オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

一徹「セックスのほんとう」に書かれた性との適度な距離感

直接会った人の本はできるだけ読むようにしています。会った印象と、書いた文章の印象を比べるのは結構たのしい。会ったときは話してなかったけれど、こんなこと考えていたんだって思う。

少し前に、一徹さんと会ったとき、今度、本を出版するんですよ、と教えてくれた。一徹さんがどんなことを考えているか気になって買ってしまった。読んだ印象として、少し意外だったけど、とても好感がもてた。セックスを過度に素晴らしいとも、悪いとも言わず、適度な距離感を感じられた。

セックスのほんとう (ハフポストブックス)

セックスのほんとう (ハフポストブックス)

 

 

 

◆一徹「セックスのほんとう」にあるセックスとの距離感

全体の印象としては、セックスしたい人はして、したくない人はしなくていい、と言われているようでした。自分のしたいように性に対してとらえていいんだよ、と伝えているように感じた。たとえば、セックスレスに関しての項目で、一徹さんはこんな風なことを書いています。

 

男性はどうしても「セックス=射精」と考えてしまいます。でも、自分や相手の体調や都合で射精をともなうセックスが難しいこともある。そんな時は、「1分間ハグし合う」などセックスの定義を変えるのがいいと思います。

僕は、お互いがお互いを大事にしている気持ちを共有することができたら、それはもう「セックス」だと思うんです。

 

いわゆる「夜のおつとめ」のような義務感が男女両方から消え、夫婦であったとしても、セックスを断られる状況になってきた。これはこれで、健全な状態とも言えます。相手に無理強いをしない社会になったとも言えるかもしれません。

「家族としては好きだけど、セックスはしたくない」と思うのであれば、それを伝えて新しい関係を築くと言う方法もあり得るでしょう。

セックス以外に愛情の確認を取れるのであれば、それでもいいかもしれません。夫婦の数だけ、セックスの形があっていいと思います。

 

そうだよね、挿入だけがパートナーとのコミュニケーションじゃないよね。好きって気持ちがあって、ただ抱き合うだけでもいいし、それも夫婦やカップルの愛情表現でいいよね。

 

◆セックスと恋愛を切り離そうと言う森林原人

ただ、一方で、わたしたちの業界で「好きな人とただ抱き合うだけでいい」「セックス以外で愛情をとれるのであればセックスをしなくてもいい」という人は少ないように思います。

以前、AV男優の森林原人さんにインタビューした『「結婚とセックスと恋愛を一緒にするのは無理がある」AV男優・森林原人がたどり着いた結婚観』という記事を読みました。そこで、森林さんは、セックスと恋愛、結婚を切り離しましょうと語っていた。

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僕も以前はセックスと愛情をワンセットだと考えていたので、お仕事でセックスをするたびに女優さんを好きになっていたんですよ。(中略)でもいつもAV女優さんに恋して本気になっては、「勘違いしないで、キモイ」と振られていました。「あれだけセックス中“気持ちいい”って言ってくれたのになんで!?」と思うじゃないですか。でも「性行為がよかった=付き合う」とはならないんですよね。僕が現場でどれだけいいセックスをしても、「その人の心を奪い取った」とはならないんだ、と気づいたんです。そこからセックスと愛情を切り離して考えられるようになったんですね。

 

「お互い他の人とセックスしてもいいんじゃない?」と提案されたときに傷つく人は、セックスと愛情を結びつけている人。行為と人格を結びつけすぎている人です。もちろんセックスは特別な行為ですが、セックスを必要以上におおごとに捉えると息苦しくなってしまいます。

 

自分がその欲望を満たしてあげられないのに、相手の行動を制限するのはエゴだと僕は思うんです。

 

森林さんとは一度だけお会いしたことがあります。紳士的でとても素敵な方でした。誰に対しても、フレンドリーに接して、サービス精神もあって、たくさんの方に好かれるのも分かるなって思った。著書の「セックス幸福論」は、共感できる箇所もたくさんあった。森林さんは素敵な方だけど、このインタビューに関しては、わたしの考えとは違うかなと思いました。

わたしは愛情を切り離してセックスするのはさびしいよなと思うし、恋人や結婚相手が、自分以外とセックスしたら嫌だなと思う。もちろん、わたしとは違う考えを持つ人がいるのも分かります。パートナーが自分以外とセックスすることを嫌でないと考える人もいるだろうし、そうでない人同士が一緒になることはいいことだと思う。だけど、同時に、結婚・恋愛とセックスを一緒に考える人も、いていいんじゃないかな。

今は素晴らしいアダルトグッズもたくさんある。単純に射精したい欲求、オーガズムに達したい欲求を満たす方法はたくさんある。それでも、セックスするのは、単純に性器を挿入をしたい・されたい欲求ではなくて、相手と距離を縮めたいという気持ちなのではないかな、とわたしは思います。でも、それなら、距離を縮める相手にパートナー以外を選ぶこと、気持ちのつながりを、恋人・結婚相手が自分以外ともつことを嫌だという気持ちもあるんじゃなか、と。

さっきも書いたけれど、複数人のパートナーを許しあえる関係があってもいい。そういった人も受け入れられていい。だけど、わたしはしたくないし、したくない人の気持ちも許されて良いんじゃないかなあ。 

偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論 (講談社文庫)

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◆セックスは楽しんでもいいし、しなくてもいい

わたしたちの業界で働いていると、セックスや性がほかの人よりも近い。そして、性に対してマイナスイメージを持つ人は少ない。だから、どうしても「セックスってすばらしいですよ」「もっとセックスしましょう」「多様な性を楽しみましょう」「もっと性を考えましょう」と、セックスや性に興味をもつように、セックスをもっとするように、と促してしまうことがある。そして、保守的な性意識を否定してしまいそうになるときもある。

セックスが好きな人がセックスをするのはすごくいい。だけど一方でセックスを無理にしなくてもいいのかなと私は思っています。森林さんのいうように、セックスと愛情を切り離して、行為自体を楽しんでいる人もいると思います。そういった考えも素晴らしいと思う。だけど同時に、そうではない人、パートナーとだけセックスをしたい人、愛情のあるセックスだけをしたい人、セックス以外の形で愛情表現をしたい人も認められてもいいんじゃないかな。そして、愛情とセックスを切り離さないで考える人のために、一徹さんの本は参考になるように思った。