オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

無敵の弱者にならないように

AV業界関係の方で、違法ダウンロードでAVを視聴する人を批判する人は多い。違法サイトでAVを見る人に対して、SNSで感情的な言葉を書きこんでいるのを見かける。批判したい気持ちは分かる。でも、わたしは、その書き込みに耐えきれなくて、ミュートすることがある。その人が悪いわけでない、会って話せばいい人だったりする。だけど、その人の意見に賛同できたとしても、強い言葉は見ていて、気持ちが滅入ってしまう。 SNSの発信に激しい言葉を使う人は、そっとミュートしてしまう。

違法ダウンロードに対して、感情的に批判したくなる気持ちもわかる。無料でAVを観られると、AVが売れなくなる。AVを作る私たちの給料がなくなる。メーカーも人間を雇えなくなり、AVの制作本数も減る、AV女優さんも仕事がなくなる。わかる、わかる、すごくわかる。

だけど、たまに、そこまでキツイ言葉で非難しなくてもいいのになあという投稿を見かける。違法ダウン―ドは悪いことだけど、そこまで激しく言わないといけないのかなあ。昔、会社の営業が違法ダウンロードを批判することで、自分たちが思考停止してないかというツイートをしていた。

 

  

わたしも割とそう思っていて、私たち自身に顧みることはないのか、自分事として考えることも必要なんじゃないかなと思う。AVが売れないという、問題に関しても、違法ダウンロードを感情的に批判する以外にも解決策があるんじゃないか。

今年の7月、わたしのいるTMAでは、バーチャルYouTuberとコラボしたアダルトDVDを発売したのだけど、それが他のタイトルよりは比較的売り上げがよかった。そして、イベントには、普段AV女優さんのイベントに来ないという人も来てくれた。バーチャルYouTuber経由でTMAを知ってくれたようだ。

また、今年10月にわたしは本を書いた。普段の仕事のことをまとめたエッセイ集。普通の書店にも私の著作は並んだ。わたしの書いた本に関して、普段アダルトグッズやAVを買わない人からも感想をもらうことがあった。エロ産業にふれたことのない女性から「真面目に仕事しているんですね」と意見をもらったのは嬉しかった。

少しずつでも間口を広げていくことが大切じゃないかと今は考えている。客層を広げ、知ってもらうこと。それが生き残る道じゃないかな。バーチャルYouTuberのAVも、わたしの書いた本も、爆発的な売り上げアップにはつながっていない。それらひとつひとつは、大きな起爆剤にはならない。小さな効果だけど、それを繰り返していくことで、光が見えてくると思い動いています。

 

◆抱っこひもを外した人が考えていたこと

AVの違法ダウンロードの話に限らず、今は、感情的な批判をよく目にする。悪いことをした人は批判していいというレッテルが貼られるようだ。だけど、わたしは次の被害がでないためにはどうするか、考えることが解決につながるように思っている。

先日、ラジオを聞いていたら、分断と対話をテーマにジャーナリストの堀潤さんとミュージシャンのグローバーさんが対談をしていた。12月12日、j-wave「JAM THE WORLD」での放送。

グローバーさんは、だっこひもで赤ちゃんを抱えた女性にたいして、何者かが背中のバックルをはずした事件をもとに、分断が進んでいると話した。その話題に対して堀さんはご自身が参加している「わたしをことばにする研究所」のディスカッションのなかで、だっこひもをはずした事件を取り上げたと言い、こう続けた。

「さきほど(話した)、だっこひもをうしろからぱちんとやった人物も登場人物としてでてきたけれど、放っておくと被害者の方への寄り添いの気持ちって、放っておいてもたくさんでてくるんですけど、加害側の心の内側にみるのっていうのは、結構鍛錬が必要だったりするのかなと。でも加害側の心の内側に目をむけないと、物事はなかなか解決しないんじゃないかなと思うんですよ。でも加害側の心の内側に寄り添おうとするとその行為自体が批判の対象になったりとかもするんですけど。それは被害者のケアをするのは当たり前。一方で加害側はいったいなにが背景なのかっていうのは、勇気をもってわたしたちは検証しますっていうのを言い続けないといけないんだと思うんですよね。じゃないとそこに処方箋が出せないから。だからいじめの問題に関してもそうだし、こういう事件に関してもそうだし、まったく立場が異なる、想像だにしてなかった相手へのアプローチっていうのをどのようにして身につけていくのかということをひとつの僕自身のなかではテーマにしているんですよ。だから、否定したり、相手を頭ごなしにイメージで決めつけないとか、そういうところがひょっとしたら必要なんじゃないかなと」

 

悪いことをした人に対してはいくらでも感情的に批判ができる。「あいつは悪いんだ」と感情をぶつけても許される。ひとつ悪を犯すことで、その人が標的になってしまう。だけど、わたしはそれがいいとは思えない。どうしてそうなったのか顧みる、考えること、次の被害を出さないように思考することが必要ではないか。弱い立場の人が強い立場の人を批判することは今、社会的に受け入れられやすい。強い立場、加害の立場になら、なにを言ってもいいという空気感を感じている。弱い立場の人は、どこまでも言葉を並べても責められない。無敵の弱者になることができる。

