オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

堀潤と村西とおるが語った表現をする覚悟

もしも、わたしの弟が、彼女としてAV女優を紹介したらどう思う?父に聞いたとき、父は困った顔をして黙った。

「わたしも同じように思われているよ」

 

この話は、今連載しているエッセイ「オナホ売りOLの日常」に掲載される予定なので、今、詳しく書かないけど、わたしはAVの世界に入る覚悟ができた出来事があった。アダルト業界で働くことに偏見を持つ人はいる、悪く見る人もいる。悪く言われてもいい、批判されてもいいからこの世界にいたい。そう覚悟を決めた人が上に行けるような気がしている。

たまに、わたしに対して「AV女優とは違うよ、大丈夫だよ」という人がいる。わたしはそれがとても嫌いだ。脱がないから大丈夫、裸にならないから大丈夫、セックスしないから大丈夫。相手は慰めのつもりで言っているのかもしれない。だけど、わたしは、それにバカにされたような気持ちになる。

たしかに、わたしは、脱いで、裸になって、セックスする女の子たちと同じにはなれない。なれないけど、可能な限り近い人になりたいとも思っている。昔、AV女優さんに対して、売女のようだという人がいた。もし、仮に、彼女たちが売女ようだとするならば、わたしは売春宿の客引きババアのようなものだ。彼女たちの裸で、セックスで、覚悟をもってして、金をもらっている。わたしと彼女たちは一蓮托生で、AV女優を悪くいうならば、わたしも卑しい。同じように批判されるべき対象。そんな気持ちでやっている。

同じ仕事をしていても、わたしのこの気持ちとは違う人はいる。その共有ができない人はどうしても、腹を割って話せない。価値観は多様だ。仕事と割り切る方法もあるとは思う。それもいいと思う。だけど、やっぱり、わたしとは違うかなと距離を置く。話せば話すほど相手が中途半端な気がして怒りがわいてしまう。そんな生き方があったっていいと思うんだけど、やっぱり、それはわたしの悪いところで割り切ることができない。

 ◆「あなたはライターにならないほうがいい」

ラジオ番組「JAM The World」にAV監督村西とおるさんが出演していた。司会進行をするジャーナリスト堀潤さんに、表現の自由について問われた村西さんはこんな風にはなしていた。

自分の信じるまま突き進んで発表するのが、表現者としてのありようだ。

 

我々は懲役上等でやっている集団ですよ、表現というのはそれぐらい体をかけなけりゃいけない。それは香港だとか、中国でもそうだ、世界の中でおいて表現はみんな体かけてますよ

 わたしは、村西さんの話を聞いて、救われたような気がした。そうだよね、そうだよね、覚悟をした人だけが表現者だ。どんな表現であっても命がけで言うものだったら、耳を傾けてもらう価値はあるんだ。ほかの何かを犠牲にしても、自分がいいたい、伝えたい、そんな気持ちが、重さがあるからこそ、見てもらえるんだ。自分の覚悟、他より優先する覚悟、それが表現者には一番大切なんだ。

昔、広告代理店にいたとき、わたしの書いた文章なんて誰も読んでくれなかった。ヘタクソとさんざん言われたし、たくさんこき下ろされた。「あなたは文章がうまくないからライターになるのをやめたほうがいい」と言った人もいた。でも「アダルト」という肩書きがついたら読まれるようにあった。おもしろいと言ってくれる人がでてきた。ユダヤ教の教えに「何かを失わなければなにかを得られない」という言葉がある。エロビデオの営業になったとき、わたしは他人の評価とか、人からよく見られることを失った。でもそのかわり、きっとわたしの書くものに、エロという付加価値がついて読んでもらえるようになったんだと感じている。

 

NHKと衝突できなかった堀潤の同僚

堀潤さんは、NHKのアナウンサー時代に「家族がいるから」「家のローンがあるから」と会社との衝突を避け、報道の仕事をしてきた同僚がいたことを話す。そして「守るべき物がある人に表現の自由を提言する資格はあるか」と村西さんに問います。

