オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

上野千鶴子先生、男性の生きにくさも語ってください。

東大生強制わいせつ事件をモデルにして、姫野カオルコさんが書いた小説「彼女は頭が悪いから」を読みました。「気持ち悪い」と何度も思いました。作品に出てくる加害者学生たちが人を見下す描写や、残酷な犯行に関して書いた箇所も、ですが、一番、気持ち悪いと思ったのは、主人公の女の子自身に関する記述です。

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

 

 

のちに暴行事件を起こす、東大生の彼に主人公の女の子が会いに行くシーン。急な呼び出しに慌てて出てきた主人公が、東大生の彼によく見られるために、電車で化粧をしようとするのですが、通っている女子大の教授が、電車内で化粧をするのをよくないと言っていたことを思い出します。結局、彼女は電車で化粧はせずに、駅構内の鏡の前でマスカラを塗りなおします。それを見つけた東大生は彼女に幻滅する。

わたしはこのシーンがとても気持ち悪かった。世間、学校の先生、親、友だち、恋人、すべてによく思われるようとして、結果みっともない姿を彼に見せることになる主人公を嫌だなあと思った。マナーを無視して電車内の化粧をすることも、急に呼び出しておいてバッチリメイクを期待するなんておかしいと、彼に対して開き直ることもしない。誰にでも嫌われないようにして、自分が傷ついてしまう女の子。無難にふるまって、結局、自分のほしいものが手に入らない女の子。そんなふうに、私には見えました。でも、きっと、この小説に書かれた女の子だけでなくて、そういった女の子は現実の世界にもたくさんいる。

 

上野千鶴子東京大学で話したこと

上野千鶴子さんが東京大学の入学式で話した講和の中にも、この作品の名前が出てきました。

www.u-tokyo.ac.jp

 

東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。

 

引用部分の前にあった「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています 」 などデータがないため、疑わしく思う主張もありますが 、全体を通してみるとわたしは好きな内容です。女の子たちを 勇気づける前向きな話。

一方でこの講和に対し批判もあります。東大男子だからと言っていい思いをしているわけではない、という方もいます。しかし、恋愛や結婚に関しては、学歴が男性にとってアドバンテージになっている側面はあると思います。

国立社会保障・人口問題研究所が発表した「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」によると、結婚相手の条件として、学歴や経済力を選ぶ女性は男性に比べて多い。もちろん、東大卒だからすべてに人がモテるわけではありません。しかし、「東大卒」の学歴が男性にとって、武器のひとつになるのは事実でしょう。だから、「東大卒」という武器を悪用し、「東大生強制わいせつ事件」のような悲惨な事件が起きた。

www.ipss.go.jp

こんな残忍な事件、もう起きてはならないと思います。だけど、それを防ぐためには、女の子側の意識の改善も必要だと思うんです。高学歴な人格者もいます。経済的に豊かで優しい人もいます。だけど、それだけをみて、相手を選んだらいけない。学歴や経済力はたくさんある長所のひとつ。それだけで選ぶと、失敗する可能性が高いって、女の子が分かったほうが良いように思う。

 

◆王子様という虚像を求める弊害

「彼女は頭が悪いから」では、主人公の女の子が東大生の彼を王子様のようだと思う描写がでてきます。わたしはこれも好きじゃなかった。遊びに行く場所や食事をする店もすべて彼が決めた通り。リードされることを求める姿勢が嫌だなって思った。会いたいなら自分から誘ったっていいし、行く場所だって自分で決めていい。主人公の女の子は、東大生の彼に従来の男性らしさを求めているようだった。自分を導いてほしい、決めてほしい、言われるままついていきたい。だけど、そういった男性に従来もとめていた「男性らしさ」を期待する以上、事件を起こした男子学生のような考えを持つ人は減らないように私は思います。期待する男性像を提供するかわりに、従来の男尊女卑の概念を求められる。

 

最近読んだ「わたしがオバさんになったよ」という本の中で、ライターのジェーン・スーさんが、大正大学准教授の田中俊之さんと対談していました。田中さんは、男性の生きにくさについて、研究しているそうです。現在、日本の自殺者の7割が男性。その背景には、男性は一生懸命はたらくのがあたりまえ、働いて疲れているのがあたりまえという考えがあり、男性を追いつめていると、田中さんは話します。