 

◆世の中を変えようとした伊藤詩織

先日、テレビ記者からのレイプ被害を訴えていた伊藤詩織さんが民事訴訟で勝訴したニュースをみた。わたしはそれを見てよかったなと思ったし、元気づけられた。

伊藤さんの素敵だと思うところは、自身の被害だけでなく、同じような性犯罪の被害者に取材をして、レイプ自体の罪の重さを自分の訴えたことだ。自分が傷ついた経験から、世の中を変えよう、自分のような被害者をださないようにしようと動いた。

彼女を支持する人には色々な人がいる。加害者を責めるだけの人もいるけれど、そうではなくて、彼女と同じように、性犯罪をなくそうと冷静に訴える人もいる。そういった思慮深い味方をつけ、世論を動かすことができたのは、彼女自身が痛みに耐えながら、世の中を変えようと行動したからだとわたしは思う。自分の見識を生かして世の中を変えようとした姿に勇気をもらった。

どこかに、この状況を打破する道はないか、考え、動き、新しいなにかをするしかないのだと、今回の裁判をみて思った。無敵の弱者に勝算はない。もがいた結果、伊藤詩織さんの裁判のように大きな世論が変わることもある。わたし自身も、状況を打破するためには動がなくてはいけないし、もがかなくてはいけない。

八村塁にも普通の親にもなれなかった

スポーツに疎い。
野球のルールを知らない。サッカーのルールも怪しい。先日はラグビーワールドカップ初戦だと知らず調布に行こうとしたら、満員電車に巻き込まれひどい目にあった。世間のスポーツ熱と無縁のところにいるので、八村塁という名前もつい一か月前まで知らなかった。
 
たまたまテレビをつけたら彼のドキュメンタリーを放送していた。日本人初のNBAドラフト1巡目選手という期待とプレッシャーを背負いながらもワシントンのチームで活躍するエース選手。「へえ、すごいねえ」なんて思いながら流し観ていた。
番組の中盤、八村選手の生い立ちを紹介する。ベナン人の父と日本人の母との間に生まれた八村選手は、富山県の田舎の街で生まれ、地元の公立中学に進学する。学校の部活に入らず、浮いた存在だった彼を、半ば強引にバスケットボール部に入れたのが当時の顧問の教師だった。八村選手がどこの部活も入ってないと聞き、それじゃあダメだと彼を強く勧誘した。もしこの教師がいなかったら、田舎町で打ち込めるものを見つけないまま、ハーフの子として浮いた存在で育ったかもしれない。普通になれなかった少年をバスケットボールに縛り付けたこの教師が、八村塁の人生を上向かせた。普通に収まることができない人たちが特別になるきっかけは、ほんの小さなタイミングなのかもしれない。
 
 

◆日本人初NBA選手になりたかった被告人

丁度同じ日に、違うドキュメンタリーを見ていた。
親からの虐待によって亡くなった船戸結愛ちゃんの父親、船戸雄大を取り上げたドキュメンタリー番組だった。番組の中、船戸雄大の学生時代の卒業文集を紹介していた。
「日本人初NBA選手になりたい」
当時の同級生は、船戸雄大を「バスケットボールがすごくうまい、先生よりもうまい、プロにもなれると思った」とインタビューに答えていた。なにか少しのきっかけが違っていたら、船戸雄大は、八村塁のように、今もバスケットボールを追いかけていたかもしれない。
 

◆華やかな生き方と穏やかな生活をいったりきたり

バスケットボールの選手になれなかった船戸雄大は、地元北海道を出て、東京の大学に進学し、大手企業に順調に就職する。大きな企業で、安定した仕事。そして、同期にも信頼され頼られる。番組では、周囲の仲間から頼られる船戸雄大の人物像を紹介する。
しかし、雄大は安定した仕事を手放す。
「ありきたりな人生を嫌ったのか雄大は移動を希望し、地元に戻ると意外な仕事に手を染めます」。番組ではこんなナレーションがつけられていた。地元北海道に移り住んだ雄大は、最初こそ、会社員としての仕事を続けていたが、後に退職し、キャバクラのボーイとして働きだす。当時の友人は「華やかな仕事がしたい」と雄大が語っていたと話していた。「アンダーグラウンドな人たちに憧れていたというのはあったかもしれない」。大学の同級生は当時の彼についてそんな風に語っていた。
その後、キャバクラの人出が足りないという知人の相談を受け、縁もゆかりもない香川に移り、そこで、後の妻となる船戸優里と出会う。「華やかな仕事」を求め夜の世界をさまよう生活、そんな雄大の生き方は優里との出会いで終わる。優里と結婚した雄大は夜の世界を去り、香川の企業に就職し会社員として働き出す。
香川でのサラリーマン時代の上司は、雄大が熱心に仕事をしていたと語る。家族を支える立派な父親、そんなものを彼が目指していたように見えた。しかし、思ったような理想の家族を作ることはできなかった。思い通りにならない結愛ちゃんにいらだち手をあげるようになった。
 

