オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

雨宮まみと香港

香港じゃないみたい。香港のデモのニュースをみたとき、現実ではないような気がした。8月、外務省は、香港を渡航の際に十分な注意を呼びかける「レベル1」の危険情報を出した。去年の11月はじめて香港にいった。出不精で、旅行なんて自発的に行かない。社員旅行で、飛行機代とホテル代を会社が出してくれたので、断る理由もなくなんとなく行った。あふれる漢字の看板と、高層ビルと古い民家が混在したゴミゴミした街並みが結構気に入った。

香港のガイドブックはまだ部屋にある。マンゴーデザート、キャラクター点心、九龍の街並み、ビクトリアパーク……この本が作られたとき、香港が危険な地域として扱われるなんて、思いもしなかったんだろう。治安がよくて、日本に近い、近代化された観光地。楽しい非日常がもう戻らないのだとしたらただただ悲しい。

 

雨宮まみが居た香港

わたしが香港についた日は、ライター雨宮まみさんの命日だった。香港で、雨宮まみさんの本に香港のことが書いてあったな、と思いだした。香港に一人旅に行き、夜、眠れなくて、寂しくて、寂しくて、ブリトニー・ スピアーツを聞いたという話。なんの本だったかな。雨宮さんもこの景色を見たのかな、そんなことを漢字がいっぱい書かれた看板を見ながら思った。雨宮さんはまだこの世界にいるような気もした。

わたしが雨宮まみさんを知ったのは、「AVフリーク」という成人向け雑誌のライターとしてアルバイトしているときだった。編集者に「こんな風に自分の写真を出して記事を書きませんか?」と見せられたが、雨宮さんの記事だった。「いいかもな」と思った、思ったけど、わたしはそのとき女子大生で、新聞社への就職を夢見ていた。「エロ本のライター」という経歴が就職の足かせになるかもしれない。自分を見てほしい欲求と、将来への不安で、ぐらぐら揺れて、わたしは編集者の誘いを断った。

わたしが編集者の誘いを断って、数ヶ月後、その雑誌は廃刊になった。わたしはエロ本ライターじゃなくなって、小さい広告代理店に就職する。エロと離れた生活になったけれど、「雨宮まみ」という女性への興味はなくならなかった。自分の顔をだして、自分の名前で記事を書いている「雨宮まみ」への興味と嫉妬はずっと、ずっと残った。

わたしがエロから離れている間、彼女もエロから軸足を移していった。だけど、わたしが消去法で、仕方なく広告のライターになったのとは違って、彼女はエロ以外の分野で世間から認められていく。エッセイ「女子をこじらせて」を書き、「こじらせ女子」という言葉の作り手として有名になっていった。

 

◆「女子をこじらせて」に嫉妬した

社会人になりたてだった頃「女子をこじらせて」を読んだ。羨ましかった。わたしもこんなふうに自分をさらして、書いて、読んでもらいたい。そして、世間におもしろいと思ってもらいたい。同じ誌面で書いていた彼女の飛躍を恨めしく思った。

就職はしたけれど、ライターとしてうまくいかず、会社から弾き出されたわたしは、AVメーカーに広報で入社した。2015年。憧れと嫉妬の対象、雨宮まみは、そのとき、書き手として活躍していた。エロ本ライターと、エッセイストの二足の草鞋。取材対象者をたてたインタビュー記事も、自分をえぐるようなエッセイもどちらも書ける。彼女のような文章を書きたくて、入社直後のわたしは「雨宮まみさんみたになりたいんです」と周囲に話していたと思う。業界をつづけて、少しずつ社外の知り合いも増えた。いつか近いうちに雨宮さんにあえるのではないか。雨宮さんに会った時には、彼女のような文章を書きたいこと、AVフリークの連載を読んでいたこと、たくさんたくさん、伝えよう。彼女に憧れていることを伝えよう、伝えようと思っていたけど、雨宮まみさんと会うことは叶わなかった。雨宮さんは2016年11月亡くなった。営業先の店舗からの帰り道、雨宮さんが亡くなったニュースを知った。寂しいな、と思った。もう彼女が新しく書く文章を読むこともできないのか、寂しいな、と。

 

雨宮まみは「全裸監督」をどういっただろうか

AV監督村西とおるの半生を描いたドラマ「全裸監督」が話題になっている。おもしろという意見がある一方、女性の人権を無視した過去を持つ村西とおるを描くことへの批判もある。「雨宮まみさんが生きていたらどんな感想をもったかな」。ツイッター上でそうつぶやく人をみた。そっか、雨宮さんが生きていたらきっと、この作品の感想を求められていたかもしれないな。だけど、わたしは、雨宮さんは生きていたら、彼女の言った言葉でがっかりした可能性もあるかもしれないな、と思っている。

雨宮さんは、亡くなる直前に出演したテレビ番組で、AVデビューしたばかりだった坂口杏里さんに対して、「AV業界のイメージを悪くしている」とコメントしていた。わたしは、それを聞いて、わたしの思っている雨宮さんと違うな、と感じた。AV業界にいるのは、順調に人生を歩んできた人ばかりではない。過去に失敗してきた人たちも、AV業界は受け入れる。だから、そこで救われる人たちもいた。雨宮さん自信も、人間関係や恋愛がうまくいかなかった過去を語っている。「これからがんばればいい」とつまづいてきた人を受け入れる部分がこの業界にはあると思っている。だから、雨宮さんの坂口杏里さんへのコメントは、優しくないな、とわたしは思った。うまくいかない人、人生を“こじらせた”人たちに寄り添ってきた雨宮さんのコメントではないような気がした。

雨宮さんが当時どう思っていたかはもうわからない。だけど、もし、雨宮さんが躓いた人を受け入れる優しさをなくしていたのだとしたら、これ以上、彼女が自分の気持ちを語ることで、彼女の嫌な部分が見えてしまったのかもしれないとも思えた。死んでよかったなんて、絶対思わない。わたしはもっと彼女の書いたものが読みたかった。読みたかったけど、一方で、読まなくてよかったのかもしれないとも思っている。

 

雨宮まみがもし生きていたらどんな人になっていただろうか

「こじらせ女子」で話題になってから亡くなるまでの6年間。雨宮さんにはどんな生活があったのだろう。アダルト雑誌のライターと、テレビにでるコラムニストではきっと生活が違う。有名になって、意見を求められる人になって、言えることも、言えないことも変わっていったんだと思う。時間の経過というものは人や街や世界をめまぐるしく変えてしまう。雨宮さんがいたAV業界もまた、大きく変わってきている。AV業界は、昔は、女性の人権を無視して撮影したこともあった。女の子の意志を踏みにじってきた過去もある。だけど、その過去を、今、少しずつだけどれ浄化させている。時間の経過と共に、物事をいいほうにも悪いほうにも変化していく。その変化についていける人、いけないで置いて行かれたままになる人がいる。雨宮まみさんが、AV業界でどっちだったのか、もう今はわからない。

 

香港のデモはまだ続いているようだ。雨宮さんが訪れた頃の活気に満ちた香港はまだくる気がしない。香港は、たった数ヶ月にこんなに悲惨に変わった。だけど、きっと、安全で平和な非日常の観光地にだって、きっとすぐ変われる。時間は変化させてくれるはずだ。変わりゆく香港の景色を見て、雨宮まみならば、なんというだろうか 

 

 

 

honsuki.jp

光文社の「本がすき」というサイトで、「オナホ売りOLの日常」というタイトルのわたしの仕事についての連載を書いています。アダルトグッズ、AVの営業として、普段の仕事について書いています。よかったら読んでください。