというのはあると思います。たとえば、わたしは、オナホールは使わないけれど、売れ筋の商品を確認する手段として「オナホ動画.com」は参考になるし、そこによく書かれた商品が売れるという話も聞く。

しかし、そのレビューは、メーカーではないという形でやるからこそ、信頼が増すように思います。売り手が、いかにいい商品だと話しても、それは宣伝であり、見ている側は、「会社の利益のために伝えてる」としか映ってしまう。一方、レビューサイトのような第三者の意見は客観的意見として聞くことができる。

そして、レビューサイトならばなんでもいいかというとそんなこともない。アダルトグッズのレビューサイトも、有名なもの、無名なもの、どちらもある。使って意見を言う側が、そのジャンルを極めなければ購入者の望む情報は伝えにくい。「オナホ動画.com」は2011年から続くサイトで、ほぼ毎日記事を更新し、記事の数は2000記事以上。そこまで続いているだけに、発信者側への信頼が見る側からあります。そういった発信者だから、アダルトグッズを使い、レビューする意味があるように思うんです。

使用者として商品を極めている人が会社の外側にいるのに、売り手側がまでも「よさを伝えるのは使うのが一番」というのはもうちょっと他にあるんじゃないかなって思う。売り手にしかできない伝え方がある。地味だし、すごい普通なことだけど、自分たちが扱う商品の客観的な長所であり、カタログを補足する機能面の特徴を伝えること、勉強すること。すごくすごく普通だけど、それが売り手がしなくてはいけないことだと思う。わたしもまだまだ勉強不足だし、できていないけれどね。

 

使ってよさを伝える、それも手段のひとつではある。だけどそれは、ひとつの方法でしかなくて絶対必要なことではない。ほかの商品のセールスと同じように商品の勉強やデータの収集が売り手には必須。それプラスでできる人だけ使えばいい。そんなふうに思ったの。

杉田水脈が許せないならデモに行くより選挙に行こう  

マック赤坂先生がついに政治家になったようです。すごい!!!わたし、マック先生のキャラクターが好きです。ファンです。マック先生を取材したドキュメンタリー映画「立候補」も観に行きました。マック先生の当選に、わたしまで小躍りました。頑張ってほしい。

www.nikkansports.com

 

◆泡まつ候補マック赤坂の当選

「泡まつ候補」と呼ばれ、数々の選挙で落選してきたマック赤坂先生が当選するってどんな選挙なの?と思い港区議選を調べてみたら、1089票で当選している候補者がいるんですね。わたしのツィッターのフォロワーより少ない!

今まで意識したことがなかったのですが、地方議会って1000票程度でも当選する場所が多く、市区町村によっては1000票未満でも当選しているんです。意外に少ない。自分の意見が反映しやすい選挙だなと思いました。しかし、一方で、投票率は低く、港区議選では39%程度。自分の意志が反映しやすいのに、なんかもったいないな。

 

杉田水脈の応援演説とデモ

今回の地方統一選挙でもうひとつ話題になったのが杉並区議選。LGBTに対する差別的な記事で批判された杉田水脈衆議院議員が応援演説にいったところ、彼女の考えに反対する人がデモを起こしたというニュースがありました。

www.excite.co.jp

 

しかし、杉田議員が応援した候補者は今回の選挙で当選しています。「杉田水脈のような人を応援演説に呼ぶ候補者を落選させよう」という意図がこのデモにはあったと推測するのですが、候補者は当選している。そして、これだけ話題になっているのに、杉並区議選の投票率は前回と比較して下がっています。「選挙に行って、この人以外に入れよう」と思わせるだけの影響力はなかった。今回のデモに対して、わたしは「一部の極端な人が行っている」と思いました。わたしが思った感想を杉並区の人たちも抱いていたのかなと感じます。

 

◆選挙で杉田水脈に反対する

わたしは杉田議員の意見に対して賛同はしません。LGBTが、生産性がないなんて、国会議員が言ってはいけないことだと思います。だけど、今回のデモのやり方も賛成できません。そして、日本で行うデモ活動にはあまり意味がないと思っています。今までもたくさんのデモがあったけれど、それによって世の中が変わったようには思えません。「一部の極端な人が行っていること」としか認識されないよう思うんです。

日本は民主主義で国民の投票の結果がきちんと反映されます。だから、投票と言う形で意見を言う方法が一番自分の意見を通すことに繋がるよう思うんです。杉田水脈議員は自民党所属の議員です。杉田水脈議員のような議員を許す自民党という組織に投票しないこと。それが一番の意思表示になる。自分はもちろん、周りの知り合い、一人ひとりに呼びかけたら、大きな動きになる。

たとえば、デモに集まった人が100人だとして、その人たちが10人の知り合いに、支持する候補者に投票するように説得します。そうすれば1000票。今回の地方議会の選挙なら当選できる。自分たちの意見の代弁者が選ばれる。極端な例かもしれません。しかし、自分の意見をまわりに伝えること、そして、投票に行ってもらうこと。そういう地道な活動のほうが、デモよりも、ずっと、ずっと、現実的だとわたしは思います。