◆理想の女の子像の押しつけ

裁判の最中、理想の子どもはどんなものか聞かれた雄大はこう答える。
「明るくて、友だちが多くて、女の子ならかわいい子です」
裁判で、雄大は、結愛ちゃんを公園に連れて行った際の話をする。一人でシーソーに乗る結愛ちゃんを見て、この子は二人でシーソーに乗る方法を知らないんだ、シーソーの乗り方を教えてくれる親も友達もいなかったのだと悲しい気持ちになったと語っていた。寂しく可哀相な女の子を変えたい、理想の子どもに変えたい、そんな一方的な思いがあったのかもしれない。別に、友だちがいない子だっていいはずなのに。まわりから祝福され、素敵だねと言われるような理想の家庭像の押しつけ、それが行き過ぎて、この事件に繋がった。
 

◆普通にも特別にもなれない人たち

普通に収まりたい願望と、華やかで特別な人への憧れ。そんな願望をいったりきたりしながらも、どちらにもなれなかったのが船戸雄大だった。特別で人と違って華やかな人、もしくは安定し、誰からも悪く言われないまっとうな人、どちらかに収まろうとして収まらなかった人生。
普通にも、特別にもなれない人は生きにくい。八村塁のようになにか突き抜けた人は、普通でない部分があっても許される。だけど、そうでない人。才能もなく、かといってほかの人ができるようなことも出来ない人は、つまはじきにされているように感じる。普通でも特別でもない人が生きられるようになったらきっといいのに。

書かれる側は無防備だから

ジェーン・スーさんの「生活は踊る」というラジオが好きです。その中で、読者の悩みにこたえる「相談は踊る」というコーナーが一番すき。少し前に、ブログを始めた女の子から相談がありました。その子は彼氏とのやり取りをブログに書き、書くことがすごく楽しい。だけど、それを見た彼は、自分のことを書かないでほしいと彼女言った。
 
「書かれる側は無防備だからね」
ジェーンさんは、その彼女に色んな意見を言ったのだけど、その中でぽつりと言ったその言葉が印象に残った。書く側はいくらでも言葉を並べられるけれど、相手は反論することはできない。書かれる側は無防備だ。
 
そういえば、先日を本を出版しました。
オナホ売りOLの日常

オナホ売りOLの日常

  • 作者:堀江 もちこ,菅原 県
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 わたしは今回の本で、自分の周りで起きている出来事を書きました。周りの人からは、良い意見もあったけれど、そうではない意見もいくつかあった。書くことはとても難しかった。

 
 
記者やジャーナリストの知り合いは何人かいて、本を書く際は色んな人にアドバイスをもらっていた。取材対象者との距離感に関してもたくさんアドバイスをもらった。
 
「自分の書いたものを悪く言われることもある。だけど、それは気にしてはいけないよ」
ある報道記者の人はそう言ってくれた。そして、こうも言った。「個人に危害を与えるようなものを書いてはいけない。だけど、書く権利もあるはずだと思う。そして、書く以上は自分に対する批判に耐えなくてはいけない」自分もたくさん批判されたと、彼は言った。取材対象から意見を言われたこともある。でも、それが真実ならば、書いていいはずだ、戦っていいはずだ、と言う。
 
「書くことはある意味傷つけることだからね」
あるジャーナリストの人はそう言ってくれた。彼は、もし取材相手とトラブルになったときは、ちゃんと分かり合うようにと、助言をくれた。そして、彼自身も、取材対象者とのやり取りが破たんしてしまったこともあったと、教えてくれた。
 
書くことは、無防備な誰かを傷つけること。だけど、それでも伝えたいことはある。わたしは、この業界の偏見をなくしたいとか、この業界で働く女の子の働きにくさをなくしたいとか、この業界で頑張っている人を知ってほしいとか、そんなつもりで書いたけれど、全ての人にとって、素晴らしい内容にはならなかったのかもしれない。
 
この本を書く前や書いている途中は、文章を書きたくて、自分の考えを伝えたくて仕方なかった。だけど、書き終わったとき、書くことが少し怖いなあと思ってしまっている。今まで誰かを批判する内容も、自分の意見も、自由に素直に書けた。だけど今は、自分に対してのマイナスな意見が怖いなあと思う。
別に、文章が下手だとか、内容がつまらないとか、作品に関して悪く言われることは、全然かまわないし、言われ慣れている。そうじゃなくて、書くことで誰かを傷つけてしまわないか、不誠実な対応をしてしまっていないか、怖くなっている。どうにか、これに関しての答えを見つけないといけないけれど、わたしはまだ答えを出しきれてない。

