オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

鈴木涼美に心を抉られる。

この業界で働き始めて、もうすぐ3年になります。3年も働いていれば、それなりに色んな仕事をしました。AV女優さんにもたくさん会いました。

ある女優さんの話なんですが、顔が可愛いのもそうなのですが、性格もいい子で、穏やかで言ったことを素直にやってくれますし、嫌な事を伝えるときも控えめですし、イベントに来たお客さんにも私たちにも分け隔てなく丁寧に接してくれて「いいこだな」って思ったんですよ。

私がちょっと外して控室に戻ってきたときね、モデルさんとマネージャーさんとふたりだったんですけど、私やお客さんと話すよりも砕けた話し方になってたんだよね。「ああ、色々気を使っていたんだね」っておもったのよ。お客さんはともかく、べつに私にまで丁寧で良い子にならなくてもいいのにね。でも、きっと「かわいくて、やさしいAV女優像」を演じ切っていたんだろうなって思ったの。がんばってるな、えらいなって、彼女のことをもっと好きになった。

 

鈴木涼美に心を抉られる

AVに出ている女の子には、仕事場では見せないプライベートな姿があると思う。でも、彼女たちを「AV女優」として見る人たちは、AVにでている女の子には、できれば、理想のAV女優でいてほしいと願ってしまう。それは、見る側のワガママなのかもしれないけど、求める像になりきってほしいと消費者は願う。

 

元AV女優で、ライターの鈴木涼美さんの書く文章は面白いし、読み応えのある著作物もたくさんあるけれど、 元AV女優という立場で、AV女優の虚像をガンガン崩していくようで、心が抉られる。もちろん、それが彼女のライターとしての持ち味で、個性的な部分でもあるのだろうけれど。

withnews.jp

AVに出ている女の子だって、仕事以外のときは、ホストにいっているかもしれないし、おじさんに貢がせているかもしれない。彼女たちの生活にも、あくの強い部分はあるだろうけれど、それをあえて見たくはない。ディズニーランドでミッキーマウスの中身を見たくない。人がいるのは分かっているけど、あえてそこを無視して楽しい気分になっていたい。

そんなものは、虚構だと言われればその通りです。だけど、消費者としてのわたしたちは虚構であっても居心地のいい空間を消費したい。そのためにお金も払う。

 

◆みてほしい私と、対価をもらえる私

以前、どこかのチェーンの焼肉屋に行ったときでした。ホールでお肉を運んできた女の子に「かわいいね」とか言いつつ、仲良くなって、肉を運ぶたびに雑談するようになったんです。そこで彼女、「わたし、ダンサーを目指していて、今度、ミニーマウスのオーディション受けるんですよ!次、最終なんです」って言うんですよね。もちろん、彼女として、自分がダンサーとして優秀であることを、ダンスが分からない素人にアピールしたかったのでしょうが、ディズニーランドでポップコーン食べながら、着ぐるみショーを見る消費者としての私は、なんとなく、気持ちがひっかかったんですよ。中に人がいるのをわざわざアピールされたくないな。

ダンスと無関係の仕事をしている私たちに、どんなにアピールされても、彼女に仕事を紹介できないし、ダンサーとしてプラスになることはないだろう。一見、無意味にみえること。だけど、「みてほしいわたしの姿」をまわりにアピールしながら、「人から見える自分像」と「人から見てほしい自分像」を一致させたいのだろうなと思った。

 

◆人気風俗嬢は男性の好む女性になれる

風俗で働いていると思われる女性のブログを拝読すると、風俗の世界でも、「男性が好む女性」を難なく演じられる人は人気になる、一方で、それを演じる事にストレスを感じる人もいるようです。

femmefatalite.blog.jp

 

風俗嬢のなかにも様々なタイプがいて、売れている女性は「男性が好む女性」を難なく演じられる人なのではないかと思う。(中略)「『エッチが好きでこの仕事をしているの?』っている客いるけど、そんなはずないじゃん、お金のためだよ」という風俗嬢の愚痴をよく聞く。(中略)「ほんとはエッチが大好きなの」という女性を演じることすらストレスを抱えている女性がたくさんいるのだ。それは「自分が納得いかない物語を被せられること」に対する不満なのだと思う。それがお金のためと割りきってできる人は、第三者の力を借りなくても、ちゃんと売れるストーリーを考え、実行しているばずた。

 

風俗で働く女性も、AVに出る女の子も、ディズニーランドのスーツアクターも、消費者は求める理想像になりきってほしいと思うし、それが虚像とどこかで気が付きながらも、嘘の世界で現実逃避をしたい。だけど、演じる側は、「みてほしいわたしの姿」で、他人に見てほしい自意識もある。自意識を抑えながら、虚像を演じることは難しいことなのかもしれないな。ストレスをかかえながら、虚像を演じてくれる人たちに、敬意を払わなくてはいけない。