「すごく共感した」と、失恋直後の男友達が少し悲しそうに紹介してくれた映画が500日サマーだった。クリスマスを一緒にすごし、セックスまでしたのに、付き合えなかった。
「なんかさ、元彼の元にもどったみたいなんだよ」。
「そうか、そうか、でも、そんな奴きっと腹黒い女だよ、保険で元彼をつなぎなら、セックスしていたんだよ」
そのときのわたしたちの会話を再現したようなシーンは映画のなかにもあった。モテない主人公トムは、同じくモテなそうな友達やマセた妹に、ときに感情的に、ときには自分に言い聞かせるように、大好きな女の子、サマーの相談をする。気まぐれなサマーに焦るトムはこんなことも口にする。
「明日の君の心が変わらないっていう確信がほしい」
特別だと思わせながら、特別にさせない、そんなの女の子の常套手段だと思うけど、同性の私だって期待しては、期待がはずれがっかりする。そんなことたくさんあった。素敵だなと思っていた女の子と仲良くなったと思ったら「●●ちゃんの親友はだれ?わたしは■■だよ」とわたしの知らない同級生の名前を彼女は言った。「親友だよね」と私に言った16歳のときのクラスメイトとは、夕方、何時間も彼女の話を聞いたけれど、ある時期、何度誘っても断られるようになった。友達ってくくりだって理解できない。だけど、すてきな女の子って、特別になりたいとも思う。恋愛感情があるならだったら余計だとも思う。
◆AVに見える女性に対するルサンチマン
AV監督の多くは、この「女の子って分からない」というルサンチマンを肥大化させて、映像化させている。いその・えいたろうがAV監督たちに取材した書籍「AV監督」によると多くのAV監督の童貞卒業は遅いという。そして、遅いだけでなく、やっと関係をもてた女の人であっても、関係がスムーズに行っていないことが多い。「AV監督」では、カンパニー松尾がAV女優、林由美香に恋愛感情を抱きながらもうまくいかなかった過去をインタビュアーであるいそのに話す。そして、こうも続ける。
オレは個人的には簡単に人格をさらけ出すとか、無防備に人を好きになったり、セックスしてもいいわよ、と言うのは受け付けないんです。むしろ、俺を好まない、そっぽを向く女に非常に興味がわくわけです、どうすればこっちへ向けさせられるか、逆にやる気が出るんです。林はまったくオレに興味を示さない。それがいいな、とおもったんですけど。まぁいろいろあって結局ふられたんです。
うまくいかない、手に入らないからこそ、気になってしまう、そちらに向かってしまう。500日サマーのトムも、もしすぐにサマーの彼女になれていたら、こんなに心を振り回されることはなかったかもしれない。相手のことが分からない、思い通りにいかない、だからこそ、気になり、引き込まれる。AV作品は、理解できない女の子に、気持ちいいことや、痛いことや、恥ずかしいことや、色々な刺激を与えて、本質な、感情的な姿を観ようとする。分からないから本質を暴きたい。だけど、サマーがフワフワと本音を隠したように、それはとっても難しいことのように思う。
「女の子ってわからないな」というのは、作中のトムや、私の男友達や、カンパニー松尾さんだけでなく、多く男性によくあることだから、共感を受ける。だけど、この「女の子って分からないから惹きつけられる」は異性だから、分からないんじゃないと思う。女の子って、とくに魅力的な女の子って分からないものなんだろう。
AVの仕事をして、AV女優である魅力的な女の子とたくさん接するようになった。彼女たちの多くは男性にとって理想的な女の子として現れる。だけど、彼女たちの本音とか、本質とか、分かってないのに、自分のことを好きになってくれるような、特別になれるよう感覚をもってしまうことがある。わたしは、仕事だから、商売だから素敵に見えるんだと思って接するけれど、たぶんそうでないときに、この彼女たちに会っていたら、とても魅力的に思うだろう。
昔、ブログでも書いたけど、すてきなAV女優が虚像だとわかっても好きになってしまうよね。
◆男性に対するルサンチマンは価値にならない
だけど、この、「相手をわかってないくせに特別になりたい」と思うことは、男女逆転にしては成り立たないように思う。AVで女性にやっているようなこと、痛いことや恥ずかしいことや色々な刺激を与えて、本質を観ようとすることを、男女逆転して行ったのが女流AV監督の山本わかめさんだと思う。だけど、彼女のAVは成功しなかった。
男をいたぶる女というAVをみたい人は一定程度いるだろう。だけどそれは、自分の行為によって人が傷つくときに、女の子はどうなるか。普段は可愛く優しい女の子に犯罪者のような本質があるのだとしたら、それが観たい。女の子が狂気を帯びていくところが観たいだと思う。
つかめないフワフワした面がある男の人は多くない。そして、男の人が普段と違う状況になる場面を観たい人は男女ともにいない。予想通りの状況にしかならないんだろう。山本わかめ監督がいつのまにか、この世界から消えて行ってしまった理由は、彼女の作るAVが、女性に与えていた刺激を男性に与えたAVが、男女をひっくり返して男を暴こうとしたAVが、ユーザーに受け入れなかったからだと思う。男の人に暴くほどの分からなさはなかったのかもしれない。AVを観たい人は、女の子の変わっていく姿がみたいんだ。分からなかった女の子を、少しでも分かりたい。
◆美人だからそれだけで魅力的ではない
魅力的な女の子の要素は「可愛い」とか「美人」とか見た目の要素だけではないような気がしている。13歳のとき、16歳のとき、わたしが距離を感じた彼女たちも、決して美人じゃない。美人じゃないけれど、周りにいる子も、好きなものも、いつもコロコロ色んな姿に変わっていて、つかめない子だった。だけど、なんか、彼女のまわりには人がいた。彼女がどんな人か分からなかった。
安陪公房の小説「赤い繭」にすごく好きな一節がある。自分の家を探す主人公が、見知らぬ女性の家を自分の家ではないかと尋ねる場面。
運よく半開きの窓からのぞいた親切そうな女の笑顔。希望の風が心臓の近くに吹き込み、それでおれの心臓は平たくひろがり旗になってひるがえる。おれも笑って紳士のように会釈した。
「ちょっとうかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」
女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」
おれは説明しようとして、はたと行き詰まる。なんと説明すべきかわからなくなる。おれが誰であるのか、そんなことはこの際問題ではないのだということを、彼女にどうやって納得させたらいいだろう?おれは少しやけ気味になって、
「ともかく、こちらが私の家でないとお考えなら、それを証明していただきたいのです。」
「まあ…..。」と女の顔がおびえる。それがおれの癪にさわる。
「証拠がないなら、私の家だと考えてもいいわけですね。」
「でも、ここは私の家ですわ。」
「それがなんだっていうんです?あなたの家だからって、私に家でないとはかぎらない。そうでしょう。」
返事の代わりに、女の顔が壁に変わって、窓をふさいだ。ああ、これが女の笑顔というやつの正体である。誰かのものであるということが、おれのものではない理由だという、訳の分からぬ論理を正体づけるのが、いつものこの変貌である。
さっきまで笑顔だった女が、バタンと扉をしめる。一瞬の変貌。一瞬前とは違う彼女がいる。でも、そんなの納得できないよね。納得できないから気になるよね。そんな、分からない女の子になれないから、「そんな奴、きっと腹黒いよ」というしかないな、わたしは。
光文社から「オナホ売りOLの日常」というタイトルの本を出版しました。アダルトグッズ、AVの営業として、普段の仕事について書いています。よかったらこちらも読んでください。