殺人ピエロを英雄にしないために

ジョーカーは悲しい映画だった。アメリカのコミック作品「バッドマン」の悪役ジョーカーが、なぜジョーカーになったのか過去を描く映画。アメコミの派生作品にも関わらず、「子供は観ないように」と警告される映画。そして、多くの人が観るようにすすめる映画。アメコミは詳しくないのだけど、前評判を聞き観にいきたくなった。

 

◆映画「ジョーカー」に描かれた悲しい怒り

後にジョーカーとなるのは、アーサーというコメディアンを目指しながら道化師として働く青年。突発的に笑いが止まらなくなる精神病を患い、人付き合いは決してうまくない。笑うポイントが人とずれていたり、不良少年をあしらえずリンチされたりしている。「どんくさい」「空気が読めない」と今の日本にいたら言われそうだ、と私は思った。

アーサーが生きているのは、財政が破綻し、荒廃した都市。ストライキによってゴミの収集はとまり、予算を使うサービスの多くがカットされている。不満や不平がたまる灰色の街で、それでも夢を持つ青年がアーサーだった。

ある日、アーサーは、同僚から押し付けられるように小銃をもらう。小児病棟で、ピエロとして子供たちと歌い踊る慰安中、その小銃を落としたことによって、アーサーは道化の職を失う。失意の中、地下鉄に乗ったアーサー。彼に数人のスーツ姿の酔っ払いが絡む。もみあいになった拍子、酔っ払いたちを小銃で殺してしまう。

自身の性格、人間性、人間関係、才能、環境、体質、タイミング、すべてが悪い方に重なり、アーサーは人を殺してしまう。そこまでだったら、不幸な男の話なのかもしれない。しかし、さらなる、偶然がおきる。アーサーの殺した男たちは大企業に勤める金持ちなサラリーマンだった。そこから、ピエロ姿で人を殺したアーサーは、既得権力と戦った英雄となる。逼迫した生活に不満のたまる人々はデモを行う。プラカードに「俺たちはピエロだ!」「金持ちを殺せ!」と書いて。

悲しい話だった。「金持ちの富を分配してくれ」「貧しい人にも救いの手を」。その主張はなにも間違っていない。多くの人が賛同するだろう。だけど、その主張が行き過ぎすことで、殺人ピエロが正義のヒーローになってしまう。どんな主張であっても、そこに極論や強い言葉や暴力が加わると、恐怖を引き起こす力になる。アーサーの生きる世界を描いたフィクションなのに、話が進むにつれて、今、日常に広がる世界を映しているノンフィクションのように、わたしは見えてきた。

 

大田昌秀の話した戦争体験

話しは変わるが、少し前にジャーナリスト堀潤さんの個展に行ってきた。

 

 「分断ヲ手当スルト云フ事」というタイトルの展示会。堀さんが各地で撮影してきた写真や映像が展示されている。そのなかのひとつに、元沖縄県知事大田昌秀さんへ堀さんがインタビューした映像があった。大田さんは、自身も少年兵として沖縄戦を経験した。たくさんのクラスメイトが亡くなったこと、自身も半そで半ズボンのまま、手りゅう弾をもたされ戦地に向かったこと。それはとても悲惨で悲しい話だった。戦争をしてはいけない。当たり前の主張だけど、体験した大田さんの話があることで、体験していないわたしたちの世代も深く納得することができる。そこにはきっと、大田さんの「悲しかった」「苦しかった」という感情が伝えるうえで必要となる。

だけど、その後、普天間基地移設問題の話に関しては、わたしは違和感が残った。大田さんが「辺野古基地は軍事を増強するんですよ」「日本の思いやり予算が使われているんですよ」と、怒りの感情を出しながら政策を話す姿が、ジョーカーのデモと重なった。怒りの感情と主張が合わさることで、恐怖や押しつけを感じてしまう。

 

◆異なる意見を持つ人同士の分かり合うために

たとえば、元沖縄知事の立場として、「米軍基地のために沖縄の予算がこれだけ使われ、沖縄県の財政を圧迫し市民が困窮している」というようなデメリットを説明してもらえたら、わたしは大田さんの主張に対して納得できたように思う。だけど、大田さんのインタビューは感情だけが前面にでていて、ファクト(事実)が少なく、米軍基地があるデメリットが分かりにくいようにわたしは感じてしまった。

なんとなく、シコリが残ったような気持ちで館内を見ていたら、沖縄の基地の写真を展示していた。その中で、市民に一般公開されたオスプレーの中で、笑顔で過ごす少女たちの写真があった。この女の子を案内した基地の職員もいただろう、楽しいやりとりもあったのかもしれない。彼女の笑顔を見ながら、ほっとした優しい気持ちになった。基地があるメリットと、デメリットを比べて、デメリットのほうが上回り、アメリカの兵士たちに出て行ってくれ、ということがあるかもしれない。そういうことがあったとしても、出ていく人たちと、わたしたちが分断されてしまってはいけないように、私は思っている。