 今、日本で生きる女性が差別されている、認められないという声はよく聞かれます。医学部入試の件もそうですし、#metooでセクハラ被害を訴える動きもあります。女性が苦しんでいる。それは事実です。だけど、女性とは違った理由で男性も苦しんでいる。女性らしさを押し付けられた女性が苦しいように、男性らしさを押し付けられた男性も苦しい。女性には女性の辛さがあり、男性には男性の辛さがある。

上野先生は講和の終盤このようなことをおっしゃっています。

フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

弱者が弱者のまま、尊重される。それは決して女性だけの問題ではないと思います。男性にある、弱い側面についてもやっぱり問題提起しないといけないよね

ポリアモリーを取材した伊藤詩織にモヤモヤ

なにもかも嫌になり、お酒が飲みたくて、偶然入った飲み屋で、立たないちんこは、罪なのか、と初対面の女性と激論を交わしました。ちんこは、時と場合によっては立たないこともあるよ、立たないちんこを許すことで私たちはみんな幸せになれるよ、きっと。セックスなんて、娯楽のひとつであって、わたしたちにはそれ以外にも楽しいことがある。そんな話をして楽しかった。

 

子供を作る目的があれば別ですが、そうでなければ、セックスは娯楽やコミュニケーションのひとつでしかない。セックスしたい人はやればいいし、やってもやらなくてもいい。やり方だって、自分と相手さえよければ、刑法にひっかからない範囲で、つまらないセックスも、いびつなセックスも受け入れられていい。そう思います。同性愛もいいし、変わったプレーもいい。ポリアモリーという複数人を好きになる人もいるようですが、それも、当人同士がいいのであれば、良いと思います。

ただ、それは、当人同士がよければ、ということで、誰かが傷つくセックスは、どんなものであってもよくないと思っています。先日、ジャーナリストの伊藤詩織さんがポリアモリーを取材した動画を拝見しましたが、取材対象者がポリアモリーのパートナーによって傷ついているようにわたしは見えました。

 

 

◆セックスで人を傷つけないための理性

動画の中に、以前ポリアモリーの人と交際していたてるさんという女性が登場します。彼女はパートナーの恋愛観やセックス観を受け入れられず、苦しみ、別れたと話します。彼女は以前の恋人との関係に関して、もっと嫉妬心をなくして付き合えたのではないか、と話します。

わたしは彼女のインタビューを聞き、てるさんは、辛かったとき、パートナーに複数人との交際やセックスを辞めるように伝えたほうがいいように思いました。だって、相手を傷つけていい、恋愛やセックスなんてないのだから。自分が傷つくことを無理に受け入れる必要はない。

誰かと触れ合いたい・セックスしたい、という欲求は多くの人にあるものです。だけど、セックスしたら、誰かが傷つくという場面であれば、それをセーブするのが人間の理性だと思います。理性のない人間によって、痴漢や、レイプなどの性犯罪が、起こり被害者が出る(痴漢やレイプなどは加害者自身が依存症などの病気であることによって引き起こされる場合もあります。本人だけの問題ではないケースもある。その場合は治療が必要です)。

伊藤詩織さんは、以前、レイプ被害にあい、それを告発し、書籍も発売しました。伊藤さんは自分の書籍のなかで、「告発したら、ジャーナリストの仕事ができなくなる」と言われたと語っていました。それでも、言わずにはいられないくらい、彼女は大きなショックを受けたのでしょう。セックスによって、傷ついたはずの彼女だから「自分が辛くなってまで、セックスをしなくていい」と言ってあげたらよかったのに。

Black Box

Black Box

 

 

◆嫌なことは辞めてと言っていいはず

さっきも書きましたが、わたしは、どんなセックスをしてもいいと思っています。ポリアモリーでもお互いが無理なく楽しめるならいい。だけど、セックスによって人を傷つけてしまうのはよくないと思っています。レイプや痴漢は、実際に望まない性行為をさせられることで傷つく。信頼関係のあるカップルの一方が他の人と性行為をして、それによって一方が傷つくのであれば、それは不貞行為です。自分が嫌なのであれば、はっきり嫌だと言っていいと思う。セックスや恋愛だけがすべてではないし、パートナーに自分が傷つくことをしないでほしいというのは、ワガママではない。嫌なことを辞めてと言っていいはず。

