オナホ売りOLの平日

大人のおもちゃメーカーで働くOLのブログ。

発達障害じゃなくても生きにくい

「ライターの仕事に興味あるんだったら」と知り合いから紹介されて、渋井哲也さんのオフ会行ってきた。

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イベント自体を知ったのが開催の2日前で、なにも分からずとりあえず、飛び込んでいったけれど、ライターさんの内情を知れる面白い会だった。前半は、渋井さんが今までライターとして過ごした20年について話して、後半は同じくライターである姫野桂さんとの対談。

姫野桂さんは、直接会ったことはなかったけど、以前いたAVメーカーが取材を受けたことがあり、それで名前だけは存じ上げていた。知ったきっかけがアダルトビデオに関する記事だったから、アダルトを取材するライターさんってイメージあったけれど、最近は、発達障害をテーマに記事を書いている。

 

◆最近よく耳にする発達障害

姫野さんの著書「私たちは生きづらさを抱えている」を後から購入し拝読した。発達障害を抱えた人に取材しつつ、姫野さん自身のご自身の抱えた障害を語る内容。姫野さん自身もLD(学習障害)であり、それゆえに生活に支障をきたしていたと語っている。

 

発達障害に関して、姫野さんの著書では以下のように説明がある。

発達障害にはASD自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動性障害)、LD(学習障害)の3種類がある。発達障害の程度はグラデーション状になっており、“ここからが発達障害”、“ここからが定型発達”という線引きがない。

ASD自閉スペクトラム症

・独特なマイルールがある

・急な予定変更が苦手

・環境の変化が苦手

・目を合わせて話せない

・言葉をそのまま受け取ってしまう

 

ADHD(注意欠陥・多動性障害)

・忘れ物が多い

・衝動的な言動が多い

・落ち着きがなく、授業中に歩き回ってしまう

ケアレスミスが多い

 

LD(学習障害

・計算ができない

・かけ算九九が覚えられない

・文章が読めない

・漢字が書けない、覚えられない

 

 ◆みんななにかしら発達障害っぽい

姫野さんの書籍に発達障害の症例を紹介していたけれど、これらの項目どれかしらには、みんな当てはまるように思う。目を合わせて話しはできるけど、急な予定変更が苦手とか、忘れ物は多いけど順番は守れるとか、多くの人がどれかしら当てはまる事項はある。コミュニケーションに関して苦手なことは、発達障害の有無にかかわらずある。その程度が高いのが発達障害なのだろう。だけど、今は、発達障害でない人、単なるコミュニケーションに癖である人にとっても、生きていくうえで嫌な思いをしたり、人間関係がうまくいかなかったりしやすい世の中なようにも感じている。

対談のなかで渋井さんが、以下のような内容のことを話していました。

工場労働者が求められる高度経済成長期には身体障害者が注目されていたように、そのとき求められている業務に適応できない人というのは世間の注目が集まる。コミュニケーションを重視する仕事が多い今だから、それが難しい発達障害に注目があるまっているのではないか。

 多かれ少なかれ、コミュニケーションの癖はあって、苦手なこともある。だけど、仕事や社会生活の多くの場面で今、コミュニケーションを求める場面が多く、その場面の種類も多様であるから、適応できない人が現れている。

 

◆WAIS-Ⅲでは発達障害でなかったけれど生きにくい

姫野さんが著書の中で受験したと話した「WAIS-Ⅲ」をわたしも受けたことがある。言語性IQと動作性IQの差が15以上あると発達障害と言われているが、私は正常な範囲だった。「臨機応変な対応が苦手」「空気が読めない」と周りから言われることが多いので受験したけれど、発達障害と認められるものではなかった。

でも、たしかに、仕事中、ケアレスミスはあるけれど、処分を受けるほどの重大なミスはない。急な予定変更は苦手だけど、仕事が滞るほどではない。わたしは営業職で、人と接することが多いため、コミュニケーションで苦手分野があることに気が付いた。しかし、たとえば、工場労働のような、上からの指示を実直にこなす業務についていたら、「臨機応変な対応が苦手」という欠点にも気が付いていなかったかもしれない。前述した渋井さんが言ったように、コミュニケーションを使う場面が増えたからこそ、気が付いた欠点だ。

 

◆「失礼な人」と言われる人が多くなったこと

最近は、「ハラスメント」という言葉をよく聞くようになった。相手が不快に思うことをいうのは避けましょう、という風潮がいまはある。これは、いいことなんだけど、一方でコミュニケーションを難しくもしている。

今迄は、似た物同士で話すことが多かった。自分と似ているから、不快なことも、ふれない方がいいこともなんとなくわかる。コミュニティ内の暗黙の共通ルールがあって、それに従っていた。だけど、自分とは違う性別、年齢、バックボーン、体格、そのほか色々な特徴をもつ人が増えた時、コミュニケーションの難易度はあがる。相手のルールが分からないから、言っていいことと、失礼にあたることの差が分からない。