理想論かもしれない。理想論かもしれないけれど、異なる考えをもったとしても、分断をしないように最善を尽くすようにしないといけない。それが、きっと殺人ピエロを英雄にしないために必要なこと。

 

台湾人に聞いたエロすぎる中国語

結構前だけど、8月台湾出張に行ってきました。

エキスポ楽しかった!現地のスタッフさんもタマトイズのブース手伝ってくれて、中国語の勉強になったよ。中国も日本語もできる通訳スタッフさんも何人かいて、彼らにエロい言葉、セックスで使えそうな言葉を教えてもらったので少し共有します。

 

◆セクハラの中国語

性搔擾(xing sao rao)

中国語でセクハラは性搔擾。カタカナで書くとシーザオラオみたいな発音です。

性搔擾の例文……

・这是性搔擾!!

「それはセクハラです!」

隠語を聞くこと、それ自体がセクハラになっていないか心配でした。

 

◆チンコの中国語

棒棒(bang bang)

チンコは小弟弟(xiaodidi)だと昔ブログで書いたのですが、棒棒(bangbang)でもチンコを意味することはあるようです。棒はもともとの意味は棒とかバットとか長い物をさします。チンコのことを隠語的にバットと言う人もいますしね。

棒棒の例文……

・他的棒棒很棒

「彼のチンコはとてもいい」

棒(bang)には素晴らしいとかいう意味もあるので、あなたのちんこは素晴らしいだと棒がたくさんになります。発音をカタカナで表記するとニーダバンバンハンバン。すげえバンバン言っている。

 

◆ヘンタイの中国語

変態(bian tai)

字はそのままだし、発音もビエンタイみたいな、日本語と近いです。ヘンタイは万国共通ですね。

変態の例文……

・你是変態吗?

「あなたは変態ですか?」

どんなシュチュエーションで聞くのだろう……目の前の人がヘンタイかそうではないか、きになったときは使ってください。

 

◆スケベの中国語

色狼(se lang)

カタカナで書くとスーランとなります。色という文字自体がエロみたいな意味があるので、イロボケさんみたいなかんじでしょうかね。狼は文字通り「オオカミ」という意味もあります。

色狼の例文……

・你是変態还是色狼?

「あなたは変態ですか?それともスケベですか?」

さっき書いた変態と一緒に使うこともできます。スケベでもヘンタイでもどっちでも名誉なことですけどね。

 

◆巨乳の中国語

巨乳(juru)

これも日本語と同じ漢字です。読み方はジュールと似ている音です。ルーが口をすぼめてこごまった音になります。ちなみにパイズリは乳交(ru jiao)というようです。フェラチオが口交(ku jiao)なので、チンコつかうものはだいたい交なのかな。

巨乳の例文……

・你喜欢巨乳吗?

「あなたは巨乳が好きですか?」

きっと当たり前だけどみんな好き。巨乳は正義。

 

 

 セックスで使えるエロい中国語については以前も記事にしています。よかったらこっちも読んでね。

 

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

光文社で「オナホ売りOL日常」という本を出版しました!そちらでも卑猥な中国語を紹介しています!よかったらそちらも読んでください!!

オナホ売りOLの日常

オナホ売りOLの日常

  • 作者:堀江 もちこ,菅原 県
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

ちなみに、わたしがいった台湾のエキスポは土日だったので、スタッフさんの多くはイベントスタッフとは別に本業がある方でした。数々の下ネタを教えてくれたお兄さんに本業について聞きました。

小生「你的工作是什么?(なんのお仕事しているの?)」
お兄さん「我是老师(僕は先生です)」

小生「真的吗?!(本当?)」

お兄さん「我是中学的老师(僕は中学校の先生です)」

 お兄さんは普段は中学校の数学の先生をしていたようです。先生に巨乳だのスケベだの教えてもらっていました。生徒たちごめん。

堀潤と村西とおるが語った表現をする覚悟

もしも、わたしの弟が、彼女としてAV女優を紹介したらどう思う?父に聞いたとき、父は困った顔をして黙った。

「わたしも同じように思われているよ」

 

この話は、今連載しているエッセイ「オナホ売りOLの日常」に掲載される予定なので、今、詳しく書かないけど、わたしはAVの世界に入る覚悟ができた出来事があった。アダルト業界で働くことに偏見を持つ人はいる、悪く見る人もいる。悪く言われてもいい、批判されてもいいからこの世界にいたい。そう覚悟を決めた人が上に行けるような気がしている。

たまに、わたしに対して「AV女優とは違うよ、大丈夫だよ」という人がいる。わたしはそれがとても嫌いだ。脱がないから大丈夫、裸にならないから大丈夫、セックスしないから大丈夫。相手は慰めのつもりで言っているのかもしれない。だけど、わたしは、それにバカにされたような気持ちになる。