セックスで傷ついたと発信することは、勇気のいることかもしれない。だけど、それは主張していいことです。してほしくないセックスを主張していい。仕事がなくなると言われても、「わたしは傷ついた」と言えた伊藤さんは間違ってないと思っています。でも、なんで、自分自身が被害者になった人が、痛みが分かる人が、傷ついた人の気持ちを理解できないんだろうな。少しだけ悲しくなった。

 

追記。痴漢加害者を治療をしているお医者様の書籍を以前読みました。こういった治療がもっと広まって、誰かを傷つけるセックスがなくなったらいいのにな。

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

 

 

人は見た目は1~2割くらい

美容院に行くとヘアカタログを見る。ショートカット、ボブ、セミロング、長さごとに女の人の顔がバーッて並んでいる雑誌。パラパラめくっていて、ふと「みんな可愛くないな」と思った。いや、もちろん、同級生にいたら可愛い方だし、合コンに連れて行けば喜ばれるだろう。今のわたしよりは、飲み会で男の子に「かわいいね」と言われる顔、みんな。それでも「かわいくないな」と最初に思った。ああ、そっか、AV女優をいつも見ているからか、と次に思った。比較対照がAV女優になれば、かわいくないように見える。目が肥えるという感覚はこの世界にいると感じることなんだと思う。業界で働いていた人が、町を歩いていても誰もかわいいって思えないんだよね、と言っていた。そりゃそうだ。S1やムーディーズの商品棚と比べたらどれも見劣りする。

 

わたしはこの世界に入るまでかわいいか、可愛くないかに無関心だった。そもそも、その人の顔が美しいいか判断できなかった。顔の善し悪しは数値化できない。具体的な判断基準がないぶん、よく見なければ悪いところが分からない。わたし自身、人の顔面に興味がなかったんだと思う。芸能人の顔も判別できなかったし、それなりに化粧をして、みなりを整えていればみんな、かわいい分類だと思った。

最近、暇つぶしに同級生のSNSを見ていた。仕事でうまくいったとか、結婚したとかそんな内容ばかり。同窓会の写真には、中学高校の同級生の今が載っていた。「みんなかわいくないな」。ヘアカタログを見たときの同じ感想が浮かんだ。卒業して何年もたって、年をとってかわいくなくなったんじゃない。みんな変わらないけどかわいくない。あの頃、クラスの中心にいた同級生も、彼氏と放課後手をつないで帰っていった同級生もみんな可愛くない。可愛くなかったけど、それなりに化粧して、制服を着崩して、友だちに囲まれていたら、かわいいような気がしていた。

 

この仕事をして、とびぬけてかわいい女の子たちをたくさん見てきた。AVの世界では、きれいで、かわいくて、男性の性や恋愛の対象となる女性が、毎月たくさんリリースされる。とびぬけて可愛い一握りの女の子がリリースされる。だけど、かわいくて、きれいな女の子たちであっても、出演本数を重ねるうちに、売れなくなることがある。彼女たちの容姿が劣ったわけでない。中には、「劣化」なんて下品なことを言う人もいるけれど、劣化したところでとびぬけてかわいい。多少の劣化が効かないくらい可愛い女の子たちです。でも、それでも売れなくなる。きれいやかわいいといった容姿の価値が、飽きられて、価値がなくなる。「かわいさ」とか「若さ」とか、女性として価値のあると言われる特徴に、大きな価値はないんじゃないか。

一方で、とびぬけて可愛いわけではない同級生でも彼氏は出来るし、結婚もするし、仕事をしてお金を稼ぎ、家族との時間をそれなりに楽しそうにすごす。そんなのを見ていると、「かわいい」「きれい」によってもたらされる利益は少ないかもしれないと、思うようになってきた。容姿の美しさは一時的な付加価値としては機能する。とびぬけて可愛い人じゃないと有名AV女優にはなれない。だけど、「かわいい」「きれい」だけで生きていけるほど、単純なわけではない。きれいだけで何年もお金は稼げない。「かわいい」「きれい」だけでずっと幸せで居続けられない。