わたし自身の話になるけれど、仕事としてAVを扱っているから、AV女優やセックスに関して抵抗もなく話すけれど、相手によっては不快になることもあるとも思っている。その不快だよってサインを見落としてしまうことで「空気の読めない人」「デレカシーのない人」になる。AV業界の中だけで話していればそんなことはないのだろうけど、多様な人と接する事が増えているし、それをよしとする世の中になってきている。変化の激しい時代だから、自分の居る世界とは違う価値観にふれて、インプットを増やすことも重要だと私自身も思う。だけど、そのためには、ものすごく気を遣わなくてはいけない。相手の触れてはいけない物を考えてコミュニケーションをとるのはすごく難しい。

自分とは違う属性をもった人、コミュニケーションルールの違う人と接する際に「空気が読めない」「変な人」というような発達障害の人が良く言われる中傷を受けるようにも感じている。逆に、バックボーンの違う人と接して、相手に悪気はなかったとしても、自分が傷つくこともある。

 

◆「発達障害」で蓋をさせる議論の恐怖感

もちろん、発達障害を持つ人はいる。その人たちを助ける仕組みは必要。それを「言い訳だ」「甘えだ」と言ってはよくないと思う。だけど、一方で、現在、求められているコミュニケーションの難易度が上がっているのも事実だと思う。コミュニケーションがうまくいかない原因を「彼、もしくは彼女が発達障害だから仕方ない」で片づけるのは短絡的のように思う。発達障害の有無にかかわらず人間関係は難しくなっている。

相手から批判されたとき、もしくは、相手の言葉に傷ついたとき、おおざっぱに一括りにして「発達障害」と言うのは、危険なように感じている。よく悪口で「アスペだから」と言う人がいるけれど、そういわれた人のなかで、本当にアスペルガー症候群の人はどれだけいるだろう。

個別・個別で事情がある。ある人にとっては「空気が読めない人」でも、ある人にとっては普通の人だったりもする。何で不快だったのか、不快にさせたのか、原因を探っていく、そして、障害の有無にかかわらず、自分の癖や相手の特徴を明らかにして、なぜそう思ったのか・思われたのか、考えるほかないよい。発達障害じゃなくても生きにくい世の中だ。

AV監督山本わかめが消えていった理由

「すごく共感した」と、失恋直後の男友達が少し悲しそうに紹介してくれた映画が500日サマーだった。クリスマスを一緒にすごし、セックスまでしたのに、付き合えなかった。

「なんかさ、元彼の元にもどったみたいなんだよ」。

「そうか、そうか、でも、そんな奴きっと腹黒い女だよ、保険で元彼をつなぎなら、セックスしていたんだよ」

そのときのわたしたちの会話を再現したようなシーンは映画のなかにもあった。モテない主人公トムは、同じくモテなそうな友達やマセた妹に、ときに感情的に、ときには自分に言い聞かせるように、大好きな女の子、サマーの相談をする。気まぐれなサマーに焦るトムはこんなことも口にする。

「明日の君の心が変わらないっていう確信がほしい」

(500)日のサマー (字幕版)

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  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

特別だと思わせながら、特別にさせない、そんなの女の子の常套手段だと思うけど、同性の私だって期待しては、期待がはずれがっかりする。そんなことたくさんあった。素敵だなと思っていた女の子と仲良くなったと思ったら「●●ちゃんの親友はだれ?わたしは■■だよ」とわたしの知らない同級生の名前を彼女は言った。「親友だよね」と私に言った16歳のときのクラスメイトとは、夕方、何時間も彼女の話を聞いたけれど、ある時期、何度誘っても断られるようになった。友達ってくくりだって理解できない。だけど、すてきな女の子って、特別になりたいとも思う。恋愛感情があるならだったら余計だとも思う。

 

◆AVに見える女性に対するルサンチマン

AV監督の多くは、この「女の子って分からない」というルサンチマンを肥大化させて、映像化させている。いその・えいたろうがAV監督たちに取材した書籍「AV監督」によると多くのAV監督の童貞卒業は遅いという。そして、遅いだけでなく、やっと関係をもてた女の人であっても、関係がスムーズに行っていないことが多い。「AV監督」では、カンパニー松尾がAV女優、林由美香に恋愛感情を抱きながらもうまくいかなかった過去をインタビュアーであるいそのに話す。そして、こうも続ける。

AV監督 (幻冬舎アウトロー文庫)

AV監督 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

 

オレは個人的には簡単に人格をさらけ出すとか、無防備に人を好きになったり、セックスしてもいいわよ、と言うのは受け付けないんです。むしろ、俺を好まない、そっぽを向く女に非常に興味がわくわけです、どうすればこっちへ向けさせられるか、逆にやる気が出るんです。林はまったくオレに興味を示さない。それがいいな、とおもったんですけど。まぁいろいろあって結局ふられたんです。

 うまくいかない、手に入らないからこそ、気になってしまう、そちらに向かってしまう。500日サマーのトムも、もしすぐにサマーの彼女になれていたら、こんなに心を振り回されることはなかったかもしれない。相手のことが分からない、思い通りにいかない、だからこそ、気になり、引き込まれる。AV作品は、理解できない女の子に、気持ちいいことや、痛いことや、恥ずかしいことや、色々な刺激を与えて、本質な、感情的な姿を観ようとする。分からないから本質を暴きたい。だけど、サマーがフワフワと本音を隠したように、それはとっても難しいことのように思う。