たしかに、わたしは、脱いで、裸になって、セックスする女の子たちと同じにはなれない。なれないけど、可能な限り近い人になりたいとも思っている。昔、AV女優さんに対して、売女のようだという人がいた。もし、仮に、彼女たちが売女ようだとするならば、わたしは売春宿の客引きババアのようなものだ。彼女たちの裸で、セックスで、覚悟をもってして、金をもらっている。わたしと彼女たちは一蓮托生で、AV女優を悪くいうならば、わたしも卑しい。同じように批判されるべき対象。そんな気持ちでやっている。

同じ仕事をしていても、わたしのこの気持ちとは違う人はいる。その共有ができない人はどうしても、腹を割って話せない。価値観は多様だ。仕事と割り切る方法もあるとは思う。それもいいと思う。だけど、やっぱり、わたしとは違うかなと距離を置く。話せば話すほど相手が中途半端な気がして怒りがわいてしまう。そんな生き方があったっていいと思うんだけど、やっぱり、それはわたしの悪いところで割り切ることができない。

 ◆「あなたはライターにならないほうがいい」

ラジオ番組「JAM The World」にAV監督村西とおるさんが出演していた。司会進行をするジャーナリスト堀潤さんに、表現の自由について問われた村西さんはこんな風にはなしていた。

自分の信じるまま突き進んで発表するのが、表現者としてのありようだ。

 

我々は懲役上等でやっている集団ですよ、表現というのはそれぐらい体をかけなけりゃいけない。それは香港だとか、中国でもそうだ、世界の中でおいて表現はみんな体かけてますよ

 わたしは、村西さんの話を聞いて、救われたような気がした。そうだよね、そうだよね、覚悟をした人だけが表現者だ。どんな表現であっても命がけで言うものだったら、耳を傾けてもらう価値はあるんだ。ほかの何かを犠牲にしても、自分がいいたい、伝えたい、そんな気持ちが、重さがあるからこそ、見てもらえるんだ。自分の覚悟、他より優先する覚悟、それが表現者には一番大切なんだ。

昔、広告代理店にいたとき、わたしの書いた文章なんて誰も読んでくれなかった。ヘタクソとさんざん言われたし、たくさんこき下ろされた。「あなたは文章がうまくないからライターになるのをやめたほうがいい」と言った人もいた。でも「アダルト」という肩書きがついたら読まれるようにあった。おもしろいと言ってくれる人がでてきた。ユダヤ教の教えに「何かを失わなければなにかを得られない」という言葉がある。エロビデオの営業になったとき、わたしは他人の評価とか、人からよく見られることを失った。でもそのかわり、きっとわたしの書くものに、エロという付加価値がついて読んでもらえるようになったんだと感じている。

 

NHKと衝突できなかった堀潤の同僚

堀潤さんは、NHKのアナウンサー時代に「家族がいるから」「家のローンがあるから」と会社との衝突を避け、報道の仕事をしてきた同僚がいたことを話す。そして「守るべき物がある人に表現の自由を提言する資格はあるか」と村西さんに問います。

それはないですよ、表現の自由で豊かさが担保されている。それを守るべき人たちは、全勢力を、生活をかけて勝負していかないと

 

堀さんは、村西さんの意見に「そうですよね」と答え、番組は続いた。そういえば、堀潤さん自身、離婚されていた。前妻との間のお子さんについて語るのをテレビで見た。幸せな家庭像と自分の大成、夢、目標、そんなものの両立が難しいであろうことは堀さん自身一番わかっているのかもしれない。守るべき物がある人が表現の自由を語るな。離婚をし、お子さんと離れて暮らす堀さんが、この意見にどう思うかは分からなかった。

 

◆幸せを捨てる覚悟があるか

この村西さんの意見に対して、子供と暮らし、自分の自由な時間すべてを家族に費やす親だったらどんな意見があるのだろうか。わたしは、守るべき対象としての家族にすべての愛情をそそぐ人が、それ以外のことへ時間や労力を向けることは少ないような気がしている。守るべき物がある人はきっと、自分や社会の内面をえぐり表現することよりも、もっと、時間やお金や自身の思考をつかうことがある。表現への興味よりも、恋人や配偶者や子どもとの時間にそそがれる。大切な人を最優先に考え、その幸福を味わう時間。それを持てない人たちだけが、表現することに自身の血肉を注ぐ情熱をもてる。それは、AVにたいしての村西さんの情熱であり、ジャーナリズムに対しての堀さんの情熱でもある。

わたしは、平穏で、ありふれた幸せな時間をつくることを悪いなんて絶対思わない。「血肉を注ぐ表現」などと考えず、好きな人を最優先に考え、幸せな時間を過ごす。それが、多くの人にとっての幸せだ。だから、好きなこと、夢中なことで生きろ、などと、周りの人に言いたくはない。平穏に、無難に、生きれるのであればそれが一番いい。判断力のない子供たちに対して、夢中になれることをしろという大人は不誠実だとも思う。無難に平穏に生きることは幸せなのだから。