だから、美醜を問われないスキルを身に着けたいなと思った。かわいいは飽きられるし、劣化もする。だけど、目先の楽しさを我慢しながら地道に身に着けたものは、目減りしないのかなって。一生懸命働きましょうね。

北海道の出張にいきたいという話。

北海道のアダルトショップに電話営業する。一回の電話は10分とかそんなもんだけど、毎月、毎月、話していると、飛行機でしか行けないくらい離れた場所なのに、親しい人のように思う。電話で話す担当者は、一度もあったことがない。声しか聴いたことがないのに、すごく近しい人のように感じる。

電話で営業している店舗のひとつに、釧路のお店があります。お店の場所を地図で調べた。駅前から少し離れた場所。ちょっと引いた場所を見ると、近くに大学があった。ああ、ここにあるんだ。そういえば、この大学を受けるように言われたんだった。もし、なにかが、違っていたら、18歳のわたしがいたような気がする。少し不思議な気持ちになった。

 

わたしの通っていた高校は田舎の県立高校で、偏差値は半分より少し上くらいだった。進学校とは言えないけど、半分以上の人が大学に進学した。2年か3年に1回、早稲田大学や慶応大学に合格する人がいて、わたしのひとつ上の人が東工大に合格した時は、校舎に「東京工業大学合格」と大きく書かれたのぼりがつるされた。「この学校から東工大に入るのは珍しいことなんですよ」と言っているようだなと思った。飛びぬけて勉強ができる人も、勉強がまったくできない人もいなかった。そのくらいの学校。

わたしの父も、母も、高校しか出ていない。それでも、わたしは上の学校にいきたかった。田舎の学校になじめなくて、周りの人に馬鹿にされながら、内心、周りを馬鹿にしていた。周りの人を、頭が悪いと思いたかった。大学に行って、賢くなりたい、この人たちと違う生活をしたい。ここから抜け出すために、勉強するしかない気がしていた。昼休みを図書館で過ごし、体育の時間は体育館の隅で単語帳をめくる。文化祭は志望校のオープンキャンパスを理由に行かなかった。

 

高校三年生のとき、英語の順位が学年で3番目になった。東京の私立大学を目指していたから、国語と英語と日本史しか勉強してなかったけど、それでも、釧路にある公立大学はA判定だった。進学校になりきれない公立高校。国公立大学の合格人数を増やしたかったのだと思う。先生たちに、釧路の公立大学を受けるようしきりに言われた。わたしが勉強したいことも、東京の大学にいきたいことも知ってるくせに、何を言ってんだろう。「先生がお金を全部だすなら受けてあげてもいいですよ」。投げ捨てるように言ったら、相手は何も言わなくなった。17歳のわたしはずっと生意気で、世の中を馬鹿にしていた。

それでも、押し付けられるように渡された釧路の大学のパンフレットを受験前パラパラ見ていた。こんなふうなのもいいかなと、少しだけ思った。東京で忙しくしたいと思ったけど、人の多くない地方の都市でゆっくり過ごすのもいいかなって思った。だけど、やっぱり、わたしは釧路にはいかなかった。学校も受験料を出してくれなかった。

 

もし、釧路のあの学校に行っていたらなとか。大学でできた彼氏と「エロい店があるんだよ」と笑いながら、今の電話している営業先に行っていたかもな。大学の中で、何人かの人と付き合って、その中の最後の人と結婚して、東京に住むことなんてなかったかもな。そんなことを、電話を切った後、少し思ったりする。

きっと、どこにいっても、辛いことも、腑に落ちないことも、たのしいことも、嬉しいことも同じくらいあって、選ばなかった未来の自分を想像するのは変わらないかもしれないけどね。つまり、暖かくなったら、北海道にいきたいという話です。営業先の店舗さん、お願いします。

AV女優が稼げなくなる日

「アダルトはもうやらないよ」。

映像制作会社に勤める人とはなしていたとき。今度の営業に行く新規の取引先の話をしてくれた。その人の会社はアダルトも一般作品も扱う会社だったので、AVの制作ですか?と尋ねると、彼はそう答えた。

