オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

落合陽一のように生きることは周りの幸せを奪うこと

前に今の会社の社長とごはんにいったときの話。

わたしは、「誰かと付き合ったり、結婚したりしたら、自分の目標とつながらない人間関係に時間を割いて、その分、やりたいことに時間をさけなくなる気がするんですよね」みたいな話を社長にしたんですよね。

そうしたら、社長はそれはヤクザの考えだよと呆れて、「たくさんのものを背負うとその分重くなって歩みはおそくなる、だけど、一歩一歩は深くなる」と言ったんです。「なんで社長は結婚しなかったんですか?」とわたしが聞くと、「背負うものが多くなったら、重くなって早くは走れなくなるから」と話しました。重く深い一歩、だけど、遅くて、いろんな人に抜かされる一歩。 

以前、社長はこんな話もしてくれました。「年収1000万円を超える人は日本人全体の3%しかいない。普通のことをしていたら届かない」。家族を背負い、安定を背負い、深くて、重い足で歩き、結果的に幸せだったと多くの人が思うかもしれない。だけどそれは一方で、社会的な成功をあきらめることでもある。思い通りの人生を生きることは、普通の幸せを手放すこと。

 

◆脳がなくなることに耐えられなかった西部邁

先日、批評家の西部邁さんの死に関するドキュメンタリーをテレビで放映していました。

www6.nhk.or.jp

西部さんは去年の1月、多摩川に飛び込み、死を迎えました。身体が弱り、一人で死ぬことができなった西部さんは、知人二人に手伝ってもらいながら命を絶ちました。番組では、遺体解剖の結果、西部さんの脳に萎縮が見られたことを伝えます。そして、西部さんの息子はこんなことを話しました。

自分の脳が壊れていく、頭が壊れていく様を見るなんて、頭で生きてきた、頭だけで生きてきた父にとっては、そのことを考えると恐ろしかったんじゃないですかね

知識で生きてきた西部さんにとって、脳が弱ることは自らがなくなることと同義。しかし、残された家族にとってみたら、脳が委縮し、以前のように物を書けなくなったとしても生きていてほしい大切な家族でした。自らの幸せと、家族や周囲の幸せがイコールではない場面は多く出てくる。そのときに、自らの希望を妥協させなくてならないかもしれない。西部さんは自分の考えを妥協できなかった。その結果、西部さんのご子息は、西部さんの死を受け入れられず、前に進めずにいるように見えました。

 

◆ワークアズライフの裏側

だけど、一方で、今は「好きなことをやれ」「やりたいことをやれ」という世の中の風潮があるようにも思います。筑波大准教授の落合陽一さんは以下のように話しています。

www.news-postseven.com

ワーク・ライフ・バランスが問題になるのは、「好きなこと」「やりたいこと」を仕事にしていないからです。解決したい問題がある人間、僕だったら研究ですが、そういう人は、できることなら1日24時間、1年365日をそれに費やしたい。

 

著書の「日本再興戦略」にはこのような記述もあります。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

これからは、ワークとライフが無差別となり、すべての時間がワークかつライフとなります。「ワークアズライフ 」となるのです 。生きていることによって、価値を稼ぎ、そして価値を高める時代になるのです。そうした時代において一番重要なのは、「ストレスフルな仕事 」と「ストレスフルではない仕事」をどうバランスするかです。要するに、1日中、仕事やアクティビティを重視していても、遊びの要素を取り入れて心身のストレスコントロールがちゃんとできていれば、それでもいいのです。(中略)実際に僕は、土日もなく、3時間睡眠くらいで働き続けていますが、ストレスはほとんどありません。自分がストレスを感じる事務作業などは、ほかのメンバーに助けてもらうことで、ストレスのある仕事を避けているからです。

 

まずは一個の専門性を掘り下げて名を上げたほうがいいのです。ニッチな分野でも構いませんので、とにかくまずは専門性を掘るべきです。せめてひとつは、トップ・オブ・トップの人と話すに足る何かを探さなくてはいけません。

 

その通りです。わたしも今の仕事が好きです。家でもAVのことを調べ、業界について書いた本を毎日のように読んでいる。好きなことを仕事にしたら、ストレスなく、やりたいことに打ち込める。そして、それを深めていくことで、できることも増える。一方で落合さんは「日本再興戦略」のなかでこうも話す。

 

しかしながら、すべてを、男女でフィフティ・フィフティにしようと思うことはフェアではありません。たとえば、日本社会では子育ては女性が中心で、男性はあまり手伝いませんが、そこは半分くらいしょうがない面もあると思います。子どもと母の身体的なつながりを考えると、子育ては母乳が出る母が主に担当したほうが、合理的な面もあるからです。母乳だけは男性が女性に代替するのは不可能です。  

 

好きなこと、やりたいことをやればいい、といいながらも、性別のような生まれ持ったものを根拠に、合う作業、合わない作業があると話す。なんだか、それが腑に落ちませんでした。個人に好きなことをするように伝えながらも、合理的だから育児は女性にというのはどこか矛盾があるように感じたのです。落合さんの言う、ライフアズワークの働き方は、育児や家庭の作業という「やらなくてはいけない作業」を肩代わりするだれかがいて初めて成り立つ。その「やらなくていけない作業」をする人の生きがいを、24時間365日やりたいと思える仕事を、犠牲にしたうえで成り立っているようにわたしには見えました。

 

◆家族を捨て、夢をかなえること

わたしの知り合いで、希望していた職業からの転職オファーを断った人がいました。「せっかく来た依頼なのにもったいないよ」と、言うわたしに、彼はこう答えました。「父がガンになって、今は生活できているけど、いつ悪くなるかわからないんだよね。だから、いつでも帰れる距離にいたいんだよね」。

首都圏の実家を持つ彼は、一人暮らしをしながらも、親御さんと定期的に会っているようでした。彼のお父さんのご容態は詳しくはわかりません。しかし、決して安心できる状況ではないようです。転職先は飛行機に乗らなくてはいけない地方。やりたかった仕事をやれと今の彼にいうのは、親を捨てろということ。それはとても残酷なことのように思えました。

だけど、わたしが同じ状況なら、きっとその仕事を受けと思います。一番好きなことを優先させる。それが、やりたいことをする覚悟だとわたしは思っています。だけど、そんな人間は残酷で人でなしだとも私は思います。きっと、今の世の中は、やさしい人が上に行けない世の中。だから、「やりたいことをやれ」と言う世の中はとても残酷な世の中であるように思っています。