何かに夢中になればなるほど大切な人との時間は奪われる。誰かと衝突することもでてくる。嫌われることも、悪く言われることも増える。平穏な幸せを捨てろ、ということは、同時に、大切な人と平穏にいきる時間を奪うことだ。リクルートを一大で大きく成長された起業家江副浩正が妻子と別れ、寂しい晩年を迎えたように、大きなことを成し遂げた美談の裏側には寂しいヒーローの物語がある。

でも、それでも、その平穏になじめず、そこにいられなくて、弾き出されて、自分の目指す、エロでも、ジャーナリズムでも、表現したい欲求にどうしようもなく引っ張られて、そこで「懲役上等」といえるほど、命と人生と、自分の幸せを全部さしだせる人、自分の人生をつっこめる人が表現を語れる人で、その覚悟が世の中を変えるとも思う。なにかを捨てられる人がなにかを成し遂げる人だ。

 

 ◆オナホ売りOLの連載も読んでね

わたしがAV業界でがんばろうって思った話はまだ掲載していないけれど、連載読んでね。AV業界の話や、わたし自身が仕事を通じて悩んだこと、考えたことを伝えていきたいと思っているよ。

honsuki.jp

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◆関連記事

  会社の社長の「たくさんのものを背負うとその分重くなって歩みはおそくなる、だけど、一歩一歩は深くなる」という言葉がきっかけで書いたブログ記事。自分が、自分の夢を突き詰めるとき、家族が、家族自身の時間や幸せを犠牲にしてしまうことはきっとある。わたしは社長の寂しそうな言葉がとても好きです。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

 

エロく見られる覚悟について書いた記事です。止められることをやるというのは、覚悟みたいなものが必要だと思うんです。自分の人生をちゃんと考えないといけないよ。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

わたしのブログじゃないけど、お子さんについて語る堀潤さんのニュース記事です。一緒にいれないお父さんがいることが、お子さんの将来に前向きにつながってほしいなと思いました。

times.abema.tv

 

雨宮まみと香港

香港じゃないみたい。香港のデモのニュースをみたとき、現実ではないような気がした。8月、外務省は、香港を渡航の際に十分な注意を呼びかける「レベル1」の危険情報を出した。去年の11月はじめて香港にいった。出不精で、旅行なんて自発的に行かない。社員旅行で、飛行機代とホテル代を会社が出してくれたので、断る理由もなくなんとなく行った。あふれる漢字の看板と、高層ビルと古い民家が混在したゴミゴミした街並みが結構気に入った。

香港のガイドブックはまだ部屋にある。マンゴーデザート、キャラクター点心、九龍の街並み、ビクトリアパーク……この本が作られたとき、香港が危険な地域として扱われるなんて、思いもしなかったんだろう。治安がよくて、日本に近い、近代化された観光地。楽しい非日常がもう戻らないのだとしたらただただ悲しい。

 

雨宮まみが居た香港

わたしが香港についた日は、ライター雨宮まみさんの命日だった。香港で、雨宮まみさんの本に香港のことが書いてあったな、と思いだした。香港に一人旅に行き、夜、眠れなくて、寂しくて、寂しくて、ブリトニー・ スピアーツを聞いたという話。なんの本だったかな。雨宮さんもこの景色を見たのかな、そんなことを漢字がいっぱい書かれた看板を見ながら思った。雨宮さんはまだこの世界にいるような気もした。

わたしが雨宮まみさんを知ったのは、「AVフリーク」という成人向け雑誌のライターとしてアルバイトしているときだった。編集者に「こんな風に自分の写真を出して記事を書きませんか?」と見せられたが、雨宮さんの記事だった。「いいかもな」と思った、思ったけど、わたしはそのとき女子大生で、新聞社への就職を夢見ていた。「エロ本のライター」という経歴が就職の足かせになるかもしれない。自分を見てほしい欲求と、将来への不安で、ぐらぐら揺れて、わたしは編集者の誘いを断った。

わたしが編集者の誘いを断って、数ヶ月後、その雑誌は廃刊になった。わたしはエロ本ライターじゃなくなって、小さい広告代理店に就職する。エロと離れた生活になったけれど、「雨宮まみ」という女性への興味はなくならなかった。自分の顔をだして、自分の名前で記事を書いている「雨宮まみ」への興味と嫉妬はずっと、ずっと残った。

わたしがエロから離れている間、彼女もエロから軸足を移していった。だけど、わたしが消去法で、仕方なく広告のライターになったのとは違って、彼女はエロ以外の分野で世間から認められていく。エッセイ「女子をこじらせて」を書き、「こじらせ女子」という言葉の作り手として有名になっていった。

 