ああ、そうですか、そうですよね、とわたしは相槌を打った。あ、でも、アダルトグッズにも興味があるって話していたから、もし、グッズで仕事になりそうだったら間をつなぐよ、と彼は言った。ありがとうございます、助かります、とわたしは笑いながら、自分の会社のグッズカタログを渡し、この話は終わりにした。

「アダルトはもうやらないよ」。

アダルトはもうからないよ、とか、アダルトは規制が厳しいから、とかそんな言葉が背景にあるような気がした。今までアダルトの仕事たくさんしてたじゃないですか、そんなこと言わなかった。頭のいい人は、どんどん次を考えてすすんでいる。取り残されているのはAVにすがっているわたしたちの方だ。 

事実、AVの仕事はお金にならなくなっている。わたしが担当していた店舗は去年1年間で、7店舗閉店した。競合メーカーの営業さんもどんどん退職している。あのメーカーは、営業さんが辞めてしまったせいで、対応が遅くなってこまるんだよ、と店舗で聞いた。「仕方ないんだけどね」と、店舗の担当者は続ける。お金にならないから仕方ない。AVはもうからないから、仕方ない。去年のはじめ、AVの店舗は今の3分の1になると書いたけれど、予想した未来に近づいている。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

 

◆儲からないAV業界

先日、AV男優の辻丸さんが主宰するイベントに伺った。

 

 業界内外の人が参加していて、知らないことも多く勉強になった。映画監督の森達也さんが、規定がなければやっていいはずだけど、倫理的に問題があると批判をうける、と話したのは印象に残っている。表現の自由と、ルールの問題、同じ表現であっても、なぜそれを表現するのかで、まわりの評価が変わる部分もあるのかもしれないな。それは、AVに限らず、表現全般として、なにを表現するかだけでなく、相手にどう伝わるかも重要になっていく。

 

そのイベントの中で元AV女優の松本亜璃沙さんが以前と比べて、AV出演のギャラが安くなったと話していた。AV自体が儲からなくなって、店舗はたくさん閉店メーカーの従業員も辞めている。その余波は、撮影に挑むAV女優さんにまで行っている。残念だけど、AV業界全体が「儲からない業界」になっている。

わたしは制作ではないけれど、女優さんのギャラを絞って、お金儲けしているわけではないように思う。制作費全体も削られているし、制作スタッフの人員も減っている。それでも女優さんあっての映像で、彼女たちのモチベーションにもなるできるだけ削らないようにしているように、そばで見ていて思う。だけど、それでも削らないといけないくらい、今の業界はお金がない。

 

◆高額なギャラと倫理の問題

最近、元AV女優の森下くるみさんが、自身の映像の配信を取り下げるように申請した。 

mainichi.jp

AV女優さんにも引退後の人生がある。彼女たちの意志を優先させ、営業を消す権利、忘れられる権利が与えられることは良いことだと思う。だけど一方で、その映像の配信で入っていたメーカーの収益は減ってしまう。

 元AV女優の鈴木涼美さんは自身のデビュー作のギャラは100万円だと話した。彼女のデビューは2004年。専属単体デビューの彼女は高額のギャラをもらっていた方だと思うけれど、それでも、当時は1本の撮影で数十万を手にするモデルがいた。

bunshun.jp

 

転職サイトDODAによると、20代女性の平均年収は319万円、月額で割ると、26万円。週5日勤務と考えて、20日で割ると1日あたり1万3000円。

doda.jp

 

同年代の人の一ヶ月分の収入か、それ以上の金額を1日で手にする。もちろん、それは、裸になるという心身の負担の大きい仕事をしているから、という理由もあるだろう。だけど、引退後も配信するなど、女優さんの意志よりも利益を優先させることで、利益を得て、AV業界全体が潤っていた。だから、利益を女優さんにも還元できた部分もあるように思う。

アメリカのAV業界は、出演者自身が契約書を交わし、契約にない行為は行わない。しかし、何十枚もの契約書を用意しなくてはならず、1本当たりのギャラも15万円と日本と比べ高くないと、週刊フラッシュのサイトに書いてあった。

smart-flash.jp

 