 「女の子ってわからないな」というのは、作中のトムや、私の男友達や、カンパニー松尾さんだけでなく、多く男性によくあることだから、共感を受ける。だけど、この「女の子って分からないから惹きつけられる」は異性だから、分からないんじゃないと思う。女の子って、とくに魅力的な女の子って分からないものなんだろう。

AVの仕事をして、AV女優である魅力的な女の子とたくさん接するようになった。彼女たちの多くは男性にとって理想的な女の子として現れる。だけど、彼女たちの本音とか、本質とか、分かってないのに、自分のことを好きになってくれるような、特別になれるよう感覚をもってしまうことがある。わたしは、仕事だから、商売だから素敵に見えるんだと思って接するけれど、たぶんそうでないときに、この彼女たちに会っていたら、とても魅力的に思うだろう。

mochi-mochi.hateblo.jp

 昔、ブログでも書いたけど、すてきなAV女優が虚像だとわかっても好きになってしまうよね。

 

◆男性に対するルサンチマンは価値にならない

だけど、この、「相手をわかってないくせに特別になりたい」と思うことは、男女逆転にしては成り立たないように思う。AVで女性にやっているようなこと、痛いことや恥ずかしいことや色々な刺激を与えて、本質を観ようとすることを、男女逆転して行ったのが女流AV監督の山本わかめさんだと思う。だけど、彼女のAVは成功しなかった。

男をいたぶる女というAVをみたい人は一定程度いるだろう。だけどそれは、自分の行為によって人が傷つくときに、女の子はどうなるか。普段は可愛く優しい女の子に犯罪者のような本質があるのだとしたら、それが観たい。女の子が狂気を帯びていくところが観たいだと思う。

つかめないフワフワした面がある男の人は多くない。そして、男の人が普段と違う状況になる場面を観たい人は男女ともにいない。予想通りの状況にしかならないんだろう。山本わかめ監督がいつのまにか、この世界から消えて行ってしまった理由は、彼女の作るAVが、女性に与えていた刺激を男性に与えたAVが、男女をひっくり返して男を暴こうとしたAVが、ユーザーに受け入れなかったからだと思う。男の人に暴くほどの分からなさはなかったのかもしれない。AVを観たい人は、女の子の変わっていく姿がみたいんだ。分からなかった女の子を、少しでも分かりたい。

 

◆美人だからそれだけで魅力的ではない

魅力的な女の子の要素は「可愛い」とか「美人」とか見た目の要素だけではないような気がしている。13歳のとき、16歳のとき、わたしが距離を感じた彼女たちも、決して美人じゃない。美人じゃないけれど、周りにいる子も、好きなものも、いつもコロコロ色んな姿に変わっていて、つかめない子だった。だけど、なんか、彼女のまわりには人がいた。彼女がどんな人か分からなかった。

安陪公房の小説「赤い繭」にすごく好きな一節がある。自分の家を探す主人公が、見知らぬ女性の家を自分の家ではないかと尋ねる場面。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

  • 作者:安部 公房
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/05/20
  • メディア: 文庫
 

 

 

運よく半開きの窓からのぞいた親切そうな女の笑顔。希望の風が心臓の近くに吹き込み、それでおれの心臓は平たくひろがり旗になってひるがえる。おれも笑って紳士のように会釈した。

「ちょっとうかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」

女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」

 おれは説明しようとして、はたと行き詰まる。なんと説明すべきかわからなくなる。おれが誰であるのか、そんなことはこの際問題ではないのだということを、彼女にどうやって納得させたらいいだろう?おれは少しやけ気味になって、

「ともかく、こちらが私の家でないとお考えなら、それを証明していただきたいのです。」

「まあ…..。」と女の顔がおびえる。それがおれの癪にさわる。

「証拠がないなら、私の家だと考えてもいいわけですね。」

「でも、ここは私の家ですわ。」

「それがなんだっていうんです?あなたの家だからって、私に家でないとはかぎらない。そうでしょう。」

 返事の代わりに、女の顔が壁に変わって、窓をふさいだ。ああ、これが女の笑顔というやつの正体である。誰かのものであるということが、おれのものではない理由だという、訳の分からぬ論理を正体づけるのが、いつものこの変貌である。

さっきまで笑顔だった女が、バタンと扉をしめる。一瞬の変貌。一瞬前とは違う彼女がいる。でも、そんなの納得できないよね。納得できないから気になるよね。そんな、分からない女の子になれないから、「そんな奴、きっと腹黒いよ」というしかないな、わたしは。

 

光文社から「オナホ売りOLの日常」というタイトルの本を出版しました。アダルトグッズ、AVの営業として、普段の仕事について書いています。よかったらこちらも読んでください。

オナホ売りOLの日常

オナホ売りOLの日常

  • 作者:堀江 もちこ,菅原 県
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2019/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

AV女優、のちにある女性差別

安田理央さんの「AV女優、のち」を読みました。元AV女優たちにインタビューした書籍。AV女優のインタビュー集は他にもたくさんあるけれど、取材対象者が活躍した当時の業界背景を解説しつつ進むので、その時代の業界全体を見ているような印象。みひろさんの章に書いてあった、10年前のセルとレンタルの違いは、営業をする際に雑談でも使える知識でした。

AV女優、のち (角川新書)

