「世の中に「待機児童」なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。」とツィート自民党の女性議員が炎上していますね。
保育所に預けるのは親のエゴ、子供が可哀相って言うのは、たまに言われることで、昔、キャスターの長谷川豊さんもそのようなことを言って炎上していました。
よく言われる、3歳までは、親が育てた方がいいという「三歳児神話」に近い内容です。そもそも、「三歳児神話」に関しては賛否あるようで、発育によいか、悪いかは、識者によって意見が異なります。
◆寂しさが絶対悪いわけではない
親と離れて「寂しい」という感情を持つことは、子供によっては、あるかもしれません。けど、その寂しさは悪いことばかりではないとも思います。
この前、Eテレを観ていたんですよ。100年生きる社会をどう生きるかというテーマで、自分の持っているスキルに関して話し合うことだったのですが、そのなかで、みうらじゅんさんが、一人っ子でさびしくて、遊びに来た友達が長く帰らないようにするためにもてなす方法を色々考えていた。そのなかのひとつが、マンガ本の面白い箇所のみを切り取って再編集するということで、その経験がその経験が編集者や漫画家としての仕事に繋がってる、と。
一見、一人っ子でさびしかったというのはマイナスなことに思えることだけど、結果的に自分のスキルや楽しいことの発見につながった。みうらさんは、このさびしい経験がなかったら、自分の好きなことに気がつかなかったかもしれません。マイナスに見えることでも、そこから、自分を発見したり、プラスになることはある。なにか、その人のためになるかなんてわかりません。
◆その人の幸せはその人でないと分からない
親がつきっきりでないということは、親が育てる場合とは異なる点もあるかもしれない。でも、それが、いいか悪いかを決めることができるのは大人になった後の子供たち自身です。
子供がいる知り合いに、好きなものを買い与えて甘やかすから、姑に預けたくないという女性がいます。子供は楽しそうだけど、将来の子供のためにならないと彼女は言う。
わたしも共働きだったので、祖母の家によく行っていて、両親よりも祖母からたくさんお小遣いをもらったし、たぶん甘やかされたけど、祖母との時間をなかったほうがいい時間だったとは思いません。そこでの体験で、今の自分に繋がっている部分もあります。
子供が暴力をふるわれたり、健康を脅かされることがないよう、努めるのは親の役目です。けれど、それ以外で、その人にとっていいか悪いかの判断はできないよなと思う。たとえ、親であってもその人にとってなにが幸せかは決められない。
◆「可哀相」で自分の意見を主張する大人
前述の女性議員のニュースを調べていくと、保育園に子供を預ける女性から「保育園にいかせるのは子供もため。必要なお金を稼いで、金銭的に不自由なくさせたい」といった反対意見もあります。保育園行く方が可哀相か、行かない方が可哀相かという論争。
結局、大人たちが支持する意見を主張するために、「子供を可哀相」といって利用している。自分の主張を通すために、不幸なことにされた子供たち。
たくさんの選択肢がある時代。自分の選択は正しかったと言わないといられないのだろう。一番可哀相なのは、自分が正しい、相手の意見は間違っていると、誰かを批判し主張し続けないと、自分を保てない大人たちかもしれないね。