オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

黙ってられない石原慎太郎が可愛すぎて身もだえする

2006年、TBS「News23」の「ウルトラマンが見た日本」という特集内で筑紫哲也市川森一氏のの対談が放映された。市川氏は、「怪獣ブースカ」「ウルトラセブン」といった特撮作品を手掛けてきた脚本家。市森氏は対談のなかで「ヒーローには2つのタイプがいる」と語った。「わたしを助けてくれるヒーロー」と「わたしが助けたいヒーロー」。当時の総理大臣小泉純一郎は後者で、なんとなく頼りなく応援したくなる人物だった。

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小泉純一郎が「助けたいヒーロー」だったとしたならば、当時の東京都知事だった石原慎太郎は「わたしを助けてくれるヒーロー」だった。

どんな暴言を言っても、偏見をまるだしにしても、周りはついてきたいと思えた。

津波がきたのは天罰だなんて言ったら反感を持つ人もいる、応援する議員の対立候補を、厚化粧と言えば相手に批判材料をつくってしまう。そんなの分かりそうなものだけど、それでも言いたいことを我慢できない。
だけど、この人だったら頼りになると思えた。ずんずん前に前に進んでいって、色んな物事を勝手にすすめてしまう、生き急ぐように前進するおじいさんに自分の街を任せたいと思えたんだ。新銀行東京ができて、築地市場の移転も決まって、都の職員の数は減らし、高齢者優遇をなくし、財政も立て直す。頼りになるヒーローだったから、少し乱暴なところも許していた。

そんな彼が今になって、衆目にさらされている。

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なんの問題でも言えることだけど、戦犯を探して、大義名分を付けてだれかを虐めても意味はない。今後どうするかを決めないと問題は解決しない。だけど、誰かのせいにしないと収まらないのは、社会の悲しいところ。横暴な発言ばかりしていた石原慎太郎はヒール役にはちょうどよかったんだろう。

そうやって、批判され始めたときに、黙って嵐が過ぎるのを待つのができないのが、彼の不器用なところでもあり、かわいいところだと、わたしは思うの。

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今になってツイッターを更新したり、テレビに出演したり、言わなくてもいいことでも、言いたいことを言わずにはいられない。下向いてうつむいて嵐を過ぎるのをまつなんてできない。そのおとなしく出来ないところが、可愛いらしくもあり、みていていたましくもある。

 

ミゾジニーだった石原氏が、蔑んでいた女性政治家に追いつめられる姿は物語としては面白い。だけど、当人の、悔しさとか、いたたまれなさとか、そんなものは無視してもいいだろうか。童話のなかで、桃太郎は鬼を退治して幸せになったけど、殺された鬼は苦しかったはずだ、感情だってあったはずだ。現実社会で、攻撃される者の苦しさを無視していいのだろうか。

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石原氏の著書「天才」の中にこんな一文がある。
「政治家なんて喜んでくれる人が七分なら、嫌ってくる人も三分はある。それを我慢しなきゃ、人間棺桶に入るまで、いい気になっちゃいけねえだ」

自分の意見を通すためなら嫌われてもいい。人に好かれない人だから、ヒーローになれた。彼は悪役にしては可愛げがありすぎる。