AV女優、のち (角川新書)

 

 

書籍では、彼女たちの現在の状況についても触れています。そのなかで、わたしが気になったのは、元AV女優となって暮らす彼女たちが、女性からの偏見に苦しんでいること。

AV女優と言う仕事に対してネガティブな視線を感じるのは、むしろ同性である女性からだと言う。

「特に現役でAVをやってきたときに感じましたね。女性の友達がとにかくできにくいんですよ。女性からの方が嫌悪感を持たれていた気がします。わたしは、年上の方とお話しするのが好きだったんですけど、年齢が上の方ほど貞操観念に対して厳しいことが多いじゃないですか。同世代だと、『まぁ、それもなんかいいんじゃない』って済むところが、そうはいかないだから余計にそう感じたのかもしれません」

*1

 

 

初対面の人にAV女優であることを言うと、あからさまに見下されることも少なくなかった。

「特に女性の方に多かったですね。そうすると『私もなんで私のこと知らない人にそんなこと言われなきゃいけないの?あんたなんか絶対AV女優はできないよ』って思ってましたけど(笑)。でも、そういう偏見や差別があったからこそ、『ようし、みてろよ!』みたいな気持ちで頑張れたと言うのもありましたけどね」*2

 同性である女性から特に冷たい視線を浴びる。でも、これはわたしにとっても意外ではなくて、わたし自身もなんとなく気が付いていたことです。わたしも初対面で仕事の話をして、嫌悪感を表す人は男性より女性が多いように感じています。

これは、女性が男性にとって性的な対象になりえるからのように思います。社会学者、上野千鶴子さんの著書には、男性は女性にたいして「母性」と「娼婦性」を求めるとある。性的対象としての役割と、家族・パートナーとしての役割、どちらも女性には求められる。しかし、家族ではなく、「娼婦」でありたいと思う女性は少数です。多くの女性は、「わたしは娼婦ではない」と思いたい。自分も「娼婦」になりえる恐怖があるからこそ、「娼婦性」に対して批判的にみる。これは現代だけではなく、たとえば、第二次世界大戦下で、看護師として従軍した女性は、同じように従軍していた慰安婦の女性が看護することを嫌っていました。上野千鶴子さんの著書「ナショナリズムジェンダー」には以下のようにあります。

 

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

ナショナリズムとジェンダー 新版 (岩波現代文庫)

 

 

 

従軍看護婦」が「性的二重基準(母性と娼婦性の分離)」のもとで「従軍慰安婦」とカテゴリー上、厳密に区別される必要があった。「従軍看護婦」がその「職場」で多くのセクシャル・ハラスメントにさらされたであろう可能性を樋口恵子は指摘しているが、「看護婦」のカテゴリー上の聖性が、現場におけるセクハラ問題にさえを阻んできたといえよう。そしてそのことは「慰安婦」差別の裏返しにあたる。事実、戦場では「慰安婦」が看護要員として駆り出されたが、従軍看護婦の側から「醜業婦に看護をさせるな」と言う非難の声があがったと言う。

 

「一緒にしてほしくない」という看護師側の思いがあるように、わたしは思います「わたしは、娼婦ではない」と、線引きしたい。それと同じことが「元AV女優」にも向けられる。だけどわたしは、そもそも、男性が「母性」と「娼婦性」を人間である女性に求めることに違和感を覚えています。好みとして、「母性」や「娼婦性」を好きな男性がいてもいいと思う。だけど、それに、答えるかどうかを選ぶのは女性自身です。

前述した上野千鶴子さんの書籍のなかでは、大戦下、娼婦内でも、本土出身、琉球出身、朝鮮出身といったように出身地で差別の構造があったと書かれています。被差別者のなかで差別が起こっていた。差別される人たちの中で、差別が起きる。

自分の生活の世話をする「母性」か、性の世話をする「娼婦性」か、という二択を女性に求めるのは、わたしは対等な目線には思えません。男性が求める像は、ともにお金を稼ぎ、ともに家のことをして、ともに生活を共にするパートナーではない。彼女自身の能力や人間性は求めない。そこに少し女性を下に見るように思ってしまいました。そこが、娼婦性を差別する母性に繋がるようにも思いました。差別される側の中での差別。どちらも男性都合の理想像を押し付けられる側。

だけど、わたしは男性という外部の好みに合わせて、女性自身が自分の立場を決めなくてもいいと思っています。男性の求める「母性」や「娼婦性」など無視したっていいはず。そんなことをいう男性を価値のない物と思い無視することが、きっと、女性が生きやすくなるきっかけなんだとも思う。女性に受け入れられないのであれば、男性も生身の女性に「母性」や「娼婦性」という自分の理想の虚像を求めるようやめ、女性に受け入れられる男性自身に近づくようになっていくように予想しています。

 だけど、一方で、以前、ブログでも書いたけれど、女の子は自信がないから、認められたいから、誰かの求める虚像になりたくなるのも理解できるんだけどね。自分の立場を守るために、誰かの立場を批判するのは悲しいよね。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

*1:愛奏(元・薫桜子)に関する記載

*2:麻美ゆまに関する記載

AV女優DVD発売イベントは1日20以上!