アメリカは契約社会なので、AV女優との契約もとにかく細かいですし厳格です。契約書は最低でも10枚以上ありますし、ID確認も複数の書類でおこないます。契約書に記載のない撮影がおこなわれることも絶対にありません」

 

「1本あたりの女優の出演ギャラは、日本円で15万円前後です。撮影は1日でメイク1時間、写真撮影1時間、本番撮影30分といった配分です。これを同じ日に数人分撮影します」

 

引退後の配信停止など、女優さんの意思を聞き、意見を尊重し、彼女たちを最優先にすればするほど、メーカーの利益は二の次、三の次になる。もちろん、それがビジネスの形として正しいのだけど、そうなれば、なるほど、同世代の平均よりも高額であった女優さんのギャラは、同年代の平均に近づいていくように思う。

 

◆商品扱いしないことのメリット・デメリット

イベントで、AV女優の神納花さんは、今は「いい意味でも、悪い意味でも女優を商品扱いしなくなった」と話していた。女優さんは事務所の商品だから、厳しいことも言うけれど、その分、口うるさく親身に女優さんのためになる助言もしてくれたんだと思う。

でも、今は、彼女の意志を最優先にするあまり、「AV女優は商品だから」と管理することもなくなった。女優さんのハラスメントにならないために気をつかうようになった。事務所が売れるためのレールを引いて、女の子は事務所の言うことを聞かざるを得なかったけれど、女の子自身が自分の意志ですべて決めなくてはいけなくなった。それは、出演強要など、本人の意思を無視した行為がなくなる一方で、AVに出る女の子自身が、自分で学び、考え、意見を言い、自立しなくてはいけないことになるかもしれない。

「あなたが自由に決めていいよ」はときに、悩ましいこともある。自分で決めることは自分に責任も返ってくる。自由である不自由。もしかして、今後の流れは、一部の女優さんにとって仕事がやりやすくなるけれど、一部の女優さん、だれかの指示をもらいながら働きたい女の子にとっては働きにくい業界になるかもしれないな。

 

追記。神納花さん本人を初めて見たのですが、すごく綺麗でドキドキした。何か話しかけたかったけど、話しかけられなかったのが残念。

 

 

 

 

生産性がないから死んでください

雑誌「文學界」に掲載された古市憲寿氏と落合陽一氏の対談が話題になっている。終末医療費用が高額になることを指摘し、延命治療をやめる提言が問題視された。

www.buzzfeed.com

 

”古市:財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一ヶ月。だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一ヶ月の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはずなんだけど、なかなか話が前に進まない。安楽死の話もそう。

 

落合:終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですが。(『文學界』1月号より)”

 

 少し前に話題になった「LGBTは生産性がない」という発言と似ている。その人が生み出すもの、与える影響の、大きさ、多さ、広さ、そんなものだけでその人の価値が図られているようだ。「残り一ヶ月の余生では生きたところでなにも生み出さない。生きている時間が一ヶ月伸びだところでなにも変わらない」。そう言われているように感じた。

 

安楽死を認めるかどうか

安楽死の議論は昔からある。わたしは、安楽死自体を一概に否定はしない。難しい問題ではあるが、人間が、自分の意志で、合法的に命を終わらせる選択があってもいいと思う。評論家の西部邁さんは、昨年、自ら命をたった。命を絶つ選択をした彼の背景には病気で苦しみ、最期を迎えた妻の姿があった。「生と死、その非凡なる平凡」で西部さんは夫人の最期をこう書いている。

生と死、その非凡なる平凡

生と死、その非凡なる平凡

 

 

 

私の妻が 「死に瀕する 」段階において 、 「ペインクリニックを滞りなくやってほしい 、余計な延命治療はやらないでもらいたい 」というのが担当医にたいする私の唯一の依頼事項であったし 、妻の私にたいする唯一の事前の懇願事項もそれであった 。そして私は 、点滴でかすかに栄養を補給しつつモルヒネで鎮痛を図るという治療過程が 「薬剤による緩慢な殺人行為 」 、つまり放っておけば三か月の余命のあいだの激痛をモルヒネで抑えつつ 、命を二か月に短縮するという意味での殺人にほかならぬことをよく承知してもいた 。だから 、その治療が本格的な調子になったときに妻が次のようにいったのを聞いて 、びっくりはしなかったものの 、「彼女の判断能力もモルヒネでついに狂いはじめた 」との思いを深くせずにはおれなかったのである 。