それはないですよ、表現の自由で豊かさが担保されている。それを守るべき人たちは、全勢力を、生活をかけて勝負していかないと

 

堀さんは、村西さんの意見に「そうですよね」と答え、番組は続いた。そういえば、堀潤さん自身、離婚されていた。前妻との間のお子さんについて語るのをテレビで見た。幸せな家庭像と自分の大成、夢、目標、そんなものの両立が難しいであろうことは堀さん自身一番わかっているのかもしれない。守るべき物がある人が表現の自由を語るな。離婚をし、お子さんと離れて暮らす堀さんが、この意見にどう思うかは分からなかった。

 

◆幸せを捨てる覚悟があるか

この村西さんの意見に対して、子供と暮らし、自分の自由な時間すべてを家族に費やす親だったらどんな意見があるのだろうか。わたしは、守るべき対象としての家族にすべての愛情をそそぐ人が、それ以外のことへ時間や労力を向けることは少ないような気がしている。守るべき物がある人はきっと、自分や社会の内面をえぐり表現することよりも、もっと、時間やお金や自身の思考をつかうことがある。表現への興味よりも、恋人や配偶者や子どもとの時間にそそがれる。大切な人を最優先に考え、その幸福を味わう時間。それを持てない人たちだけが、表現することに自身の血肉を注ぐ情熱をもてる。それは、AVにたいしての村西さんの情熱であり、ジャーナリズムに対しての堀さんの情熱でもある。

わたしは、平穏で、ありふれた幸せな時間をつくることを悪いなんて絶対思わない。「血肉を注ぐ表現」などと考えず、好きな人を最優先に考え、幸せな時間を過ごす。それが、多くの人にとっての幸せだ。だから、好きなこと、夢中なことで生きろ、などと、周りの人に言いたくはない。平穏に、無難に、生きれるのであればそれが一番いい。判断力のない子供たちに対して、夢中になれることをしろという大人は不誠実だとも思う。無難に平穏に生きることは幸せなのだから。

何かに夢中になればなるほど大切な人との時間は奪われる。誰かと衝突することもでてくる。嫌われることも、悪く言われることも増える。平穏な幸せを捨てろ、ということは、同時に、大切な人と平穏にいきる時間を奪うことだ。リクルートを一大で大きく成長された起業家江副浩正が妻子と別れ、寂しい晩年を迎えたように、大きなことを成し遂げた美談の裏側には寂しいヒーローの物語がある。

でも、それでも、その平穏になじめず、そこにいられなくて、弾き出されて、自分の目指す、エロでも、ジャーナリズムでも、表現したい欲求にどうしようもなく引っ張られて、そこで「懲役上等」といえるほど、命と人生と、自分の幸せを全部さしだせる人、自分の人生をつっこめる人が表現を語れる人で、その覚悟が世の中を変えるとも思う。なにかを捨てられる人がなにかを成し遂げる人だ。

 

 ◆オナホ売りOLの連載も読んでね

わたしがAV業界でがんばろうって思った話はまだ掲載していないけれど、連載読んでね。AV業界の話や、わたし自身が仕事を通じて悩んだこと、考えたことを伝えていきたいと思っているよ。

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  会社の社長の「たくさんのものを背負うとその分重くなって歩みはおそくなる、だけど、一歩一歩は深くなる」という言葉がきっかけで書いたブログ記事。自分が、自分の夢を突き詰めるとき、家族が、家族自身の時間や幸せを犠牲にしてしまうことはきっとある。わたしは社長の寂しそうな言葉がとても好きです。

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エロく見られる覚悟について書いた記事です。止められることをやるというのは、覚悟みたいなものが必要だと思うんです。自分の人生をちゃんと考えないといけないよ。

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わたしのブログじゃないけど、お子さんについて語る堀潤さんのニュース記事です。一緒にいれないお父さんがいることが、お子さんの将来に前向きにつながってほしいなと思いました。

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