イベントきてくれ。9月1日、優梨まいなちゃんの秋葉原イベント来てくれ。

www.av-event.jp

 

 わたしは箱推しの方が好きです。わたしのこと好きな人より、TMAが好きな人が好きです。あと女優さんのことを好きな人が好きです。だから、きてくれ、イベント、きてくれ。イベント来てほしい。ほんと来てほしい。ほんと……

mochi-mochi.hateblo.jp

 わたしの全皆様への切羽詰まった要求は置いておいて、イベント業務に関して勉強中な部分も多いので、研究しようかなって、他のメーカーや女優さんの動向を調べてみました。参考にしたのはイベルトです。

トップページ | セクシーアイドル・AV女優のイベント情報サイト「イベルト」

 5月1ヶ月間にイベルトに掲載された情報をまとめてみました。まずはメーカーごとにまとめたデータ。

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各メーカーがどの日にイベントをしているかの表です。数字の観方ですが、上の数字は日付です。左は各メーカー名。同じ女優さんで、同じ場所で2店舗は1、大阪と東京みたいに離れた場所で別の女優さんのイベントを行う場合は2や3となっています。プロダクション主催のオフ会など、メーカー以外が主催した物は除外しています。

基本的にDVD販売店舗で行うイベントですが、SODの立ち飲み屋さんのみ例外です。月10回以上イベントをしているのは、プレステージ、S1、SOD、ムーディーズマキシング。販売タイトルも多く、店舗でも棚数が多いメーカーがイベント件数も多い傾向がありますが、マキシングさんが、14回っていうのはちょっと以外でした。

月5回以上、つまり平均週1回以上のペースでイベントをしているメーカーが13メーカーもあるのも驚きです。そして、土日になると、20以上のイベントが行われているのも恐ろしい事実です。競合多すぎではないでしょうか。

 

あとは、女優さんの情報も載せましょう。メーカーと一緒で、上の数字は日付です。左の数字は人数数えるために振っただけなので、とくに意味はありません。 

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数えてみたら5月イベントをした女優さんは190人もいるんですよね。女優さんのデータはイベルトに掲載されている限りで、オフ会等メーカー主催以外のイベントも載せています。

イベントを1番多く行っていたのは蓮実クレアちゃんですが、これは、ゴールデンウィークにディズニーランドに行くオフ会を沢山やっていたからです。

店舗のイベントを多く行っているのは、波多野結衣ちゃん、霧島さくらちゃん、小倉由菜ちゃんなど専属やイベント集客のある企画女優さんが中心。多いと言っても、3~4回、日本各地の色んな場所で行っていました。特定の女優さんが複数回イベントしているよりは、多くの女優さんがやっているため、店舗イベントは多くなっているようですね。

さっきも言いましたが、土日のイベント数って全国で20以上になるんですよね。秋葉原だけでも、わたしの知る限り9店舗くらいありますよね。イベントしている店舗。激戦区。激戦区を勝ち抜くために、今まで来たことない人に来てほしい。9月1日、イベント童貞の方、来てくれたらうれしいです。おねがいします。

mochi-mochi.hateblo.jp

 

キモくなれないおじさんに未来はない

日経新聞を読んでいたらこんなニュースを見つけました。 

www.nikkei.com

経済産業省は大都市で働く大企業の中堅社員を念頭に、地方の中小企業への転職を後押しする取り組みを始める。地方の大学で研究員として学び直しをしつつ、地元企業と関係を持ちながら相性が合えば転職できるようにする。

 

信州大学みずほ情報総研などと組み、10人程度の客員研究員を募集する予定だと記事では紹介していました。地方を活性化するための取り組みのひとつに見えますが、大企業の中堅社員に限定しているところが少し特長的なところかなと思いました。大企業という安定した場所にいる中年に環境の変化や新しい学びを与えようとする風潮があるのかもしれない。若者に学びとかではないのですよね。

 

◆大企業かベンチャー企業

ニュースサイト「Newspicks」の最高コンテンツ責任者、佐々木紀彦さんは大企業に勤めるビジネスマンと新興企業に勤めるビジネスマンをアメリカの東海岸・西海岸に例えて話しています。

「渋谷はホリエモンが好きで、丸の内は新浪剛史が好き」NewsPicks編集長・佐々木紀彦が語った。2016年メディアはバイカルチャーになるべきだ | みんなのスタンバイ

 

千代田区あたりが境目じゃないかなと思っていまして、西海岸は渋谷や六本木といった、IT・スタートアップが強いエリアです。一方の東海岸は、丸の内や霞が関エスタブリッシュメントな人たちがいるエリアです。この2つの文化が予想以上に違っているのを、東海岸のメッカみたいな東洋経済からに西海岸へ移ってきて痛感しました。

 

「2つの文化がどんなふうに違うのか、典型例を挙げてみましょう。」

東海岸

新浪剛史が好き

・仕事着はスーツ

・大企業で出世に関心がある

・PCはWindows

西海岸

ホリエモンが好き

・仕事着はTシャツ

・起業に関心がある

・PCはMac

「東京が西海岸と東海岸で分断している限り、日本のビジネス界は面白くならないなと強く感じるわけです。私たちはいま西に強くて東に弱いんですが、東に進出することによって二者間のバイカルチャーになっていく。特にフォワードといいますか、各エリアで攻めている人たちをどんどん繋げていきたいと思っています。」