そういった小さくてめんどくさいことを繰り返していくうちに、世の中は変わっていくように思っています。派手で、にぎやかなことは、やった気になるかもしれないけれど、やった気になるだけで、きっとなにも変わらない。静かに考えて、地道にうごくことが大切ですよね。

上野千鶴子先生、男性の生きにくさも語ってください。

東大生強制わいせつ事件をモデルにして、姫野カオルコさんが書いた小説「彼女は頭が悪いから」を読みました。「気持ち悪い」と何度も思いました。作品に出てくる加害者学生たちが人を見下す描写や、残酷な犯行に関して書いた箇所も、ですが、一番、気持ち悪いと思ったのは、主人公の女の子自身に関する記述です。

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 

のちに暴行事件を起こす、東大生の彼に主人公の女の子が会いに行くシーン。急な呼び出しに慌てて出てきた主人公が、東大生の彼によく見られるために、電車で化粧をしようとするのですが、通っている女子大の教授が、電車内で化粧をするのをよくないと言っていたことを思い出します。結局、彼女は電車で化粧はせずに、駅構内の鏡の前でマスカラを塗りなおします。それを見つけた東大生は彼女に幻滅する。

わたしはこのシーンがとても気持ち悪かった。世間、学校の先生、親、友だち、恋人、すべてによく思われるようとして、結果みっともない姿を彼に見せることになる主人公を嫌だなあと思った。マナーを無視して電車内の化粧をすることも、急に呼び出しておいてバッチリメイクを期待するなんておかしいと、彼に対して開き直ることもしない。誰にでも嫌われないようにして、自分が傷ついてしまう女の子。無難にふるまって、結局、自分のほしいものが手に入らない女の子。そんなふうに、私には見えました。でも、きっと、この小説に書かれた女の子だけでなくて、そういった女の子は現実の世界にもたくさんいる。

 

上野千鶴子東京大学で話したこと

上野千鶴子さんが東京大学の入学式で話した講和の中にも、この作品の名前が出てきました。

www.u-tokyo.ac.jp

 

東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

 

引用部分の前にあった「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています 」 などデータがないため、疑わしく思う主張もありますが 、全体を通してみるとわたしは好きな内容です。女の子たちを 勇気づける前向きな話。

一方でこの講和に対し批判もあります。東大男子だからと言っていい思いをしているわけではない、という方もいます。しかし、恋愛や結婚に関しては、学歴が男性にとってアドバンテージになっている側面はあると思います。

国立社会保障・人口問題研究所が発表した「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると、結婚相手の条件として、学歴や経済力を選ぶ女性は男性に比べて多い。もちろん、東大卒だからすべてに人がモテるわけではありません。しかし、「東大卒」の学歴が男性にとって、武器のひとつになるのは事実でしょう。だから、「東大卒」という武器を悪用し、「東大生強制わいせつ事件」のような悲惨な事件が起きた。

www.ipss.go.jp

こんな残忍な事件、もう起きてはならないと思います。だけど、それを防ぐためには、女の子側の意識の改善も必要だと思うんです。高学歴な人格者もいます。経済的に豊かで優しい人もいます。だけど、それだけをみて、相手を選んだらいけない。学歴や経済力はたくさんある長所のひとつ。それだけで選ぶと、失敗する可能性が高いって、女の子が分かったほうが良いように思う。

 

◆王子様という虚像を求める弊害

「彼女は頭が悪いから」では、主人公の女の子が東大生の彼を王子様のようだと思う描写がでてきます。わたしはこれも好きじゃなかった。遊びに行く場所や食事をする店もすべて彼が決めた通り。リードされることを求める姿勢が嫌だなって思った。会いたいなら自分から誘ったっていいし、行く場所だって自分で決めていい。主人公の女の子は、東大生の彼に従来の男性らしさを求めているようだった。自分を導いてほしい、決めてほしい、言われるままついていきたい。だけど、そういった男性に従来もとめていた「男性らしさ」を期待する以上、事件を起こした男子学生のような考えを持つ人は減らないように私は思います。期待する男性像を提供するかわりに、従来の男尊女卑の概念を求められる。

 

最近読んだ「わたしがオバさんになったよ」という本の中で、ライターのジェーン・スーさんが、大正大学准教授の田中俊之さんと対談していました。田中さんは、男性の生きにくさについて、研究しているそうです。現在、日本の自殺者の7割が男性。その背景には、男性は一生懸命はたらくのがあたりまえ、働いて疲れているのがあたりまえという考えがあり、男性を追いつめていると、田中さんは話します。

 今、日本で生きる女性が差別されている、認められないという声はよく聞かれます。医学部入試の件もそうですし、#metooでセクハラ被害を訴える動きもあります。女性が苦しんでいる。それは事実です。だけど、女性とは違った理由で男性も苦しんでいる。女性らしさを押し付けられた女性が苦しいように、男性らしさを押し付けられた男性も苦しい。女性には女性の辛さがあり、男性には男性の辛さがある。

上野先生は講和の終盤このようなことをおっしゃっています。

フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

弱者が弱者のまま、尊重される。それは決して女性だけの問題ではないと思います。男性にある、弱い側面についてもやっぱり問題提起しないといけないよね