このままいくと大変なことになる 、お願いだから殺してほしい 、あなたの手で殺して、ころして 、コロシテ 。

曖昧な文句でやりすごそうとしても噓の通る相手ではないので 、というよりそう構えて妻と付き合ってすでに五十有年であるからには 、私は次のように応じる以外になかった 。そんなに頼むんなら殺してやってもいいような気もするけど 、しかしなあ 、君を殺せば 、殺人罪で刑務所というのはよいとしても 、七十五になろうとする爺さんの妻殺しはどうも格好が悪すぎる 。

 「殺してほしい」と言う妻に「75近くになって妻殺しはかっこ悪いな」と言う夫。治療で苦しみ迎える最期と、夫の手によって終わらせる最期、どちらが不幸せなのだろうか。

 

西部さんの本をみて、わたしは、わたしの祖母を思い出した。脚が動かなくなり、寝たきりになった祖母は食べ物を食べられなくなり、腕に点滴をするようになった。

細くなった腕から血管は見つからず、何度も注射をし、そのたびに祖母は点滴を嫌がった。内出血で黒くなった腕。どんどん痩せていく体。丸くてしわしわで、わたしがなんども繋いだ柔らかい祖母の手のひらは、骨と皮だけの骸骨のような手になっていた。そして、うわごとのように「しにたい」と言った。そのしにたいがどこまで本心か分からない。分からないけど畑仕事が大好きだった働き者の祖母にとって、脚が動かなくなったことは、生きる希望を削いでいく出来事だったように思った。「ばあちゃん、もう無理しなくていいよ」と言えたら、彼女は幾分楽になれただろうか。分からない。

 

◆死のコストを問う

だけど、わたしは、安楽死の議論のなかに、「文學界」で落合さんと、古市さんが語ったようなコストの議論が入り込ることはいけないことだと思っている。死の時期を決めることできないし、もしできたとしても、本人の意思以外にはあってはならない。

昔、「ソイレントグリーン」というSF映画を観た。人口が増加し、食べ物が足りなくなる未来を描いたSF作品。食物が不足し、人々は、人工的に作られた「ソイレントグリーン」という食品で生をつなぐ。劇中、貧しい老人が、生きることを諦め安楽死の施設に行く描写がある。貧しさや年齢から生活を維持することが難しくなり、自ら選ぶ死。そんな死に方、現実の世界であってはいけないと思う。たとえ、一か月間の命の維持であっても、自分の命は、自分が生きたいか、生きたくないかの意志だけできめなくてはいけない。

ソイレントグリーンの設定は2022年。今から3年後の未来。なんだか、この議論を予測したみたいだなと思った。

ソイレント・グリーン (字幕版)
 

 

◆生産性がないから死んでください

LGBTは生産性がない」と発した女性議員は、今はもうブログを更新し、ツイッターを投稿し、以前と変わらず意見を主張している。雑誌に廃刊に追い込み、たくさんの書き手の表現の場を奪っても、嵐が過ぎれば元通り。たぶん、「文學界」に載ったこの対談も数か月たてば忘れられ、誰も話題にしなくてなく。愚かな大衆はすぐに忘れる。どんなに批判されても一時が過ぎれば元通り。議論になるのと、忘れるのを繰り返しながら、ゆっくりと確実に命に生産性をもとめられる世の中になってくよう。

腐女子カーストの人を傷つけるお節介

知り合いのブログやSNSをこっそり見るのが趣味です。よくない趣味だとも思うんですが、こっそり見ちゃいます。とくに、ちょっと苦手だなって思う人のものをつい見てしまいます。「だって、公表しているやつだしいいよね?」と言い訳をしながら。最近は、苦手だったライター時代の上司のブログをついつい見てしまうんですよね。