 

「攻めの人たちを繋げることで、それぞれのイノベーションが東にも西にも還流して大きくなる。そういった触媒になることが、NewsPicksのメディアとしての役割なんじゃないかと思っています。そういう意味でも、来年NewsPicksでは東海岸の方にも読んでいただけるようなコンテンツを増やしていきますし、マーケティング戦略においても東海岸の方々にどうリーチできるかを注力していきたいです。」

 

佐々木さんが「東海岸の方にも読んでいただけるようなコンテンツを増やしていきます」と言っている点でも分かるように、NewsPicksは西海岸の人中心に読まれているメディアです。東海岸の人にも、イノベーションを起こしたいという意図が私は読み取れます。

 

NewsPicksが解決できるのか

だけど、わたしは現状ままで、NewsPicksがイノベーションを起こすことができるかは疑問があります。わたしの主観ですが、NewsPicksは「保守的な価値観」を卑下しているように見えるときがある。でも、特定の人や価値観を悪く言い、メディアが変化を押し付けることが、世の中を変えられるようには思えない。

以前、実業家のはやかわ五味さんが、NewsPicksに校正チェックなく、自身のインタビューを掲載されたと話したことが話題になりました。

togetter.com

 

「おじさん目線いらないとは一言もいってない」とはやかわさんはTwitterで話していました。既存の価値観を“おじさん”とし、悪く言う意図があるように見えました。

わたしの主観ですが、既存の価値観を見下しているように見える記事が、ほかにも紹介されている。以下はNewsPicks編集部が書いたものではないですが、NewsPicksで配信されていたニュースです。

newspicks.com

 

News Picksなどでいかにも切れ者ふうに、時にやや地に足がついていないようなコメントをしているのが意識高い系だとすると、ヤフコメで大暴れする親父、ヤフコメおじさんは意識低い系の代表だ。意識高い系も痛いが、意識低い系も問題だ。

 

結論から言うと「メディアリテラシーを身に着けよう」「具体的に考え、表現することにこだわろう」「人生を充実させよう」この3つに尽きる。要するに普段の生活習慣がモノを言う。

 メディアリテラシーについてだが、特にYahoo!ニュースに載った記事の配信元がどこなのか、誰が書いたのかを確認しよう。関連する他の記事と読み比べるとより良いだろう。

 ヤフコメおじさんの残念なことは、ひたすら感情論で書き散らかすことだ。ヤフコメ欄での賛同を狙うために、ウケをねらった表現はうまいのだが。

  

コラムの内容は、引用元をしらべて、よく考えて、ネット上のコメントを書きましょうという、同意できる意見なのですが、「意識低い系おじさん」「ヤフコメおじさん」という書き方に私は違和感を覚えた。ラべリングして悪者を作っているように見えました。

この記事では、「News Picksなどでいかにも切れ者ふうに、時にやや地に足がついていないようなコメントをしているのが意識高い系」と話しているけど、このコラムの言葉借りるなら、「意識低い系おじさん」を馬鹿にする「意識高い系おじさん」ように見えます。どちらにもわたしは共感できなかった。

 

◆見習うべきはホリエモンの「キモさ」

前述で、西海岸の人の特色として、「ホリエモンが好き」と上がっていました。堀江さんは既存概念を無視し、自由で、好きなことをやっているように映りますが、わたしは堀江貴文さんの一番の魅力は「オタクであること」だと思っています。堀江さんの著書『すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書)』でなにかに没頭することの重要性を話しています。

 

自分で行き先を決め、アクセルを踏む生き方のためには、「学び」が不可欠だ。僕がこう言ったら、意外に思われるだろうか。学校を不要だと言い切り、学校教育のあり方を否定し続けている人間が突然何を言うのか、と驚かれるかもしれない。ただし、はじめに一つ確認しておきたいことがある。「学び」という言葉の定義についてである。僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。

脇目もふらずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。だから、没頭する対象は数学や英語、料理だろうと、ダンスだろうと何でもあり得る。すなわち、その人が心から没頭できていれば、対象は何であれ、僕はそれを「学び」ととらえる。「学び」と聞いたとき、多くの人は、いわゆる「お勉強」を想像するだろう。それはつまり、学校教育に準じたものということでもある。たとえば、数学や物理といったおなじみの科目や、散々暗記させられた公式、年号の数々。映像として浮かぶのは、教卓や黒板、教科書、ノートなど、「お勉強」に必要な小道具たちだ。こうした「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。

 

先日、NewsPicks で配信された記事で、SHOW ROOM社長の前田さんは堀江さんのなにかに没頭する姿勢を評価しています(とても面白い記事でした)。

newspicks.com

たとえば、堀江さん。彼が和牛やロケットについてひとたび熱くしゃべりはじめたら、もう止まりません。こちらが羽交締めにして止めても、彼の口は止まらないでしょう(笑)。ひとつのことにそれだけの熱量を注ぎ込める人が、多くの人の共感を集め、お金も集める時代になる。

 

ブロガーの三沢文也さんは本気でビジネスをしたい女性に対して、まわりの男性に恋愛対象として見られず同僚として接してもらうために、専門分野にストイックに取り組み「キモくなろう」と語っている。

tm2501.com

 