◆「女子をこじらせて」に嫉妬した

社会人になりたてだった頃「女子をこじらせて」を読んだ。羨ましかった。わたしもこんなふうに自分をさらして、書いて、読んでもらいたい。そして、世間におもしろいと思ってもらいたい。同じ誌面で書いていた彼女の飛躍を恨めしく思った。

就職はしたけれど、ライターとしてうまくいかず、会社から弾き出されたわたしは、AVメーカーに広報で入社した。2015年。憧れと嫉妬の対象、雨宮まみは、そのとき、書き手として活躍していた。エロ本ライターと、エッセイストの二足の草鞋。取材対象者をたてたインタビュー記事も、自分をえぐるようなエッセイもどちらも書ける。彼女のような文章を書きたくて、入社直後のわたしは「雨宮まみさんみたになりたいんです」と周囲に話していたと思う。業界をつづけて、少しずつ社外の知り合いも増えた。いつか近いうちに雨宮さんにあえるのではないか。雨宮さんに会った時には、彼女のような文章を書きたいこと、AVフリークの連載を読んでいたこと、たくさんたくさん、伝えよう。彼女に憧れていることを伝えよう、伝えようと思っていたけど、雨宮まみさんと会うことは叶わなかった。雨宮さんは2016年11月亡くなった。営業先の店舗からの帰り道、雨宮さんが亡くなったニュースを知った。寂しいな、と思った。もう彼女が新しく書く文章を読むこともできないのか、寂しいな、と。

 

雨宮まみは「全裸監督」をどういっただろうか

AV監督村西とおるの半生を描いたドラマ「全裸監督」が話題になっている。おもしろという意見がある一方、女性の人権を無視した過去を持つ村西とおるを描くことへの批判もある。「雨宮まみさんが生きていたらどんな感想をもったかな」。ツイッター上でそうつぶやく人をみた。そっか、雨宮さんが生きていたらきっと、この作品の感想を求められていたかもしれないな。だけど、わたしは、雨宮さんは生きていたら、彼女の言った言葉でがっかりした可能性もあるかもしれないな、と思っている。

雨宮さんは、亡くなる直前に出演したテレビ番組で、AVデビューしたばかりだった坂口杏里さんに対して、「AV業界のイメージを悪くしている」とコメントしていた。わたしは、それを聞いて、わたしの思っている雨宮さんと違うな、と感じた。AV業界にいるのは、順調に人生を歩んできた人ばかりではない。過去に失敗してきた人たちも、AV業界は受け入れる。だから、そこで救われる人たちもいた。雨宮さん自信も、人間関係や恋愛がうまくいかなかった過去を語っている。「これからがんばればいい」とつまづいてきた人を受け入れる部分がこの業界にはあると思っている。だから、雨宮さんの坂口杏里さんへのコメントは、優しくないな、とわたしは思った。うまくいかない人、人生を“こじらせた”人たちに寄り添ってきた雨宮さんのコメントではないような気がした。

雨宮さんが当時どう思っていたかはもうわからない。だけど、もし、雨宮さんが躓いた人を受け入れる優しさをなくしていたのだとしたら、これ以上、彼女が自分の気持ちを語ることで、彼女の嫌な部分が見えてしまったのかもしれないとも思えた。死んでよかったなんて、絶対思わない。わたしはもっと彼女の書いたものが読みたかった。読みたかったけど、一方で、読まなくてよかったのかもしれないとも思っている。

 

雨宮まみがもし生きていたらどんな人になっていただろうか

「こじらせ女子」で話題になってから亡くなるまでの6年間。雨宮さんにはどんな生活があったのだろう。アダルト雑誌のライターと、テレビにでるコラムニストではきっと生活が違う。有名になって、意見を求められる人になって、言えることも、言えないことも変わっていったんだと思う。時間の経過というものは人や街や世界をめまぐるしく変えてしまう。雨宮さんがいたAV業界もまた、大きく変わってきている。AV業界は、昔は、女性の人権を無視して撮影したこともあった。女の子の意志を踏みにじってきた過去もある。だけど、その過去を、今、少しずつだけどれ浄化させている。時間の経過と共に、物事をいいほうにも悪いほうにも変化していく。その変化についていける人、いけないで置いて行かれたままになる人がいる。雨宮まみさんが、AV業界でどっちだったのか、もう今はわからない。

 

香港のデモはまだ続いているようだ。雨宮さんが訪れた頃の活気に満ちた香港はまだくる気がしない。香港は、たった数ヶ月にこんなに悲惨に変わった。だけど、きっと、安全で平和な非日常の観光地にだって、きっとすぐ変われる。時間は変化させてくれるはずだ。変わりゆく香港の景色を見て、雨宮まみならば、なんというだろうか 

 

 

 

honsuki.jp

光文社の「本がすき」というサイトで、「オナホ売りOLの日常」というタイトルのわたしの仕事についての連載を書いています。アダルトグッズ、AVの営業として、普段の仕事について書いています。よかったら読んでください。