彼女の近状を盗み見ると、「今年の目標を立てようと思ったけど、これがやりたいというものがないからたてられない」と綴っていました。「そんな時期もあるよね」とほかの人が書いていたら思います。だけど、彼女がそう書いたことがわたしは納得できなかった。

6年前、彼女は職場の面談で、「成長が遅い、やる気が見えない、三年後のビジョンを考えた方がいい」とわたしを注意しました。ライター楽しくないな、頑張り方が分からないな、と漠然と思っていたわたしは、上司とのその面談が決定打になって退職を決めました。3年後のことなんか分からないし、とふて腐れて。だから、その記事を読んだとき「3年後を考えろってわたしに言っていたのに!! 3年後まで決まってるんじゃないの?」とゴワゴワした気持ちになりました。

 

◆私は苦手だけど、相手は気が付いてない

わたしは仕事を辞めるきかっけになるくらい苦手な上司だったけど、彼女にそれは伝わっていなかったようです。退社直後、親しい人に見せるために始めた非公開のSNSに読者申請がきました。わざわざ申請を送ったことに「ああ、わたしはこの人に苦しめられたけど、きっと気づいていないんだな」と思いました。だから、「目標が決まらない」と書く今の彼女は、わたしに「3年後を考えろ」と言ったことを覚えてないかもしれません。

彼女に限らず、気が付かないうちに加害者になってしまう場面はあります。やったほうは加害をしていることに気が付いてない。彼女はきっと、私の悪い部分を直してもらうため、と考えていたと思います。だけど、余計なお節介が人を傷つけて、ずっと残ってしまうことはある。

 最近「腐女子カースト」というマンガが問題になりました。

headlines.yahoo.co.jp

アニメやBLが好きな女性、いわゆる腐女子を悪く描いていると批判されていました。わたしは作品の一部しか見ていませんが、服装に気を配らないように見える腐女子の方に対して、そんなかっこうしてはよくないと主人公が内心思うシーンがありました。マナーがなっていない、TPOに合ってないから、きちんとした格好をしたほうがいいという意図で書かれたように思います。しかし、これも、以前の上司の言ったような人を傷つけるお節介に見えました。

仕事上必要で、清潔感のある服装をするといった場面は別として、趣味の場で、好きな洋服を着ているのに「変な格好だよ」と言われたら傷つきます。それは、人を傷つける余計なお節介かなと思いました。

以前、別のAVメーカーに勤めていたとき、コラムサイト「アム」で腐女子の方についての記事を書きました。アニメが好きな女性は同じ作品を好きだとしても、色んな主義主張があるように感じています。その中で、お互いが、お互いの好みが考えを尊重しつつ、成り立っているコミュニティだからこそ、今回の「腐女子カースト」をよく思えなかったのかもしれません。

am-our.com

 

 ◆彼女自身が追い詰められていたのかもしれない

前述の上司が、わたしに対して、意味がないなと感じるアドバイスをすることは結構ありました。当時同棲していたわたしに「一度は一人暮らししないとちゃんとできないよ」と言ったり、「モテるの?って聞かれたらモテるって自信をもって言わないとだめだよ」と言ったり。正直、仕事以外の考え方を押し付けてきてめんどくさいなと思っていました。そして、彼女はこんなことも言いました。「今は若いから許されるけど、20代後半になって、そんなふうに頼りないままだど、許されないからね」

だけど、それは嘘だなと思いました。当時も頼りなかったけど、今も結構だめな部分多いし、失敗するし、そのたびに回りに迷惑かけているし、たまに怒られもする。だけど、優しい人が多くて、なんとか許されています。わたしもう20代後半も終わるけど。

そこで、はっと思ったんです。当時、28とかそのくらいだった彼女は、わたしのような、失敗を許されている状況がなかったのかもな、と。

まわりに恵まれなかったのか、彼女自身になにかあったのかわからないけど、きっと今のわたしのように「みんな優しいな」と言えなかったのかもな。生きにくかっただろうにと、思いました。若くないからちゃんとしなきゃと、キリキリ生きていたのかもな。そう考えたら、目標が立てられないと言えるようになって、幸せなのかもしれないですね。