 最近、千葉雅也さんという若手の哲学者が「勉強の哲学」という本を出した。その千葉さんが自身のツイートで紹介するほどよくできた要約をなんと僕の友人がつぶやいている。

  

「勉強の哲学」自分なりに要約すると、

・勉強するとキモオタ的になるが、これは言葉のアップデートに不可欠

・その上でキモさを削るには喋りがキモくなる原因を知る必要がある

・「別の」勉強を続けることで「ある」キモさは軽減される

って感じなので、どう考えてもオタクが読むべき。

 

これはお仕事をしててもそう。仕事に対してストイックになればなるほど、女らしさとは程遠い図太くて、ブスで、論理的になる。

 

そういうキモさは、女性としての金融商品的な価値とは対極にあるかもしれないけど…対極だからこそ、「プロの女」であることを求めて近寄ってくる人は激減するでしょう。

それでも「プロの女」として扱ってくれるなら、その人はむしろ論理的で、図太くてストイックな女性が好みということになるが…その場合は「誰でもいい」ってわけではないと思うから、良しとしてもいいと思うけどね…。

 

たぶん、これはおじさんにも当てはまっていて、下心ではなく、純粋に敬意をもって接してもらうためには、好きな物を見つけてキモくなるのがよいよなと思う。

逆にキモくいられる環境であるならば、あとはなんでもいい。背広を着る服装指定があっても、出社時間が決まっていても、ヤフコメにキモい事書いていても、おじさん目線でもなんでもいい。キモくなにを極められればあとはなんでもいい。自分の好きなものを見つけて夢中にキモくなれるおじさんは素敵です。なにかにキモくなれないおじさんに未来はない。

可愛いだけが、女の子の価値じゃない

 たぶん、イベントか、なにかだったと思うけど、お客さんと女優さんの話をしたとき「でも、あなたの方がかわいいよ」って言われたことあるんです。気を使って、わたしが喜ぶと思っておべっかを言ったんだと思うんです。でも、わたしは喜べなくて、腑に落ちないような、ゴワゴワした気持ちなった。

◆私より可愛くないAV女優なんていない

少なくとも、私の売っている商品に、私より可愛くない人なんて一人もでていないと思っています。というよりも、「私の方が可愛い」と言える程度の女の子がでている商品、わたしは売りたくない。エロくて、綺麗な子を商品として撮影したものを、私は売っていると思っています。だって、彼女たちは「可愛い」や「綺麗」といった女性性を売るプロで、彼女たちの女性性には商品価値がある。だから、「あなたの方がかわいいよ」って言葉は、私の会社のキャスティング能力や女優を選ぶセンスを卑下しいるように感じて腑に落ちなかったように思う。

 

◆アピールポイントはひとつじゃない

雨宮処凛さんは、サブカルの1ジャンルとしてのエロが、サブカル好きな人から、判断力を奪っていくと書いています。

maga9.jp

 

「ああいうの観てたから、普通のセックスじゃダメだと思ってた。変態じゃないといけないと思ってた」

 ああ、わかる…と遠い目になった。別に変態にならなきゃとは思ってなかったけど、とにかく自分には価値がないと思ってた。それは当時のAVでは女優があらゆる「変態」と言われる行為に応じていて、「こんだけ可愛い子でも脱いでただセックスするだけじゃ商品価値がないんだから、お前らなんて徹底的に無価値なんだからな!」と言われている気がしたのだ。

 

すごく分かる。とってもわかる。脱いだらエラい、カゲキなことしたらすごい。そんな風潮はこの業界にはある。だけど、断るのは、ダサいことでも、ダメなことでもない。つまらないセックスをする人も、セックスをしない人もダサくないし、悪くない。

だけど、わたしは同時に、自ら女性性を売りにする女性、自らのエロさを売りにする女性がいてもいいとも思っている。自分がアピールできるポイントとしての女性性があっても良いように思う。そして、その女性性は、色んな価値の中での一つでしかない。

たとえば、今は、予定はないけれど、もし、仮に私が転職するとなったら、営業ができます、文章が書けます、そんな自分の能力を羅列された履歴書をもって面接にいくでしょう。その能力のひとつが「可愛いです」「男性に好かれます」「エロいです」でもいいと思っているんです。営業ができます、も、可愛いです、も商品価値になる。

 

◆自分の女性性を客観視する

AVを死ぬほど売っているので、自分がAV女優になったら、どのくらいの位置にいくか、だいたい予想ができます。自分の女性性のランクを自分で判断できる。一流に可愛い子と競合したとき、勝ち目はないでしょう。

以前、店舗でしつこく彼氏いるか聞いてきた客がいて困ったとブログに書きました。

 

mochi-mochi.hateblo.jp

 

実はこれには後日談があって、複数メーカーの集まる大きなイベントがあった際、その人がいたんですよ。私はしつこく付きまとわれた直後だったので、顏を覚えていて、目があって「あ」って思った。でも、彼は、私など気にもせず、他のメーカーの連れてきた抜群に可愛い専属女優のとこにいったんです。まあ、エロビデオ屋の中ではかわいくても、AV女優のなかにいたら埋もれる。かわいさって相対的に決まる部分もありますから。女性性で戦ったところで、勝算はないし、勝算のないところで勝負はしないほうがいい。

 

◆女性性=その人の価値ではない

「あなたのほうが可愛いよ」という言葉に違和感を持ったのは、言った相手が意図しているかわかりませんが、「あなたの方が価値がある」と言っているように感じたからというのもあります。可愛いほうが、上みたいに言われているように思った。私の思い込みかもしれないけど。

だけど、わたしの、というか、どの女の子の価値も「かわいい」だけじゃない。営業のやり方を知っていることだったり、文章をかくことができるということだったり、「かわいい」以外にも、わたしが価値を提供できるところはある。

可愛いのは彼女ですが、だけど可愛い彼女のAVを営業できるのはわたしです。イベントでたくさん人が来るのは彼女ですが、そのイベントを運営・企画するのは私の方が得意です。できる能力に優劣なんかない。わたしができること、彼女ができること、それぞれに価値がある。それを無視して、容姿という一つの能力だけで、上下を決めているようにおもった。

「女優さんが偉い」というのはこの業界にあるし、私もそう思う。彼女たちは偉い。ハードで気をつかう仕事をこなしながらも、私たちにはとてもいい人でいてくれる。この会社に入って会ったAV女優さんのなかで嫌な子は一人もいません。わたしは仕事のできる営業ではないけれど、それでも、嫌な顔せず仕事をしてくれた。画面にでている彼女たちは、いい人です。だから、せめて、彼女たちが、彼女たちが満足いくようにできる限り協力したいなと思う。

だけど、彼女たちと、わたしと、どちらが、価値があるとか、上とか、そんなことを問うのは愚問だと思う。わたしとは、別の形で価値を提供する人。私が提供できない価値を彼女たちはできるし、逆でもある。「みんなもれなく可愛いよね、ぐへへへ」って言える人が好きです。

ロサンゼルスアニメエキスポ(AX)の色々

トイズマガジンさんでもレポートを書かせてもらいましたが、わたしのブログでもアメリカ出張の感想を書こうかな。

toysmagazine.net

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◆澁谷果歩ちゃんの積極的ですごいな

澁谷果歩ちゃんとは前夜祭から5日間ずっと一緒にいたのですが、自分から動く人だなって思った。トイズマガジンのレポートでも書いたけど、果歩ちゃんの提案で露出の高い衣装に変わったのね。私は引っ込み思案な人間なので、自分で意見を持っていて、それを言えるのはすごいなって尊敬した。サイン中も英語でお客さんに話を振っていて、これ、日本語だったとしてもわたしには難しいよなって思った。果歩ちゃんが自分からグイグイ前にでていたから、触発されて、わたしも言葉通じなくても頑張ろうって思った。

 

◆仕事で海外たのしいな

8日間行っていたんですが、仕事いっぱいあったので、観光してないんですよね。最終日が15時に終わったから、終わった後に、少ししたけど、それ以外は、毎日夜帰ってバタって寝て、次の日も展示会って感じでした。そもそも観光出来ないと思ったので、有名観光地を全く知らなかったんですけど。

だけど、旅行で海外に行くよりもずっと楽しかったなって思ったの。仕事で行くから、やらなきゃいけないこともいっぱいある。言葉も分からないし、アニメエキスポは初めてだったので、イベントのやり方も詳細に知っているわけじゃない。分からないこといっぱいあるけど、飛行機代とかホテル代とか、いくらかかっているかとかも分かるから、かかった代金分働かないとってプレッシャーとかもある。だから、言葉分からないとか、初対面だとか、無視して、自分から動いて、分からないなりに必死になれたな。外国の人と密にやり取りをする必要に駆られたから、言葉が通じなくてもガツガツお客さんとコミュニケーションとった。大変だったけど、それはすごく楽しかったな。同じように海外に行ったとしても、旅行だとそこまで必死にならないなって私はおもったの。

 

アメリカの人みんな良い人だったな

アメリカに行くのはじめてだったし、本当になにが起こるかわからなくて、生きて帰れるだろうかぐらいに思っていたんだけど、実際にイベントをやると、言葉の通じない私でも、気を使ってもらって、みんな優しかった。

サイン列に並んでいるお客さん同士でルール伝え合ってくれたり、人が多くて並ばせるのを止めたときは、「今日は人が多いから終わりだよ」ってことを、並べなかったお客さんが、新しく来たお客さんに伝えてくれたり、英語がへたくそな私をお客さんがサポートしてくれた。お客さん、みんなやさしくて助かりました。おたくってやさしいな。言葉も通じないポンコツ営業を助けてくれたのが、うれしかったな。

イマジンVRのブーススタッフさんもすごく親切で、アメリカに住んでいる日本人女性だったのだけど、言葉の面を中心にすごく助けてくれた。空いている時間は「お客さんが昨日と違う衣装だねって言って覚えていてくれたよ」と褒めてくれて、雑談している時間もたのしかった。今まで、年上の女性になんとなく苦手意識があったのだけど、気さくなお姉さんで楽しく過ごせました。

 

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最終日のころには、もう終わる直前は寂しいなってなった。また来年もいきたいな。

会社のカメラ壊した以外は最高な1週間でした。